ナタンポナターシャの診療所まで来て、扉前で聞こえてきたのは怒声だった。ナターシャのものでは無い、男のものだ。耳を澄ませば、中で言い争っている様だった。
扉を少し開け、中を覗き見る。男二人が、誰かに詰め寄っている。恐らくはナターシャだろう。子供たちが不安そうにその様子を眺めており、そのうち1人の少女と目があった。人差し指を口に当て、ジェスチャーすると彼女は何度も頷く。
(浮浪者達か……全く、おバカさんなことで)
治療費の踏み倒しか、もしくは薬を寄越せと詰め寄っているのか───どちらにせよ、やはりバカだと思わざるを得ない。
「……ああっと!!」
置いていた箱を持ち上げ、わざと扉にぶつかる振りをしてそれらを診療所内にぶちまける。中身は割れる心配のないものだ。男たちの視線が一気にサンポに向いて、その奥でナターシャが目を丸くしている。
「ああ〜……すいません、お取り込み中でした?」
資材を拾い上げながら、サンポは男たちを見た。挑発的に微笑めば、男の一人が舌打ちをしながらサンポの襟首を掴みあげる。
「てめぇ、サンポだな?」
「はい、そうですが……。ええっと、どちら様でしょう?」
「俺の仲間がてめぇにぼったくられたって聞いてよ」
その言葉を聞きながら、サンポはナターシャに視線を送る。彼女は首を横に振った。どうやら、サンポを見た事で彼らの中の目的がすり変わったようだ。
「ぼったくり?まさかそんな、このサンポ!お客様には安心安全特別価格にてお取引させて頂いてますよ。何かの間違いでは?」
「しらばっくれるつもりかぁ!?」
「本当のことですので……」
男の怒鳴り声に怯むことなく、襟首を掴まれながら子供たちに手を振る余裕があるサンポに、とうとう我慢の限界が来たようだった。
子供の一人が小さい悲鳴をあげる。
「サンポ!」
ナターシャが名前を呼ぶのに対し、サンポは殴られた頬を痛いなぁと呟きながら摩っていた。口端が切れ、血が伝う。
「そんな、殴ることないじゃないですかぁ……。はは、手を出しましたね?」
「あ……!?」
殴られてもなお、余裕のあるサンポに男が再び拳を振り上げたと同時、その身体は強く地面に叩きつけられていた。男のブレる視界の中で、軽薄そうに笑うサンポの顔が映る。
「てめぇ!」
「困りますぅ。ここは診療所ですよ?」
静観していた男がサンポにつかみかかろうとする。それをひらりと躱し、男の首を掴んだ。
「こんな所で怪我人を出してしまっては、診療所の面目丸つぶれです」
男の足を払い、後ろ倒しになる所をそのまま首を強く押し込んで叩きつける。悲鳴が上がり、なお意識を保つ男に対し、サンポは表情を崩さずに言う。
「あっはっはっはっ。さてどうしましょう。悪い子にはおしおきですか、ナターシャ?」
「その前に、君も診療所で怪我人を出してるじゃない」
「これは正当防衛ですよぉ!見てほら、この頬の傷!顔を狙うなんて酷くありません?」
「はいはい、分かった分かった」
「まぁ、加減はしましたよ。しばらく、頭はクラクラするでしょうけどね」
ナターシャの言葉におしおきが無いことを確認して、サンポは軽い脳震盪で動けない男二人の襟首を掴んで診療所の外に放り出した。外傷は無い。
「さぁ、今日のところはお帰りくださいね。……無事に帰れるなら、ですが」
サンポの言葉と共に、複数の足音がする。
「じゃあ、後は地炎の皆さんにお願いするとしましょう」
○
「サンポおじちゃん大丈夫?」
男たちは地炎に回収されて行った。床にぶちまけたままの資材を子供たちと片付けている最中、目が合った少女がサンポに心配の声をかける。
「大丈夫ですよ〜。見てくれより痛くないので」
「それでも、治療はさせてもらうわよ。座って、サンポ」
横から出てきたナターシャは少女の頭を撫で、サンポを椅子に座らせる。
手際良く脱脂綿に消毒液を垂らして、口端の傷に押し当てる。いて、と身体を揺らすサンポに動かない、と言う。
「……私一人でも、何とかできたわ」
「でしょうねぇ。貴女一人ならね」
サンポは言いながら、自身の服の裾を掴む少女を視界の端で捉えた。
「ああいうバカのせいで、子供たちが怯えますよ。もっと頼ってくださいよぉ、こう見えても腕はたつんですから」
「……そうね」
傷に絆創膏を貼り、頬の打撲痕には湿布を貼る。1日も経てば良くなるだろうな、と考えながらサンポはナターシャにお礼を言う。
「ナタお姉ちゃん!悪いやつがいるって聞いた!」
「フック、静かに。悪いやつはもう居ないわ」
「えぇ〜…あたしとホールマスターの出番かと思ったのに」
診療所に飛び込んできたフックは、ナターシャの言葉に肩を落とす。彼女がこの場にいたら、もう少し荒々しい展開になっていたかもしれないと思うと、その時ばかりはフックが外で遊んでいたことを感謝するサンポだった。
「さぁ、お手伝いしてくれた人たちも、ナターシャを心配してくれたフック様にも、ご褒美ですよ」
務めて明るく、サンポは懐から袋を2つ取り出す。それは、子供達が大好きな───。
「スノウキャンディだ!!」
わ、と歓声が上がり子供たちがサンポの元に群がる。頂戴と手を伸ばす子供達へ、良い子は並んでくださいねと言う。
「……どうしたのそれ」
「買ったんですよ、ちゃんと。領収書見ます?」
「いえ、いいわ。……サンポ、君って子供には甘いというか優しいわよね」
「まぁ……子供には何の罪もありませんから」
一人に二つ、キャンディを握らせるサンポの言葉にはいつもの軽さはなかった。
「それは、そうね」
ナターシャもそれ以上は言わない。配り終え、子供たちが和気藹々とそれを食べる中、サンポは息を吐いた。
「そうだ、納品物。壊れ物ではないと分かっていましたけど、ぶちまけてすいません」
「いいのよ」
「個数確認しましょうか」
そう言って立ち上がろうとするサンポに、ナターシャは口を開けて、と言う。
「口?」
「小さくていいから」
「……?」
怪訝な顔をしながら、サンポは言われたまま小さく口を開けば、ナターシャはそこに何かを突っ込む。
「ご褒美」
舌に触れるそれは甘い。スティックキャンディを口に入れられたのだと、理解したサンポは、ふふ、と笑う。
「どうも」
甘さの広がるそれは、グレープ味だった。