夢想の楽園。※夏目漱石の『夢十夜』オマージュ
夢想の楽園。
こんな夢を見た。
気まぐれに古代遺跡を探索しようと砂漠を訪れた途端、大きな砂嵐に襲われた。
平時でさえ足元が不快で仕方ないのに視界まで奪われるとは思わなかった。
避難も兼ねて目的地へ急ぐと、目の前に血まみれの恋人が倒れていた。
思わず駆け寄り名前を呼んでみたが、嵐のせいで声が聞こえていないのか反応はない。がたがたと震える身体をそっと抱えて遺跡へと向かった。
目的地に着いてすぐに外套を脱いで床へ広げ、その上に恋人を寝かせた。彼の権威の象徴でもある被り物を外してやる。
先ほどから身体の震えは止むことはなく、朝焼けのような瞳は半分ほどしか見えなくなっていた。一緒に運んだ彼の鞄からいつも持ち歩いている筈の包帯と止血剤を取り出そうとしたが、入っておらず、どうしたものかと自分の鞄の中身を漁ってみたところで役に立ちそうなものはなかった。
外の砂嵐はこうしている間も更に威力を増したようで、ごうごうと唸る音が煩わしい。目の前の恋人の中からは、ひゅう、ひゅぅと奇妙な呼吸音が聞こえてくる。見えていた朝焼けは夕暮れへと変わっていた。
「しぬのか」
漏れ出た言葉に、恋人はゆっくりと首を右へと傾けてくる。うっすらと開いていた瞳がゆっくりと瞬きをした。
「しぬんだな」
「たのみが、ある」
こひゅこひゅと息をこぼしながら、恋人は続ける。
「俺がしんだら、うめてほしい」
「どこへ?」
「……ここから北へ1kmほど歩いたところにオアシスがある。俺がしんだら、そこのそばにうめてほしい。砂漠で生まれたから、石の中ではなく、砂の中でねむりたい」
「わかった」
「俺の武器はきっと穴をほるのに役にたつだろう。穴をほったら、俺と一緒に埋めてほしい」
「ああ」
「それから、」
恋人は身じろぎをして、腰につけていた神の目を差し出した。
「俺を埋めた場所のそばでコレと一緒に待っててほしい」
「待つ?どのくらい待てばいい?」
俺の問いに対して、恋人はまた奇妙な呼吸で返した。
無理に話しすぎたのだろう。少しでも痛みが和らげばと胸の辺りを撫ででやる。しばらくすると落ち着いたのか、恋人は続ける。
「ひゃくねん」
「100年?」
「ひゃくねん待っててくれ。ここはお前の嫌な砂漠だ。嵐は止んでも何度でもやってくる。日照りはひどいし、夜はさむい。雨だってふる。でも、ひゃくねん待っててくれるなら必ずお前に会いに来るよ。それでもまっててくれるか」
夕闇に染まる瞳がじっと見つめる。
俺は黙って頷いた。恋人はぎこちなく口角を上げて、夜の帷を下ろした。
手元には、がらんどう。
耳障りな音が消え、外も明るくなってきた。
恋人を抱え直して、指示のあったオアシスへ向かう。靴の中の砂も、ぎらぎらと照りつける日差しも今は気にならない。
たどり着いた先は水場は乾涸びていて、近くに生えている木々もくすんでしまった「オアシスだった」。
水場であったであろう場所に最も近い場所へ再び恋人を横たわらせ、彼の愛用していた武器を抱える。
ざくざくという音の割にさらさらとした砂はなかなか大きな穴を作らせてはくれない。ようやっと彼の背丈が埋まりそうなほどの大きさの穴が出来た。
いくら地表が暑くても、砂の中は寒かろう。己の神の目を使って、萌葱色の敷布を作ってやった。敷布で恋人を包み、穴の中へ入れた。彼に言われた通り、穴掘りに使った武器も一緒に埋めてやった。
埋葬した隣に座り、鞄にしまい込んでいた彼の片割れを取り出す。相変わらず空虚なソレを膝に乗せて、持ち込んでいた本を開いた。
亜麻色に変わりつつあるページをめくっていくうちに何度も日が昇り沈んだのだろうか。途中砂嵐に視界を遮られ、突如降り注ぐ雨を外套で覆っているうちに数がわからなくなってしまった。この本も何度読んでいたのかわからない。ここに来る前から愛読しているものであったからそもそも回数を数えたことがなかったので問題ではなかったが。
すっかり黄櫨色に変わっていた本は当初の目的を失ってしまった。やむを得ず鞄にしまう。手持ち無沙汰になってしまった俺は膝に置きっぱなしになっていたソレを人差し指でなぞってみる。
空っぽのソレは何の反応も示さず、太陽に照らされた装飾部分だけがぎらりと鈍い光を放っている。人差しの次は中指、薬指、小指。右手の次は左手。そして、両手。温もりのないソレを弄んでいるうちにどっぷりと日は暮れていた。
ぽっかりと紅い月が顔を出したのを確認して目を瞑る。
もう数えるのを忘れてしまっていたが、100年はいつ訪れるのだろう。もうじきやって来るのだろうともまだ先のことになるのか検討もつかなかった。けれども恋人は約束を違うことはないということだけは確かである。
脳内で恋人との思い出に更けていると、外がきらきらと輝いているのがわかった。目を開けると空は暗いままであったのに、手元のアメジストが息を吹き返していた。驚いて握り締めてしまったが、輝きは色褪せることなく、いつのまにか消えてしまった月の代わりに辺り一面を照らし始める。
その光に応えるかのように、くすんでいた木々がゆっくりとかつての色を取り戻していく。セピア色の葉は瑞々しい翠へ、翠から生まれ直した果実が乾涸びた水場に落ちれば、たちまち泉が湧いた。
嗚呼、やはり君は俺だけのものにはなってくれないのだな。
ぽつりと呟いた最後の言葉はいつの間にかやって来た鳥たちの囀りでかき消されてしまった。