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    kusare_meganeki

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    kusare_meganeki

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    多分書き終わることはない

    ジェパサン神父天使パロ 前編 ジェパード・ランドゥーは敬虔な神父である。毎朝の祈りは欠かさず、己の行いは正義の元に。無辜の民を導く事に、身を捧げる模範者。自身の行動に見返りは求めない、真の求道者。彼を知っている人たちは、口々に褒め称えた。
    それを背に受けて、それでもジェパードは敬虔に生きる。
    神の御心のままに。いつか、神の寵愛を受ける日が来ると信じて‪──‬この信仰は、いつか報われる。そう思っていた。
    結論から述べるのなら、現在ジェパードは寵愛を受けている。神ではなく、天使ではあるが。
    「ねぇ、ジェパードさん。この缶切り、もう全然切れませんよ。新しいの買いません?」
    ソファから見える白い二枚羽、紺色の髪、白い服に赤いストールを腕に巻いた男が缶切りを振ってジェパードに告げてくる。もう片手には缶詰。それを見て、朝一番ジェパードは盛大に溜息を吐いた。早朝、リビングでは異質な存在が缶詰と格闘している。最早、いつもの光景と成り果てていた。
    「サンポ、勝手に人の缶詰を食べるんじゃない」
    「え?だってこれ、賞味期限切れてますもん。感謝してくださいよ、捨てる手間が省けたんですから」
    そう言いながら、切れ味の悪いらしい缶切りで缶詰を開け始めたサンポ‪──‬正体、大天使サポエル。天から遣わされた、清く正しい天使でありジェパードに寵愛を授けている張本人、いや張天使だ。
    「…………」
    ギコギコ。アルミを力尽くで切っていく音が、部屋に響く中でジェパードは拳を構えた。足を開き、腰を低く、ファイティングポーズを取る。
    深く一歩を踏み込み、その拳で風を切った。
    「ちょっとぉ!!??」
    サンポの頭部を砕く直前に、悲鳴を上げて彼はそれを躱す。手に持つ缶切りを打ち抜き、それは歪んだまま直線にすっ飛んだ。鈍い音を立てて、壁に缶切りがめり込む。
    「なにするんですか!?僕天使ですよ!?貴方神父ですよねぇ!?」
    「いいかサンポ。僕はお前を天使だと認めたことはない」
    「天使ですよ!ちゃんと寵愛もあげてるじゃないですか!」
    「道端で小銭を拾うだの、小さい当たりくじを引くだの、お前の寵愛はどこか姑息なんだが?」
    寵愛を受けていることは否定せず、しかしその効果をこき下ろしてジェパードは二度目の溜息を吐いた。
    「そもそも、天界から迫害されかけている天使だろう。もう少し謙虚に生きたらどうだ」
    そう言えば、サンポは嫌そうに表情を歪める。抗議するように二枚の羽根を大きく揺らした。そして壁にめり込んだ哀れな缶切りに、その細く白い指を向ける。
    「でも、そんな僕を受け入れたのは貴方ですよ。貴方の信仰する神、クリフォトが召し抱える大天使をそんな扱いしていいんですか?」
    こっちへこいと、指を軽く曲げれば缶切りが壁から外れサンポの手元へ飛んで来る。ベッコリと凹み、歪んでいるそれを見てサンポはそれを床に投げ捨てた。死体となった缶切りは、哀れな音を立ててフローリングを転がっていく。
    「そ・し・て!僕と契約を結んだのも、貴方です。そこのとこ理解してますよねぇ?」
    今度は、ジェパードが表情を歪める番だった。

    ‪──‬事の次第は、およそ半年前に遡る。
    その日、神へ信仰を捧げ迷える民を導き、神父としての義務を果たしたジェパードは神像の前で一体の男と行き遭った。それがサンポ。ベロブルグを守護せし神、クリフォトに召し抱えられている大天使が一柱だった。本来あるはずの六枚羽根は二枚しかなく、その存在も希薄。
    それ故に、当時のジェパードはサンポが大天使だとは気がついていなかった。ただ、真夜中に神像の前で蹲る羽の生えた男に、何処か神秘的な印象を抱いたのを覚えている。エメラルドグリーンの瞳は、見る人を虜にするような気さえした。
    『大丈夫、ですか?』
    思わず声をかけていた。これが天使ではなく、民の仮装であったとしてもジェパードは怒りはしない。ただ、その行いの意味を問いただし、場合によっては嗜めるだけだ。そして最後に、神像へ祈りを捧げて終わる。
    本当に天使なわけが無い。出来のいい、民の仮装だろう。そうだと自分に言い聞かせ、ジェパードは目の前の存在に歩み寄る。
    『貴方……僕が見えるんですか?』
    男は目を見開いてそう聞いてきた。何を言っているんだと思いながら、ジェパードはゆっくりと頷く。
    『ああ、よかった!やっと存在を認知してくれる人間に出会えました!』
    見開いた目を今度は潤ませて、男はジェパードの手を強く握り締めた。触れ合う皮膚から、全く体温を感じ取れないことにジェパードは驚く。その声は、脳に直接響くような──。
    『僕は大天使サポエル、クリフォト神が召し抱える大天使が一柱です』
    『な……』
    『あの、お願いです』
    目の前の男‪、サポエルの言っていることをジェパードはすぐに飲み込めずにいた。大天使?クリフォト神に召し上げられた?何を言っているんだこいつは‪──‬!
    『僕を助けてくれませんか!?』
    混乱する頭の中に、サポエルの懇願が混ざり込んでくる。その時ジェパードは勢いに気押され、頷いてしまった。それこそが、最大の失態。
    その時を持って、大天使サポエルとジェパード・ランドゥーの契約が交わされたのだった。

    「僕は現在、大天使としての力を剥奪されて天界から人間界に堕とされました。再び大天使に戻り、天界へ帰る方法は一つ」
    「……人間と協力して、人間界で徳を積むこと。そうしなければ神力を奪われ、存在が抹消される」
    「その通りです。そして、その契約相手が貴方。頷きましたもんね、あの時僕が助けてと言ったら」
    エメラルドグリーンの瞳が、ジロリとジェパードを見る。
    「僕が消えない為にも、貴方には働いて貰わなければ」
    そう言って、サンポは中途半端に開いた缶詰を机の上に置いた。羽根が揺れ、その手をジェパードへ伸ばす。
    「貴方にも利益はありますよ。僕を助けること、それはクリフォト神への信仰に直結してるんですからね」
    「どうだか……。そもそも、この半年で幾つか事件を解決したり、困っている人を助けたりはしたが、それが正しいのかも分からない。結局動いているのは僕だ。君は、なんかありそうと示すだけじゃないか」
    ──ただ一つ、最初に邂逅した事件を除いては。事故でも事件でも無い、自然災害とも違う純粋な厚意と悪意の権化との衝突。当時の記憶が蘇り、ジェパードは僅かに目を細めた。
    「僕に協力を仰ぐのならば、君ももう少し働いてくれ」
    それを口にせず、ジェパードは言う。それを聞いたサンポは唇を尖らせて反論してきた。
    「示した先にちゃんと徳を積めそうな困り事があるじゃないですか。テレパシーや寵愛でちゃんとサポートしてますし……神のお達しは人間と協力して徳を積め、ですからね。その意志には沿ってますよ」
    ああ言えばこう言うを地で行くようなサンポの返しに、ジェパードはそれ以上の会話を諦めた。口論になればいつもこうである。
    「もういい、僕は仕事に行く」
    さっさと家から出てしまおうと思い、ジェパードは三度目の溜息を吐いてサンポに告げた。その為に、さっさと身支度を終えなくてはならない。
    「朝ご飯は食べないんですか?」
    「何処かの天使のせいで、食欲を失ったよ」
    ジェパードがそう言えば、サンポはにこりと笑った。そして、軽く手を叩く。乾いた音が部屋に響くと同時、寝起き姿のジェパードは全ての身支度を終えていた。
    「天使からの大サービス♡」
    「またこんなくだらないことに力を……」
    天使の力による奇跡の結果だと分かり、ジェパードは四度目の溜息を吐いた。今日だけで、何回溜息を吐かなくてはならないのだろうか。
    「念の為、自身の見た目の確認どうぞ」
    サンポは再び手を叩くと、ジェパードの目の前に姿見が出現する。見た事のあるデザインのそれに、ジェパードは五度目の溜息を吐きかけて飲み込んだ。
    「おいこれ寝室に置いていたやつだろう、サンポ」
    「そうですけど?」
    「片しておくんだぞ、必ず。ぼくは絶対片さないからな」
    無から有を生み出すのではなく、サンポ自身が認識している存在を瞬間的に移動させる‪──‬それが、奇跡の力だ。最も、大天使程になれば本当に無から有を生み出すことも可能だとサンポはジェパードに語っていた。
    今着ているカソックも、クローゼットから瞬間的にジェパードの身体に移動させただけだ。着ていた寝巻きは、同時に脱衣所にでも移動させたのだろう。
    「気が向いたら片しておきます。あ、そうだジェパード。もうあのお肉の缶詰無いので買ってきてください。僕、缶詰の中であれが一番好きです」
    「……スパムの缶詰?」
    「そう、それ」
    最早、ジェパードには怒る気力もない。サンポが欲しがっているものを言い当てれば、彼は笑顔で大きく頷いた。
    天使のくせに、与えるどころか人間に集ってくる。こんなのが元大天使だと信じたら、それこそ神に失礼ではないのか。
    そう思うも、背中に生える二枚羽根と簡単に物質を瞬間移動させる力。おまけに、ジェパードがどこに居ようがお構いなく、テレパシーで脳内に語りかけてくる。それらを見せられては、確かにそういう類の存在なのだろうと納得してしまう自分がいた。
    どうしてこんな厄介なものと契約をしてしまったのだろうか、半年前の自身を恨むばかりだ。
    過去を悔やむジェパードを他所に、サンポはその身を浮かしてフヨフヨ彼にと近づく。
    「迷える子羊を救う貴方へ。今日の寵愛を授けます」
    サンポは囁くようにそう言って、両手でジェパードの顔に触れた。そのまま薄桃色の唇で彼の額に優しくキスを落とす。
    「それじゃあ、行ってらっしゃい」
    甘く蕩ける声でサンポは言う。それを受けて、ジェパードは素直に行ってきますと返した。



    ジェパードが配属されている教会は、ベロブルグの行政区内にある。人の出入りの激しい場所のせいか、日々訪れる顔触れは違うものだ。勿論常連もいるが、多くは初めて見る顔ばかりである。
    「おはようございます。本日のミサに出席される方は、こちらの名簿に記帳を」
    青色の長髪、丸眼鏡をかけたシスターが教会に訪れた人へ声をかけている。並び、大人しく自分の番を待つ人々を見つつジェパードは首から下げている十字架に触れた。教会入って直ぐの場所で、ジェパードは来訪者一人一人に挨拶を送っている。
    「おはようございます、神父様。良い朝ですね」
    「おはようございます、マダム。ええ、今日も良き1日になるでしょう」
    一見して他愛のない挨拶も、一周回れば大切な積み重ねだ。変わらない日常というのは、何物にも変え難いものがある。ここ半年で、ジェパードはそれを嫌というほど思い知らされた‪──‬ひとえに、あの大天使のせいだが。
    (人間と協力して徳を積む。徳を積むのが僕の役目ならば、あの駄天使の役割は一体なんなんだか……)
    サンポと半強制的に契約を結ばされたジェパードはこの半年間、律儀に彼の言う条件に従っていた。
    神のお達し、人間と協力して徳を積めばサンポは大天使の力を取り戻し、再び天界に戻れるという。だが、その詳しい話を聞こうとしても彼ははぐらかすばかりで教えてはくれなかった。
    そもそも、徳を積むということはどう言うことか。人助けをすれば良いのか、それとも悪を断罪すれば良いのか。それこそ、神父として職務を全うするジェパードは、毎日誰かを導いている。それもまた、徳を積むことの一環だろう。しかし、サンポに変化はなく、彼もまた何も言わない。ただ時折何処から仕入れてくるのか、“困り事”の情報をジェパードに与えて、それを解決しろと指示してくるだけだ。
    (……ああいう存在との戦いを、徳を積むと言うのか)
    再び、ジェパードの脳裏に最初の事件の記憶がよぎる。それをかき消すように、小さく首を横に振った。
    そもそも、あの大天使は何故天界から追放されたのだ。それすら、ジェパードは知らずにいた。
    (いつもはぐらかされてばかりだ)
    その大事な部分も、彼は教えてくれない。結局、大事なことは何も知らないままでジェパードはサンポの為に動いていた。一体自分は何をしているんだと、虚しくなる。
    「ジェパード神父、皆様の準備が整いました」
    「ありがとう、シスターペラ」
    ジェパードがペラと呼んだシスターは、丸眼鏡の位置を直して一礼する。そして、手に持っている聖書を彼へ手渡した。

    早朝のミサが終われば、昼食の時間になるまで信者の相談に乗る。懺悔とはまた別で、日々の生活の悩みや不安を聞き入れアドバイスを送る。説教を送っていた壇上に立ったままで、ジェパードは対面に立つ信者の相談事に耳を傾けていた。
    一人あたり五分ほどの時間しか取れないが、信者との対話時間をジェパードは大切にしていた。
    「神父様、今朝の朝刊はお読みになられましたか」
    「申し訳ない、今朝は忙しくまだ読めていないのです。何かありましたか?」
    老人の問いかけに、ジェパードは素直に首を横に振った。こういう時、見栄を張ってはならない。嘘はすぐに暴かれるからだ。
    そもそも、今朝に新聞を読めなかったのはサンポのせいだが。缶詰一つに対して、新聞一面の朗読でもさせてやろうか、あの駄天使め‪──‬そんなことを考えつつ、表情は微笑みながらジェパードは老人の言葉を待つ。
    「そうでしたか、ご多忙の中でもこうして私たちの言葉に耳を傾けてくださりありがとうございます」
    老人は恭しく感謝の言葉を口にしながら、懐から新聞を一部取り出した。その見出しには、先日あった火事について書かれている。
    「昨日で五軒目なのです、燃えたのは私の友人の家でした」
    「そうでしたか……」
    「私は無力です。こういう時、友人にどうしてあげたら良いのか分からない」
    その目に涙を滲ませながら、老人は言う。新聞紙の端が皺になる程強く握り締め、記事を睨みつけていた。
    「いいえ、その心はとても尊く大事なものです。友人の為に何かを思い、行動しようとすることは決して簡単なことではありません。どうか無力だと嘆かないでください。貴方のその思いは、神も見届けていますよ」
    「ありがとうございます、神父様」
    「もし、寝泊まりや食事に困っている様でしたら当教会に身を寄せるよう、言伝をお願いします」
    「分かりました」
    老人が頭を下げると同時に、背後でベルの音が鳴る。五分経った合図に、老人は新聞を持ってその場を去っていった。
    (五軒目か……流石に不可解だな)
    新聞に載っていた火事は、ここ最近ベロブルグを騒がせている放火事件の事だろう。1週間の間に、既に5軒も放火の被害に遭っている。しかし、犯人はまだ捕まっていない。警察曰く、物的証拠が何も残っておらず捜査が難航している様だった。
    数少ない目撃者が言うには、何もないところから1人でに炎が立ち上がったという。これはここの信者が、三日前にジェパードへ打ち明けたことだ。その当時は4軒目の放火事件が世間を騒がせていた。
    「次の方」
    『ジェパード』
    ペラの声に重なるように、脳内で声が響く。唐突のテレパシーに動揺することなく、ジェパードは信者を迎え入れながら内心で言葉を吐いた。
    (サンポ、後にしろ)
    『さっきの火事、気になりません?』
    (職務中だ、後にしろと言っている)
    何故このテレパシーはこちら側から切れないのか‪──‬言っても聞きやしないサンポに対し、ジェパードは僅かに苛立ちを募らせた。仕事の悩みを打ち明ける信者の言葉に集中しようと、耳を傾ける。
    『まぁ仕事の片手間に聞いてくださいよ。今週で5軒目の放火、何もないところからの発火。これはきな臭いですよ?』
    片手間に聞くにしては、あまりにも煩すぎる。サンポの戯言よりも、目の前の信者が大事なのに、全く集中が出来ない。聞いてもいないことをベラベラと喋る天使の軽薄な声は、この時ばかりは耳障りだ。
    「あっ」
    怒りが臨界点に達したジェパードは、わざと手に持っていた鉛筆を床に落とした。かつんと軽い音が響く。
    「すいません、少々お待ちを」
    それを拾う為に屈んだジェパードは鉛筆に触れる。
    (サンポ)
    そして、それを片手で圧し折った。真っ二つに割れ、無惨な木の屑となった元鉛筆は哀れに床に散らばっていく。
    (黙れ)
    『……はい』
    脳内に響く声は若干震えていた。駄天使を黙らせることに成功し、安堵に息を吐いたジェパードは立ち上がり、信者に微笑みかける。
    「お待たせしました」
    ようやく、これで静かに仕事に従事出来る。



    部屋に散らばる新聞紙に、ジェパードのため息は止まることを知らない。現在進行形で新聞紙を散らばらせている犯人‪──‬サンポは白い羽根を仕舞い、完全な人間の姿でソファに座っていた。
    「あ、お帰りなさい。ジェパード」
    「何をしている」
    「何って、前の事件記事を探しているんですよ。ほら、火事の」
    そう言って、サンポはジェパードに一枚の新聞記事を見せた。日付は1週間前のものだ。そこには、最初の放火事件が載っていた。
    「何故そんなことをしている」
    「気になったからですよ。まぁ、世の中には証拠を残さない犯罪をする人間もいますからね。一軒、二軒証拠なしの放火があったところで気にはしないんですが……」
    気になるだろう、と言おうとしてジェパードはやめた。サンポは天使だ。人間とは感性が違うのか、どこかずれた事を言う時がある。そこに突っ込みを入れたら、説明を求められて面倒になる。それよりも、この新聞が埋め尽くす部屋の惨状をどうにかしてほしい。
    言ったところで片しはしないだろう。説得するよりも先に諦めて、ジェパードは新聞紙を拾い始めたところで、サンポがその手を掴んだ。
    「見てください、これ。今日の朝刊……5軒目の放火の記事です」
    「これがどうした」
    サンポが見せてきたものは、今朝信者の老人が見せてきたものと全く同じだ。写真にも何も変わりはない。これのどこに、サンポは惹かれたのか分からずジェパードは小首を傾げた。
    「ここです、この燃えている家の傍。何か見えませんか?」
    「傍……?」
    目を凝らし、サンポの指差す場所を見る。業火に晒される家の傍に、黒いモヤの様なものが存在している、様な気がした。
    しかし、新聞の荒い印刷だ。それが、その現場に存在しているものか怪しい。これがなんだとジェパードがサンポを見れば、彼は真面目な表情をしていた。
    「この黒いモヤ、気になるんですよ」
    「それは理論的に語れるものか?それとも、君の直感か?」
    「後者です」
    サンポの即答に、ジェパードは目を伏せた。
    「そうか」
    天使だからか、それともサンポ自身の察しがずば抜けて高いのかジェパードには分からない。だが彼が直感的に感じ取る何かは、確実に“何か”がある。それは、この半年でジェパードは嫌と言うほど思い知っていた。
    サンポは、5軒目の放火事故の写真を見てそのモヤに何かを感じ取った。それなら、次に出てくる言葉は‪──‬。
    「ジェパード、行ってみましょう。今から」
    「言うと思った。出る準備をしてくる」
    事件現場に行くにしても、カソックのままは目立つ。私服に着替えようと、クローゼットに向かおうとして乾いた音が響いた。
    「……着替えぐらい1人で出来るんだが?」
    サンポによって瞬く間に私服に着替えさせられたジェパードは、彼に苦言を呈した。それに対し、サンポは苦虫を噛み潰したような顔でジェパードへ言葉を返す。
    「貴方の私服センス、最悪なんですよ。隣を歩く僕の身にもなってください」
    「全身真っ白の君に言われたくない。嫌でも目立つ」
    白いスーツの様な服に、赤いストールは昼夜関係なく人目を引くだろう。ジェパードがサンポの出立ちに文句をつけると、彼は首を横に振った。
    「白は純潔を表してるんですけどぉ」
    「純潔?君が?純潔に失礼じゃないか?」
    「貴方は天使に対して失礼が過ぎません?」
    ぶつくさと言いながら、サンポはソファから立ち上がる。彼の膝の上に乗っていた新聞紙が、バサリと床に落ちた。仕方ないですねと彼は頭を掻きながら、面倒臭そうにジェパードを見る。
    「貴方の服をお借りしてもいいのなら、僕も着替えますが?」
    「好きにするといい」
    「そうですか。じゃ、服お借りしますね」
    そう言って、サンポは軽く手を叩く。一瞬にして、白い服は落ち着いた色のカジュアルな服装へと変わった。その服はもちろん、彼のものではなくジェパードのものだ。この天使は何かなら何まで、他人のものを使わないと気が済まないらしい。
    「どうです?似合うでしょ」
    「そうだな」
    「感想には心を込めてくださいよ〜!」
    「うるさい。行くぞ」
    駄々を捏ねるサンポを言葉で切り捨て、ジェパードは玄関へ向かう。その際に、十字架を懐に入れることを忘れない。その後ろを、バタバタをサンポが着いてきた。



    放火事件のあった家は、ジェパードの自宅から路面電車を使って30分程離れた場所にある。その付近まで近づけば、その周囲には警察が3人立っていた。時折、野次馬が近づいては警察から立ち去る様言われている。事件としては新しいはずなのに、割かれている人員の少なさにジェパードは違和感を覚えていた。
    「やっぱり、近づくのは難しいですよね」
    「昨日の今日だ。まだ捜査中なのだろう。それにしては、人員は少ない気もするが……」
    少し離れた場所から現場の様子を伺うサンポは、考えるように腕を組んだ。いつもヘラヘラとしている表情は、この時ばかりは真剣そのものである。
    (やはり、この現場に何か思うところがあるのか……)
    日頃駄天使などと馬鹿にしているが、この状態のサンポはそんなことを言わせぬ雰囲気を纏っていた。ジェパードには見えない何かを、その瞳に捉えようとしている。
    「何か分かるか?」
    「いえ、ここからじゃ無理です。やはり、ちゃんと近づいて調べないと」
    「そうか……」
    「何かがある気はするんです。するんですけど、“煙”が邪魔で」
    「煙?」
    サンポの言葉に、ジェパードは現場を注視する。月夜の元、燃え尽きたのだろう残骸は黒く、細かい箇所までは視認が出来ない。だが、どこにも煙など立っていなかった。
    ジェパードには見えず、サンポには‪──‬天使には見えるもの。
    「……おい、まさか」
    考えて、ジェパードは一つの予想に辿り着いた。それを確かめるように、サンポに言葉を向けると彼はゆっくりと頷く。
    「そのまさかです。僕たちが契約して最初の事件以来ですかね」
    現場から視線を逸らし、サンポはジェパードを見た。そのエメラルドグリーンの瞳は、人間離れした輝きを内包している。隣に立つ天使は、その真っ赤な舌を揺らして答えを口にした。
    「‪──‬悪魔の仕業ですよ」

    大天使サポエルと契約し、彼が見つけてきた最初の事件。それは、連続失踪事件だった。当時の記憶は、忌まわしいものとしてジェパードの中に存在している。それはサンポも同じようで、必要がない限りは互いにその事を話すことはない。たった三日の出来事は、厳重に記憶の奥に封じている。
    ‪──‬天使がいるのなら、その逆も存在する。
    連続失踪事件の犯人は、一人の人間と悪魔だった。ただ家族を失っただけの女と、それを助けようとした“自身を善”と信じて疑わない悪魔。
    『貴方、神父よね。そうでしょう?!なら、どうして私達を救ってくれないのよ!神とやらに祈って、私の旦那と子供は帰ってくるの!?ただ時間を無駄に消費して、自己満足で生きているような馬鹿に、私の気持ちの一つも理解出来やしないわ!!』
    あの女の言葉は、今でも不意にジェパードの脳内を埋め尽くすことがある。
    あの事件は、ジェパードにとっては地獄だった。事件の真相も、事の顛末も。自分は何の為に、十字架を携え祈りを捧げているのか‪──‬生きている意味を失いかけるほどには。

    あの様な経験は、二度とごめんだ。仮に神の試練だと言われようが、首を横に振る。信奉する神がそんな試練を与えるものかと、否定すらしよう。それ程に、ジェパードの心に深い傷を残していた。
    またあのような存在と対面する事になるのか‪──‬それは気の乗らない話だ。
    「先に言っておきますよ、あの時みたいなやばい悪魔ではないと思います」
    その不安を感じ取ったのか、サンポがフォローするように言った。彼の視線は既にジェパードから外れ、再度事件現場に向いている。
    「何故そう思う」
    「やってることが小さいから」
    その回答に、ジェパードは納得しかけた。いや、事件の大小は関係ないはずだ。しかし、その言い回しの意味をジェパードは理解した。
    「死者が出ていないからか?」
    「ええ、そうです。新聞記事を読んだ際、今回含め5件とも家が燃えたのみで死者や怪我人はいませんでした」
    そう言われ、ジェパードは深いため息を吐く。前回の時は、行方不明者全員が悪魔の腹の中だったことを思い出したからだ。
    「少なくとも、悪魔の目的は人間の魂ではないのでしょう。ですが、場合によっては何かしらの陣を引くための過程かもしれません」
    「陣?それを引いたらどうなるんだ」
    「知らないんですか?いや、僕もどうなるかなんて知りませんけど」
    知ったかぶりの言葉に、思わずジェパードはサンポの横顔を睨み付けた。その視線に気がついた彼は、見ないでと苦笑いを浮かべる。
    「陣一つとっても効果は様々です。それに、予測の域を出ない。それを確かめる為にも、僕があの家に近づいて調べる必要があります」
    「天使の力でも使うのか?」
    「使いませんよ。使えないと言った方が正しいでしょうか。僕が悪魔の気配を察知した様に、向こう側も僕の……天使の気配には敏感なんです。なので、人間に擬態したままじゃないと」
    「なら、あの警官はどうするつもりだ。数は少ないが、近づけばすぐにバレるぞ」
    ジェパードの指摘に、サンポは顔を向けてにっこりと笑った。その笑みに、ジェパードは嫌な予感を覚える。
    これは、面倒ごとを押し付けられる。そんな予感が。
    「なんとかしてください♡」
    「言うと思った。どうして君はそうも他人任せなんだ」
    「僕は僕でやることありますから。そ・れ・にぃ……敬虔な神父として名高いジェパード・ランドゥーの方が、皆さんからの信頼も信用も厚いでしょう?」
    そう言って、サンポは正面から見える警察官を指差した。その距離は遠く、暗いことも相まって姿は確認出来るが、顔までは見えない。
    「あの方、貴方の教会の常連さんですよ」
    だが、天使たるサンポにそんなことは関係ないようだった。そして、この状態で彼は嘘を言わないことをジェパードはよく知っている。
    しかしジェパードはこれからこの天使の為に、教会の常連に嘘をつかなくてはならない。本当に天使なのだろうか、あの存在は‪──‬今から行うことはとても罪深い。ジェパードはため息を吐き、頭を掻いた。



    ジェパードが警官の元へ向かう姿を見届けて、サンポは視線を事件現場へと移した。先程から頸を撫で上げられる様な不快感が、ずっとそこにある。間違いなく悪魔の仕業であることは確信を持っていた。
    ただ、その悪魔がどの程度なのかが計り知れない。前回のような‪──‬最初の事件の様な轍を二度と踏みたくなかった。
    (あれは、ある意味では例外と言えば例外になりますが……)
    サンポは当時のことを思い出す。低級悪魔が魂喰いを繰り返した結果、手のつけられないものに進化し続けていた。それをサンポが感知できなかったのは、あの悪魔が自身の力を高める為の行為ではなかったからだ。あれが力の増長の為に行われていたのなら、直ぐに神に申し出て大天使の派遣を要求している。そうしなかったのは、感知出来なかった故の油断だった。
    結果的に、サンポの契約者がジェパードであることが、功を奏している。ただ両羽根を引き裂かれ、喉笛を食い千切られる体験は流石にもうごめんだ。天使の命は信仰に拠るものであり、物理的な傷で死なないとしても痛いものは痛い。
    (とにかく、まずは痕跡の詳細を調べるところから。それで大体は分かるはず)
    うまいこと、ジェパードが警官たちを集めている。ここから見える彼の表情は、どこか硬い。嘘をつくのが苦手なのはサンポも知っている。早いこと調べ終えなければ、どこかでボロを出すだろう。
    ジェパードの神父としての立場は、サンポにとっては有用なものだ。その地位を貶めさせるわけにはいかない。そう思いながら、裏手側に回り込んで焼け焦げた塀を蹴り壊した。
    「さてと……」
    家は木造二階建て。その内、二階部分は全焼しており、一階部分は辛うじて原型を留めている。だが、いつ崩れてもおかしくはない状態だ。炭になった柱が、重さに耐えるように軋む音が聞こえてくる。仮に探索中に崩れてきたとしても、天使たるサンポにとっては些細なことではあるのだが。
    (出火元は二階か。だけど、そこから悪魔の気配は特に感じない。というか、家の中から気配がしないということは……)
    外から、二階に向けて火を放ったことになる。火炎瓶でも投げれば、それは人間にも可能だろう。しかし、確実に痕跡は残るはずだ。割れた瓶の破片、ガソリンなどの引火物質‪──‬警察は、それを一切見つけられていなかった。
    (あまりに距離が開けば、それほど使う力は強くなる。そうであれば、もっと魔力の痕跡が残るはずだけど……)
    ここまでサンポが近づいて尚、痕跡を殆ど感じ取れない。下級悪魔の可能性は否めないが、ここまで痕跡を隠すことが上手い下級クラスがいるとは。
    (もしくは……契約者持ちか?)
    天使たるサンポがジェパードと契約しているように、悪魔もまた人間と契約することがある。祝福を与える天使とは違い、悪魔が人間に持ち掛けるのは「願いの履行」と「対価」だ。大抵は碌な結末を辿らない。だが、人間の弱みに漬け込んで契約に持ち込むのが悪魔だ。そして、契約者を得た悪魔ほど面倒なことはない。人間の命を魔力として、自身の力を高めることが出来る。
    もし、仮にこの事件を起こしているだろう悪魔が契約者といるのなら、痕跡を隠す事も容易だろう。
    「‪──‬……仕方ない、ですね」
    考え込み、サンポは決断する。このまま、砂粒を拾う様に痕跡を探すのは埒が開かない。
    サンポは目を閉じて、呼吸を止める。意識するのは、今の時ではない。もっと、前の時間‪──‬火災が起きた、その時の時間を。
    意識が、混濁する。音が混ざり合う。遠く、遠く、火が爆ぜて悲鳴が‪──‬。

    ‪──‬違う、ここじゃない。
    ‪──‬アタシの家は、ここにはないよ
    ‪──‬もう燃やすのはやめよう。
    ‪──‬きっと、アタシの家も、お母さんもお父さんも……。

    いいや、君の願いを叶えるにはこれしかない‪──‬
    人は殺していない‪から、大丈夫だろう‪──‬
    契約は果たす、それは我のポリシーだ‪──‬
    安心しろ。君の家は、必ず見つける‪──‬

    「ぐ……っ、は、は……っ」
    強い頭痛と吐き気に、サンポは意識を過去から現在に揺り戻される。足元がふらつき、片膝をついてサンポは深呼吸を繰り返した。明滅した視界が、ゆっくりと元の彩色を取り戻していく。
    大天使の権能の一つ、過去視。その場にある物質から、過去を読み取る能力だ。万全の状態ならば、もっと鮮明な映像と音声を再現できるはずだった。しかし、今のサンポは権能の殆どを剥ぎ取られている。なんとか、音声の一部を聞き取ることが精一杯だった。本来持ち得ない権能の残り滓を、無理矢理に発動したことでサンポの体力は限界に近い。
    『ジェパード』
    今も、警官達を引き止めているジェパードへ、サンポはテレパシーを送る。
    『手がかりを掴みました。結論から言えば、やはり悪魔絡みです』
    『そうか……』
    『これ以上はもう良いです。帰りましょう』
    『分かった』
    これで、ジェパードは警官達から離れるはずだ。サンポも、見つかる前に現場から離れなくてはならない。蹴り壊した柵から外に出て、覚束ない足取りで歩く。ジェパードと別れた地点までくれば、先に戻っていた彼が駆け寄ってきた。
    「サンポ、どうした。何があった?」
    「ああ、いや……大丈夫です。思っていたより痕跡が見つからなくて、ちょっと無理をしただけですから」
    ジェパードは倒れそうなサンポの腰を抱き寄せる。心配そうな彼の顔が近く、そのサファイアブルーの瞳は困惑に揺れていた。
    「本当に、大丈夫なのか。顔色が悪いどころの話じゃ……」
    「いえ、休めば大丈夫です。そんなに心配してくれるなら、後でパイナップルの缶詰でも買ってください」
    冗談混じりにサンポが返せば、ジェパードが分かったと頷く。こう言う時ほど、ほとほと冗談が通じない男だと思い出して、サンポは苦笑いを浮かべるしかできなかった。
    「まあ、それは置いておいて……。ジェパード、覚悟は良いですか?」
    「悪魔と相対する覚悟か?それはもう……」
    「それもそうですが……前回同様、契約者がいます。それも」
    サンポはそこで言葉を切る。あの現場で聞いた、過去の声を思い出しながら、契約者の正体を口にした。
    「子供‪──恐らくは、少女です」
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