ナタンポ「はぁい、今日の納品分です」
「お疲れ様、ありがとう」
置かれた木箱。サンポは大きく伸びをして、息を吐き肩を回す。それを横目に、ナターシャは早速検品を始めた。
診療所内は、珍しく人がいない。みんな出払っているようだった。
「……あの後はよく眠れてる?」
「まぁ、夢は見なくなりました。いつも通りね」
そう言って納品書を机の上に置いて、サンポは壁に背をつけた。ナターシャの検品が終わるのを大人しく待っている。
「怪我もしてませんし、いい子でしょ」
「それが普通なのよ。医者に頼らない生活が1番だわ。……嘘つきは、いい子では無いけどね。サンポ?」
「あははぁ、なんのことでしょう?」
「そこに座って、服を脱いで。背中を見せなさい」
木箱の蓋を閉じたナターシャは、サンポの腕を引いて椅子に座らせた。脱がなきゃダメ?というサンポを、視線だけで黙らせる。渋々といった様子で、彼は服を脱ぎ始めた。
「……酷い打撲と裂傷。どうしたの?」
「いやぁ、ちょっと。ヘマを……えへへ」
「なにか重いもので殴られないと、こんな酷いことにはならないのだけど……」
サンポ自身で治療したのだろう、雑に貼られたガーゼを剥がし、背中に広がる傷にナターシャは顔を顰めた。
「まぁ、ほら。最近治安も良くないから、あいたたたっ!薬を塗るなら言ってください!染みるんですよ!」
「文句言わない。怪我をしてる時点で痛いでしょ」
ゴム手袋をし、背中の傷に薬を塗り込みながらナターシャはサンポを叱る。怒られ、えへへと笑ってサンポは大人しくしていた。
「……裂界の物資調達は、やっぱり危険ね。やめましょう」
「誰も裂界で怪我したなんて言ってません」
「打撲と裂傷の傷が同時に、同じところにできるなんて普通じゃ有り得ないのよ。それこそ、裂界生物でもない限り」
ナターシャの言葉に、サンポは大丈夫と返す。
「次はヘマなんてしません。僕、1つの失敗から3つは学ぶ男なので」
「やっぱり、裂界で怪我をしたんじゃない……」
ため息を飲み込んだ。サンポが怪我をしたのは、地炎としての依頼が元だ。それを隠したことを怒りは出来るが、怪我をしてきたことを憂う権利はない。
薬を塗り終わり、ガーゼを貼った上から包帯を巻く。
そうだ、とナターシャは1つ思い出す。
「サンポ、1つ思い出したわ」
「なんです?」
「座薬を用意したの。君のために」
「なんて?」
「だから、座薬」
「話の繋がりが見えませんが?」
「繋がりなんてないわよ。思い出したって言ったじゃない」
「……聞きますけど、なんの座薬です?」
「睡眠薬。丸薬じゃ効かないって言っていたし、その調子じゃ粉薬もダメそうだから。注射も考えたけれど、言ったところな毎日大人しく診療所に来る君でもないでしょうし」
「い、いや……申し訳ないですけど、遠慮します」
「あら、タダで貰うのが嫌?なら、今回の報酬に付けるけど」
「そういう訳でもないです!」
「もしかして、座薬が苦手なのかしら?」
ナターシャの言葉に、サンポが一瞬言葉を詰まらせた。背中を見せているから、彼の表情までは伺えない。
「入れ慣れれば苦しくないわ。子供たちも、昔はよく嫌がっていたけど最近では慣れた子も多いし」
「そういうわけでは……」
「自発的に入れるのが苦手なら、最初のうちは私が手伝ってあげてもいいけど」
「この状況で言われるの、あまりシャレになってないんですけど……」
「シャレじゃなくて、医者として言っているもの」
「…………」
サンポが大きなため息を吐いた。そこでようやく、ナターシャの方を向く。
「……自分で入れられるので、大丈夫です」
「分かりました、後で渡すわ。それから、薬や包帯を取り替えなきゃ行けないから、しばらくは毎日来て頂戴」
「3日に1回とかは……」
「ダメ」
はっきり言われ、サンポは肩を竦めた。ナターシャには何故か逆らえない。あの夜に、仮面の下を見られたからか、それとも元来彼女に人を従わせるようなカリスマがあるのか。
実際、ナターシャは強い。言いたいことをきっちりと言い、しかし言葉は選ぶ。人を傷つけない会話を心得ている。他人を思いやる余裕がある。
この下層部において、彼女のような人は貴重だ。子供たちも、厳しいながら優しいナターシャを慕うのもよく分かる。
だが、ナターシャは一人しかいない。
「……痩せました?」
「はい?」
「いやだから、痩せました?なんか、前より細い気がするんですけど」
「女性になんてこと聞くの」
「遠回しに聞いても、答えてくれないでしょ」
サンポは服を着ながら言った。ナターシャからすぐの返答がないことに、やっぱり、と顔から笑顔が消える。
「医者の不養生ですよ、それ」
「……それを言われたら痛いけど、ここでは私の代わりはいないもの。大人たちはみんな、余裕が無い。自分のことで精一杯。それが悪いわけじゃない」
真顔のサンポの視線を受け止めきれず、ナターシャは少し視線を逸らした。
「仕方ないのよ」
「……そーですか」
ジャケットを着たサンポは椅子から立ち上がる。もう帰るのね、とナターシャは言っていた通り、薬を渡そうと棚を開けた。
「僕が手伝いましょうか」
「え?」
予想もしていなかった提案に、ナターシャは固まる。
「そんなに難しいことは出来ません、医者じゃないんで。でもまぁ、いないよりマシぐらいの働きはしますよ」
「君には危険を犯して裂界に物資を取りに行ってもらってる。これ以上は望めないわ」
「なら、バイトってことにして下さい。顔出すの不定期ですけど」
引かないサンポに対して、ナターシャは困惑する。その様子を見て、子供たちが、とサンポは切り出した。
「心配してるんですよ、貴女の事。痩せた、疲れた顔してる。大変そうってね」
「なんでそれを君に」
「ご存知ない?僕、これでも子供受けはいいんですよ」
先程とは逆に、サンポがナターシャを椅子に座らせた。
「なにか出来ないかと、子供たちも最近躍起になってまして。以前なんか、フックさんのモグラ党がリベットタウンに行くと言って聞かなかったんですから。連れ戻しましたけど」
「……もしかして、その傷」
「怒らないであげてください。あの子たちなりに、貴女の力になりたいんですよ。みーんな、ナターシャのことが大好きですから」
「…………」
黙り込むナターシャに対して、サンポは笑っている。さぁて、とわざとらしく声を張った。
「まず何からしましょう?見習いなので、とりあえず掃除からでいいです?」
「そうね、薬品に触るには早すぎるわ」
「はぁい。それじゃあ、診療所をぐるっとはいてきます」
「……サンポ」
「はい?」
「ありがとう」
ナターシャの言葉を背中で受け止める。サンポは左手を軽くあげてひらひらと振った。