【社会人流彩】スケベ未満 同棲はしない主義。
今どき堅苦しいなんて周囲は言うけれど、私は私の信条に従うのみ。だってなんだか“なぁなぁ”になりそうで、ちょっとね。
だから流川が新しい家を契約した時、合鍵さえ受け取らなかった。
私が過ごしやすいように前の賃貸よりずっと広くて、快適な間取り、立地、つまりは頑張ったお値段。喜ぶだろうと奮発したのよね。
「ごめん、鍵は要らないわ。あんたが居る時じゃないと行かないし」──そんなハッキリとしたノーの返事に愕然とした流川の表情ったらなかった。分かるのよ。あんたがどれほど楽しみにしてたかなんて、手に取るように分かるんだけど。
でもその代わり、私の家の合鍵は渡したんだから、充分って思わない?
私は私の家が好き。広くないけど自分の稼いだお金で自分の選んだものに囲まれて、自分だけのお城みたいで。
どれだけ仕事で疲れても玄関を潜るだけでホッと全身の力が抜ける大切な場所。
私が作り上げたんだ。そんな自負がある。
「俺んちの方が広い、とか思ってんでしょ。実際そうだしね。インテリアも好きよ」
「じゃあ鍵くらい受け取ればいい」
「それはちょっと」
「分からねー」
ライトグレーのトレーナーに裾を白いラインで縁取ったライムグリーンの短パンは、最近お気に入りの部屋着だ。
これまたお気に入りのバラの香りがする入浴剤でリラックスを極めたバスタイムを終えた私は完全なオフモードである。
コンタクトレンズも取っているので黒縁のフレームが大きな眼鏡をかける。
「お湯抜いちゃって良かったの」
「あとでシャワー浴びる」
「それって私も含まれてる?」
テレビを見ようとベッドの前のラグに腰を下ろす。テレビのチャンネル巡回は残業なしで早めに帰宅した日のルーティンだ。
ローテーブルに置いたリモコンへ手を伸ばそうとしたところで、それまでベッドで寝転んでいた流川が私の頬を両手で包んだ。
真上を向かされて首が痛い。そして真下から見上げてもシャープな輪郭が、我が彼氏ながら羨ましかった。
「ヤリてー、です」
「なんで敬語」
「なんか間違えた」
間の抜けた誘いに笑っちゃうのはいつものこと。
涼し気な目元が、顔立ちが嘘みたいに、流川の中身はマイペースで独特で、少し幼い。いや、幼いのは二人きりの時だけか。
可愛いやつめ、と隣に座ると間髪入れずに肩を押されて、今朝の出勤前にセットして布団乾燥機をかけたばかりのふかふかの掛け布団の上に倒された。
折角ふんわり膨らんでいたのに、寝転ぶなら掛け布団は畳んで避けておいてよね。
「んっ」
流川のキスは性急で唐突だ。
これまで何度もしているのに毎回思う。
この子のツボって何なんだろう。分からないから振り回される。でもそれがちっともイヤじゃない。
啄むだけのキスから深いものに変わる。
ただでさえ190cm近くの大男に被さられているだけでも圧がすごいのに、大きな手で顔をホールドされては堪ったものじゃない。
唇や舌を吸われて、舐められ、甘噛みもされて、フルコースだ。
流川の高い鼻がキスするたびに当たりそうで、楽しくなる。色気はないけれど、焦れてスマートさに欠ける姿を見るのは可愛くて胸がキュンとするのだ。
こちらも気分が出てきて流川の意外と太くて逞しい首に腕を回す。すると、やんわりと腕を掴まれた。
「え?」
「今日は、こっち」
反転させられて、更に覆いかぶさられて。なによ、これ。ドライヤーで乾かしたばかりの髪を手漉きされ、うなじを晒される。軽く落とされたキスがくすぐったいのに、珍しい責め方で思わず身を捩る。
いつだって顔を見てやりたがるのは流川の方なのに。
「寝バックに挑戦」
「えぇ……」
「いいらしいって、聞いた」
「誰によ」
聞いたとして、いちいち言わんでよろしいと思うのは私なりの乙女心なんだろうか。
一言多いタイプでは決してないのに、流川は時々、謎の宣戦布告をする。多分本人は至って真面目だし決め顔のつもりなんだろう。でもそんなのって私には通じない。彩子さんはなびかないわよ。言っても分かんないでしょうけど!
「イヤ?」
「嫌も何もしたことないから分かんないけど、いちいち言わ」
「良かった」
「人の話は最後まで聞きなさい」
なんだってそんなに嬉しそうに笑うのか。口元だけで笑う流川にこちらも釣られそうになる。
流川は意外と表情豊かで、自分がそれを知る数少ない人間のうちの一人だという事実は、私の中の浅はかな部分を隙間なくしっかりと満たしてしまう。まるで最初からそんな部分がなかったかのように。
「したことねぇの、嬉しいし」
「あ、そっち」
「脱がせる」
「どーぞ」
白くて長い指が幾分かは本人比で丁寧に、私のボトムと下着を下ろす。
暇だなぁ、なんて思いながら脱がされる私も大概色気がないんだけど、流川はそういうのを気にしないタイプらしく、きっとこれも相性がいいってことよねとポジティブに考えてみたり。
「お尻? 腰? 上げて」
「ふふっ、うん」
エスコート下手くそか。可愛いな。うん、流川って可愛いのよね。可愛げないふりして、ちゃんと可愛いのよ。ああ、まだ今夜は飲んでないはずなのにな。
「……先輩、眠ぃ?」
「アヤちゃんでしょ、そこは……」
「彩子さん、疲れてんなら言って」
可愛い顔して怒っても可愛いだけなんだけど、分かってないわねぇ、ほんとこのこったらじぶんのこと……。
「かえではほんとにかわいいね」
そこで記憶が途切れた。
目覚めると壁掛け時計が八時を差していて飛び起きた。そして休日だということ、流川が泊まりに来ていたことを思い出す。
後ろを振り返ると熟睡中の流川が穏やかな寝息を立てていた。
ここ暫くお互いの仕事が忙しくて昨日は久し振りに会えたのに。残業せずに早く帰った意味。いくら繁忙期の疲れが溜まっていたからとはいえ、完全に私が悪い。大失態だ。
頭を抱えていても仕方がない。流川が喜びそうなものを作ろう。朝からガッツリ系の和食ならアスリート的に嬉しいかしら。
「メシならいいからここに居て」
「起きてたの?」
突然の声かけよりも流川に心の中を読まれてドキリとしたが、キッチンを見ていた所を見られていたのだと気づく。
「いま起きた。メシはあとで買ってくりゃいい」
「彩子さん補給?」
「しまくる」
「昨日はごめんね」
「今日も泊まる」
「うん」
生理的なものだと分かりつつ、勃ったそれに指を触れる。慰めてあげる必要があるかと聞かれたら無さそうだけど。流川の悦ぶ顔が見たくなった。
「おれも、さわる」
「まだおネムじゃない? 大丈夫?」
「む……」
カーテンの隙間から差し込む朝の陽光が、くすぐるように部屋の空気を撫でた。
穏やかで、ちょっと大人びた休日のはじまり。
終