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「AVのサブスクが契約されたタブレットが支給されたらしいぞ!」
馬鹿みたいな音量で食堂中に響き渡った言葉は、嫌でもそこにいた全員の耳に情報として届いた。
ま、マジか!?誰か持ってんの!?え、マジじゃん、使っていいの、これ!?
最高のシチュエーションでゴールが決まった時のような歓声、そんな中で回されるいくつかのタブレット、画面を見て泣きながらガッツポーズを掲げる思春期の男子高校生たち。今や少なからず存在するであろう、青い監獄に憧れている子供たちが見たら悲しむ光景が数秒でそこに出来上がった。
「いくつある!?」
「1日ごとに回して使おうぜ!」
過半数がキラキラと目を輝かせる中、この施設でずっとナンバーワンの座に君臨する糸師凛は、心底ゲンナリとした顔で白米を口に運ぶスピードを上げていた。
この手の話題が嫌いだった。苦手とかではなく、本気で興味が無い。他人との会話はほぼ時間の無駄である凛の中で、下世話な話はトップ3に入るくらい一際無駄な時間だ。誰かしらに絡まれる前に、この場を去るの一択であった。
「潔は?使うよな?」
「ああ、そのうち借りようかな」
少し離れていたところにいた潔が絡まれる声に、さりげなく耳をすませた。そこまで前のめりという訳では無いが、裏面に【過剰な使用は禁止】と書かれたシールが貼られたタブレットの画面を見て、年相応のリアクションを見せている。くだらねえ、そんなことやってるからヌル雑魚なんだ、と心中で一方的にタコ殴りにしながら最後の一口を飲み込んだ。
無事に誰にも絡まれることなく、トレーを片手に立ち上がる。うるさくてかなわない。チッ、と小さく舌打ちを吐き捨てながら立ち去る凛は、背後の潔の視線には気がつかなかった。
――
「はい、例のタブレット!」
それから数日後、潔に連れてこられた空き部屋で手渡されたのは、あの『過剰な使用は禁止』のシールが貼られた タブレットだった。
唖然とする。
好きな相手に、こんな隠し部屋みたいな所に「誰にも見つからないように、内緒でついてきて」とコソコソ連れてこられて、その部屋がベッドとティッシュしかなくて、少し緊張で身体を強ばらせていたこの数秒を返せと思い、言葉を失った。
「もう1周したのか、取り合いは落ち着いたらしいぜ!あとこの部屋はタブレットに案内があったらしいんだけど、45分間だけ鍵がかけられるんだって」
右下に貼ってあるこのQRをここにかざすと鍵がかかって〜と潔は極めてにこやかに説明を続ける。
「おい」
「部屋を使い終わったら、ゴミは……っぐ!」
胸ぐらを掴んでそのまま持ち上げられた潔は、目の前の男の形相を見てギョッとする。誰もがはだしで逃げ出す、鬼のお面みたいな顔だった。
「誰がこんなもん貸せって言った」
「や、言われてないけど、使うかなって」
「使わねえ、必要ねえ、カス、クソ潔、不愉快だ、さっさと死ね」
「そ、そこまで……」
冷や汗だか脂汗だかが滲んで顔に血が集まってきた潔から手を離すと、凛は部屋の真ん中に設置されたベッドを蹴っ飛ばしながらさらなる言葉の攻撃を続けた。
「でもでも!凛だって抜いてないってことはないだろ!?久しぶりに見るとまじ助かるから……時間短縮!合理的!ちょっとこっち来てみろって」
愚かな男はまだ懲りないのか、ベッドに腰かけて隣をポンポンと叩く。こんなに締めあげられた直後だと言うのに、何をそんなに食い下がる必要があるのか。疑問ではあるが、1番愚かなのはこの男を特別に思っている自分だと感じたし、そのシチュエーションと怒りを天秤にかけ、今すぐお前を絞め殺してやりたいけど、大人なので話を聞いてやる、という顔で隣に腰かけた。
「これ開いて」
ホーム画面には動画アプリのみが表示されている。本当にアダルト動画を再生するためだけに配布されている端末らしい。
「で、ここの月額のページから何でも見れる」
アプリ内でサブスクリプションのトップページに飛べば、右上に<ようこそ!青い監獄3さん>と表示されている。これをあのマネージャーに登録させたのだとしたら、絵心は逮捕されてもおかしくはない。
「じゃ!俺は行くから」
「おい、だから必要ねえって」
「まあ、使わなかったらそのまま俺に戻してよ」
タブレットを無理やり胸に押しつけてきた潔は、「あ、でも俺は今さっき使ったから別の人に渡しちゃってもいいからな」と何食わぬ顔で言う。
「ごゆっくり!」
これ以上とっちめられる前にと思っていたのだろう、潔の立ち去るスピードは脱兎の如くだった。
部屋に残された凛は、獲物を逃がしたまま呆然とする。今さっき使ったということは、連れてこられる前まであの男がこの部屋で、このタブレットを用いて自慰行為に励んでいたということになる。
数十秒の思案後、凛は緩慢な動きで立ち上がり、部屋に鍵をかけた。そして開きっぱなしになっているアプリを何度かタップする。決してオカズ探しをしているわけではない。何度か色んなメニューを開いたり閉じたりして、<青い監獄3>のマイページの中に、目当てのものらしき視聴履歴を見つけた。
最新順に表示された様々な動画の1番上には『生意気なツンデレ後輩と過ごす夏休みの7日間』というタイトル。タップすれば、気が強そうな黒髪の女優が無愛想に腕を組むパッケージが表示された。
意外だ。もっと笑顔が目を引く、万人受けするような女優が好きだと思っていた。目の前の女優は一般的に見ればかなり美人の部類であるが、切れ長の目はどこか冷たい印象を与える。後輩というのは、普段から嬉々として年上ぶる様子を見ていたら分からなくもないが。履歴の画面に戻れば、同じような内容のタイトルがもう1つ表示されていて、恐らくこの2つが潔の見たものだと思われた。
凛は、もう1本も動画の詳細を見ようとタイトルをタップした。同じような内容を読みながらスクロールしていれば、下の方にこちらもおすすめ!と女優の顔がずらりと並ぶ。もうこの端末に用はないとアプリを落とそうとしたところで、いくつかの顔の中から1つの顔に視線を取られた。
黒髪でショートカットのその女優は、幼い顔立ちで快活そうでありながらも、どこか人懐っこい雰囲気がある。輪郭はハリがあって丸く、目が一際大きい。端的に言えば、潔世一によく似ていた。
ほぼ無意識のうちに、女優の顔をタップしていた。名前と3サイズと、下に出演作品が並ぶ。そこまで数は多くないが、スクロール出来るくらいには様々な種類のタイトルが羅列していた。
『弟扱いをしてくる先輩と、部活の遠征で男女になった3日間』。
思わず指が止まる。ぐ、と悔しさに奥歯を噛み締めながらそのタイトルをタップした。
"入部当初から、ボクのことを弟扱いしていた先輩。誰よりも部活に真剣に取り組んでいた彼女は、先輩ぶる割に、おっちょこちょいで抜けたところがあるのが可愛いらしかった。先輩の卒業前最後の大会、会場近くのホテルが手違いで相部屋になっていた事を知らされる。「わたしは、いいよ」二人きりで緊張するボクの手に自分の手を重ねた先輩の女みたいな顔に、ボクの理性は弾け飛んだーー。"
馬鹿みたいなあらすじと共に、制服姿でベッドに座り込んだ女優のサムネイルが表示されている。動画の切り抜きを見ても、潔によく似た顔立ちをしていた。
凛の中で、意地とプライドが拮抗する。タブレットの右上を見れば、鍵が開くまであと30分残っていた。横の棚の引き出しを開ければ、使い捨てのイヤホンが入っている。
非常に、非常に癪で気が狂いそうではある。あるが、タブレットの中で笑う、今すぐ殺したい男によく似た女優の顔面を叩くようにタップして、再生ボタンを押した。