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    呪専五夏
    夏の過去や地元をご都合設定で書いています
    ブロマンス寄り

    #五夏
    GoGe

    スターフィッシュ 久しく帰っていなかった地元は、自分の記憶の中のそれよりもずっと寂れていた。
     相変わらず何もない土地だ。駅前でさえ人通りはまばらで、午後九時を回ると僅かにあった店の明かりはすべて途絶えてしまう。
     夏油傑は、そんな地元の様子を横目で見ながら寒空の下、白い息を吐いて曲がり角を曲がる。同じような外観の家が建ち並ぶ住宅街にひとつの足音のみが響いていた。
     地元を離れ一年が経とうとしている。進学を機に東京へと腰を据えた夏油は、高校生であるのに忙しさにかまけこちらへ戻ることはなかった。今回珍しくまとまった休みが取れたため、両親へ顔を見せに帰省しようと連絡をしたのだが、いつの間にか中学の頃の同級生にそれを知られており、集まろうと声をかけられたのであった。
     あまり気乗りはしなかった。この土地にはあまりいい思い出がない。息を詰めて周りに合わせ生きていた学生時代を思い出すからだ。
     夏油には不思議な力が備わっている。霊よりも禍々しいものを目で見ることができ、そしてそれを祓うことも可能にする力だった。子供の頃それを口にすると気味悪がられ、両親にさえ嫌な顔をされるため、子供心ながらにこれは普通の人には知られてはならない能力なのだと言葉を飲み込んで生活してきた。成長してもなおそれは続き、外面ばかりが良くなる一方で、思春期の最中どこか疎外感を抱えていたのだ。
     その力の名も使い方も、そして使い道も、すべて東京の高校へ入学して教えられた。周りには同じような力をもつ人間がいて、それを胸中へ隠す必要もない。気を遣い過ぎる相手もなく、何より自由だった。授業や任務といった身体的拘束は以前よりも増したが、他の干渉を受けないという点において心が軽かったのだ。
     友達も彼女もいて、教師との折り合いも悪くなかった夏油だが、上京してからというもの、そちらの方が心地よく田舎へ戻るつもりにもならなかった。故郷が恋しいという気持ちすら持たず、それなりに楽しんでいる。それはひとえに友人ができたからだ。
     夏油には五条悟という親友がいる。人目を惹く日本人離れした容姿に生来の不遜さを兼ね備えた、正真正銘のお坊ちゃんである五条は、なかなかどうして夏油と馬が合った。顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた時期もあったが、お互いの力を認め背中を預けるようになりそれは信頼へと変わった。くだらないことを言い合って笑い、もう一人の級友である家入には呆れられ、教師にはげんこつを食らう。そんな青春を送っている。
     朝から降っていた雪は止むことなく、もうこちらでは雪が積もり始めている。念のためブーツを履いてきておいてよかった。その分厚い靴底で雪を踏み締める度に、ぎゅっぎゅっとやわらかなものを無理矢理固める嫌な音がする。夏油はマフラーに埋めた鼻を少しだけ出して外の空気を吸った。キンと冷たい雪国の夜のにおいが鼻の奥を突き刺す。
     今日ここへ来たのは失敗だったかもしれない。再び赤くなった鼻をマフラーで覆い隠しながら夏油は息を吐いた。
     同窓会のような集まりは、近くのファミレスにて開かれた。さまざまなクラスから暇な者が寄り合ってわいわいと騒ぐさまは、その場にいることが恥ずかしく思いさえする惨状だ。同じ年齢だというのに、幼い。思い出すだけで顔を顰めてしまう。
     暫くぶりに会った元クラスメイトたちはこぞって夏油に東京での生活を聞いた。テレビで見るような暮らしを夢見ているのか、無闇に羨ましがる彼らに対して笑って受け流すことしかできない。呪霊が見えて、それを食って術式を持たない人間を日々守っている。そんなこと、どう説明すればいい。
     おかしなやつだと思われたくなくて自分を殺していた頃を思い出した夏油は、近寄ってきたクラスメイトへにこにこと笑顔を貼り付けて対応し適当に相槌を返す。テーブルの上には雑多に置かれた食事と色とりどりのグラスが並んでおり、その中で誰も手をつけていないウーロン茶を喉へ流し込むことで矢継ぎ早の会話を遮った。
     退屈だった。よく偏差値の違う者とは会話が弾まないと聞くが、きっと住む世界の違う人間同士の会話はこういうものなのだろう。部活動での先輩からのいびり、授業が面倒であること、担任の容姿について、あのクラスのあの子がかわいい。今耳へと流れ込んで来る話題のすべては中学の頃から変わり映えしない話題であって、今の夏油にとっては遠い記憶の片隅に置いてきたものであった。それをどうしようもないものだと一蹴してしまえれば、どれだけ楽だっただろう。誰の目も気にすることなく、これが今の自分だと見せてしまえる人間であれば、きっとここまで鬱屈した感情を胸へと閉じ込めていない。
     高専は気が楽だ。もちろん死と隣り合わせの危険な任務を課せられているが、何より心が楽だった。所謂いいところの出である五条は、夏油が何かをしてやる度に目を輝かせて喜んだ。夜中にカップ麺を作ってやった時も、寮へ持ち込んだ漫画を読ませてやった時も、今まで当たり前にしてきたことを初めてだと言って笑う。そんな彼を見ていると弟ができたような気になって、あれこれしてやりたいと庇護欲が疼いた。誰よりも、呪術界で最も強いと言われている男に、だ。
     家入からは親か、と皮肉を言われているが、それに苦笑しつつも治す気がない自分に驚いたものだった。今まで他人の目を気にしてきたはずなのに、五条にも家入にもそんなものを感じたことはない。ここが自分の居場所なのだとその時、青臭いながらも思った。
     グラスの中の茶色い液体がなくなりそうな頃、ポケットの中に押し込んでいた携帯電話がぶるりと震えた。親からだろうかと取り出して確認すると、それは件の親友からのメールで、たった一行「怒ってる?」とだけ入っている。それはどこか落ち着かない気持ちであった夏油の心をふんわりとやわらげ、画面を見て口許は知らず弛む。その様子を見ていた同窓生たちは何々、と顔を寄せてくるが、それをさらりと交わした夏油は手の中の小さな機体を折りたたんで、「内緒」と笑ってみせた。ここへ来て初めての笑顔だった。
    「悪い、私もう行くよ」
     えー、とか、もっと居ろよ、という声を背にしながら、五千円札を取り出しテーブルへと置いた夏油は騒がしいファミレスを抜け出す。もう二度と会うことはないであろう彼らの顔を記憶に焼き付ける必要もなかった。
     暖房であたためられた室内と外との気温差にぶるりと震えた後、そういえば上着を羽織ることを忘れていたことに気づきいそいそと手に持ったままのダウンを着込んだ。その上からマフラーを巻き家路を急ぐ。
     五条とはつい昨日喧嘩したばかりだった。地元へ帰ると告げてからつまらなそうな顔をしていたのは覚えているが、昨日中学の同級生からの電話に出たあたりから分かりやすく苛立っていた。この休みはゲームでもして遊ぼうと約束していたことは事実だったが、それを反古にしたからといってここまでへそを曲げるほど悪いことをした覚えはない。言いたいことがあるなら言えと詰め寄ったがうるさいと一蹴され、そんな態度にこちらが大人になる謂れもなく顔を見ることなく寮を出たのだった。
     はじめはよかった。新幹線の中で読みたかった文庫を読んでゆっくりと過ごし、実家ではよそよそしいながらも出された家庭の味を味わう。夜読書でもしようと横になっている時に、ノックもなく不躾に部屋へ押し入る者もなく、任務で帰宅が遅くなり出来合いのものをあたためている時に、横から奪われることもない。快適に感じていた。
     しかし、ものの数時間でそれは物足りなさへと変わる。次第に居心地の悪さを覚え、東京での生活について答えることも億劫で笑ってはぐらかすことしかできない。やはり帰ってきたのは間違いだった、とそう実感せざるを得なかった。
     そんな時に送られてきたご機嫌うかがいのメールに、幾分気持ちが上向いたことは事実だった。五条は類を見ないほどわがままな性格をしているが、素直なところがある。夏油と喧嘩した時真っ先に話しかけてくるのは決まって五条からであった。翌朝顔を合わせた時気まずそうに挨拶をされると、昨日のことなんてなかったことのように許してしまう。これは夏油に喧嘩の原因がある時もそうで、その場合はこちらからも一言謝ってしまえば元通りだ。子供じみた言い争いをしても引き摺らない。ふたりでいることが楽しくて、仲違いしている暇がない。そんな友人ができたことが、夏油にとってはなにものにも替え難いものであった。
     寒空の下、置いていた荷物を取るために実家へと寄った。母はもう帰っちゃうのと言っていたがその実ほっとした表情を浮かべている。それに疎外感を覚えることはもうない。ごめんね、と言いながらボストンバッグを肩に担ぎブーツを履き直す。いつもよりも靴紐をきつく結んだ。
     気をつけてね、と言う声に元気で、と返す。きっとこれが最後になるかもしれないと言いかけて、やめた。そんなことはわざわざ告げるまでもないと思ったからだ。禍根を残す必要はない。
     もう何度もくぐった玄関を出ると外はとっぷりと暮れており、高い空には星の輝きが一面に広がっている。田舎のいいところはこの空かもしれない。高い建物がないおかげで満点の星空を見渡すことができる。
     ひとつひとつの星の輝きを目で追いつつ駅までの道を急いだ。まだ新幹線の最終には間に合うはずだ。乗り継ぎを考慮してもその日付が変わる前には東京へ着くだろう。そうしたら寮へ戻って今度はこちらから五条の部屋を訪ねてみようか。ファミレスでは何もつまむことがなかったため、軽い食事でも作って一緒に食べよう。どうして昨日怒っていたのかはまたおいおい聞けばいい。今はとにかく、あの騒がしい男の顔が見たい。
     駅前は住宅街とは違って人の姿がまばらに見える。これから出かけるのか大きな荷物を持った家族連れや、別れを惜しむカップルの姿もあった。そのどれもに当てはまらない夏油は、しかしやわらかな心持ちで構内へと入る。屋根の中にさえ入ってしまえば、エアコンであたためられた空気が冷えた体を包んでくれた。
     時刻表を確認すると次の新幹線まで時間がある。何かあたたかい飲み物でも飲もうかと自販機を探すためにあたりを見回した瞬間、腕をグッと引かれる感覚があり、思わず後ろへたたらを踏んでしまう。何事かと力の加えられた方へ視線を向けると、そこにはついさっき早く顔が見たいと思っていた男の姿があった。
    「は? ……悟?」
    「オマエ返事しろよ!」
    「いや、……え? どうして」
     ちらほらと人の姿のある駅構内であることなどお構いなしに大きな声を出して詰め寄る五条に、夏油は戸惑いつつ言葉を発した。そもそも彼は今東京にいるはずで、夏油がどこにいるかも知っているはずがないのに。突然のことに考えがまとまらない夏油の胸ぐらを掴んで睨みつける五条は、一歩踏み出して更に距離を詰める。
    「朝起きたら傑いねーし……! 喧嘩した日にいなくなんな、バカ!」
     人よりも大きな体格である夏油の、更に高い位置から投げかけられる声は、彼の口からあまり聞くことのない焦燥が強く滲んでおり、昨夜のことも忘れて思わず謝罪の言葉が口をついて出た。すると、美しい空の色を溶かし込んだ青い目に映る険が僅かにやわらいで、ようやく胸元を掴む手が解かれる。
    「びっくりした……どうしてここが……」
    「前に地元ここだって言ってたから」
     確かにそんなことを言っていたような気がする。それにしたってこんなところまで来なくても、と言えば、「傑がいなくなってるから」とくちびるを尖らせて返される。
    「そんなことで?」
    「だってそうだろ、仲直りする前にいなくなるとか……そんなの、嫌じゃん」
     肩口に額を乗せぶすくれた調子で言われてしまうと、こちらが悪いかのように感じるのだから、自分も随分この男に甘くなったものだと苦笑した。丸められた背に手を置いてぽんぽんと叩く。こちらの寒さを考慮していないらしく、ウールコートのみの背中は冷たい。
    「悪かったよ、仲直りしてから来るんだった。悟がそんなに気に病んでるとは知らなかった」
     でも、と付け加える。
    「昨日の態度はよくなかったよ。私に言うことがあるだろ」
     こちらは旧友と電話をしていただけだ。それなのに五条はそれを見た途端怒ってそっぽを向いてしまい、何に苛立っているのかさえわからずじまいだった。面倒ごとは嫌いだ。だけど、親友にわけもなく八つ当たりされることの方がよっぽど腹に据えかねる。だから何度も尋ねたが、もういい! の一点張りであった。さながら幼稚園児だ。
     夏油の言葉に、五条は押し付けた額をぐりぐりと揺すって更に擦り付ける。それが何を意味しているか、この一年近くの付き合いでもうわかってた。
    「……悪かった」
     もごもごと吐き出された言葉の歯切れの悪さに口端を持ち上げ、再度背中を叩き顔を上げさせる。サングラスの端から覗く青がこちらを射抜くさまは、親友と互いに言い合える仲になった今でも慣れない。まっすぐに見つめられると、やましいところがなくとも心を見透かされている気持ちになった。
    「いいよ、これで終わり」
     肩に手を置きさりげなく体を離しながら問いかける。五条の表情は先ほどより幾分すっきりしたように見えた。
    「……もう勝手にいなくなるなよな」
    「それは約束できない、けど善処するよ」
     夏油の返答になんで、と口を開きかけた五条を制した。
    「術師はいつ死んでもおかしくない」
     そういう生き方を選んだ。人の目から隠してきた力を弱者のために使うことは存外気持ちのいいものだ。自分が誰よりも強い生き物のように思えてくる。
     五条は青い目を見開いて夏油の顔を覗き込んだ。きらきらと輝く虹彩に、胸の奥深くへと沈めた恐怖が引きずり出されそうになる思いだった。
    「んなことさせねぇよ」
     死んでたまるか、と吐き捨てた五条は、言葉を失くした夏油の手を取って、先ほど通った通路を進んでいく。自販機、売店、すべてのものがあっさりと通り過ぎていき、僅かにあった人々の声も、今はもう遠い。
    「ちょっと、悟」
     ずんずんと進む親友の長い脚についていくばかりで、呼びかけても腕を引こうとも止まってくれる気配はなかった。普段ならここで怒ってやるところだったが、なぜかそうしてはいけない気になってしまい、踏みとどまることすら躊躇われる。力では彼に負けるつもりはない。むしろ単純な力の押し引きだけなら勝てるだろう。それなのに新しい世界を見せてくれるこの男の腕に身を任せてみたい、そう思った。
    「……俺は」
     ひっそりと静かな夜の空気が頬を撫でる。喧騒のない、穏やかな空気だった。ぴたりと止まった五条に合わせ足を止める。いつの間にか駅から随分離れてしまっていたらしい。誰もいない密やかな夜だった。
    「オマエとならなんでもできると思ってるけど、傑はちげぇの」
     低く拗ねた声が風に乗ってこちらへと届く。
    「少なくとも俺はそう思ってるけど」
     握られた手が熱い。相変わらず外は雪景色だというのに、繋がった部分が燃えるように熱かった。
     五条のストレートな物言いには何度も驚かされたが、こうもまっすぐ信頼をぶつけられるとは思ってもみなかった。親友の熱がこちらまで伝わって、寒さなど忘れたかのように顔まで伝播する。
     夏油は熱を逃すためにマフラーを下げ、口許を冷えた空気へと晒す。ほてった頬を撫でる風が心地よかった。
    「……そうだったね、悪かった」
     余りに強い情に面食らった夏油の返答は、ワンテンポ遅れて夜に溶ける。与えられた友情に胸がむず痒く、この気持ちをどう昇華すればよいのか、その方法さえ知らない。握られた手を強く握り返し、詰めていた息を吐く。
    「私たちならなんでもできる」
     今度は自分に言い聞かせるよう意識して強く言葉を紡いだ。そうだ、なんでもできる。向かうところに敵なんていない。そう思っていたはずだった。
     は、と笑い声が漏れた。こんなところへのこのこと戻って来てしまったから、気持ちが過去へ引っ張られている。誰ひとりとして自分を理解してくれなかったあの時分に逆戻りしているのだ。そんなこと、なんともないと思っていたのに。居場所を見つけてしまったから。
    「悟といると全部ばからしくなるよ。すべてがちっぽけだ」
    「なんかバカにしてね?」
    「褒めてるんだよ」
     目の前の銀の混じった真っ白な髪の毛は、暗闇でさえ月の光を浴びて美しく輝いている。もしこの先光を失った時、自分はこの眩さに縋ることができるだろうか。それとも。
    「そういえば、昨日君が臍曲げてた理由を聞いてないね」
     湿っぽい空気を振り払うよう、努めて明るい声で問いかけた。未だ繋いだままの手を小さく揺らしてねえ、と急かす。五条は暫し黙ったままだったが、観念したようにため息をついた。
    「……俺の知らない傑がいると思ったらムカついた」
    「地元の人間と電話してる時?」
    「そうだよ! はッず! ……俺、傑のあんな顔見たことねーもん」
     手から伝わる体温が更に上昇し、もうどちらが照れているのかわからないほどに熱い。まさかそんなことで、と言いかけたが、口を噤んだ。彼にとってはそんなことで済ませるようなものではないのだろう。何せ友達という存在がはじめてなのだ。いつも一緒にいる人間が自分の知らない世界へと行ってしまう疎外感。それを感じている。
    「悟」
    「いいよ、ガキだっつーんだろ。お説教は勘弁して」
    「違うよ、悟聞いて」
     早くこの話を終わらせようとしている五条の手を引いて耳を傾けさせる。
    「あんな顔悟や硝子に見せるつもりないよ。あれは、取り繕っている時の私だから」
     本心を隠して空気を読みうまく立ち回ることを覚えた夏油が、ようやく自分を晒すことができた相手が彼ら同期だ。過ごした時間はたった一年足らずであるのに、もうずっと一緒にいるかのような安心感と信頼を覚えている。だからあの日、五条が夏油の表情に違和感を持ったのは当然だった。
    「きっと悟たちの方が私のことはよく知ってる。術式を持ってることも、こうして友人を諭すところも誰にも見せたことがない」
    「……寝起きが悪いところも、でかい口で飯食うところも、短気で頑固なところも?」
    「喧嘩なら買うよ」
     夏油の返答に前方からは晴れやかな笑い声が聞こえた。白い頭がゆっくりとこちらを振り返ってサングラス越しに視線がかち合う。見えすぎる目を覆う色の濃いサングラスの下では、いつものようにあの青い目が細められているのだろう。
    「俺は傑しか親友ってのがいないから、何でも一番じゃないと嫌。俺の一番ももちろん傑」
     思わず天を仰ぎそうになった体をなんとか押しとどめて、夏油は「私も」と言いながら白い息を吐く。
    「悟が一番だよ。親友なんて君しかいない」
     五条は何度か目を瞬がせ、夏油の言葉を噛み締めるように時間をかけた後、ぱっと表情を明るくさせて「そっか」と漏らした。寒さからかそれとも先ほどの名残か、上気した頬は赤く、しかしそれを隠すことなく満足げに笑ってみせる。
     そういえばこうして言葉にして伝えたことはなかった。こんなと気恥ずかしくて伝えることはないのだが、五条は人付き合いから何からすべてが初めてで、生来の我儘な性格と合わせ、こうして言葉にしてやらなくてはいけなかったのだ。手のかかる同級生だな、と心の中でつぶやいた夏油だが、不思議と嫌な感じはしない。むしろ、胸の奥がじんわりとあたたかく、こんな気持ちははじめてだった。
    「よし、帰るか。帰ったらあれ作ってよ、傑のでっけーおにぎり」
    「いいけど次の新幹線まで結構あるよ。その格好だと寒いだろ、中に入るかい」
     時間を確認したところ、夏油が乗ろうとしていた便はもうとっくに出てしまっている。次までここにいるには五条の服装では寒さに耐えられないだろう。さすがに手を繋いだまま駅へ戻ることは気後れするためこちらから離そうとしたが、五条の繊細な指がそれを許してはくれなかった。
    「いいこと考えた。傑、ちょっとこっち来て」
     呼ばれるまま一歩踏み出せばそのまま手を引かれ、腰へと腕を回される。何をするのかと五条の顔を見るが、その顔は依然として笑みを浮かべていた。
    「掴まってろ」
     そう声をかけた五条は、だんと地面を蹴って跳び上がり、夏油は声を出す間もなくその力に引っ張られる。助走もなしにジャンプしたところで耐空時間などたかが知れている。次に来るであろう衝撃に備えて目を瞑り構えようとした。が、その衝撃は来ることなく、むしろふわふわと体が何かに覆われているような心地さえする。
    「……え、は?」
     今まで感じたことのない感覚に目を開くとそこには、真っ暗な闇と足元に広がる、ぽつぽつとまばらに明るい光が視界に入った。宙に、浮いている。
    「手繋いでおけよ、離れたら落ちる」
    「……君は底なしだな」
    「退屈しないだろ」
     おそらく五条の術式である無下限によって、夏油も共にこうして空に浮かんでいられるのだろう。彼に触れて入ればその領域の中に入っていることになるらしいが、腰を抱かれている以上手を繋ぐ必要はきっとない。そこまで考えたがどうでもよくなってしまい、言葉を飲み込んで夜空を見上げた。夏油もまだこの心地いい体温に触れていたかったのだ。
    「帰ったら飯食ってゲームしようぜ」
    「一旦休まなくていいのかい。私と対戦すると長いよ」
    「俺のことナメんなよ、ぶっ通しでやってやる」
     体が浮かんだことで先ほどまで遠かった星が近く感じる。手を伸ばせば届くかもしれないと勘違いしてしまいそうなほどに。無数の小さな輝きが視界いっぱいに広がって、今、その光が全身を包み込んでいる。雪国の冬の冷たさはもう感じられない。あるのは、込み上げる嬉々としたあたたかさと、胸を突く高揚感のみだ。どれも五条が教えてくれたものだった。
    「悟はいつもこんな景色を見ているのか」
    「いんや、人に見せるとうるせーからあんまり。傑だけは特別」
     内緒な、といたずらっぽく笑う五条を見て、仕方がないなと返す。だけど言われずともこんな景色、他のやつに見せてやるつもりはなかった。今この時を共に歩む彼と自分、ふたりだけのものにしておきたい。それくらい望んだってきっと罰は当たらないだろう。
    「こんな場所、二度と帰って来るつもりはなかったけど」
     天空の星、眼下の民家の光。澄んだ空気に透明な白。
    「この景色のためなら戻って来てよかったよ」
     ここに来なければ、きっと見ることはできなかった。五条とこうして言葉を交わすことも。普段は照れて発することができない言葉も、雪のちらつくこの場所なら素直になれる。
    「俺も、ここ来てよかった」
     五条の手に力が籠められ、更に体が引き寄せられる。ぴったりとくっついた体からじわじわと熱が伝わって、お互いの体温が上昇していくのが感じられた。
    「スピード出すから振り落とされるなよ」
    「それ誰に言ってる? ナメるなよ」
     ぐんと体が引っ張られる力の方へと体重を乗せ、手を繋ぎ直した。あたりは暗く星はまだ遠い。人々の息さえ聞こえてこない闇。しかし月の光を映して光る目の前の親友が、夏油を導いてくれる。そのことに安堵しつつ、こちらも引っ張ってやらなければと息を吸い口を開いた。
    「悟、高専はこっち!」
     
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