ナタンポサンポが青い顔をしながら、診療所を訪れたのは今まさに鍵を閉めようというタイミングだった。苦しそうな呼吸を繰り返しながら、しかし目元を腫らしている。その状況だけでは何が起きたか分からず、とりあえずナターシャは表からではなく、裏口から入るようにサンポに言った。
「いやその……なんというか、上手く吐けなくて」
裏口から続く、診療所奥の部屋。ぐったりと地面に座るサンポは、しどろもどろに言葉を並べた末、その結論を作り出した。冷や汗が首元に浮かんでいる。目元が赤いのは、吐こうとする際に滲む涙を拭いたからだと理解した。
「何か、無理やり吐かないといけないことでも?」
「ちょっと、胃の中にあんま良くないもの入っちゃったんで…」
吐きたがるサンポに釣られて、気がつくのが遅れたが額に血が滲んでいた。
「……わかったわ、とりあえず先にそれを吐き出しましょう。嘔吐剤は」
「あります。あるんです、けど」
「飲んで。私が補助するから」
サンポの前に底が深めの桶を置いて、ナターシャはその背中を擦る。懐から出した嘔吐剤の蓋を開けて、少し逡巡した後、サンポはいっきにそれを煽った。
「う゛……ッ」
「口を閉じないで、大きく開けて。大丈夫よ」
反射的に口を閉じようとするサンポのそこに、ナターシャはすかさず指を突っ込んだ。
「あ、」
(何かが引っかかってる……?弁が邪魔をして、上手く吐けないのかしら)
「サンポ、もっと指を深く入れるわ」
「えっ」
サンポが何かを言う前に、ナターシャはその指を更に喉奥に押し込む。指先が弁に触れ、サンポが大きく身体を揺らした。何度もえずいては吐けない気持ち悪さに、小刻みに震えている。
そんな彼の背中を優しく擦りながら、容赦なく喉奥を指で刺激した。唾液に塗れることも気にせず、ただ吐かせる事だけに集中する。
「、ぉぐ……ッ」
びくん、とサンポの身体が一際大きく揺れた。ナターシャが口から指を引き抜くと同時、嘔吐音と共に吐瀉物が勢い良く彼の口から吐き出された。びちゃびちゃと嫌な音を立てながら、桶を満たして行く。
一通り吐いた後、サンポは短い呼吸を繰り返していた。ガタガタと震える身体、無意識に彼はナターシャの服を掴んでいる。
「まだ出せそうね」
そう言って、ナターシャは再びサンポの口に指を入れた。今度は予告無しに、喉奥に指を入れる。くぐもった悲鳴が上がり、程なくして2度目の嘔吐をする。
「ひ、……ッ!げほっ、は、はぁ……はぁ……う゛ッ」
3度目の嘔吐。今度はナターシャの手助け無しに、自発的に吐瀉物を口から吐き出す。流石に吐くものが無くなったのか、胃液混じりになっていた。
「よしよし。よく頑張ったわね、サンポ」
「は、ほ、ほめられても……うれしくない……」
涙を手で拭い、鼻を啜るサンポは寒いのか腕を擦り震えていた。これで口の中をすすぎなさいと水を渡して、ナターシャは吐瀉物の溜まった桶の中身を見る。
目を凝らさないと分からないが、灰色とくすんだ黄色が混ざる吐瀉物の中で、うっすらと青色が見える。躊躇いなく吐瀉物の中に指を入れれば、サンポな変な声を上げた。
「な、なにして」
「胃の中に入ったあんま良くないものって、これかしら?」
溶けかけてはいるが、何かの錠剤のようだった。3錠ほどくっついている。
「……そうですよ。それです、今日ちょっと商談でポカしまして。それ、相手を信用させる為に飲まないといけなくなりまして」
「それは……まぁ、ノーコメントね。ちなみになんの薬?」
「媚薬」
その言葉に、ナターシャは固まった。
「すいませんうそでいだだだだだだだ!」
「こんな時にはぐらかすのはやめてちょうだい、サンポ」
「すいませぇん……」
ナターシャに強く頬を引っ張られたサンポは反省の胃を示した。
「それ、軽い毒薬です。死にやしませんけど、身体へのダメージが出ないように念の為、吐き出しておきたくて」
「それで嘔吐剤を飲んだのね」
「上手く吐けませんでしたけどね…」
結果、ナターシャの手を煩わせる結果になってしまい、サンポは少し後悔している。自分の唾液に濡れた指が目に入った。
「汚いでしょう。すいません」
「いいえ、サンポ。いつでも頼ってちょうだい。次の依頼量が少し増えるけどね」
イタズラっぽく笑うナターシャに、サンポは苦笑いを返して、自身の吐瀉物に満ちた桶を手に取った。