言霊4 (完) 約束通りの夜8時。KKの自宅の前にきたけれど、インターフォンを鳴らすのを躊躇ってしまう。左手には立ち寄ったコンビニで買った缶ビールとおつまみセット、KKが吸ってたと記憶している銘柄の煙草が入ったコンビニ袋をぶら下げている。空いた右手をインターフォンに伸ばしてはいるが……。
どういう顔をすればいいんだろ……。
会って、昨日のことを謝らないと。そう思ってはいるものの、後ろめたさと気まずさは拭えない。何度も訪れたことがあるはずなのに、今日は目の前のドアが恐ろしく大きく重く感じられてしまう。
ふとコンビニ袋を下げた左腕を上げて時計を確認すると、ここに立ってからすでに数分が経過していた。いつまでもこうしている訳にもいかない。僕はゆっくり深呼吸し、意を決してインターフォンを押した。
ピンポーン
室内からチャイムの音が漏れ聞こえる。
「……」
あれ?
しばらく待ったが反応がない。
聞こえなかったのだろうかと、再度インターフォンを押す。
ピンポーン
再びチャイムの音が漏れ聞こえた。チャイムが壊れているというわけではなさそうだ。となれば、家主が出てこないのは何故なのか。
呼び出されたのに不在? 急な仕事でも入った?
そんな連絡は来ていないよなとスマホを取り出して確認しようとした時だ。ドアの向こうからバタバタと足音が聞こえてきた。カチャカチャと鍵を開けているであろう音の後に勢いよくドアが開いた。
「悪い、風呂入ってた」
髪を濡らし、腰にタオルを巻いただけのKKが姿を見せる。風呂上がりと言った通りで石鹸の香りが僕の鼻腔をくすぐった。どんな顔すればなんて考えはどこかに吹っ飛んでいた。
「何だよ、その顔」
彼は僕の顔を見ると困ったように笑った。よっぽど変な顔をしていたんだろう。
「どんな顔して会えばいいかって悩んでたのにKK全然出てこなくてどうしようって思ってたところにそんな格好で出てくるから誘ってるのかと思った。って顔かな」
「誘ってねーよ。さっきアジトから帰ったとこなんだよ」
「また依頼?」
「いや、昨日の報告書を書いてた」
「相変わらず書くの遅いんだね」
「うるせー。凛子みたいなこと言ってねーでさっさと中入れ」
言われて僕は玄関に入ると、KKがリビングの方を指す。
「着替えるから奥で待ってろ」
「ちゃんと服着て髪も乾かしなよ」
「わかってるよ」
KKが洗面所兼脱衣所に入るのを見届けてから僕はリビングへと移動した。
缶ビールは冷やしておいた方が良いなと僕はキッチンに行き、冷蔵庫を開けた。大した食材は入っていないそこに缶ビールをしまいリビングへ戻る。
だいぶ重量が減ったコンビニ袋をテーブルに置いた。灰皿の横に放置された握りつぶされた煙草のパッケージが目に入る。すぐに捨てればいいのにと拾い上げてゴミ箱に放ってからソファに腰掛けた。
ガチャリとドアが開く音。部屋に入ってきたKKはTシャツ短パンのラフな出立ちだ。彼は二人掛けのソファの、僕の隣に座るとテーブルに置かれたコンビニ袋に気づいたようで、
「買い物ありがとな」
と僕に声をかけると中身を漁った。すぐに目当てのものは見つかったようで、煙草を取り出すと封を切った。慣れた手つきでトントンと箱を弾くと数本の煙草が飛び出す。それを一本引き抜き、咥える。そこにライターで火をつける。深く吸って、吐く。紫煙があたりに漂う。
僕としては煙草はぜひとも辞めてほしいが、KKが煙草を吸う時の仕草は好きだ。ついその所作を目で追ってしまう。煙草に添えた指、手の甲に浮き出た筋も全て。
KKが煙草を吸えばチリチリと先端は燃え進み、灰の面積が広がった。灰皿に腕のを伸ばし、灰を落としてから紫煙をゆっくりと吐き出す。
僕の視線に気づいたらしく、KKは眉根をよせた。
「なんだよ、一本ぐらい吸わせろよ」
僕の視線を喫煙を咎めていると解釈したらしい。僕は首を横に振る。
「違うよ。見惚れてただけ。様になってるなって」
「お子様のお暁人くんには真似できないだろうな」
「真似できなくていいよ。煙草吸うつもりもないしね」
意地悪く言うKKに僕が返せば、だろうなってKKが笑う。いつもと変わらないそんなやりとり。それに安堵するけれど、それで終わっては駄目だと思い直す。
KKが煙草を吸い終わるのを待って、僕は口を開いた。
「KK」
僕の声に緊張の色を読み取ったのか、KKの表情が真剣なものに変わる。
「僕、KKに話したいことがあるんだ」
「奇遇だな。俺もだよ」
KKの声は落ち着いていた。
「僕から話してもいい?」
「ああ」
僕はふーと息を吐くと妙に乾く唇を舐めた。緊張しているのが嫌でもわかる。
昨日のことをちゃんと謝らないと。僕はKKに向き直った。
「昨日はごめん。あんな自分勝手なこと……KKの話も聞かないで癇癪起こしてごめん。言い訳……になってしまうけど、あの霊の声が頭の中に響いて焦ったんだ。だからあんな言い方をしてしまった。ごめん。それに僕のせいで怪我までさせて……」
KKの首に残った赤黒い痕。それを思い出した僕の眉尻が下がる。KKの首を見れば今もその痕が——
「あれ?」
痕がない?
いや、痕はあるけれど、それはとても薄くなっていた。昨日の今日でこんなに治るものなのだろうか。
どうしてすぐに気づかなかったんだろう。申し訳なさで無意識に見るのを避けていたのかもしれない。
困惑する僕にKKが笑う。
「大したことないって言っただろ? お前は気づいてなかったみたいだが、こいつは霊障だよ。俺は呪いとかその手の影響を受け難いからな。この痕もそのうち消える」
「そうなんだ……」
「それに昨日のお前は悪霊の影響を強く受けていた。だから、仕方なかったんだ」
ぽんっと僕の頭を優しく叩く。
「あまり気にしすぎるな」
「うん……」
「だがな」
KKの優しい笑顔に安心したのも束の間。その口調は説教のそれに変わる。
「普段から『引きずられるな』って言ってるのに、まんまと引きずられやがって。そんなんだからいつまでも見習いなんだよ。その点は反省しろ」
「次からは気をつけます……」
「よし。じゃ、この話は終わりな」
区切りをつけるようにKKが手を叩いた。
「うん。じゃ、次はKKの番だね」
「ああ」
頷いたKKは目を伏せた。まつ毛が影をおとしている。そして一度目を閉じるとゆっくりと開いた。
「暁人。お前に話さないといけないこと……いや、応えないといけないことがあるって、わかってる。けど、俺はそれを避けていた。ただ、それはお前のことが嫌いだとか、そういうんじゃない。そうじゃないんだ」
いつものKKとは違い発される言葉は途切れ途切れで、彼が言葉を探しているように思えた。
「お前の問題じゃない。俺の問題なんだ」
KKが視線を泳がせ、それから虚空を見つめる。
「前にも話したよな、俺の家族のこと。気づいたら家族じゃなかったって……」
KKが息を吐く。その先を話すのを躊躇っているのがわかる。僕は彼の言葉を待った。彼の言葉を聞くと決めていたから。
彼はゆっくりと続けた。
「俺は一度失敗してるんだ。だから……怖かったんだ。お前のその……想いに向き合うのが……。また、同じ失敗をしてしまうんじゃないかって。嫌だから見て見ぬふりをしたんじゃない。見るのが怖いから、考える事を避けてたんだ」
情けないだろ、とKKが自嘲する。
「現状維持が一番安全だと、そうやって躱す方がお前のためだと言い聞かせてた。だってお前はまだ若いから。だから時間が経てば若気の至りと考え直すだろう。憧れと恋慕を勘違いしてるだけだ。そう言い聞かせてたんだ」
KKはその先の言葉を紡ごうと口を開いた。けれど、そこから言葉は出てこなかった。かわりに溜息が漏れる。
「だめだな。苦手だ、自分の思っていることを伝えるってのは」
気まずさからなのかKKはテーブルの煙草に手を伸ばそうとした。僕は彼の手首を掴んでそれを止めた。煙草に逃げるようなことをして欲しくない。
掴んだ手首は冷たかった。
「どんなに時間がかかっても構わない。だから、ちゃんと話してよ。KKの言葉で」
KKの目を見ていうと、彼はそれから逃げるように俯いた。
沈黙が流れる。
それでも僕はKKの言葉を待った。
大丈夫だよという想いを込めて彼の手に僕の手を添えると、ぴくりとKKの手が動いた。
「……まえ……ったら……」
「え?」
ポツリと漏れた言葉はあまりに小さくて僕は聞き返した。KKが顔を上げる。
「お前じゃなかったらうまく躱せた。お前じゃなかったらこんなに馬鹿みたいに悩んだりしなかった。お前じゃなかったら例えこのまま離れたって、なんとも思わなかった。お前じゃなかったら……お前だから、離れたくないなんて柄にもなく思ってしまったんだ」
そう言うKKの表情は困ってるような、泣き出しそうな、恥じてるような、そういった色んなものが全てごちゃ混ぜになったそんな顔で、それは彼をひどく幼く見せた。普段の彼からは想像できないその姿に胸が締め付けられた。
気づいた時にはKKを抱きしめていた。
無駄なく綺麗に筋肉がついた身体は強張っていて、KKが緊張しているのが伝わってきた。
「ありがとう、KK。ちゃんと言葉で伝えてくれて」
「……」
「僕はKKを独りにしたりしないよ」
この緊張をどうすれば和らげるだろうか。
僕を信じてとどんなに伝えてもKKは納得しないだろう。彼の過去がそうさせる。
案の定、彼はかぶりを振った。
「いつの間にかすれ違って離れるかもしれない」
「だったら!」
お前は経験がないからって吐き捨てられた言葉を遮るように、僕は語気を強めた。
腕からKKを解放して、彼の両肩を掴む。真っ直ぐKKの目を見つめてはっきりと言った。
「もしすれ違いそうになったら、今日みたいにちゃんとお互いの思ってることを伝えればいい」
KKの瞳が揺れた。
「ただそれだけのことだよ」
それだけ、とKKがつぶやいた。
「…………そう……か……。そうだな……」
KKは何か腑に落ちたようで、数度頷いた。
僕は確かめるように聞く。
「ねぇ、KK。もう一回抱きしめてもいい?」
「……いやだって言ってもするんだろ」
「そうじゃなくて。今僕が言ったこともう忘れたの? ちゃんと思ってること伝えてよ。もう一回聞くよ。抱きしめていい?」
「……いいぜ」
KKは少し躊躇ってから照れ臭そうに目を逸らして答えた。
僕はKKを抱きしめた。KKも僕の背に腕を回してくれる。まだぎこちなさはあるけれど、先ほどよりは緊張は解けているみたいだ。
「KK大好きだよ。KKは?」
「…………」
僕が問うとKKは黙ってしまった。
「KK。ちゃんと言ってくれないとわかんないよ」
少し意地悪かな? とも思ったけれど、こうやって一つずつ確かめていかないと駄目な気がした。KKは感情を吐露するのが苦手だから。
抱きしめてるから表情は見えない。けれど、肩口から覗く耳は赤い。震えるKKの背をぽんぽんと叩く。
何か言おうとして、やっぱりやめるを繰り返している気配。僕の背にまわされた彼の手が、僕のシャツを握っては離すを繰り返している。その姿はとても健気だ。
たっぷりと時間をかけてから意を決したように、僕のシャツを握るKKの手に一層力がこもった。
「————」
それはとてもとても小さいさな声で、仮にこの場に他の誰かがいても、きっと僕にしか聞こえなかっただろう。
僕だけに届いた言葉。その言葉が嬉しくて愛おしくて。
僕はより一層、強く、KKを抱きしめた。