黒死牟に芸妓の擬態(現代軸で女装でもオッケーです!)を要求する無惨様 己のスケジュールを完璧に管理する無惨だが、たまにダブルブッキングしてしまうこともあるのだ。次から次へと予定を詰め込んでしまう性急な性格に加え、現代のように電話ひとつで変更が出来るような便利な時代ではない。
人との付き合いが主である仕事柄、突然頼まれて断れないという場面も多いのだ。
そのダブルブッキングは突然訪れた。
「商談で自分のいる座敷に行くことになった」
顳顬を押さえながら無惨は苛立った様子で言う。
貿易商の集まりで見覚えのある社長がいるなと思ったら、芸妓をしている時の御贔屓さんだと思い出した。海外なら青い彼岸花があるのではないか、と宮内庁や政府に出入りしている貿易商とは必ず繋がりを持っている。時々、それが月彦としての付き合いか、芸妓として座敷で会ったのか解らなくなるくらい、多くの人間と馴染みになっているのだ。
複数の脳を所有する無惨ですら思い出すのに数秒掛かるので、その人付き合いの広さは膨大なのだ。
「いい芸妓がいるんですよ」
当然だ、何せ私だからな、と無惨は内心、誇らしく思っていたが、話は無惨にとって良くない方向に進む。
「そんな良い芸妓なのですか?」
「あぁ! 初めて見た時は弁財天かと思ったさ!」
美しい上に芸達者、どれだけ口説いても床入りしてくれない、つれない態度もたまらないと話す。
金払いの良い綺麗な遊び方をする客だと思っていたが、やはり男だったか、と心の中で舌打ちしていたが、まぁ、確かに私は美しいからな、と笑顔を保っていた。しかし、事態は急展開する。
今度、皆でその座敷に遊びに行こうぜ!!
子供かよ!
待て待て待て……いや、でも待てよ、この人数でお座敷遊びをしてもらうと花代はいくらで、ご祝儀は……お茶屋に払う手数料を抜いても良い手取りになるな、と考えていた。
自分が欠席すれば済む話だと思っていた。
「芸者遊びはちょっと……」
と、ノリの悪いことを言うと、必ず「女房が怖いのか」「そんな堅いことを言わず」「月彦さんは男前だから、連れて行くと芸者が喜ぶ」「妾を持って一人前」と褒め言葉とセクハラが飛び交う混沌とした勧誘が始まる。
結局、参加させられることとなり、芸妓をしての収入を諦めようと思っていた。だが、その社長が座敷にやってきて「お前の三味線をみんなに聞かせてやりたいのだ。祝儀は弾む。着物も用意してやろう」と普段より更に羽振りの良い話を持ち掛けてきた。どうやら仲間を連れてくる手前、パトロンとして良い顔をしたいようだ。
どうしたものか。どちらかを肉人形にして、今から色々仕込むかと思ったが、所詮木偶の肉人形に高度な身代わりは困難である。
ならば、どうするか。
「黒死牟、私のふりをしろ」
「はぁ……」
無惨の無茶振りには慣れているが、果たして、どちらだろうか。黒死牟は気の抜けた返事をしながら、ぼんやりと月彦の姿を思い浮かべた。
無惨のように外国の文化に明るいわけではないので、貿易商の集まりに参加して話題についていけるだろうか。何よりエゲレスの言葉など解るはずもない。
「違う、芸妓の方をしろ」
まさかのそっちか……黒死牟の内心を読んだ無惨の発言に、どっちにしても苦手だな……と黒死牟は小さく唸った。
舞や唄なら童磨の方が適役なのだが、童磨のフリートークが色々マズイということで、こういった「無惨の身代わり」からは、真っ先に候補から外されるのだ。
黒死牟なら無駄な話をせず、流石は武家のお坊ちゃん。所作が美しく、礼儀作法も叩きこまれている。教えることが少なく済むので、無惨は影武者に使おうと常々思っていたのだ。
「今から三味線の稽古をする。鳴女、教えておけ」
「琵琶と三味線は違います」
冷ややかに言われ鳴女を見ると、本当だ、琵琶の弦って4本だ……と無惨は唖然とする。しかも、よく見ると撥の形も全然違うと気付いた。出来ません、とキッパリ答えた鳴女はつんっと無惨を無視しているので、仕方無く無惨は洋装姿のまま胡坐で座り、黒死牟の前で三味線を弾き始める。
リズミカルに弦を弾いて音を紡ぎ、いつになく真剣な面持ちが美しく、感嘆の溜息を漏らしながら黒死牟は見惚れるが、ここからが地獄の始まりである。
「覚えろ」
「え?」
「私が弾いているのを見て覚えろ」
何というスパルタ。運指どころか、竿の握り方、弦の押さえ方、撥の使い方も何も教えず、弾いたものを耳コピしろ、とのこと。後ろで見ていた鳴女は「壱様、お気の毒に……」と小さく呟いた。
そう、無惨は教え方がめちゃくちゃヘタクソである。天才が故に、人に説明が出来ないのだ。
「何故出来ない、言ってみろ」
そんなこと、俺に言われても、である。
自分が出来ることは、みんなも出来ること。出来ない奴は怠けているだけだ。無惨のその基本理念は新人を悉く潰している。
ここまで冷酷でないにしても、縁壱もこういうところがあったな、と黒死牟が思うと、無惨は鬼の形相で睨み付けてくるので、黒死牟は姿勢を整え、無惨の姿を真似て三味線を持った。
「適当に何曲か弾くから覚えろ」
「御意」
本当に御意って返事して良いのかよ……とせり上がった舞台の上で鳴女は思いながら、無惨の三味線に耳を傾けている。確かに上手いな、ちょっとセッションしたいかも、と思いながら、鳴女は静かに二人の様子を見届けていた。
黒死牟も完コピしなければ、と真剣に見入っていたが、ただ弾くだけかと思いきや、撥を使わず爪弾いて「梅は咲いたか」と小唄を歌い出すので、黒死牟は聴き終わってから即答した。
「無理です」
「無理というな、上弦の壱」
「いや、無理でしょう」
こんな芸をしながら、無惨の姿に擬態する。色んなハードルが高すぎて、黒死牟は珍しく「無理です」とミッションを断り続けている。というか、鳴女に頼めば良いんじゃない? と黒死牟が舞台の上を見ると、鳴女の姿はなかった。
「鳴女は駄目だ。あいつは客を殺す」
「はぁ……」
無惨に言われ、黒死牟は六つの目を伏せた。
「解った……仕方ない、女に擬態してみろ。私に似せるのは、その後だ」
「御意」
そう返事して、黒死牟は目を一対にして、体をかなり小さくし、女性の姿に擬態した。
何を参考にしたのか小一時間、問い詰めたい。幼さを感じさせる丸い輪郭に柔らかな頬、印象的な大きな瞳に、ぽってりとした柔らかそうな唇だが、口そのものは小さく、ぼんやりと半開きになっている。黒死牟の大きな着物が肩からずり落ち、細身の体つきの割に大きな胸が見え、細い指先で恥ずかしそうに着物の襟を押さえている。
その姿を見て無惨は頭を押さえた。言ってもいないのに男好きするような姿に化けよって……と、このまんまの姿で閨に連れて行こうかと思うほどである。そして、それは世の中の男、全員が思うだろう。こんな女を座敷に上げたら、即、身請けの話が上がるだろう。宴会どころの話ではない。
無惨の中でミッションより、可愛い恋人の貞操が心配になる。
残念そうな表情を浮かべる無惨の内心が理解出来ない黒死牟は、愛らしい表情を不安そうに曇らせる。すると無惨は女に擬態した黒死牟を抱き上げた。
「鳴女」
そう呼ぶと、二人の姿は琵琶の音と共に消え、無限城には黒死牟の甘い嬌声が響いた。
結局無惨は「月彦」のミッションは別件を理由に断り、芸妓として座敷に上がることにした。
「良かったのですか?」
黒死牟に尋ねられ、無惨は社長に買ってもらった着物を手に取り、身支度をしながら答える。
「どうせ芸者遊びをしている時の話なんて、大した話をしないし、こっちも全く情報が入らないわけではないしな」
月彦の姿ではないものの座敷にはいるので、その辺りは問題ないと無惨は話す。
着物と一緒に贈られた鼈甲の簪を挿し、口紅を塗りながら鏡越しに黒死牟を見る。
「それより黒死牟よ」
「はい」
「私の前以外で絶対に女に化けるなよ」
「……御意」
よく解らないといった様子で首を傾げるが、準備の出来た無惨は大風呂敷に三味線を包み、それを抱えると琵琶の音と共に姿を消した。