ボットちゃんの話(紗呼ver.) 起動して数時間。動けるようになるまで数分かかるほど、私の中には莫大な情報が詰め込まれている。それは依頼主である「黒死牟」が他の研究員にすら知らせることなく、己の知りうる情報をすべて私の中に詰め込んだからである。
その中には「黒死牟」に関するものは履歴書程度の情報しか残っていない。下手すれば家族構成すら曖昧にしか残されていないのだが、ある人物に関する情報だけが恐ろしいまでに入力されている。
その情報を抱えたまま、私は初めて行く道程を迷うことなく歩く。子供の姿の機体ゆえ、歩幅が小さく歩く時間がどうしてもかかってしまうが、疲れることもないので小走りに目的地へと向かう。
鍵は預かっている。オートロックを解除し、呼び鈴を鳴らすことなく部屋に入った。
「失礼致します」
礼をしてから室内に入るが、どこにも彼の姿は見当たらない。すべての部屋を見に行くと、和室の仏壇の前でぼんやりと座り込んでいる鬼舞辻無惨がいた。
「鬼舞辻先生」
突然声をかけられ、びくっと体を震わせる。室内に誰かが侵入したことにも気付かないほど、仏壇を見ていたようだ。
「わたくし、黒死牟様の御依頼で参りました『ボット』と申します」
ぺこりと礼をするが、ぼんやりとしたままじっとこちらを見ている。
「黒死牟の依頼?」
「はい。生前、黒死牟様はわたくしの作製を秘密裏の行っておられ……」
「もういい、解った」
説明の途中で彼は話を止めた。何が解っているのか、こちらには解らない。情報では、かなり聡明な方だとあったので、きっと今の説明で色々察することが出来たのだろう。
しかし、それにしては反応が薄い。仏壇には、ただ一枚、生前の黒死牟の写真を黒い縁の写真立てに入れて飾っているだけで位牌も何も存在しない。
「こちらは黒死牟様の御仏壇ですか? たしか御遺骨や御位牌は御実家の方にあると研究所で聞きましたが……」
そう言った瞬間、彼は顔を歪め、無言で和室を出て、寝室に籠ってしまった。夕食の用意が出来たと知らせに行っても返事はなく、私が充電中に意識を落としている間にどちらかに出て行ってしまわれたようだ。
翌日、彼の事務所に行くと「可愛いー!」と童磨や零余子、鳴女といった面々に囲まれた。
「あれ? 先生は一緒じゃないの?」
「はい。昨夜から家を出てしまわれて、事務所に来たらいらっしゃるかと思いましたが……」
事情を説明すると、皆が気まずそうに私から目を逸らす。
「あまり先生の前で黒死牟殿が死んだって言わない方が良いよ」
童磨は私の頭を撫でながら、優しい口調で語り掛ける。黒死牟が死んだ後の情報は私の中に入力されていない。なので、ここから知る情報はすべて同じ事務所の職員である彼らの見聞きした情報を入力することにした。
どうやら黒死牟は鬼舞辻無惨を庇って受傷し、そのまま意識が戻らず死亡したとのことだった。黒死牟自身、覚悟は出来ていたので私の起動条件を「自分の死後」としていたのだが、鬼舞辻無惨への配慮でそのことは一切伏せていたようだ。
死亡理由について、黒死牟の実家である継国家から非難され、どうしても同じ墓に入りたいから、うちで供養させて欲しいと懇願する鬼舞辻無惨の頼みは却下され、遺骨も含め、すべて継国家に取り上げられ、開眼法要もしないままの仏具としての仏壇を家に飾り、ただ黒死牟の写真に手を合わせる日々が続いているのだと言う。
「先生は自分の方が黒死牟殿より十も年上だからって、先に死ぬと思って豪華な仏壇とか大きな墓地も用意していたんだけどね、そこで末永く黒死牟に供養してもらいたいなんて気の早い話をしていたけど、まさか、こんなに早く黒死牟殿を見送ることになると思わなかったから……」
「というよりも、先生自身、壱様がお亡くなりになられたことを未だ受け入れておられないようです」
鳴女が黒死牟の机に目をやると、机は亡くなる直前のまま置かれており、スマホも未だに解約されず繋がるままだという。
「ご安心下さい! これからはわたくしめが黒死牟様の代わりを務めますので!」
「そういう問題じゃないんだよ、ボットちゃん。情報の中に入っていないのかな?」
童磨の表情や言葉はいまいち理解出来ない。人間の機微が大量に含まれている為、情報を処理するのに、かなりの容量と時間がいるのだ。
「何の騒ぎだ」
「おはようございます!」
無惨の登場により、皆が一斉に礼をする。
「おはようございます、鬼舞辻先生! 昨夜はどちらに御泊まりでしたか?」
その瞬間、童磨に口を押さえられた。
「先生、随分と愛らしい秘書を雇われたのですね!」
「雇った覚えはない。邪魔なので返品しろ」
「不可です! 私は黒死牟様の御依頼で……」
「黙れ!」
「あー! 先生、よく見て下さい、このボットちゃん、ほっぺがぷにぷにで可愛いでしょ?」
笑いながら私を抱き上げ、彼の前に近付ける。その瞬間、先程の怒りの表情が和らぎ、私の頬を指先でつんつんと押さえた。
「柔らかい……」
そう言って、彼はずっとぷにぷにと頬を触り続ける。
「ほら、最近、癒し系ロボットって流行りですから、うちも取り入れたことにしましょうよ!」
皆が口々にフォローしてくれたおかげで、何とか事務所に置いてもらえることになった。
しかし、家の鍵は取り上げられた。
「別に充電すれば動くのだろう? わざわざ私の家に来る必要はない。ここで生活しろ」
「ですが、身の回りのことをするようにと言われています」
「悪いが家事全般は黒死牟より出来るのだ。お前は子供だから車の運転も出来ないだろう。ここにいて、うろうろして皆と遊んでおけ」
私はソファに座らされ、仕事の内容を一切教えてもらえなかった。
その間、童磨が彼に薄い茶封筒を渡している。
「ほら、また撮られてますよ。今週の週刊誌に載るみたいですが……相手が悪いですよ、人気女優の部屋に泊まるなんて。相手は付き合ってるって言うつもりみたいですし」
「付き合っているつもりはない。金を積んで揉み消せ」
「頑張りますけど、俺は誰かと違って火消しが上手くないので、ちょっと控えて下さいね」
そう釘を刺されても、鬼舞辻無惨は時間があれば外泊し、複数名の女性の部屋を渡り歩いているようだった。
「いくら寂しいからってまずいですよね……」
ひそひそ皆が喋っているが、内容がよく理解出来ない。人の会話とは、こんなに複雑怪奇なのかと、疲れるはずがないのに妙に疲れた気がした。
夜、黒死牟の机に座り、色々と机の上のものを見ていた。初めて見るものばかりだが懐かしく感じるのは、黒死牟が細やかに入力した情報のせいだろうか。
スマホの暗証番号も覚えている。それは鬼舞辻無惨の誕生日である。基本的に業務で使う電話なので個人的なものは何も入っていないのだが、待ち受けには鬼舞辻無惨と二人で並んで撮った写真が使われている。
どうすれば鬼舞辻無惨はこんな安心した表情を向けてくれるようになるのか。色々考えていると、バッテリーの残量が減り眠たくなってきた。充電器を差し込み、そのまま眠りについた。
ここの事務所は親切な人が多かった。
子供に聞かせて良いのかな……と迷いつつも、政治家としての「鬼舞辻無惨」の情報は本人よりも黒死牟が把握していたこと、勿論、表には出せないカネの流れや悪事に関しても全容は黒死牟のみが知っていたと話してくれる。
「それでしたら、わたくしめの中にも入っております!」
自信満々に答えるが、皆、冗談だと思って苦笑いしている。
それより私が知りたいのは鬼舞辻無惨と黒死牟がどういった関係だったかである。
「先生に関する様々な情報は入力されているのに、肝心の関係性については一切残されていないのです」
首を傾げる私に対して、そのことは誰も教えてはくれなかった。
ただ童磨がこっそりと耳打ちしてくれる。
「この時間になると、先生は屋上で夕日を見ているよ。よく黒死牟殿と二人で並んで見ていたから、ちょっとお話してみたら?」
「親切に有難うございます! 童磨様」
「童磨でいいよ、俺と黒死牟殿は無二の親友だったのさ」
皆が一斉に大笑いするが、童磨は顔を真っ赤にして「本当だもん」と騒いでいる。賑やかな事務所を抜け出し屋上に向かうと、鬼舞辻無惨は煙草を吸いながら静かに夕日を見ていた。
声をかけず、横に並んで見ていたが、柵越しでは景色があまり見えず背伸びをしていると、彼が抱き上げてくれた。
「これで見えるか?」
咥え煙草のまま私を抱き、ぼんやりと夕日を眺めている。彼の顔立ちは世間一般では非常に美しい顔立ちというようだが、私は人の美醜の基準が解らない。そして、表情から感情を読み取ることもできない。行動に対する決まった対応しか出来ないのだ。
「有難うございます! 綺麗な夕日ですね」
「あぁ……」
そう言うと、彼は口許に笑みを浮かべ、煙草を床に捨て、靴の踵で火を消した。
「悪いな、煙たくなかったか?」
「大丈夫です。それに黒死牟様は先生がお好みの銘柄をちゃんと記して下さいました」
「そんなものまで……しかし、子供のお前に買いに行かせるわけにはいかないだろう」
初めて笑った顔を見た。「あいつは、そういうところが抜けているのだ」と声を出して笑っている。
「いつも黒死牟様とここで夕日を見ておられたのですか?」
「あぁ、並んで煙草を吸いながらな」
「黒死牟様も吸うのですか?」
「あいつは私の前でしか吸わないのだ」
彼の顔から笑顔が消え、次第に夕日は沈み辺りは暗くなっていく。
「冷えるから帰るぞ」
「畏まりました」
ゆっくりと私を床に下ろし、先程の吸殻を拾い上げて彼は去っていった。
同じように翌日も彼は屋上で夕日を見ていた。
「今日も綺麗な夕日ですね」
横に並び、先生に「一本ください」と言ってみた。
「何を?」
「煙草です。わたくしは黒死牟様の代わりですので、横に並んで一緒に吸いたいのです」
「そう言うと思った」
笑いながら、彼はスーツの懐をごそごそといじり、シャボン玉セットを私に渡してきた。
「これでも吹いていろ」
「これは煙草ではありません」
「お前の年齢なら、これで十分だ」
どうも子供扱いされている。不服に思うが、また彼は私を抱き上げて高い位置から夕日を見せてくれた。
そして、夕日を見ながらシャボン玉を吹くと、朱色に染まったシャボン玉が屋上に舞う。
「楽しいか?」
「はい」
正直、楽しいかどうかは解らない。でも、いつも悲しそうな表情や、魂が抜けたようにぼんやりしていたり、ピリピリと張り詰めた表情をしている彼が楽しそうに笑っているので、これは楽しいことなのだと学習した。
黒死牟の残したデータ以上の情報が日々記録され、新しい役目を貰えたようで日々に張り合いが出てきた。
皆に「ボットちゃん」と呼ばれ、最近は彼も「ボット」と呼んでくれるようになり、事務所内で出来る仕事は任されるようになってきた。
そう、自分なりの居場所が出来てきたのだ。
充実感に満ちた夜、充電中に不思議なメッセージがやってきた。
「お前は私の亡霊であることを忘れるな」