死なば諸共目の前に対峙していたマレビトがオレに向かって手を翳す。瞬間強い光に包まれて目を眩ませる。ちかちかと明暗を繰り返す瞼の裏が落ち着いてゆっくりと視界を開かせれば、景色は夜の闇が広がる渋谷ではなかった。
「ここは……」
街並み自体は今まさに立っていた場所に変わりないが、真っ白に塗りつぶされている。着色前のフィギュアのような作り物感。何か攻撃を受けているのは確かだ。急いであのマレビトを浄化しなければ。
「KK!」
「暁人?」
背後からの切羽詰まった大声に呼ばれて振り返る。視線の先には、マレビトに背後を取られた暁人が立っていた。暁人の首に当てがわれた銀色の刃物に、冷たい空気が背筋を撫でていく。
「KK……!助けて!」
「クソッ!待ってろ、すぐブッ飛ばして、」
否、待ってなどくれなかった。暁人の首をマレビトが持つナイフが切り裂く。走り出しかけた脚がブレーキが掛かったように止まった。白一色の空間に赤のアクセントが溢れ落ちる。霧のように消えたマレビトの拘束が無くなった暁人は、オレを見つめたまま数歩歩いて膝をついた。
「KK」
ごぷりと血を吐く隙間に呼ばれた名が反響する。光を集めて輝いていた相棒の瞳が暗闇に堕ち、糸が切れたマリオネットみたいに血溜まりに倒れ込んで動かなくなった。
「あ、きと?」
広がっていく血の池。真っ白な服が赤黒く染まる。信じられない、信じたくない。これは嘘だ。これは幻だ。そうじゃなきゃオレは、どうやって生きていけばいい?
生温かい血に触れる。指に伝わる命の滓がオレの全てを打ち壊していく。力が入らなくて座り込んだ時に跳ねた血が辺りに広がって、オレと暁人を覆っていく。血の池が海に変わる。
「暁人」
仰向けに倒れている暁人を寝転がすと、開かれたままの瞳がオレを見た。見たと感じただけで、その瞳はもう何も映さない。ただ黒が広がっている。穢れてしまったのだ。
「暁人」
名を呼ばれて返される言葉は無い。オレの名を呼ぶことも、他愛ない会話をすることも無い。聞こえるのはただ、海が波を立てて揺れる音だけ。
「暁人」
その表情は虚無に晒されて変わることは無い。歳相応に可愛らしい笑顔を見せることも、煙草を叱る顰め面も無い。今暁人から永遠に、感情は失われた。
「KK」
頭上から声がする。責めるような声色。
「誰が悪いの?」
また違う方向からの声。怒りを孕んだ問いかけ。
「ぼくを見殺した」
死体がオレを見てハッキリと告げた。恐れ慄いてみっともなく後ずさる。関節が人のそれではない動きをしながら立ち上がる何か。
「ちが、オレは、ごめん暁人、オレがもっと早く気付けば、」
「どうでもよかった?」
「ちがう、そんなつもりじゃなかった、オマエを助けたかった」
KK、KK、どうして、なんで。聞こえる声はどれもこれも、オレを憎んでいた。死んだ魚の目がオレを見下ろして、喋るたびに血が降りかかった。耐えきれずに俯いて耳を塞ぐ。塞いでいるのに声は聞こえた。脳に直接針を刺されるような感覚。ばちゃばちゃと四方から血水を蹴る音。オレの周りを囲む足が見える。全部、目の前に立っている男と同じ足。
「KK」
「ぼくを助けて」
「どうして殺したの」
「無力だね」
「KKが悪い」
「KKのせいだ」
「KKが殺した」
「おまえがぼくを殺したんだ」
そうだ、すぐにでもエーテルを飛ばして突き放すべきだったのだ。オレの判断ミスが暁人の命を奪ったなら、それはもうオレが殺したのと変わらない。オレが殺した。オレが暁人を殺した。
「オレが悪かった、オマエを救えなかった」
「そうだね」
「そうだよ」
「痛かった」
「苦しいよ」
「ごめん暁人、ごめんな、オレが悪いんだ、ごめん、ごめんなさい、許してくれ暁人……」
「許さないよ」
「分かってるでしょ」
「死ぬのも許さない」
「生きたまま苦しめよ」
オレを責め続ける。オレも責め続ける。受け入れるしかない。オレのせいだから。オレが悪いんだから。暁人を殺した報いを受けなければならない。一生許されることのない謝罪を繰り返して、蹲っていた。
――KKがマレビトの攻撃を受けた時、僕は近くには居られなくて防ぐことが出来なかった。その場で硬直したKKは、すぐに力が抜けてぐったりと座り込んでいた。大声で呼びかけてもまるで返事がなくて、何か嫌な予感がして堪らないのにマレビトの猛攻は止まらない。こちらの戦力が大幅に減ったこともあり、止めを刺す為に一斉攻撃まで仕掛けてきて、どう頑張ってもKKの元へ辿り着けずにいた。
札も矢も全て出し切って、最後の一体を浄化する。立っているのも辛いほどの疲労状態。それでも軋む体に鞭を打ってKKの元へ走り出す。最後に見た時と同じまま座り込んでいるKKの側にしゃがんで声をかけた。
「KK?KK!返事して!」
「……と、ごめ……」
「なんて?」
「あきと、ごめん、」
「いや……大丈夫だよ。なんとかなったし。これなら僕もKKに一人前って認めてもらえる?」
少しだけ胸を張りながら口にする。馬鹿言え、とか、まだまだだよ、とか、いつもの軽口が返ってくる。はずだった。いくら待っていても、そんな言葉は聞こえない。
ただ、KKは何かを喋り続けている。あまりにも小声で本当に近くにいないと聞こえなくて、そんなに小さい声で言わなくても、なんて言っても変わらない。仕方なく耳を近付けて静かにする。
「……、ゆるして、おれがわるかった、あきと、ごめん、ゆるして、おれがわるかった、あきと、……」
「け、KK……?」
不気味さに咄嗟に身を離す。明らかにKKの意志で喋っていない。機械的に繰り返される言葉の羅列の意味を考えても、今の僕には分からなかった。
「何で、僕に……?そういえば倒した奴の中に、KKが戦ってたマレビトは……」
急いで記憶を辿る。数多に現れたマレビトの姿を思い出しながら祓っていった者を振り返って、気付く。やはり、居ない。KKが対峙していたあのマレビトは、まだ浄化されていないのだ。だが気配をまるで感じない。悔しいことに僕は霊視が出来ないのだ。
「落ち着け……こういう時は高いところからだ。高みの見物って言うだろ、僕」
冷静に考えながら周りの建物の中で特に高いものを見繕って屋上へと上がった。KKを見下ろすのに丁度良さそうな高さと角度を考慮しながら見回す。そう時間はかからずに良物件が見つかった。と同時に、うっすらと空間の歪んでいる箇所が見える。
「――居た」
捜索の間に落ちていた矢を拾っていたのが幸いした。最初で最後の一本を構えてじっくりと狙う。身体中に漲る殺意を必死に抑えながら、静かに、淡々と。
ぱしゅ、矢が放たれる。綺麗に曲線を描いて飛んでいったそれは見事空間の歪みへと突き刺さり、消滅していくマレビトの姿を確認する。
「 KK……!」
屋上から下を見ると、地面に倒れ伏している相棒が見えた。急足で階段を駆け降りていく。
息を切らしながら倒れているKKに近寄って様子を窺う。小声の懺悔は消え、その瞳は閉じられていた。
「気絶してる、のかな……」
試しに頬を軽く叩いてみる。反応はない。声をかけても同様に何もなかった。呼吸は続いているので、一先ずは安心だろうと息を吐く。ここに留まっているのもあまり良いとは思えないので、KKをおぶって夜の街をゆっくりと歩き出した。
KKのアジトへと戻った僕は、未だ目の覚めない相棒を布団に寝かせた。穏やかな表情は、まるで死んでいるようにも見えて仕方がない。呼吸は止まっていないか、肌は冷たくなっていないか、兎にも角にも不安でずっと手を握り締めていた時だった。
「……ぅ、あ……」
小さな呻き声。握っていた手が微かに握り返される感覚。ハッと顔を上げれば、KKが薄らと瞼を開いて天井を見上げていた。
「 KK……!」
「ぁ……あき、と、……ッ!?」
目覚めたばかりとは思えない機敏さで僕から遠ざかるKK。部屋の隅に縮こまって、僕を恐れている。
「あ、あきと、ごめん、おれがわるかったんだ、おれがおまえをすくえなかったから、」
「KK、何言って……」
「おれがころしたんだ、おれが、おれが……ごめ、ごめん、ゆるしてくれあきと、ごめんなさい、もうゆるしてくれ……」
KKの口は止まらない。あの時とは違って間違いなくKKの意志で喋ってはいるものの、言っていることは似たようなものだ。僕に赦しを請うている。その理由も、訳がわからなかった。
「救えなかった……?KKが僕を殺した……?」
断片的な言葉から予想する。つまりは、何らかのアクシデントから僕を救えなかったから、それをKKのせいにされている、といった所だろうか。マレビトに受けた攻撃で一体どんな幻覚を見せられたのかなど想像するしか出来ないが、あのKKがここまで不安定になるほどのショックを与えられている。相当辛いものだったはずだ。僕を見て怯えている様子から察するに、僕の姿も使ったのだろう。腑が煮え繰り返る思いを抑え付けながら、あまり刺激しないようゆっくりとKKに近付いていく。
「ねえ、KK。僕はそんなこと言わないよ。ほら手を握って。僕は本物だよ」
説得するように話しかけてKKの手に触れる。驚きに体を震わせるKKを落ち着かせるように両手で包み込んで熱を移す。言葉の羅列が少なくなってきて、やがて止まった。
「こっちを見て。僕を見て。今KKの目にはどう映ってる?」
腕に隠されたKKの顔が恐る恐る光に照らされる。泣き腫らした目で僕を静かに見つめたKKは、不安そうな表情を崩して安堵の色を見せた。
「……オマエが居るよ、暁人が居る。ちゃんとした暁人だ」
「ちゃんとしたって何さ。僕はいつもちゃんとしてるよ」
そう言った僕にKKはへらりと笑顔を見せた。光の戻った瞳に漸く正気に返ったのだと分かって僕も微笑む。
「すまん、悪かった。……いや、その話じゃないぞ?迷惑掛けたって方の謝罪だからな」
「分かってるよ、大丈夫。落ち着いて良かった。……本当に」
「ああ……ありがとな。助かったよ」
握り合ったままの手をもう一度強く繋ぎ直す。熱が移り合って、あの頃のように魂の繋がりを感じる。僕達は二人で一つなのだ。それは今も変わらずに。
「僕はKKを置いて死んだりしないよ」
「オレもオマエを置いてったりしねえよ」
「なら死ぬ時は一緒に死のうね」
「桃園の誓いか?悪くねえ」