ラブイズブラインド 夜は部屋の鍵をかけないと決めている。高専の寮には夏油を含め大した人数が住んでいるわけでもなく、特段人の出入りに気をつける心配がないからだ。結界によって敵襲はほとんどなく、あったとしても警告音によって叩き起こされるが、その前に気づいて目が覚める。比較的安全な場所であり、ぐっすりと眠れる場所でもあった。
静かにドアが開く音がした。古い部屋は建て付けが悪く、どうしても開閉時にぎぃ、と重い音が響く。その音がする前から人の気配に気づいた夏油は目を覚ましていたが、ひたひたと迫る足跡を耳にしながらじっと毛布に包まっていた。
ベッドの前へと立ったその気配は、やがて布団を捲ってその中へと体を滑り込ませてくる。外の冷気を纏った体が背中にぴたりと寄り添い、その冷たさにぶるりと身震いした。
「……眠れない?」
この時間、こうしてここへやってくるのはたったひとりしかいない。甘い香りと当然のように巻き付く長い腕。暖を取るように絡みつく脚の長さが、誰であるか顕著に伝えてくれている。
声をかけられた男は、長く伸びた髪へと顔を埋めてその先の肌へとくちづける。
「……ん」
返ってきた小さな声は弱々しい。今日はお互い別の術師との任務があり、朝顔を合わせることなくばたばたと出て行った。こんなことはこの秋からしょっちゅうで、しかし今回は連日それが重なったため、しばらく顔を見ていないなと気にしていた矢先のことだった。
五条悟は、夏油傑の親友である。たった三人の同期の内、たったふたりだけの同性だった。しかしそれぞれが正反対の性質を持っており、親友という名称の関係に至るまでに時間を要した。
そんなふたりが親しくなった後、泊まり込みの任務にふたりで当たることがあり、寝付きの悪い五条に気づいた夏油が添い寝をしてやったことが始まりだった。寝なくても平気だと言い張る五条に対し、青い顔をされては志気が下がると自らの布団へと招き入れた夏油は、己よりも大きな体を隣に置き背を向けて目を瞑った。背中に触れた五条の背が、とくんとくんと脈打つのを聞いているうちに、いつの間にか寝息が響き、その音を聞きながら眠りに落ちた。
それからこうして深夜、五条は夏油のベッドへと潜り込んでくることが増えた。その頃には、添い寝だけでは飽き足らなくなった若い体がお互いを求めて睦み合うようになっており、どちらからともなく体を重ね精魂尽き果てたまま眠る。それが習慣化していた。
しかし、今日はさすがに疲れ果てている。指を動かすことすら億劫で、何もしてやれる気がしない。そも後ろを使う準備もしておらず、とろとろと夢と現の境目を彷徨っている頭では、中を洗うことすらままならないだろう。
「悪いけど、今日は」
「わかってる、寝るだけ」
そう言いながら五条は、くちづけたうなじに更にくちびるを押し付けてすんと鼻を鳴らす。眠る前、五条がよくする仕草だった。
「落ち着く……」
ぼそりとつぶやく言葉は、闇の中へと溶けて消える。しかし夏油の心をあたたかくするには十分すぎるほどだった。
はじめは彼を寝かしつけるために始めた行為だったが、今となってはこちらの方が彼の存在によって穏やかな気持ちになっている。このぬくもりを手放したくはなかった。これを自分のものだと思ってしまう、己の傲慢さが嫌いではなかったのだ。
腹に回された手にそっと触れる。指と指とを重ね、爪の先で皮膚を引っ掻きながらゆるゆると撫でれば背後から深いため息が漏れた。その吐息が濡れていることに気づかないふりをして目を閉じる。
背中があたたかい。血液が巡る音が響いている。その音が僅かに跳ね上がったかと思うと、絡みつく腕に力が籠められぐっと引き寄せられた。
うなじにかかる息は熱く、おそらく歯を食いしばっているのだろう。ふーふーと獣のような息を細かく漏らしている。尻に押し当てられた彼の下腹部は熱を持っており、膨らんだそれでもって尻たぶは押し広げられていた。
腰はゆっくりと、しかし確実に揺れている。先ほどよりも硬度を増して、ぐいぐいと夏油のすっかり性器へと変わり果てたそこへと潜り込もうとしている。
スウェット越しであるにも関わらず、にちにちとねばっこい音を立てるそれが、今彼がどのような状態であるのかを教えてくれていた。
こんな風になって、それでも手を出そうとしないのは彼が夏油をすきで大事にしているからだ。疲れているのであろう親友を労っている。しかし若い性欲に打ち勝てない。それは同じ男である夏油が最もよく理解していた。
うなじに当たる息は温度を上げ、べったりと肌に情欲がまとわりついているようだった。遠慮しているからか、軽く歯を当てられかぷかぷと甘噛みされている感触がもどかしい。いつものように皮膚を食い破り肉に歯を立ててくれれば、と煩悩にあてられた頭でぼんやりと考えた。
「悟、離して」
たまらず制止した夏油の声を聞いた五条は、はっと息を呑んで夢中で擦り寄っていた体に隙間を空ける。
「今日は疲れてる」
「……うん」
掠れた声は消え入りそうなほどに恐縮していた。普段尊大な態度の五条からは考えられない声色がおかしくて、夏油は喉の奥でくつくつと笑う。
「そんなにしょげるなよ」
「俺、本当にする気なかったのに、傑のにおい嗅いでたら我慢できなくて」
「うん、わかってる」
辛うじて繋がっている手を重ねたまま、指と指の隙間に自らのそれを這わせ握りしめた。拒絶したのではないと暗に伝えてみせる。
「……悟が興奮してるから私もしたくなっちゃった」
ただし、と付け加えることを忘れない。
「終わったら片付けてくれる?」
「……する」
「準備できるまで待てる?」
「待てる」
驚くほど従順な返事に雄の本能の惨さを感じたが、それが嫌だと思えないのだから恋は盲目という言葉はどうやら本当だったらしい。
あの美しい男が、こうしてなりふり構わず求めるのは世界で唯一自分だけなのだという優越感が、腹の底でとぐろを巻いて兆し始めていた下腹部を熱くさせる。
「すぐるぅ」
やけに甘えた声で名を呼ばれ、手の甲を軽く叩くことで続きを促す。
「俺も準備手伝っちゃだめ?」
「だめに決まってるだろ」
本来、組み敷かれる側に回ることのない男の体は不便であって、それを彼に見せることなどとんでもないと首を振った。弱点はひとつも見せたくない。
夏油は、重ねた手をとって口許まで運ぶと、そのかたいてのひらへとくちびるを押し付けた。ちゅ、と小さな音を立ててキスをすると、熱を帯びた舌を這わせじんわりと湿ったそこを舐め取る。五条は突然の行動に息を詰め、再びがばりと抱きついてみせた。
「あっ! こら悟」
「今のはオマエが悪いだろ」
腕は再び腹へと回され、背中にはぴったりと体温が寄り添っている。尻に当たる熱は衰えることを知らず、むしろ更に硬さを増しているように思えた。きっと下着の中は濡れそぼり、早く体の中に入りたいという衝動に襲われているのだろう。押し付けられた腰は先ほどよりも的確に夏油の穴を狙っているようだった。
「悟、まだできないよ」
「……わかってる」
わかってるけど、と低い声で言い直す声は、そこから雄のにおいを感じ取った夏油の背をぞくぞくとしならせた。今夜、この男に食われるのだと胸の奥の心臓よりも深い部分が期待に打ち震えている。もう何度も、それこそ両手の指では足りないほど抱かれてきたというのに、だ。
「もう少しこのまま」
言葉のしっぽは掠れてしまっていて、耳に届くまでに共に吐き出された吐息の中へと消えてしまう。夏油はうんと頷きつつ、大きな手が自身の下腹部をまさぐり始めたことを知りながら、目を閉じてじっと声を押し殺していた。