退行した黒死牟 or 秘書、と無惨様 あれを鬼にしたこと、心底後悔した。
来る日も来る日も上の空で、何かを言おうとしては黙り込む。それの繰り返しだった。
黒死牟は忘れているのだろうか、私がやつの心を読めるということを。何だったら黒死牟がこうなった日に何が起こったか知っている。やつと視界を共有していた。
その六つの目に映ったものは憎き化け物の姿だった。真っ白になった髪、老いて痩せて小さくなった体、もう、あの時のような悍ましさは消え去っていた。
「なんだ、その亡霊は。幻でも見ているのか?」
黒死牟に直接問いかけたが返事はなかった。そう、黒死牟の目が捉えられぬほど素早い動きで、あの化け物は黒死牟の首を刎ねようとしたのだ。
老いてなど、これほどまでの強いとは。やはり、あの男こそ真の化け物だと痛感した。それは黒死牟も同じだろう。
「退け」
そう命じたが黒死牟に動きはない。別に配下の鬼をひとり失うくらい痛くも痒くもないが、黒死牟ともなると話は別である。
「退け!」
もう一度命じた。しかし、黒死牟は動かなかった。同じように目の前の化け物も動いていない。そう、立ったまま事切れたのだ。
それから黒死牟は一心不乱に刀を振り回し、目の前の化け物を斬った。あの化け物が死んだのだ。もう何も恐れるものはない。
城に戻った黒死牟を褒めてやろうと呼び寄せたが、やつは無表情のまま六つの目線も定まっていない状態であった。
黒死牟ほどになっても肉親との別れを悲しむ弱さが残っていたかと虫唾が走る。しかし、そんな呆けた黒死牟に腹が立つ以上に、あの化け物が死んだという事実で気分が良かったのだ。
「ようやった、黒死牟」
いくら褒めても黒死牟は何も反応せず、半ば強引に閨へと連れて行ったが、まるで木偶を抱いているようで興醒めした。
一体、何だと言うのか。胸の内を覗いても、そこには何もなく、ただぼんやりと目の前の風景を見ているだけで黒死牟は何も考えていなかった。
こんな日が何日も何か月も続いたかと思うと、何を思ったか刀を振り回しては城を壊し、鬼を殺し、出くわした鬼狩りも殺した。
その度に大声で叫び、まるで赤子のように泣き続けた。喧しいが外に置いていても仕方無いので城に連れ戻しても泣き喚く。しかし、それも数日で終わり、また魂が抜けたように呆けた状態に戻るのだ。
何とも厄介である。役に立たない上に手が掛かる。このまま殺してしまおうかと思ったら、黒死牟はぽつりと呟いた。
「殺してください……」
どこまでも鬱陶しい男だ。触手を振るい、尖端を黒死牟の喉に突き立てたが、黒死牟は一切怯えた様子なく、どこか穏やかな表情をしていた。
「絶対に殺すものか。生きて私の役に立て」
「……無惨様に殺される以外、私にとって誇り高き死は訪れないのです……」
何が誇り高き死か。死に誇りも何もあるか。死ねば終わりなのだ。
「鬼に死は存在しない。愚かなことを考えず、剣の腕でも磨け」
終わりが存在しないから、これから先も、黒死牟のこの呆けたつらを見続けないといけないのかと、うんざりしたが、数年置き去りにしていると黒死牟は何か吹っ切れたように、さっぱりした顔をしていた。
「やっと元に戻ったか」
「はい……」
常に黒死牟の動向を監視していたが、呆けていたと思えば、突然鬼狩りを殺しに行くなど、思うまま過ごしており、相変わらず剣技は惚れ惚れするほどに美しかった。
しかし、いつ心を読んでも、胸の中は虚無であり、色々と考えることが煩わしくなったと、人柄が変わってしまったようだが、さっぱりとしていて好ましいと思った。しがらみは人を弱くする。だから黒死牟は強くなった。そう説明したが、黒死牟には何も響かず、無心で刀を振る姿は、どこか、あの化け物に似ていた。