ヒスファウ進捗 ヒースクリフの様子を盗み見るのが何回目か、ファウスト自信もわからなかった。小さな丸いテーブルの向かい側で、視線をおとして口を噤んでいる。気遣って言葉を投げ掛ければ暫くはぎこちなくも会話が続くが、いつしかまた同じ停滞が戻ってきた。
ヒースクリフが成人を迎えたのは先月の終わり頃だった。魔法舎での誕生祝いや家での行事を終え、さらには宴会好きな魔法使い達からの誘いをいくつか経た頃、中央の国には夏の気配が少しずつ近づいてきていた。
そして、ファウストが晩酌に誘われたのだ。"晩酌"等という酷く手慣れた言葉をやや言い辛そうに使ったヒースクリフが印象に残っている。『夜、二人で静かに酒を飲む』という行為を端的に表す言葉として、彼にとって聞き慣れていたのだろう。
そして夕食後、系統の異なるいくつかの酒と張り切ったネロが用意してくれたつまみを携えてヒースクリフの部屋を訪れたのだった。しかし、ヒースクリフは酷く緊張している様子だったのである。
なにか相談事でもあったのかと促してみたが、返ってくるのは曖昧な返事だった。何度か試みたが同じだったので、本人から話すまでは待ってみることにした。
しかし、時間の経過と共にヒースクリフの緊張は和らぐどころか重苦しくなっていった。見ると、重い沈黙を伴い視線を落としているのに加え、白い顔に僅かに赤みがさしていた。
ファウストは、既に栓の開いているワインの残りを自分のグラスに注ぎきった。
極力柔らかい声を心がけ、成人したばかりの生徒に語りかける。
「そろそろお開きにしようか」
「……え」
ほんのり染まった顔とようやく向かい合った。ぱちりとまばたきをして口は薄く開き、小さな驚きを浮かべている。
「口数が少ないよ。眠い?」
「……違います」
「身体がぽかぽかしてるんじゃないか?」
「違います」
遠回しに体調を気遣うと、意外にも強い否定が返って来た。
「酔ってません」
謙虚な生徒が珍しくむきになるポイントを見つけ、驚きと喜びが一つの衝動になって巻き起こる。飲み友達の部屋に寄り道して自慢したいような、真っ直ぐに部屋に戻って大切に抱えて眠りたいような、どっち付かずの衝動だった。
「それは酔っ払いの常套句だよ。疲れていると自分の思っている以上に酔ってしまうこともある。最近忙しくしていただろう?」
言いながらコップに水を注ぐ。
「君はこれ」
「……すみません」
「大人にだってあることだ、謝ることじゃない。これはいただくよ」
言って立ち上がり、彼のグラスのステアに手を掛ける。しかし、それを口許へ持って来ることはできなかった。ヒースクリフの手が阻んでいたのだ。
「……」
「ヒースクリフ?」
北の魔法使いがロックグラスを鷲掴むように、上から抑えつけている。そのまま取り上げて、置かれてしまう。テーブルを挟んだまま、立ち上がってファウストと向かい合っていた。
「まだ酔わないで」
ヒースクリフがファウストを見つめている。
「聞いてくれますか」
涼やかな青い色なのに、射抜くような眼差しが熱い。その瞳は、いつかの記憶を呼び覚ました。
・・・◇・・・
「で、お子ちゃまは俺とぶどうジュースってか」
ネロは、ワイングラスを適当にくるくる揺らしながら小首をかしげた。対してシノは、濃厚な葡萄ジュースを飲み下した後で相手を睨む。
「お子ちゃまじゃない。あんたはとっくの昔に忘れただろうが、人は二十歳でいきなり大人になる訳じゃないんだぜ」
「覚えてるよ。二十歳になったって暫くはお子ちゃまさんだろ?」
「これだから古臭い魔法使いは……」
「んー? 誰が古臭いってー?」
機嫌の良い声がグラスに籠る。それを眺めつつシノは脚を組み直した。
「ふん、まぁいい。アイツも今頃、目ぇ剥いてるだろうな」
一口飲み下してこちらを見たネロは、目を丸くしていた。
「アイツって、誰……だよ……」
「その顔、誰のことかわかってるんだろ。ヒースは決める男だぜ」
「マジかよ……。なに、そういう会だったの?」
「覚えてるだろ、……一昨年の」
珍しくシノが言葉を濁した。
「……ああ、覚えてるよ」
ネロは伏し目がちに呟いて、グラスを置く。
一昨年、18歳のヒースクリフはファウストに所謂”告白”をして、振られたのだ。明確に拒絶された訳ではなかったが、答えはYesとは程遠いものであった。シノはヒースクリフから、ネロはファウストから話を聞いていたのだ。
「つまり、そういうことだ。ヒースは決める」
得意げに言って、シノはサワークリーム乗せクラッカーをほおばった。
「やめてやれって……。あの人子どもに告白されて、断るのが大人の義務だと思ってるってのに」
「子どもじゃない。」
出会った時から変わらない勝気な瞳が、真正面から鋭く見据えた。
「言葉を返すが、」
続けて悔しげに眇められる。
「真剣な心に向き合いもせず茶を濁すのが大人のすることか?」
「いや、まぁ……ほら……」
聞き分けの悪い子どものように視線を逸らした先で、いつしか逞しくなっていた指がまた一つクラッカーを摘まみ上げた。
「『もう一度よく考えて欲しい』だと? 他でもないあんたに愛の告白をするのに、ヒースがどれだけ思い悩んだと思ってる」
・・・◇・・・