モーニングコール 何度呼び出そうと、電話で起きたためしがない。
朝弱いくせに夜遊びが好きで、帰ってそのまま寝てくれたら良いのに、何故か翌日の答弁の資料に目を通す。根拠となる資料まで頭に叩き込んでくれるので、隙の無い答弁をしてくれるから助かるが、寝坊して遅刻したら何にもならない。
「さっさと起きてくれよ」
ステアリングリモコンの終話ボタンを押す。GPSで居場所を確認すると、プライベートのマンションにいるようだ。
議員宿舎で寝起きしていることになっているが、夜中にべろんべろんに酔い潰れて、廊下で他の議員と顔を合わせるのが気まずいだの、女を連れ込みにくいだの、それよりも他の議員の妻にちょっかいを出した前科が何犯もあり、なかなか議員宿舎で生活しづらい理由が多く、夜遊びしては、そちらに戻ることが多い。議員宿舎ならこんなお出迎え作業は不要なのに、どこまでも迷惑な話である。
その上、本当に誰かを連れ込んでいる可能性もあるので、合鍵で入った時、まず女性ものの靴がないか確認する。一度、とある人気女優がバスルームから出てきて鉢合わせになったことがあり、驚きや気まずさより、スキャンダル対策をどうするかで頭痛がした。しかもその女優は新婚だった。旦那と連名で発表したファックスをワイドショーで読み上げた翌日の出来事だったので本当にやめてくれ、と二人を並べて説教した。
散々袖にした相手のくせに「結婚した途端、イイ女に見えるようになった」と堂々と言う筋金入りの人妻好きなので、どこまでもたちが悪い。
今日はひとりのようだ。それだけでも胸を撫で下ろす。
バスルームの暖房のボタンを押し、バスタオルと下着類を用意する。そして、ウォークインクローゼットから今日着ていくスーツとワイシャツを取り出し、リビングに向かうと、ソファで寝ている鬼舞辻がいた。
以前、優しく起こそうとしたら、ベッドに引き摺り込まれたことがあった。裸のままでこちらをベッドに沈め、上に乗り、じっと見つめてくる。下着も履かずに寝ているようで、腹の上に乗せられたものの形がスーツ越しに伝わってくる。
「当たってますけど」
「勃っていないからセーフだろう?」
「完全にアウトです。セクハラで訴えますよ」
「冗談だ、許せ」
そう言って額に軽くくちづけて、鬼舞辻はベッドから抜け出した。怒っているふりをして誤魔化したが、本当は一生の思い出にしたいほど嬉しかった。
だが、鬼舞辻の悪い冗談だと解っているので、そのことには二度と触れず、そんな隙を与えない為に、朝は容赦無く起こすようにしている。
「おはようございます、先生」
カーテンを開けて、やや乱暴に起こす。ぼんやりとしている鬼舞辻を無理矢理バスルームに押し込み、その間に散らばった書類を片付ける。20分ほどすると賑やかにバスルームから飛び出してくる。
「おい、黒死牟、今日のスーツは?」
腰にタオルを巻き、濡れた髪を後ろに撫でつけた状態でリビングにやってくる。
「こちらに用意していますので、先に髪を乾かして来て下さい」
バタバタと準備に取り掛かり、スーツを着る頃には、いつものキリッとした姿になる。
後部座席で朝食代わりのゼリー飲料を飲みながら、緊張が切れたのか、また、うとうとしている鬼舞辻の姿をルームミラーで確認する。
「そんなに眠いのなら、夜、早くお休みになれば良いのでは?」
ややきつい口調で言うと、鬼舞辻は大きな欠伸をする。
「付き合いがあるのだ、仕方ないだろう」
また、そんな言い訳を、と呆れる。起こすこちらの身にもなって欲しい。朝から何度も電話をして、家に入り込んで起こす作業など秘書の仕事の範疇を越えている。
「毎度毎度、私を起こすのが面倒か?」
はい、と答えるわけにもいかず、黙って運転していた。
「確かにお前の家から、ここまで結構距離があるからなぁ……毎朝、手間だよな」
解っているなら、自分でちゃんと起きて出勤してくれ、と思うが、ふとルームミラーを見ると鬼舞辻と目が合った。やや赤みがかった色素の薄い瞳がじっとこちらを見つめている。
「だったら、一緒に暮らすか?」
「え?」
思わず急ブレーキを踏みそうになるが、何とか流れに沿った滑らかな運転を続ける。急いで視線を前方に向け、意識を運転に戻した。動揺した表情に気付いた鬼舞辻は小さく笑い「冗談だ」と言う。
この人の冗談がすべて本当だったら、どれだけ幸せか。
どうしようもない現実を突き付けられ、隠された瞳が潤んでいるが、サングラスをしていることで誰にも気付かれなかった。