全て夢 鬼は眠らない。それは無惨も含めて。
日の高い時間に暗闇で潜伏している時間であっても決して眠ることはない。
そもそも人間の三大欲求がすべて欠落しているのだ。誰が好き好んで人間など食いたいものか、生き残る為、強くなる為に食うだけであり、食ったところで旨いだなんて思わない。性欲もそうだ。永遠の命と若さを持つ鬼にとって繁殖は必要ない。睡眠もそうだ。無尽蔵の力を持つ鬼にとって回復という言葉は無縁、傷だって、その場で癒えてしまう。
生物が生命を維持する為に必要な欲求がごっそり抜けてしまっているが、酔生夢死の生活を送ることはないのは、偏に無惨が強引に尻を叩き続けているおかげもあるだろう。
「寝る間も惜しんで働け」
という無惨の恐怖政治は悪いことばかりではない、と黒死牟は思う時があった。
三大欲求が鬼には存在しない、と前述したが、性欲については「ない」とも言い切れない。
現に無惨と黒死牟はそのような行為を交わす間柄であり、人の時分に感じていたもの以上の欲求と快楽を感じている。その上、畏れ多くも無惨に対し、憧れに似た恋心を抱いていることを自覚しているが、脳内が無惨に筒抜けである以上、その感情を隠すことも出来ず、隠すつもりもなかった。それについて無惨が何か咎めることもなければ、関係を終わらせることもなく、顔を合わせれば枕を共にする関係が数百年と続いている。
寝食を忘れても支障のない二人は、時間も忘れて互いの気が済むまで求め合い、戦とは違う疲労感と満足感で満たされた状態で、黒死牟は寝所に描かれた豪華な天井画を眺めていた。
好いた男の腕の中で微睡み、そして眠りに落ちたら幸せだろうな、と思うと、無惨はその脳内を読み取って小さく笑った。
「なんだ、若い娘のようなことを考えて」
「申し訳ございません……」
改めて指摘されると何とも気恥ずかしい。先程まで言葉にすることも憚られるような行為をしていたにも関わらず、意外にこういった会話の方が照れ臭いと感じるくらいの距離感である。無惨は肘枕で黒死牟の表情を見ながら、その長い黒髪を指先で弄ぶ。黒い絹糸のような髪にそっと唇を押し当て、静かに呟いた。
「どうして自分たちが眠らないか、考えたことがあるか?」
「眠る必要がないから、ではないのですか?」
「それもあるが……」
珍しく歯切れの悪い無惨の様子が気にかかるが、美しい唇が言葉を紡ぐのを待つ。
「目覚めた時に現実を再認識するのが嫌だ、と思ったことはないか?」
「それは……」
想像すると、ないとは言い切れない。起きて動いていると、そのようなことを考える暇がなかったが、無意識下で真の願望に気付いてしまうと、現状をどう感じるか、自分でも答えを出せなかった。
「陽光の下に立てず、人を食らうなど何と悍ましいことか、全て夢であったら良いのに……と思うが、人であった頃はどうだ。あの時もこれが夢であればと願うていた。どちらにせよ、夢というまやかしを見た後で元の暮らしに戻ると何もかもが嫌になる」
あまりの正直さに面食らってしまうが、無惨がこんな胸の内を吐露することも珍しいと感じた。それだけ自分を信頼してくれているのだろうか、と甘いことを考えていたが、無惨は特に否定しなかった。
「全て夢……」
自分にとって、これが悪夢であったなら……と考えた時、その出発点がどこか、ぼんやりと想像できるが、全て夢にしたいわけではない。
黒死牟が思い浮かべたことを無惨は感じ取り、照れ臭そうに微笑むが、部屋の灯りを落として、その表情を見せないようにする。だが、鬼は夜目が利く。そうしたところで無惨の表情は黒死牟には見えるのだ。
だが、その表情を気にする余裕など黒死牟にはない。再び体を求められ、意識を飛ばさずにいるのが、やっとだったのだ。
別に鬼の生活を悪いと感じたことはなかった。無限の命を得て、鍛練に励みたいという願いは叶えられ、こうして上弦の壱として君臨し、鬼狩りを倒し、無惨の為に働く日々は思った以上に張り合いがある。
逆に言えば、鬼とならなければ、こうして無惨と共に生きることが出来なかったのだ。
あの時、鬼に殺されていたら、鬼殺隊に入らなかったら……様々な番狂わせで自分は無惨と巡り合った。全て夢にするのは惜しい。
「だから神よ、私のこれまでを全て夢にしようなどと思い上がったことをするな」
転生の際、黒死牟ははっきりと神に言い放った。
「鬼として生きたことを悔いてはおらぬし、反省をする気もない。私は鬼舞辻無惨の壱だ、それを夢にするくらいなら、何度でも地獄に落ちてやろう」
堂々と神に喧嘩をふっかける様を見て、横にいた無惨は呵々と笑う。
「私の壱はとんだじゃじゃ馬だからな、手綱を握れるのは私しかおらぬ」
そっと小指を絡ませ、二人は視線を交わす。お互いに地獄への道連れには丁度良い相手だと感じていた。
黒死牟に起こされ、無惨はゆっくりと目を開いた。
「珍しいですね、転寝なんて」
「……あぁ」
目頭を軽く抑え、無惨は渡された水を飲む。ここ数日立て込んでいて、ゆっくりと寝る間も無かったのだ。
ぼんやりとしていると黒死牟が不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「かなりお疲れですか? 予定を変更致しましょうか?」
「いや、大事ない」
そう答え、無惨は左襟のバッジに触れ、小さく笑った。
「夢……いや、昔のことを思い出していた」
「左様で……」
どれほど昔のことを思い出していたのか黒死牟には解らない。だが、無惨は夢を見た時、決して「夢を見た」とは言わないのだ。どんな夢を見たのか気になるが、夢の中でも自分が供を出来ていれば良いなと密かに願っていた。