十万円の彼 寒さと空腹、貧血と頭痛と身体の痛みと、そんな全ての体調不良と共に目覚めた場所は、全く知らぬ地だった。
ここはどこだと足を引きずって彷徨い歩いて歩いて歩き、何かにつまづいて転んでしまう。
体力も精神も全てが限界で起き上がれず、気絶するように瞼を閉じてしまった。
そして次に起きた時は、また見知らぬ場所。
手足に枷をはめられ、猿轡をはめられ、劇場の壇上のような場所に転がされていた。
観客席のような場所には若者から老人まで、不思議な格好をした男女が座っている。人間が多いが、数人、吸血鬼もいた。暗い観客席に座る人達の顔までハッキリ見える事に違和感を抱く余裕もなく、クラージィの横に立つ男性が何かを話す。
「 」
その声をきっかけに、観客席の男女が手に持つ札をあげながら、何かを言い合っていく。
「 」
「 」
「 」
「 」
「 」
何を言われているのか、言葉が理解できない。
たがこの状況に、まさかと嫌な予感がわいてでる。
――これは、競売ではないだろうか?
奴隷、人身売買という単語が浮かび、気絶した所を奴隷商人にでも拾われてしまったかと考えたが、何故? とも疑問が浮かぶ。
若くもなく女でもない私が、何故?
教会から破門される前ならば働き手として売り飛ばされるのはまだ理解できる。だが今は痩せ細り歩くのもやっとだ。いつ行き倒れて翌朝には路上で冷たくなってもおかしくない状態。商品価値は低いというよりマイナスだろう。
吸血鬼の血袋にしても食いごたえはないであろうし、客には人間が多い。
聞き慣れぬ言葉の異国なので、こんな自分でも何かしらの利用価値があるというのか。
クラージィが考えている間に、オークションは終わったらしい。
最後に札を上げたのは、クラージィと同じ歳ぐらいの男性であった。目の下の隈が酷いが、悪人には見えない。
男性は立ち上がると階段を降り、壇上まで近づく。
司会の男が戸惑っている様子を見せるが、男性は気にしない。
壇上にひらりと跳び上がると、横たわるクラージィの前に座って手のひらサイズの板を見せてくる。
そこには英語で書かれた文字が並んでおり、それならクラージィにも読めた。
“よかった英語が読めて。
貴方を私が買いました。
なので私に衣食住、夜のおはようから朝のおやすみまで全てお世話させてください”
……逆では?
私がお世話する方では?
戸惑いを隠せず彼と板を交互に見ていれば、劇場の扉がバーーーーンと開かれ、統制がとれた動きの集団が流れ込んできた。
怒声と悲鳴と逃げ惑う人々の中、男性は落ち着いた様子でヒョイッとクラージィを抱き上げると、流れ込んできた集団の一人に挨拶をして、外に出ていった。
◇◇◇◇◇
弟から拒絶され、仕送りを送っても送り返され、増えていく貯金残高に押し潰されそうになっていた時、ある仕事を頼まれた。
人身売買の摘発。
ある会社に潜り込み、人身売買が開催される会場の場所をつきとめるという、危ないもの。
警察でもない三木がする仕事なのか、年単位の仕事になるかもと色々不安があったが、二つ返事で引き受けた。危険に惹かれたのかもしれない。
バレて海に沈められてもいいやぐらいの気持ちで仕事をしたのだが、するすると仕事は順調に進んでしまい、一ヶ月で次の会場を突き止め、しかも会社が人身売買をしている証拠まで入手してしまった。
後は全て任せてもよかったのだが、三木も乗り込む時の制圧要員として会場に客として座った。
商品は主に吸血鬼だ。
用途は買う客によって違うが、こんな所で金を積んで買うほどだ。まともな用途ではないだろう。
観賞用ならまだマシか。
実験、虐待。銀や胸に杭を刺すなどを気をつければ、普通の傷ならば血を飲ませれば回復する。それは加虐趣味のある人間には繰り返し使える便利な道具であろう。それにもし飽きたとしても死体の処理するより塵を処理する方が簡単だ。
子供はいなかったが、女性男性、若者老人が変わるがわる競にかけられる。
やはり若い女性が値段が高い。
競がもうそろそろ終わるという時、毛色の違う商品が壇上に出された。
ボロボロの服を着た、ボロボロの男性。
司会の男性は身寄りもなく死にかけの吸血鬼、このまま檻に入れて塵になるのを観賞するのも、血を飲ませて回復させてから楽しむのも貴方の自由と謳い、「では、一万円から」と開始した。
他の商品よりも格安に安い。
ボロボロの吸血鬼の男性など、それぐらいのものなのか。札が上がるのも遅い。
「一万一千」
「一万二千」
そもそも人も吸血鬼もそれほど高くない。特定の誰かを奴隷にしたいだとか囲いたいだとか、親に身代金を請求したいであれば、途端に値段は跳ね上がるのだろうが、不特定でいいのなら綺麗な若者でもない限り、内側の臓器の方が高い。
「二万」
「二万一千」
意志を持つ人型を閉じ込めて何かさせるかもしくはするとして、それにかかる労力とコストはいかほどかと考える。
逃げ出さないように心を折るにしても閉じ込めめるにしても、場所が必要だ。叫ばれて近所の人に通報されては面倒なので、山奥などか、それとも防音がしっかりした部屋か。
次に吸血鬼なら排泄は省かれるが、排泄や睡眠、食事。それに清潔に保たなければ病気をするであろうし、風呂や服の問題もでてくる。
一晩の戯れにだとか、実験にだとか、衰弱死する様を見たいならば今あげた問題は元から考えずにすむが、その趣味の奴等にとって、元からボロボロの男は需要がないのだろう。
――じゃあ、俺が貰ってもいいのでは?
そんな囁きが頭の中で響く。
あそこまでボロボロなのだ。さぞ世話のしがいがあるだろう。
アパートの壁は薄いが、通報されたって、あの吸血鬼に逃げられたってかまわない。
――それは流石に人道的にも――
「十万」
気づいた時には札を上げて落札していた。
◇◇◇◇◇
一週間後。
「やっぱり今日も仕事休みます」
「イッテコイ、シテ」
「でも俺がいない隙にクラさんにもしもの事があったら」
「ヘヤ、イル」
「でも、あ、ほら、クラさん逃げるか心配で!」
「カギ、ソト、カケル、あー」
クラージィは単語が出てこず、これ以上は三木が遅刻すると、三木のスマートフォンをかりる。
この一週間ですっかり慣れた操作をすると、日本語に翻訳した文面を三木に見せる。
“それならば内側から出られぬように外から鍵でもかけたらいい。ご近所の目が気になるというのなら、風呂場でもいい”
「クラさんを監禁なんて、そんな事できませんよ」
“現状、監禁されているようなものだが?”
クラージィは大きくため息をつき、顔を横に振ってみせた。
今現在、クラージィは三木によってこの部屋に軟禁されている。
物理的な枷はない。
ただ心理的な枷はある。
この三木という男、もしクラージィが出て行ったら消えてしまいそうな不安定さがあった。
なにせクラージィを自分の部屋に連れてきてすぐした事といえば、『お腹が空いてますよね?』と自分の手のひらを切ったのだ。慌てるクラージィに、『直接噛みたいですか?』と見当はずれな事を言いながら首筋を差しだした。クラージィはその過程で自分が吸血鬼になった事を察したが、それよりも目の前の男だと、三木にスマートフォンの翻訳アプリの扱い方を習い、説教を開始した。
その後も、甲斐甲斐しくを通り過ぎて世話をしてくる三木に振り回されている。
例をあげるなら、まず、クラージィを一歩も歩かせようとしなかった。「クラさんの足になりたい」という三木がどこにいくのにも抱っこしようとしてくる。これはなんとか説得して、五日目で抱っこは卒業した。
食事はとうぜんあーんをしてこようとするし、自分の血をこっそり料理に混ぜようとするし、クラさんが血を飲むようになった時ように今から血液、少しずつ抜いて保存とかしようかなとか言ってくるし。
服を着るのも脱ぐのも全て任せてくださいで、現代の服の構造を知りたいからそれには自分で着て脱いだ方がと説得して、最近は自分で着ている。
髪の毛は三木が器用に整えてくれ、毎日手入れしてくれている。
風呂は体を三木に拭いてもらうか、風呂で三木に背中を流されるかの二択で、前者を選んでいる。
朝、寝る時は、クラージィがベッドで三木がタオルケットを敷いただけの床だ。言い争ったが、今の所、力で三木に勝てない為、ベッドに押しこまられている。
因みにクラージィが初めに三木に頼んで教えてもらった日本語はお断りの言葉『結構です』だ。
そんな生活に振り回され、約二百年経っているだとか、吸血鬼になっているだとか、異国だとか、そういうのを悲観している暇もなかった。
そして冒頭、何を言い争っていたかというと、一週間、仕事を休んだ三木が仕事に行きたくないとゴネたからだ。クラさんの世話をしたいと。
最終的にクラージィが『私の世話代を稼いできてください』と頼み、三木を仕事に向かわせた。
一ヶ月後。
「いやミキー!」
クッションに座るクラージィの腰に、三木は横になって抱きつき、叫んでいる。
クラージィは三十五歳の本気の駄々に、それはもう大きなため息をついた。
「ミキサン。ケンサノタメデス。ワタシノ氷、ヒトヲガイスルト、イケナイ」
「俺ならいくらでも害されていいです。むしろ氷漬けにしてください。あ、いいですねそれ。俺を氷漬けにするまでこの部屋から出ないでください」
どこまで本気なのか。
きっとどこまでも本気なのだろう。
どうしようかなぁ、とクラージィはポンポンと三木の背中を優しく叩いた。
事の発端は、クラージィの吸血鬼の能力が発現した事から始まる。
三木の頭が物理的に冷えたらいいな、とクラージィが考えたら氷が手のひらから出たのだ。
なぜ物理的に冷えたらいいなと思ったかと言えば、頭を冷やせという言葉があるのだから、物理的に頭が冷えれば暴走する奉仕癖にストップがかけられるのではと思ってしまったからだ。
その時、ちょうど三木の部屋を吸血鬼対策課の人間が訪ねてきており、一度、ちゃんとした機関でみてもらったほうが、という話になったのだ。
なぜ吸血鬼対策課が訪ねて来ていたかというと、あのオークションを潰すのに裏で動いていたのは吸血鬼対策課というか訪ねて来た人だったらしく、三木の報告だけでは出品されていた商品であるクラージィの事がよくわからん、魅了されてるのか? と直接乗り込んできたというわけだ。
質疑応答で、三木がクラージィに関しては嘘でもないが本当でもない報告書を提出していた事を知り、その件を黙らす為に危ない仕事を引き受けようとして、物理的に頭冷やせば? と考え、氷が出たのだ。
そして吸血鬼対策課の人に吸血鬼の能力を調べる施設を勧められ、日帰りですむのならと頷きかければ、
「いやミキー!」
と、三木がクラージィの腰に抱きついてきて、駄々をこねだした、というわけだ。
「ミキサン。ワタシ、スグニモドッテクル」
「嫌です」
「アシヲバタバタサセナイ。シタノヘヤニメイワク」
「……うぅ」
「ヨシイイコ。ソレデミキサン。ケンサオワッタラ、ミキサンノオネガイ、ナンデモイッコ、キクシマス」
「…………なんでも?」
「ナンデモ」
「一日、俺の好きなようにお世話させてくださいとかでも?」
「イイデスヨ」
きっと歩くのも三木の抱っこになるだろうが、覚悟の上だ。
「え。あ、じゃあ、クラさんの棺桶、俺が選んで買うとかも?」
「イイデスヨ」
吸血鬼にとって棺桶は重要な物だ。それを置いて何かしらの楔にしたいのだろう。
「えぇ。じゃ、じゃあ、その……俺の血を飲んで欲しいな、とかも?」
「イイデスヨ」
常日頃から、三木さんが自分の血をクラージィに飲ませてその血肉としたいのは知っていた。
血はいまだに苦手ではあるが、気合いで飲んでみせよう。
三木がクラージィの腰から離れ、立ち上がる。
「クラさん、外は冷えますからね。厚着して行きましょう。あ、もちろん俺、付き添いますから。診察の時も」
クラージィは「ヨロシクタノミマス」と苦笑した。
そんな二人の様子を見ていた、帰りそびれた吸血鬼対策課の男性は、人間側から血を飲んでくれ、飲んでくれたら約束を守るという流れに「……普通、逆では?」と呟いたのだった。