トロスラ 勇者ミヤのパーティには、五人の仲間がいた。
食いしん坊だが、手に持っている棍棒を振り回し敵を倒して無双するパワータイプのトロル・ランガ。
バトル中は爆弾で相手の意表を突き翻弄するが、それ以外では面倒見がよく繊細な面を持つゴブリン・シャドウ。
女たらしで魅了のスキルを持つ一面、パーティー随一のパワーと耐久力を持つ、頼れるお兄さんタイプのオーガ・ジョー。
敵への攻撃よりも状態異常を得意とするが、近距離戦も卒なくこなせる万能タイプでパーティーの財布を握っている妖狐・チェリー。
そして。
攻撃は弱く、耐久力もなく、ただパーティーの初期メンバーであり、ミヤとランガの友人であるスライム・レキ。
ミヤが勇者として祭り上げられ、向かった最初の森で出会ったのがレキとランガの二人であった。最初は敵対していた一人と二人だったけれど、バトルを通してミヤのことを知っていくうちに、レキがミヤのことを放っておけなくなったのである。着いていくと言ったレキとそれに便乗したランガ。いつの間にか絆されていたらしいミヤはそれを許したのであった。
三人での旅は貧乏で、時に寒くて、時に暑くて、とにかく苦労ばかりであったが、毎日それなりに楽しくやっていったはずであった。ランガが暴食したせい稼いだお金がパアになって野宿した夜も、ミヤの計算ミスでレベルが足りなかったせいで愛抱夢からの手先にこてんぱんにやられた日も、レキが街でお手伝いをした時の臨時収入で暖かいご飯を買ってみんなで分け合った日も、街の人から頑張れと応援された日も、レキの中で大切な思い出になっている。
シャドウとジョーとチェリーが加入して、パーティはいい意味で変わった。メンバーが増えたことで弱点を補うことができ、そのおかげで敵も楽に倒せるようになった。
シャドウとミヤの世渡り能力で訪れる街々でパーティを歓迎してくれたし、ジョーとランガが食材を確保し、ジョーは料理人の経験もあったので美味しいご飯を毎日食べられるようになった。チェリーがお金の管理をしてくれているから、昔みたいに無駄遣いをすることはなくなってお金が尽きることもない。
けれど、俺は何か出来ているだろうか。レキはある日、そう思ってしまった。
最近のレキがしているのは、焚き火のための木材集めだとか、服がほつれた時に縫い直してやったりだとか、何かの買い出しだったりとか、いわゆる雑用ばっかりである。
初期は戦闘にも出ていたけれど、最近は専らジョーやシャドウに出番を取られてばかりで、補欠メンバーのような扱いになっている。ミヤはレキをレベルアップさせようとしてくれるけれど、レキが「俺よりもジョーやシャドウを強化してやれよ。そっちの方がバトルが楽になるだろ」と断っている。だって分かりきっているからだ。ザコ敵として切り捨てられるスライムよりも、元々のステータスが強いオーガやゴブリンを強化した方がパーティのためになる。分かっていたことであった。悔しいけれど、それは事実としてそうなのだから。このパーティはレキを強くする為ではなく、魔王・愛抱夢を倒すために組まれたものなのだから。
でも、と思わずにいられないこともある。初期メンバーのレキはパーティの隅でひっそりしている一方で、同じく初期メンバーであるはずのランガは大活躍しているのだ。新しい仲間の強さを吸収するように、毎日のようにレベルアップをしている。パワーでは敵わないはずのジョーにだって、技の組み合わせによってはそれ以上にも思えるくらいの実力を見せつけてくる。そして決まって、バトル後はレキに向かって「どうだった?」と顔を輝かせながら褒められにやって来るのだ。その度にレキの胸はちくりと痛む。
一度だけ、魔王愛抱夢はレキたちパーティに直接接触をしてきたことがある。大きな街にある宿でのんびりくつろいでいる時であった。
圧倒的な存在感にレキは動けず、息を呑むしかできなかった。そんなレキやミヤ、シャドウ、かつて仲の良かったらしいジョーやチェリーには目もくれず、魔王愛抱夢は真っ直ぐランガの元に向かったのだ。そして、「美しいトロルのランガくん、僕たちと一緒に魔界へ来てほしい」と勧誘があったのである。
ランガはレキがいないなら行かないと断ったが、わざわざ魔王から直接勧誘があったというのは、パーティ全体にも衝撃であったが、特にレキには追い討ちをかけられたように感じられた。レキは無視される存在だったというのに、ランガは魔王にすら一目置かれるほどに成長している。しかも動揺すらしていない。差を改めて見せつけられたようで、愕然とした。
昔と同じように今もなお最前線で活躍し、パーティみんなに頼られて、行く先々の街で魔王を討伐できる者のひとりだと声高々に言われて、そんな友達を誇りに思っていた、はずだったのに。
とある街に辿り着き、勇者一行だと迎え入れられ、レキたちはわちゃわちゃと囲まれてしまった。レキはみんなほど活躍しているわけでもなく、そして大きくもないので人々の足元をすり抜けて建物の陰に隠れた。ランガなんかは大勢の女の子に囲まれているというのに目もくれず、レキを探しているようだった。
レキはため息を吐いた。なんとなくみんなを見ていると、ランガやミヤを囲む民衆の一人が言った。「あのいつも一緒にいるスライムって何なの?」
そこから話は広がっていく。「なんか勝手に着いてきてるらしいよ」「スライムが魔王を倒せる訳ないじゃん」「身の程を知らなすぎるんだよ」「誰も追い出さないの優しすぎるなあ、自分なら一番にパーティ解雇するのに」
その時のレキは受け流せるほどの心の余裕が無かった。ひとりひとりの言葉が鋭い剣のようにレキの心を刺していく。刺されるたびにスライムの体が溶けて、原型を無くしてしまいそうだった。
そうしてまた一人が言葉を吐き出した。
「いつもランガと一緒にいるけどさあ、全然釣り合わねーよな、あの雑魚スライム」
レキは最初の夜を思い出していた。三人でパーティを組んで、森の中にあるレキの家で迎えた初めての夜。
廃屋から探してきた、少しばかり年季の入ったアンバー色のグラスはレキのお気に入りだった。そのグラスを三つ用意してジュースを満たし、コツンと音を立てて乾杯をした。
「誰一人欠けることなく魔王を倒そうな」
「うん、頑張る」
「ま、スライム一匹くらいいなくてもヨユーだけど」
「また生意気なことを〜! おりゃ! こうしてやる〜!」
「わっ、べたべたくっついてくるのやめてよ、あはは……」
「絶対、お前から離れねえから。約束する」
「……期待してないし」
レキとミヤが指切りをし、それからご飯を食べることに必死になっていたランガもそれに気づいて指切りをした。そうしたのは、勇者になったことに嫉妬した友人達にミヤが疎外されていたからであった。敵として現れたレキとランガを見て、群れてる奴らに負けないと強がるミヤに気づいたのが、レキが仲間になろうとしたきっかけだった。ランガはレキが言うなら俺も、と便乗しただけだったが。
あの頃から随分変わってしまったように思う。パーティメンバーも、民衆からの期待も、──レキとランガの実力差も。
パーティの仲は悪くない。けれど、自分の大したことない実力に、みんなとの差に、置かれているお荷物のような立場に、そして何よりも、ずっと一緒だったはずのランガが活躍する姿を見ることが、いつの間にか辛くなってしまって、嫌になってしまって、レキの心を殺し続けているのだ。大切な友人に対してそんなことを思ってしまうことすら嫌気が差し、自己嫌悪に陥る。
「おいレキ、大丈夫か?」
「ジョー……?」
可愛い女の子たちのもとへ行っていたはずのジョーが、しゃがんでレキを見つめていた。心配そうな瞳の色に、こんなつまらないことで迷惑をかけて、とまた自己嫌悪した。
「人混みに酔ったか?」
「わり、へーきだから」
見上げたジョーの瞳に映る自分の表情はあまりに惨めなものだった。疲れたような、何かに絶望したような、人前で見せるようなものではない。
何かを察したのか、ジョーはスライムの体を持ち上げる。目を逸らしてくれないのが、ちょっと辛い。今のレキは誰にも見られないところに逃げてしまいたかったので。
「何かあったんだろ。言ってみろ」
「いや……べつに……」
ジョーの瞳から目が離せない。これはジョーのスキルの一つ、【魅了】である。ワンターン、魅了にかけた相手を好きなように出来る能力。
「おれは……」
気分が悪そうにしているレキを心配してくれてやってくれているのだろうけれど、こんな惨めな胸の内を吐露したくなかった。みんなが活躍してる所を醜い感情とともに見ていたなんて、恥ずかしくて申し訳なくて、じわりと涙が浮かんできた。心がやめろと訴えても、自然と口が動く。ジョーを傷つけるかもしれないと思うと、胸の奥がつきんと痛む。
「ジョー! レキを離して!」
やっとのことでレキを見つけたらしいランガがジョーの手のひらの上に乗せられていたレキを奪った。強制的にスキルから解放されて、一瞬頭がくらりとする。けれど助かったとほっとした。ランガはよほど探し回っていたらしい。心臓の音がレキの体に響く程であった。
「レキに【魅了】なんてかけないでよ」
「悪い、調子悪そうだったから無理矢理聞き出そうとしちまった。悪かったな、レキ」
謝ろうとするジョーからもランガは背を向けてレキを遠ざけた。そして間も無く、ジョーの野太い悲鳴が聞こえてきた。蹴り上げたのはチェリーらしい。
「いって!」
「仲間になんて術をかけているんだこの変態ゴリラめ」
「俺はレキを心配してだな」
「手段というものがあるだろうがこのアンポンタン」
「あんぽんたんはお前だこの足癖悪メガネ!」
レキの見えないところでオーガと妖狐の喧嘩が始まった。ジョーの興味がよそに移ったことでレキは体から力が抜けて、ランガの手のひらからこぼれ落ちるようにぼとりと地面に落ちた。
「もーっ、もうすぐ魔王戦も近いんだからふざけないで真面目にやってよね!」
ジョーとチェリーの喧嘩を見ながらミヤがぷりぷりと怒った。
そうだ、愛抱夢の拠点としている地域まで遠くない。順調にいけば、あと数週間もしないうちに魔王とまた会うことになるだろう。
「……」
レキは自分の黄色い透き通った手を見つめた。
ランガやジョーやようにパワーがあるわけでもない。ミヤのように剣を使って戦えない。シャドウのように沢山爆弾を持とうとすれば、元々のステータスのせいか、それだけのためにレベルアップが必要になる。チェリーのように状態異常攻撃もできなくはないけれど、やはりそれで活躍しようにも耐久力が足りない。
どうして俺はスライムなんだろう。スライムなのに、ここまで来たのだろう。
今のレキには虚しさしか残っていなかった。
その日の夜。みんなが次の日に備えて寝静まった頃。
レキは一筆書き置きをして、その部屋を去った。
ピロン、と静かに電子音が鳴る。
* スライム レキ が パーティ を 抜けた *
「お兄ちゃん、帰ったなら家の手伝いしてよ」
「んー……」
かつてのレキの家は、ランガの家の近くにあった。けれど今はそれとは別の場所にある実家へと戻ってきていた。一人暮らしのレキの家はランガやミヤに知られていたから、もし探しに来たら何と言って顔を合わせればいいのか分からなかった。
──誰ひとり欠けることなく魔王を倒そうな。
──絶対、お前から離れねえから。約束する。
「約束、破っちまったな」
罪悪感が無いわけではない。けれど、今はパーティの中心で、みんなに囲まれて楽しくやっているから。俺がいなくても大丈夫だろうと見当をつけた。
そもそも、そんな約束覚えてないかもしれないし。旅で色んなことがあったからミヤもきっと忘れていることであろう。俺よりも頼りになるやつ、沢山いるし。
そんな自虐すら情けなくて、悔しくて、ため息が出た。こうして実家に帰ってきたのは、果たして正しかったのだろうか。
「……かっこわり……」
「お兄ちゃん、なんか元気ないね」
居間でぼーっとしていると妹の月日が顔を覗く。「ん」とやる気のない返事を出せば、不審なものを見るように視線をよこしてきた。
「独り立ちしてから全然帰ってこなかったのに。どういう風の吹き回し?」
「俺にも色々あんだよ」
「家でる時あんなに楽しそうにしてたのにさあ」
「疲れてるからほっといてくれ」
「ウチに帰ってからなんもしてないのに?」
「寝る」
「あっ逃げた」
自室に引き篭もると、月日はもうと言いながらもしつこく追いかけてくることはなかった。レキに何かあったであろうことを察して、何も触れずにいてくれるのがありがたかった。
久しぶりの実家も地元も何も変わってなかった。レキの実家はスライムたちの住宅地の中にある。大きな町とは少し離れた僻地にあるので、魔王の討伐の話についてもそれほど耳に入ってこない。僻地ではあるが土地には恵まれているので、ほとんど自給自足で暮らしていける。わざわざヒューマンの住むところまで買い出しに行く必要がないのだ。
けれどレキは一度ヒューマンの町を訪れた時、ヒューマンの手先の器用さに感動し、娯楽やら機械やら目にしたもの全てが新鮮で格好良く思えて、自分もヒューマンのようになりたいと思い、独り立ちした家はヒューマンの住む町の近くに構えたのだった。
全て自分好みに作ったほら穴の家。家具も雑貨も全て自分が選んだから気に入っていた。友人になったランガをよく招いていたし、家族を招くこともあった。
でも、あの家で一緒にいた時間が長いから、どうしても思い出してしまう。罪悪感と悔しさで押しつぶされそうになってしまうから、帰りたくない。
連鎖的にパーティのみんなの顔を思い出し、ちくりと胸が痛んだ。みんなの足手纏いだからと自ら身を引くような真似はしたくなかった。どれだけ惨めでも、辛くても、残りたかった。
本当は、ランガと背中を預けあって、みんなと最後まで冒険をしたかったのだ。
ただ、その意志が、客観的な意見によって、ぽきりと折られてしまった。
実家に帰って数日経った頃、魔王を魔界へ撤退させたと大きなニュースで町は持ちきりになった。レキは盛り上がるスライムたちを眺めながら、ついにか、とどこか他所事のような感想を抱いた。
やっぱり俺なしでも達成できたんだ、なんて自棄な気持ちになりながら、道行く人の噂話に耳を傾ける。噂によれば、今回撤退させたのは立役者はランガというトロルだということ、地上のヒューマンやモンスター界に安寧をもたらしたということで、大層喜んでいる王様は勇者一行に色んな町を凱旋させることにしたこと、その凱旋する町にはこのスライムたちが住む町も含まれている、ということであった。
「ランガ……」
かつては一緒に川釣りや狩りなどをして毎日のように一緒にいたというのに、今はこんなに違う。まるで月とすっぽんのようだと思うと、やりきれない気持ちになった。自分だって、隣に立ってお前と一緒に活躍したかったよ。それを今更言ったところで、どうにもなることではないけれど。
勇者一行の凱旋の日はあっという間に訪れた。一目見ようと大通りに町のスライムは全員集結し、レキの家族も観に行ってしまった。レキは合わせる顔もないので、ひとり自分の家の窓から外を眺めた。
レキの家は大通りから少し距離はあるけれど、少しでも見られるのであれば。パーティのみんなが元気なのを確認できればそれでよかった。
ガラス越しよりも少し前に身を乗り出したくて、窓をガラリと開けた。心地の良い風がレキの体を通り過ぎていく。
「久しぶりだね、レキ」
暫く聞いていなかった声がした。
今は凱旋パレードをしていて、ここにいるはずがないのに。
動けないまま、ごくり、と唾を飲み込む。後ろからひたり、ひたり、と静かな足音が聞こえて、レキの体を包み込んだ。懐かしい匂いだった。
振り向かなくても分かる。何故ならずっと一緒に過ごしていた相手なので。
「ランガ……」
「うん」
名前を呼べば、思っていたよりも穏やかな声が返ってきた。怒られるか拗ねられるものだと思っていたので。どこに行っていたのとか、どうして抜けたのとか、いつものランガならなんでどうして攻撃をしてくるはずだから。
そしてふと気付く。この実家は誰にも教えていなかったはずだ。それこそ、ランガにも。
レキがここにいることを、どうして知っているのだろう。
「ランガ……?」
いつもに増して無口な友人を不審に思い、ゆっくりと振り向いた。
「レキ、俺、レキがいなくなった日に決めたんだ」
そこには、いつもの動物の毛皮でできた服を着た姿ではなく、ヒューマンの正装に着替えた友人の姿があった。白いタキシードは、まるで結婚式を迎える花婿のようであった。
「魔王討伐が終わったら、俺──」
うっすらと笑みを浮かべながらも目の奥が笑っていないランガを見て、「あ、やべえ」と本能が警告をした。