ナタンポ「サンポ、君って踊れるのかしら?」
唐突の質問だった。医療器具を整理していたサンポは、思わずその手を止める。なんて?と聞き返せば、ナターシャはそっくりそのまま、同じ言葉を2度言った。
もうみんな寝静まった夜、診療所でのことだった。
「……なぜ急にそんなことを?」
「特に意味はないわ。ただの話題としての質問」
マスク越しにそう言って、ナターシャは同じように医療器具を整理し始める。ゴム手袋越しに掴まれたメスが、明かりに照らされ鈍く光る。
「まぁ……踊れますけど。でもジャンルによりますよ」
「社交ダンスは?」
「あー……。一応はってところです。あまり自信はないですよ」
「そうなの」
最後の一本を置いて、ナターシャはゴム手袋を外した。マスクも取り、ふぅと息を吐いた後で、サンポに右手を差し出す。その意図が理解出来ず、ただ見つめるだけのサンポにほら、と促した。
「踊りましょう」
「曲も無しに?」
「あら、必要かしら」
ナターシャはそう言いながら、足で一定のリズムを刻み出した。これでいいでしょう、と彼女は微笑んでいる。
彼女がどういうつもりか知らないが、仕方ないですねと困ったように笑ってサンポはその手を取った。
「上手くリード出来なかったら、すいませんね」
そう言い、サンポはナターシャの手を引いた。彼女の刻んだリズムを継いで、音を取る。恐らくこの曲のリズムだろうと、口ずさめば、良く分かったわねとナターシャは笑った。
見る人が見れば、ぎこちないダンスだろう。養子とは言え、ベロブルグの医者の家に引き取られたナターシャの方が、社交ダンスの経験は上だ。対して、“商売”の為に覚えたサンポでは、動きの精巧さに如実に違いが現れている。
「サンポ」
「はい?」
「交代」
「えっ?」
くるりと回って、ナターシャはサンポの腰を強く引いた。交換ってそういう!?と声を上げる彼に対し、ナターシャは笑った。
「ち、ちょっと!僕こっち側分からないんですけど!」
「大丈夫よ、リードしてあげるから」
「ナターシャ!」
足がもつれ掛けるサンポを、上手いこと補助して、今度はナターシャが曲を口ずさみ始めた。体格差があるにも関わらず、彼女は踊る。
「……楽しそうですね、ほんと」
「君は楽しくない?」
問われれば、楽しくない、とは言えず。サンポは曖昧に微笑んだ。
深く息を吐いて、サンポはその場に座り込んだ。汗だくの彼に対し、ナターシャは涼しい顔でタオルを差し出した。
「思っていたより上手だったわよ」
「それはどうも……」
結局、ナターシャが満足するまで踊った。何度も男女の立ち位置を交換して、曲のリズムを変えて。誰も見ていない舞台で2人、散々踊り明かした。
慣れない動きをしたせいか、疲労感がすごい。汗を拭いて、一息ついた後に波のように眠気が訪れた。瞼が重い。
「……なんで急に社交ダンスを踊ろうと思ったんですか」
「昼間に、子どもたちが踊りたいって言ったから教えてたのよ。そうしたら、私も久しぶりに踊ってみたくなって。……私と踊ってくれる相手なんて、君ぐらいしか思いつかなかったから」
「オレグさんとかいたじゃないですか」
「オレグはダメよ。こういうことには、てんで」
「左様で。……あれ?ってことは、僕、都合のいい男ってことですよね、それ!?」
「あら、そういう風に取る?」
悪戯っぽく微笑んで、ナターシャは座るサンポの頭を撫でた。上手くはぐらかされたような気がして、サンポは少し面白くない。
「弄ばれるのは趣味じゃないのですが……」
「いいじゃない。たまには必要よ」
「はいはい」
「拗ねた?」
「拗ねてませんよ。まぁ、考えてみても都合のいい男の方が立ち位置的にはありがたいですし」
そう言って、サンポは立ち上がる。
「また何かあれば、この都合のいい男を頼ってくださいね」
「根に持っちゃって」
泊まって行けば、とナターシャは言った。それを断って、サンポは診療所の扉を開ける。
「今の僕は怪我人でも、病人でもないのでね」
真っ当な理由だった。そうね、とナターシャはそれを飲み込んで、外に出るサンポを見送る。
「また踊りましょう、ナターシャ。その時までには、練習しておきますから」
「1人で?」
「あっはっは。まぁ、適当に」
なんとなく、サンポなら1人でも練習してしまうような気がした。特に根拠はないが。
「次に踊る時はいつかしらね」
「さぁ?そうですね……」
少し考えた後、サンポは言った。
「上層と下層が、繋がった時とか?」
その言葉に、ナターシャが笑う。
「そうね、その時また踊りましょう、サンポ」