【薔薇咲展示】Promise You -Ⅰ- -Ⅱ-Ⅰ
「……いえ、マスター。治療は結構。」
淡々と語られる初めての任務についての報告の中で、この言葉もまたひどく淡白に発せられた。捲られたシャツから肘まで見えている腕には包帯が巻かれている。今日の曇り空のせいかもしれないけれど、白い肌は任務の前と比べてくすんで見えた。
「へ……?」
簡潔で解りやすかったはずの報告に、私の口からは息が抜けるような情けない声がこぼれ落ちる。
「ですから、傷の治療は結構です。」
治療は結構、ラップさんはそう言った。その左腕の真新しい傷は、彼が人間だったなら完治を待つしかない。でもラップさんは貴銃士で、私はその傷を治す力を持っている。その力を必要とされてここに居る。なのに……。
なのにラップさんへ伸ばしかけた手は、彼の一言で動けなくなった。思いもしないタイミングできっぱりと拒まれてしまえば踏み込めない。
「なんで、ですか?」
背の高い彼を見上げて問いかけると、また平坦な声で告げられる。
「傷は男の勲章と言いますでしょう。戦場での傷は、軍人の誇りですので。ラップ将軍も……」
勇猛果敢な軍人だった、その身体には24もの傷があった—―あくまで簡潔に説明を続ける。でも表面的には冷静さを乱さない声も、先ほどまでの報告の時とは違って内側に熱を隠していた。
……ラップ将軍のこと、本当に好きなんだなぁ。憧れて、尊敬して、ラップさん自身も同じようになりたい……ってことなのかな。
「それではマスター、私はこれにて失礼しますよ。」
「えっ?」
「たった今、大切な用事ができましたので。」
私が呆けている間に、話題が三つくらい先に進んでいたらしい。既に右足を引いて立ち去る姿勢を取っているラップさんに慌てて呼びかける。
「ちょっ!」
「ちょ?」
「……っと、待ってください。」
「はい。」
拙いお願いを聞き入れ、そのまま動きを止めてくれる。
「……どこへ?」
「訓練場へ。いえ、その前に走り込みですね。夕食までには戻ります。」
「な、なんで……。」
”大切な用事”というのを考えて伏せられていた視線が、きりっと私へ方向を変える。深紅の瞳からは上手く表情が読み取れなかった。柘榴色の石のように透き通っているようで、その底は深くて見通せない。ぼんやりとした曇天の光はただ一点に集められて光沢に変わり、鮮やかに主張している。軍人さんの鋭い視線は、突き刺すようで痛い。
「マスター。」
「は、はい。」
「私の話を聞いていらっしゃいましたか。」
突き刺すようで痛い。
「えと……推し語りの辺りまでは。」
「おし?」
僅かに眉が寄せられ、代わりに視線の鋭さはほんの少し和らぐ。
「あの、今のは忘れてくだ……」
「ああ、最近の流行り言葉ですか。」
「知ってるんだ……。」
「あなたの同僚の女性たちが芸能誌を手に話しているのを小耳に挟みまして。推し……まあ、そうですね。ラップ将軍への感情は、それに近いものがあるかもしれません。」
「へ、へぇ……?」
威風堂々とした推し宣言だった。ラップさん、ラップ将軍推しなんだ……?
「身体が鈍っているのかもしれない、と言ったのですよ。」
「……あ、え?」
「マスターが上の空で聞き逃した話です。この程度の戦闘で怪我など負うのは、身体がなまっている証拠です。」
「なまってるなんて、そんなこともないと思いますけど……」
「即ち、より一層の鍛錬が不可欠。」
「あ、はい。」
「ということで、私はこれにて失礼します。」
理路整然と説明を終え、いよいよラップさんは踵を返した。そのままジョギングのペースで走り出す。
「待って!」
たまらず、私も並走した。
「傷が治るまでは安静にしてください。」
「ご心配は無用です。強くなるための鍛錬で傷口を広げては本末転倒ですからね。その辺りは心得ておりますよ。」
「じゃあ安静に……!」
一縷の望みをかけて、ラップさんの横顔を覗き込む。もう既に安静にはしていないけど。
「脚力中心のメニューで固めます。」
こちらを向いたのは、強い意志を持った眼差しだった。
「ちょっと!?」
「では失礼。」
そう言うと、見えていた顔はまた横顔に戻ってぐんとスピードを上げた。あんなの、絶対身体なまってなんかない!
「あっ。」
遠ざかっていく背中を、無力に眺めた。悔しい! でも、
「この決着は、必ずつけなければ……!」
Ⅱ
「ラップ、よいか? 一言たりとも逃してはならんぞ?」
ナポレオン陛下は高らかに声を響かせる。
「聞いていますよ。いつでもどうぞ。」
ほんの報告のつもりで訪れた作戦室で、そのまま捕まってしまった。他ならぬ陛下に命じられた雑務で夕方まで予定がぎっしりだというのに。
仕方なしに、手帳の新しいページに『悪天候の山中を想定した少人数での迎撃作戦』と書き記した。これから小一時間は上司の閃き聞かされる羽目になるのだ。貴銃士として呼び覚まされて間もなく購入した手帳は、二週間で既に半分近く使ってしまった。
「まず、軍を二手に分ける。まあこの場合にはそれが定石と言えるが。余の閃きが冴えわたるのはこれからだ! ラップよ、よく聞いておくのだぞ!」
陛下は、机上の地図に駒を並べながら意気揚々と語り出す。私はその横で、朗々と紡がれる金言の三分の二程を切り捨てて簡潔に纏めていく。
「……どうだ、まさかこのようなことになろうとは、間抜けな敵将は思いもよらないだろうな! だがまだだ。間髪入れずに……」
いっそ、オウムでも肩にとまらせておいて後から復唱させればよいのではないだろうか。頓知来な様は気の紛れる見世物にもなって丁度いい。
「……ラップよ、先陣を切るのは誰か、余が何と言ったか答えてみよ。」
「は、先頭は、ブラウン・ベスです。」
「うむ。聞いていたのならよいのだが。」
陛下は私の顔を一瞥してから演説を再開した。妙な所で勘が鋭いから厄介だ。
「そして! この常勝皇帝ナポレオン・ボナパルト率いる隊が追い打ちをかける! 当然、お前も加わるのだ!」
「はっ。」
勝ち誇った笑みのまま、その視線をちらちらとこちらへ寄越してくる。
「ラップよ、この私の副官としての初任務だ!」
「はい。」
なおもその笑顔のまま、私の背中を二度三度叩いた。
「我がグランド・アルメの軍服で、余の右腕として戦場を駆るのだ!」
「はい。」
「どうだ! ラップよ!」
「……再び貴方の副官として戦えて光栄です、ナポレオン陛下。」
「おおおお! そうだろうそうだろう! はっはっはっ!」
ようやく満足したようで、耳元で快活に笑った。正直耳障りではあるが、抗議すると機嫌を損ねて面倒なので黙っていることにする。心を無に口を噤んでいると、やがて笑い声はぷつりと途切れた。
「ふむ、我らがマスターは今日も元気だな。喜ばしいことだ!」
その視線の先を追えば、歪に崩れかけた窓の外にマスターが見えた。なにやら慌てながら基地の出口へと駆けていく。マスターはスプリングフィールドの数歩後ろを走っており、さらにその少し後をシャルルヴィルが追いかけている。
「シャルル兄ちゃん! 急がないとバス行っちゃうよ!」
「これ逃したら次は一時間後だよ!」
「スフィー、マスター、ちょっ、とっ、待っ……!」
「あと五分!」
息を弾ませ走りながら、時折叫ぶように言葉を交わしている。
「むむ? バスというのはここから下った麓から出ている物のことか?」
「ええ。消耗品の類を買いに街まで出向くと仰っていました。」
「消耗品の……買い出し?」
結った髪を肩から振り落して陛下が首を傾げる。髪と同じ色の眉はいつもより高い位置にあった。
「食料や日用品の類いは、レジスタンスに協力的な街などから支援されているのではなかったか?」
陛下の指摘は尤もだった。我々は日々節制を強いられてはいるが、それでも不足はないはずだ。この男所帯でも栄養失調を起こす者が居ない程度には充足している。
「はい。先日報告した調査結果の通りです。」
「ではなぜ、マスターが自ら街に出向かねばならないのだ!?」
詰め寄られても困ります、その案件は私の管轄外ですので……という返答で満足する陛下であれば、思い付きで支部内における栄養状態の調査など命じていなかったはずなのだ。
「あくまで私の憶測ですが、メディックとして治療に使う道具や薬品などには、こだわりがおありなのでしょう。彼女は仕事に信念と情熱を持って取り組んでいますから。」
そう告げると、瞬く間に陛下の表情は興奮を帯びていった。
「そ、それは……」
「それは?」
翠の瞳に光を貯めて見開き、鼻の孔もまた開いていく(こちらを見上げているのでその様子がよくわかる)。その胸に大志を抱く少年のように、頬を紅潮させている。
「素晴らしい志だ! 我らがマスターは優秀なメディックだ!」
高らかに賛辞を贈りながら、部屋中を歩き回る。
「ラップ!」
「は。」
「お前もそう思うな?」
「はい。」
「心の底から感心しておるな?」
「深く感銘を受けております。」
「うむ、よい!」
「は……?」
「シャルルヴィル、スプリングフィールド! 今日は一日、マスターの護衛を頼むぞ!」
「陛下、彼らはもう居りません。」
「ラーーーップ!!!」
私の指摘が気分を害したかと思えばそういう訳ではないらしく、嬉々とした呼び声と共にこちらを振り返る。
「は。」
「お前も、我らがマスターのことを守り抜くのだ! よいな?」
指示されるまでもなく、その心づもりではいた。私も陛下も、自覚の有無に関わらずマスターの貴銃士なのである、マスターのことを守り、勝利を捧げてこその存在だ。
「心得ております。」
「つまり! 余が何を言いたいか、分かるな?」
「わかりません。」
「我が優秀な副官ラップよ。」
「はっ。」
正直に答えると、喜色満面の陛下の目が一層きらめいた。
「教えてやろうラップよ!」
「ご教示願います。」
「古銃探索だ!」
「……古銃探索。戦力増強ですか。」
古銃の所有数は、レジスタンスの戦力に直結する。世界帝軍に武器を取り上げられた我々にとって、僅かに残された古銃こそが限られた武器である。敵の戦力はあまりに強大で、レジスタンスは未だ満足に戦えてすらいない。しかし、手に取る武器が増えれば、作戦次第では一矢報いることも叶うかもしれない。現状では希望的観測の域を出ないが、それが唯一残された抗い方である。銃弾の雨が降り注いでいようが、僅かでも可能性があるのなら前に進まぬ手はない。
「その通りだラップ。」
陛下がこちらを見据えて頷く。翠の瞳が先ほどとは異なり隙のない眼差しに変わる。
「新たに古銃を迎えねばなるまい。武器として。」
そう言ってごく僅かに口端をあげた。その表情は、軍を率いて険しい峠を超える英雄の面影に重なる。
「そして、仲間として。」
仲間として—―即ち、武器として獲得した古銃の内いくつかは、マスターの力によって貴銃士として目覚めるのだ。貴銃士と名づけられたものの、銃でありながら人類と同じ姿をとるこの種族は未知の存在と言わざるを得ない。しかし未知の存在でありながら、強かった。身体の強度は人間と大差ないが、消耗や損傷はマスターの力で回復が可能であるし、絶対高貴と呼ばれる高い能力も有する。どの銃に貴銃士としての適性があるのかは不明であるが、一挺でも多く古銃を得ることでその機会を増やすことになる。
「古銃探索をするのだ、ラップ。余の部下を増やすために!」
「はっ……は?」
突如予想外のゴールを提示され、面食らう。
「なぁにを呆けた顔をしているのだ。余の言っていることが分かっていなかったのか?」
「分かっていなかった、と言いますか……。」
買い被っていた、と言いますか。
「今この基地に、皇帝ナポレオン・ボナパルトの部下となる貴銃士を迎えるのだ。」
皇帝ナポレオン・ボナパルトとは、フランス皇帝として名高い英雄であり、目の前のかしましい貴銃士が自身のことだと思い込んでいる名である。そして、今現在ナポレオンゆかりの貴銃士はここにいる二人のみである。
「今現在、私に関係の深い貴銃士は現れていない。これは由々しき事態だ!」
「……はあ。」
「なんとしても、私にゆかりの古銃を手に入れ、マスターの力を借りて忠誠心深き貴銃士を仲間にするのだ!」
なんと、陛下らしい短絡的な命令だろうか。一度でもまともに受け止めた己が恥ずかしくなる。
重ね重ね、貴銃士というのは未知の存在なのだ。どのような古銃が貴銃士になり得るのか、今ここに集う者たちを分析してみても見当がつかない。年代、生産国、生産数、用途……どれをとっても共通点が見出だせないのだ。
例え私がそこら中駆けずり回って古銃を持ち帰ったとして、それがナポレオン・ボナパルトに纏わる物で、貴銃士として目覚め、のみならずこの勘違い貴銃士の妄言に付き合えるような強靭な精神力を持ち合わせているだろうか。
「まず無理でしょうね。」
「何を言うか! お前は私の優秀な副官であろう! ならば成し遂げてみせよ!!」
その二つの事実にまともな相関関係があるとは思えないが、『不可能』を嫌う陛下はお叱りの言葉を並べ立てた。
とうとう面倒になって、結局はその任務を受けてしまった。
部屋を出て扉を閉める。思わず溢れた溜め息は疲れたものだった。
謎に包まれた貴銃士という存在を、なぜ故意に発現させることができよう。
自分は人間であるという体で他人事のように語る貴銃士について、今一度自分のこととして捉え直す。真っ先に思い起こすのはラップとして目覚めた時のこと。春の暖かい光の中で輝いていた黄色い瞳ーーマスターの眼差しだった。
貴銃士も謎ならばマスターの力もまた謎なのである。その謎を前にマスター自身も戸惑っているようだった。時折俯きがちに物思いに更ける姿を見かける。人間でありながら理解の及ばぬ力をその手に内包する彼女の不安を、私たちがどれほど癒せるかはわからない。しかし計り知れない不安を抱えながら、彼女は立ち止まらないでいる。脇目もふらず、走り続ける。
だとするならば、私もまた走り続ける他ないだろう。それが彼女を守り、支えることに繋がることを信じて。