いっぱい食べる君が好き 退屈だと言わんばかりに大きな欠伸をした。
アンティークのリフェクトリーテーブルには自分ひとりしかおらず、キャンドルや花で豪華に飾られているのに、食前酒すら出てこない。
ピカピカに磨かれた銀製のカトラリーだが、使おうにも料理が全く運ばれてこないのだ。
ギャルソンを呼ぼうかと思ったが、広いダイニングに誰もいない。
いつも自分の傍らに控えている黒死牟の姿すらないのだ。
「黒死牟?」
無惨が名前を呼んでも返事はない。
一体、どこに行ったのか。しかし、どうして自分はこの店にいるのか、どうしてここに来たのか、何も思い出せない。
薄暗い店内には本当に誰もいない。音楽もなく静まり返り、豪華な装飾が不気味に思えてくる。
頬杖を突き、むすっとした表情をしていると、背後から銀色のクロッシュが被せられた皿が置かれる。
「おい、いきなりメインか?」
飲み物も出ていないのに……と無惨が文句を言おうとすると、ギャルソンはそっとクロッシュを持ち上げた。
「本日のメインディッシュです」
そこに置かれていたのは、黒死牟の頭部だった。
飛び起きた無惨の姿を見て、黒死牟も起き上がった。
「如何なさいましたか?」
髪は汗でびっしょりと濡れ、胸元や背中にも汗が滲んでいた。
「すぐに飲み物とタオルをお持ちしますね」
黒死牟はベッドから下りてガウンを羽織り、急いで寝室を出た。
未だに息が乱れている。隣に黒死牟がいたことで、あれが悪い夢だったと解ったが、あまりにもリアルな夢だったので本物の生首かと思った。
「お待たせ致しました」
無惨にペリエのボトルを渡し、柔らかなバスタオルで無惨の背中を拭いた。
「具合が悪いのでは……」
「心配しなくて良い。悪い夢を見ただけだ」
無惨はそう答えるが、黒死牟は心配そうに無惨の顔を覗き込む。
その瞬間、テーブルに置かれた黒死牟の生首が脳裏を過り、激しく咳き込んだ。
「黒死牟、家にある一番強い酒を持ってきてくれ。薬と一緒に飲んで寝るから」
「危険です」
「なら酒だけで良い。今日は何かを飲まないと眠れそうにない」
黒死牟は渋々ショットグラスとダークラムのボトルを持ってきた。ショットグラスに3杯、一気に呷り、ふわりとした酔いに包まれると黒死牟を抱き締めて眠った。
目覚めてからが大変だった。
慣れない寝酒などをしたものだから、倦怠感で起き上がることも儘ならず、シャワーを浴びている間に黒死牟が朝食の用意をしたが、「いらない」と拒否した。
「二日酔いですか?」
「いや、食欲がなくて……」
食卓に着くという行為が受け付けなかった。何か食べろとしつこく黒死牟に言われたので、彩りの良いサラダだけ立ったまま食べた。
事務所に着いてから淡々と仕事をこなしたが、昼食時になると、やはり食べる行為が受け付けなかった。
「無惨様、一緒にランチに行きませんか?」
事務所に遊びに来ていた童磨が誘いに来るが、「いらない」と書類に目を通した状態で冷たく返事をした。
「えぇっ!? もしかしてダイエット中ですか!? そんなことをしなくても、無惨様は十二分にお美しいですよ!」
「煩い、黙れ」
「えー、そんなこと言わないで下さいよー!」
冷たく言いつつも、「占いが得意」という童磨の姿を見て、微妙に夢の話をしたい気分になっている無惨である。
「黒死牟」
「はい」
「これで皆を飯に連れて行ってやれ。童磨、お前は残れ」
黒死牟に財布を渡し、人払いをしたことで事務所は無惨と童磨だけになった。
「やっぱ、俺の出番ですか?」
「何が見えている」
「別に何も。ただ、具合が悪そうだなって思っただけです」
無惨は大きな溜息を吐き、夢で見た内容を細かく説明した。
「黒死牟殿の生首ですか。それは迫力がありそうですね!」
茶化す童磨を睨むが、童磨は全く気にせず、「うーん」と小さく唸る。
「基本的に悪い夢って吉夢だと言われるんですよね」
「夢分析か?」
「フロイトやユングの夢分析の項目については無惨様の方がお詳しいと思うので、学術的な話ではなく、占いの一種だと思って聞いてもらえますか?」
「あぁ」
無惨は返事して煙草に火をつけた。
「人を食べる夢というのは一般的にパワーが漲っている、成功が目前に迫っている等、割と良い意味が多いんですよね。流石、無惨様!」
童磨が何を言っても無惨は気にせず、黙って煙草を吸っている。
「但し、恋人を食べる、となると解釈が分かれます」
「というと?」
「吉夢らしく相手との恋愛が上手くいくという説と、逆に相手を束縛したい気持ちが増していて、相手に負担をかけている。俺としては後者じゃないかなって思うんですよね」
黒死牟に対しての独占欲が強いのは誰の目にも明らかである。それの何が悪いとさえ思っている無惨だが、このように夢が暗示するくらいの独占欲は如何なものかと自分でも思えてきた。
「因みに、黒死牟殿を殺したのは無惨様ですか?」
「……解らない」
「恋人が誰かに殺されたのであれば吉夢ですね。仲が深まります。ですが、無惨様が殺したのであれば、黒死牟殿への不満が大きくなっていると解釈されますね」
あのリフェクトリーテーブルに座る前の記憶はなかった。突然、目の前に黒死牟の生首を置かれた夢だったが、あの時、自分は黒死牟の生首が出てきて魘されたのだろうか。
夢はあそこで終わっていなかった。
しかし、その後の記憶が思い出せないのだ。
「まぁ、夢は夢ですよ。あまり深く考えず。それより無惨様はお食事を召し上がることが第一ですね。食べないダイエットをすると黒死牟殿が心配しますよ」
と言っていると、黒死牟が無惨と童磨と自分の分のお弁当を持って帰ってきた。
「どうした?」
無惨が尋ねると、恐らくは童磨と二人きりというのが心配で戻ってきたのだと思うが、「無惨様も何か召し上がられた方が良いと思いまして」と食べやすい手毬寿司の弁当を買ってきた。
「俺の分も? 有難う」
童磨は嬉しそうに受け取り、無惨に目配せする。
「ちゃんと食べて下さいよ」
「解っている」
むすっとした表情をしながら、おそるおそる小さな寿司を口に運ぶ。美味しいと感じることが出来たので、無惨はそのまま寿司を食べ始めた。
黒死牟はにっこりと笑い、無惨と童磨に温かい緑茶を出し、テーブルについた。
「いただきます」
と挨拶をし、黒死牟も美味しそうに手毬寿司を食べる。食べ方は美しいが、部活帰りの男子中学生のように大食いの黒死牟を普段見ているので、こんな可愛いお弁当では足りないのではないかと無惨は見ていた。
食べたものは黒死牟の血肉となるのだ。あの白く柔らかい頬、闇夜のような黒い瞳、小さな唇、きっと食べると旨いのだろうな、と無惨は黒死牟を見て思う。
あぁ、そうか、あの時、クロッシュを取り、出てきた黒死牟の生首を見て、自分は大喜びで言ったのだ。
「これは旨そうだ!」
手掴みで黒死牟の顔を食べ、血塗れの手をテーブルクロスで拭いたところで目が覚めたのだ。
沢山食べ、健康で、肌の色艶が良い黒死牟を見ていると、食べてしまいたい、自分の中に取り込んでしまいたいと思うのだ。その願望が夢となって表れたのかと思う。
黒死牟の血肉に比べたら、この弁当は何と味気ないのか、無惨の箸の動きがぴたりと止まるが、童磨はパンッと柏手を打つように手を叩き、無惨の意識を戻した。
「無惨様、しっかり食べて下さいね」
「あ、あぁ……」
手元の海老をじっと見つめ、ゆっくりと箸で摘み上げる。咀嚼するが頭の中で思うことはただひとつだった。
いっぱい食べる君が好き。