ジェパサン 🛡が💣を寝かしつける話(付き合ってない)「あまり、眠れていないのか?」
ジェパードの問いに、サンポは赤いジャケットを羽織ろうとする手を止めた。日付が変わらんとする夜、ベロブルグの裏路地には2人だけしかいない。サンポは薄汚れた壁を背に、怪訝な表情でジェパードを見ていた。
「急になんです?」
「いや、顔色が悪いと思って」
「それよりも無為な取調べについて謝罪すべきでは?服まで脱がせて持ち物検査までしてぇ……善良な一般市民に罪を被せようとするなんてぇ……このサンポ、貴方様が思うよりも心が柔らかいのですよ」
しくしくと泣き真似をするサンポに対し、ジェパードは腕を組んで厳しい表情をしている。分かってはいたが、この程度の演技で心揺らぐような男ではない。ジャケットを着直して、サンポは肩を竦めた。
「まぁとにかく、貴方がなぜそう思ったのかはさておいて……僕はいつも通りですよ。お気になさらず」
「答えになっていないし、お前が疑われることに対して怒りを覚えるのならば普段の立ち振る舞いを直せ」
「ひん……今日は言葉がお強い……」
怯える仕草をすれば、ジェパードがため息を吐いた。
「いつもより、目の下のクマが濃い」
「はい?」
「唇も血の気が薄い」
そんなわけないと言うとして、サンポは口を閉ざす。伸びてきたジェパードの両手が、強くサンポの顔を掴んだからだ。
「僅かにだが、目も充血している」
「ち、近いんですけど……!」
鼻先が触れそうなほど、ジェパードの顔が近づいてくる。逃げようにも、背後は壁だ。眼前に近づく青い瞳は、真剣な眼差しを持ってサンポを射抜く。
サンポが眠れていないのは、事実だ。気分の落ち目というべきか、夢見が良くない。飛び起きるようなものではなく、じわりと真綿で首を絞められるような悪夢に苛まれている。苦しさに目を覚ますことも出来ず、起きた時に足元に未だ夢がころがっているかもしれない恐怖。鮮明に思い出せる内容に気分も悪くなる。結果として、サンポは深い眠りに落ちることを拒絶していた。
そもそも、ショートスリーパーは夢を見ないはずなのだ。それが夢に精神を犯されるなど、一体どういう了見か──見えない不安の具現は、サンポではどうしようも無い。吹き出るそれを止めるすべも持ち合わせていないのだから。
だが、それをバカ正直にジェパードに話す義理もない。追う側と追われる側の関係に、そこまでの深入りも必要ないはずだ。
「貴方に、そこまで心配されるようなことは無いはずですが……!」
「当初の質問に対し、お前は否定をしなかった。眠れていないんだな?」
「とりあえず離れて貰えます!?」
サンポが叫ぶように懇願し、彼の肩を強く押す。そこでようやく、ジェパードはその顔を離した。だが、顔は解放して貰えない。
「僕が眠れているかどうかなんて、貴方が気にされるようなことはないはずです。僕のことを思うのなら、どうか放っておいてくださいませんか?」
「それは無理だ」
「どうして」
「想いを寄せている相手がこのような状態で、放っておけるほど僕は器用じゃない」
──なんだって?
ジェパードの言葉を聞き間違えたのかと、サンポは思う。しかし、彼の真剣な眼差しは聞いた言葉が全て真実だと物語っていた。
何故、ジェパードがサンポに恋心を抱くに至ったのか理解が出来ない。追いかけてるうちに、それを恋と勘違いしたとでも?
目の前の堅物が、自分のような男にうつつを抜かす可能性があるとすれば、それは愉悦だ。どうせ童貞だろう彼に、初めては男ということで身体を許すことも吝かではないにしろ──。
「今、言うことじゃないと思いますがね、その告白は……」
「ぼ、僕だって今言うつもりは無かった」
少し言葉を吃らせて喋るジェパードは、未だにサンポの顔を離さない。最早サンポも抵抗する気も無く、彼の言葉の続きを待った。
「だが、僕がこうする理由をお前に……君に納得させるには、言うしか無かった。気持ち悪いと思わせたのならば謝る」
「いや別に、それはいいんですけど……そこまで仰るのです。眠れない僕に対して、何かやりたいことがあるのでは?」
「ある」
「即答なんですねぇ……詳しい内容を聞いても?」
いつまでも掴んでくるジェパードの左手に、頬を擦り寄せサンポは問いかける。
その仕草に驚いたのか、僅かに彼の瞳が見開いた。
「き、君にちゃんと寝て欲しいだけだ。そのための環境作りと、その……」
「その?」
「君が、眠れないようなら僕が寝かしつけたい。悪夢を見ているなら起こす」
「つまり、添い寝ということですか?」
「そ、そこまではしない!」
素っ頓狂な声を上げて、ジェパードは何度も首を横に振った。添い寝程度でこの反応だ、やはり童貞だろうこの男は──主問題はそこでは無いと分かりつつ、サンポはほくそ笑む。この時点で、ある意味の現実逃避とわかっていながらも。
「……分かりました。まぁ眠れていないことは認めましょう。貴方のやりたいことについても、受け入れることにします」
「えっ」
「寝かせてくれるんでしょ?悪夢を見ても、貴方が護ってくれるというのならば……」
だらりと垂らしていた右手を上げ、ジェパードの篭手のついた右手に触れる。愛おしく鉄の表面を撫でて、サンポは自身の唇を舌先で舐めた。
「これほど、心強いことは無い」
◎
ジェパードが己に恋心を抱いているというのならば、少なからずそこには劣情も伴うはずだ。
彼が寝かせてくれるというのならば、まぁそれなりの行為をしても問題ないだろう。サンポにはそれなりの経験があり、堅物で純粋な相手ほど肉欲に落とす愉悦というのは計り知れない。
そんなわけで、サンポとしてはジェパードに抱かれる気満々であった。最初からサンポかネコ側で確定なのは、快楽を与えるより与えられる方が好きだからなのもある。何より、自身の身体に溺れ求める相手を見るというのは中々に──金と引き換えに、肉体を許し多くの男を竿を咥えてきたサンポにとって、身体もひとつの商品だ。それなりの自信は持ち合わせている。推定童貞だろう彼を落とすなど、造作もないことだ。
まさか、ジェパードの家に招かれるなんてことは無いだろう。連れていかれるとすれば、ラブホテルか普通のホテルか──どちらにしても、一夜の過ちを犯すにはうってつけの場所。
そう、思っていたのだが。
「君、寝具は何を使っているんだ?ここまで肩が凝るなんて、そうそう無いぞ」
「いやぁ……賊の寝る場所なんてたかが知れてると思いますが……」
ホットアイマスクをつけたサンポは、ジェパードの言葉になげやりの返答をした。座っているベッドの縁はふかふかで、ホテルの室温も過ごすにはちょうどいい。現在、シルバーメインが誇る戌衛官に肩を揉まれているサンポは、マッサージの気持ちよさに時折声を詰まらせていた。
適度な設備、豪華過ぎない内装。しかし、揃っているものは全て一級品。何が楽しくて、戌衛官に寝かされるためだけにスイートルームにいるのだろうか。
「君ははぐらかすことが得意だな」
「んっ、ふ……いや、答えようにもいつも寝ているベッドなんてよく分からな、っ」
「すまない、強くやりすぎたな」
ジェパードの指が、肩のツボを強く押す。痛みにサンポは呻き、アイマスクを外して後ろを向いた。
「そもそも、なんで僕はマッサージなんてされてるんですか」
ジェパードの仕事が終わる1時間ほど待ち、そしてホテルへ連れ込まれた。その時彼が持参していたのは、サンポを寝かすための道具たちだ。肩を揉むために塗り込まれたアロマローションは、ホカホカと温かさを肌に伝えてくる。
「言っただろ、君を寝かしつけると。その為の下準備だ」
サンポへの好意を隠すことなく、ジェパードは言い切った。このまま2人きりて1晩を明かす男のセリフとしては、満点だろう。しかし、やっていることはただの肩揉みだ。なんのムードもない。
「貴方、僕のことが好きなんですよね」
「そうだが」
「なら僕のことを襲えばいいじゃないですか、そのまま1発ヤれば疲れでぐっすりで、いっだぁ!?」
それ以上の言葉は、肩を強く押されることによって阻まれた。真顔のジェパードは、サンポの肩を撫でて優しく叩く。
「馬鹿なことを言うな。僕たちは付き合っているわけじゃない。性的接触は避けるべきだ」
「シたいことは否定しないんですね?」
「…………」
「シたいんですね、僕と」
会話の流れを掴んだサンポは、都合悪く口を閉ざすジェパードに対してニヤリと笑う。肩に触れる彼の手を掴んで、誘う様にその手首に軽いキスを落とした。
「良いんですよ?貴方の思うまま、僕を抱いても……。こう見えて、それなりの経験はありますから多少の無理もききますし?」
サンポは目を細め、煽るように舌を這わせる。身体を揺らすジェパードは、深く息を吐くとともにサンポの手を払い除けた。自由になったその手で、再び肩を強く掴んでくる。
「なら返事をくれないか、サンポ」
「……えっと」
告白に対する答えを求められ、困ったようにサンポは言葉に迷う。
「……次は半身浴だ。立てるか?」
サンポの言葉を待つことなく、ジェパードに背中を押される。マッサージをするなら、先に半身浴じゃないのかと思うも、サンポは何となく突っ込む気になれなかった。
肩揉み、半身浴中の足裏マッサージ、浴室から室内へ戻れば優しいアロマの匂い。
「ほら」
そして、蜂蜜入りのホットミルクを手渡される。ジェパードが作ったらしいそれは、甘く穏やかな匂いを漂わせていた。
「……至れり尽くせり、ですね」
「君を寝かしつけると言ったからな」
何事にも対価は必要だ。このジェパードの行為と好意に対して、サンポは何かしらで返さなくてはならない。肉欲での取引は、既に封じられている。
自分は、彼に何を返せるだろうか。施しを受け、借りを作るのは信条に反するサンポにとって、この状況は居心地が悪くなる一方だ。
いっそ、襲ってくれた方が楽だというのに──そう思いながら、ベッドの縁に腰掛けてホットミルクを一口飲む。甘すぎず、優しい味が舌を撫で喉を通り過ぎていった。ジェパードは立ったまま、その様子を見ている。
「飲んだら、身体を横たえて。目をつぶっていたら、眠れるはずだ」
「これ、貴方になんのメリットがあります?」
「僕の好きな人が安眠出来る。それが僕にとってのメリットだ。そこに、何か問題でも?」
「……いや」
それはメリットとは言わないのでは──そう思うも、これ以上のやり取りは無駄だとサンポは一方的に会話を打ち切った。
ホットミルクを啜り、今後彼に対してどうやって借りを返そうか考える。これはシルバーメイン戌衛官のジェパードとしてではなく、ジェパード・ランドゥー個人に対する借りだ。犯罪者の情報を流すことや、目下活動を控えることはなんの意味も無い。
「僕に、なにかして欲しいことはありますか?戌衛官としてではなく、ジェパード個人として」
結局、何も思いつかずにジェパードに聞くことにした。サンポは笑みを取り繕い、彼の答えを待つ。
「君に寝て欲しい」
「それ以外で、お願いします」
これから寝るだろうが。
しかしジェパードも無欲に近い人間なのか、暫く考え込んでから首を横に振ってしまった。
「僕個人から、君に願うことは無い」
「そうですか」
「正直、本当に好きで……やりたいことの方が多すぎる。その中で、君に対して負担の軽いものを選ぶことが出来なかった」
訂正、ジェパードは無欲ではなく欲深い人間である。
まさか、多すぎるあまりに選べないと言われると思っていなかった。ほとほと、人を困らせるのが得意な男だ。サンポは苦笑いを浮かべ、ホットミルクを飲み干す。
「なんでそんなに僕のことが好きになってしまったんです。憎き犯罪者なのでしょう、貴方の中では」
「僕としても、その認識だったはずなんだ。だがどうしてだろうな……。どうにも、自然と思考が君で埋め尽くされてしまう。それがいつからかも、覚えていない」
「僕を考えすぎるあまりにそうなったとか、そういうわけではなく?」
「違うと断言出来る。君の言うように、考えすぎるあまりの勘違いならば僕はこうしていない」
そう言ってジェパードは片膝を着いて、サンポを見上げるようにひざまづいた。無骨な手がサンポの手に触れ、愛でるように指先が皮膚を撫でる。
「本当に、君が好きなんだ」
「……参りましたね」
この分では、キッカケなんてジェパード本人も分からないのだろう。気がつけば虜だなんて、どんなフィクションドラマだ。
同性で、歳上の人間を好きになるなどねじ曲がった性癖もあるものだ──ふと、歳上が好みなのはジェパードが敬愛している姉の影響かもと考えて、サンポはその考えを打ち消した。
「……不誠実と思われるかもしれない。だが僕としては、好きになった理由なんてどうでもいいと思っていて」
言うか迷ったのだろう、口を開くまでに少しの間を置いて、ジェパードは言う。
サンポの手を撫でる彼の手が、空になったコップに触れた。
「君を好きになったこの事実は、変わらない」
その言葉を紡ぐ彼の声色は、サンポが聞いたこともない程に柔らかく、微笑む顔は優しいものだった。
それに対し、サンポは言葉を返さずにいる。今、自分がどんな表情でいるか分からない。演じ切れているのなら、困ったような笑みを浮かべているはずだが。
「さぁ、もう寝ようサンポ。横になって待っていてくれ、今湯たんぽを持ってくるから」
サンポの手からコップを取り、ジェパードが立ち上がる。特に逆らうことも無く、その指示に従ってサンポはベッドに潜り込んだ。
◎
薄暗い室内と、落ち着いた音楽。腕に抱えた湯たんぽの暖かさが眠気を増長させる。子供を寝かしつけるかの如く、ジェパードは一定のリズムでサンポの胸元を優しく叩いていた。
逆らえるはずのない微睡みの中、サンポは思う。この借りをどうやって返すべきか、彼の好意からどう逃げるべきか──けして相容れない立場の2人だ。例えこれが両想いであっても、受け入れてはならない。
何より人情に絆されたくないサンポは、こと置いて恋愛には縁遠くいようと思っていたのだ。だというのに、何の因果かまさかジェパードに惚れられるとは。
(無理だって)
受け入れたら、停滞する。流れている水が止まれば、待っているのは腐敗だ。
何もしなければ、いつか忘れてくれるはず。そうして、ジェパードはまた別の人間と恋に落ちるだろう。それでいい。
両想いであっても、それが最善──
──風の音だけが、そこにある。
吹雪の吹き荒ぶ中、サンポは立っていた。周りは雪原であり、死に絶えた木々の1本も生えていない。指先や足先は既に冷たく、感覚自体が分からなくなっていた。
吐く息は、白い。ただ冷たく、凍える中で、サンポの足元に転がるのは人の形をした氷塊だ。
見覚えのある髪型。顔は見えない。ただ、何十人と倒れているそれらは、一様にサンポへ手を伸ばしている。それは助けを求めているようにも、もしくは怨嗟を孕んでいるようにも思えた。
全てが雪と氷で閉ざされた星の中で、ただ1人、サンポだけが生きている。真実がそうかは分からないはずなのに、その確信を持ってサンポは空を見た。
割れる空の先は虚無だ。何も無い。何も残っていない、暗い底。
失敗したのか。その思いが腹の底でぐるりと回り、息絶えた星の泣き声が脳を揺らす。いや、これは、誰が泣いているのか。
「だから、諦めろって言ったんだ。無理に決まってだろ、星が死に行く運命は変えられない」
誰の声だ。
「君が無駄に抗ったせいで、僕たちは逃げられなかった。逃げ遅れた。死ななくていい命が散った。その責任を、君はどう取るって言うんだ」
知らない──いや、聞いたことがある。それは、何度も。
「サンポ・コースキ。愉悦の顔をしながら、虚無にいる男が……僕たちの命を返せ」
低い声が、さらに低く唸る。
「僕じゃない」
咄嗟に出たサンポの声は、震えていた。寒さのせいか、それとも声が誰のものか理解してしまったからか。
「僕はただ」
「君のせいで死んだんだ、星も、僕たちも──!」
叫び声と共に、手がサンポの胸元を掴みあげる。骨の髄まで凍らんばかりの凍気に、サンポは喉を詰まらせた。口の中から、唾液が凍り始める。
寒い。
「ちが、ぼ、っく、は」
「返せ!!」
ただ、自分がいるべき居場所を守りたかっただけだ──サンポのその言葉すら凍り果て、意識は虚無に飲み込まれていく。
「僕たちの世界を、ベロブルグを、返せ!!」
(……ジェパード、貴方ですら信じなかった。この星は、もうとっくに死んだって言っても)
星核に蝕まれた星は、遅かれ早かれ滅亡する。何百年と、星核と寒波に包まれたヤリーロⅥの寿命などもう無いも同じだった。
(護れなかったのは、貴方も同じなのに)
──違う、彼は護ろうとしたはずだ。人々の命を。星を護れずとも、命だけはと。ベロブルグの意志を宿した子らは、方々に散っても生き続けるならと彼は言うだろう。
それを引き留め、何とかするからと言ったのはサンポだ。果たせなかったのも、殺したのも。
だから、誰のせいかと問えば──。
「僕たちを殺したのは、お前だ!サンポ・コースキ!!」
──それは。
「サンポ!!」
喉元までせり上がってきた絶叫を飲み込んで、サンポは目を覚ます。視界が滲んで、瞬きをする度に目尻から何かが伝い落ちた。手足の感覚がない。ただ、寒さだけがそこにあった。意識は、朦朧として脳の底には気持ち悪さが落ちていた。噴き出す汗を、誰かが拭く。
「サンポ。僕だ、ジェパードだ。分かるか?」
「ぁ……」
声が、出ない。喉奥から凍りついたように、筋肉が動かせずにいる。
あの失敗は全て夢だというのは、すぐに分かった。ジェパードが隣にいて、彼に寝かしつけられていたことまで思い出せる。腕に抱いていたはずの湯たんぽは、感触だけがそこに置いていかれていた。
寒さが、寒くて、冷たさが肺をも凍らせていくようだ。
こうなるから、寝たくなかったのだ。満ちた不安が悪夢になり、吹き出るから。今後のことを考えるだけで怖くなる。
「サンポ、ゆっくり呼吸をするんだ。大丈夫だから」
仰向けのまま動けないでいるサンポの視界に、ジェパードの顔が映る。朧げに映る記憶の彼の表情とは、全く別の顔だった。
「呼吸を整えよう。君の胸を叩きながら、ゆっくりとカウントをするから……奇数で吸って、偶数で吐く」
その言葉を聞きながら、ベッドの軋む音を聞く。縁に座っただろうジェパードが、毛布の上から優しくサンポの胸元を叩き始めた。寝かしつける時と同じテンポで、静かにカウントを始める。
「5……」
(奇数で吸って……)
「6……」
(偶数で吐く……)
サンポは言われた通り、出来るだけ深く息を吸い、吐く。それを繰り返すうちに、寒さに打ち震えていた手足に感覚が戻り始めた。意識は未だに宙を漂っていて、視界ははっきりとしない。それでも、すぐそばにジェパードがいることは分かった。
その彼に、夢の中で命の責任を問われたことはうっすらと覚えている。起きて少しして、サンポはもうその内容のほとんどを忘れかけていた。その頃になると、寝ている足元から這い出す恐怖がサンポを襲う。
現実に戻っても尚、悪夢が追い縋ってくる。この瞬間が、一番恐ろしいのだ。記憶には無い、だが精神に刻まれた恐怖がそれを覚えている。一人ならば、諦めて起きるか、それとも布団を頭まで被って堪えるかの二択しかなかった。
だが、今は側にもう一人いる。
「ジェ、パード」
縋るように、サンポは手をジェパードへと伸ばした。氷解した感覚は、彼の皮膚に触れるなりその体温を拾い取る。熱くて、溶けてしまいそうなほどの彼を感じ取って、サンポは全身に鳥肌が立つのを感じた。
この行動は、ジェパードへ助けを求める行為だ。それを理解するよりも前に、サンポは恐怖からの逃避を選んだ。その腕を力無く掴み、彼をベッドの中へ引き摺り込もうとする。この寒さを溶かして欲しくて──悪夢から、護ってほしい一心で。
「さ、サンポ。それは……」
「護る、って、い、った」
「──……っ」
サンポの掠れた言葉に、ジェパードは息を詰まらせる。正確に言えば、護るという言葉は言っていないにしろ、そこに秘めた真意は同じだろう。
迷うジェパードは、真っ直ぐにサンポを見つめている。いつの間にか叩くことをやめた手は、強く毛布のシーツを掴んでいた。
「ジェパ、ド」
懇願するような声色で、サンポはジェパードを呼ぶ。
「いっか、いだけで、いいから」
まるで子供が親にねだるようなサンポの物言いは、本来ならばしないことだ。しかし、この寒さと氷は1人では溶かせないと朧気な意識の中でも分かっている。
とにかく、誰かに──ジェパードに、いて欲しい。
「……君のことは抱かない。隣にいるだけだ。添い寝をするだけ。いいな、サンポ」
ジェパードは腕を掴むサンポの手を優しく取って、甲にキスを落とした。皮膚を走る痺れが鳥肌となり、サンポの脳を揺らす。波紋する暖かさが、そこから恐怖を蕩して。
「はい」
ゆっくりと頷いたサンポの隣に、ジェパードは身体を横たえる。一緒に毛布を被って、彼の腕がサンポを包み込んだ。
(……暖かい)
人の温もりがそこにあって、一人ではない事実が浸透していく。ジェパードの胸元に頭を預けて、サンポは深く息を吐いた。
「ゆっくり眠ってくれ、サンポ。もう大丈夫だから」
冷えた足をジェパードの足に絡め、サンポは頷く。毛布に伝う互いの体温が、融解して──恐怖は飲まれて、消えていた。
「僕がいる」
その言葉が、サンポの中に静かに落ちていく。残っていた微かな意識は、再び眠りの淵に身を落とした。
◉
湯たんぽとは違う暖かさに包まれながら、サンポはその意識を完全に覚醒させていた。開いた視界に見えるのは、本来なら見ることの無い寝顔だ。
(髭、生えるんだ)
穏やかな寝息を立てる彼の口元を、サンポはそっと指先で撫でる。そこに生えた短い髭が皮膚を引っ掻いた。
──それで、何故ジェパードが己を抱き締めて眠っているのか。その理由を教えてくれたりはしないのだろうか。
彼のたくましい腕に包まれているサンポは、そこから抜け出すことはとうに諦めていた。ガッチリと、胸元に頭を預けるように固定されたまま、全くもって動けない。絡む足は、指先まで触れ合っている。
お互いに服を着ていることから、一線は超えなかったようだ。酒に溺れていた訳でもない、そのような行為に至ったのならサンポは覚えているはずだし──。
(昨日、僕は悪夢を見たんだったか……?)
途中で覚醒したような、していないような曖昧な記憶だけがあった。しかし、あれほど添い寝をしないと言っていたジェパードがこうして隣で寝ているのだ。それなりの事が起きて、最終的に添い寝に落ち着いたのだろう。
何時間眠ったのかもサンポは覚えていない。しかし、久方振りの睡眠は、心地いいものだった。
とりあえず、身体を起こしたい。ジェパードが覚醒する前に、ここを立ち去らなくてはと思うが──何度か身をよじるも、やはり彼の腕の中から抜け出せそうになかった。
これは、ジェパードを叩き起した方が早い。そう思うが、彼の目の下に見えるクマを見てしまったからにはそれも躊躇われた。人を寝かしつけると言っておきながら、自分だって寝不足だったじゃないか。
ジェパードの様子に気がつけないほど、前日までのサンポは疲労していたという事実にも気がついてしまった。
溜息を漏らし、サンポは再度目を閉じる。とりあえず、この借りを如何に精算するかを考えなくては──。
「サンポ、起きてくれ。すまない、もう昼を過ぎている」
サンポの薄い微睡みを破ったのは、ジェパードの慌てた声だった。いつの間にか逞しい腕から開放された身体を起こし、サンポは欠伸を漏らす。隣で座るジェパードは、生えた髭もそのままに困った表情を浮かべていた。
「昼過ぎ……」
「寝すぎてしまった、君にも用事があったろうに……すまない」
「いや別に……あの……。いえ貴方、仕事は?」
何故ジェパードが添い寝していたのか、聞こうとしてサンポはやめた。自分が見せたかもしれない失態については、知らない方が良いだろう。
「今日は休みなんだ。僕については心配しなくていい」
頷くようにして、サンポは大きく体勢を崩した。それを抱き留めたジェパードの肩に頭を擦り付けて、そういえばと口を開く。
「この借りをどう返そうか悩んでいて……貴方、僕とやりたいことが多くあるって言ってましたよね。例えば、何がしたいんですか?」
「な、何が?」
「エッチなことを考えてます?別に、僕は構いませんけど」
サンポが揶揄う様に聞けば、ジェパードは何度も首を横に振っているようで彼の身体が小刻みに揺れる。それが面白くて、サンポはくっくっと押し殺した笑い声を漏らした。
「とりあえず言ってみてください。それが負担の大きいことかどうかは、僕が決めます」
一晩着ていたジェパードのシャツは、しっとりと汗の匂いがする。互いの体温が残った毛布の中で、サンポは急かすように足を動かした。
考え込むジェパードは、咳払いでその行動を咎めようとしてくる。サンポは彼に身体を預けたまま、まだ残る眠気に微睡みながら答えを待った。
「……君と、黄金シアターで演劇鑑賞がしたい。その後に食事でも出来たらと思う」
「すごいですね、もうそれ定番のデートプランですよ」
「だから言ったんだ。その、恋人とするようなことを僕は君としたい」
「いやまぁ、友人として遊ぶプランにもなり得ますけどね。デートか遊びかは当人たちの心次第……いいですよ、今言ったことやりましょうか」
その程度なら、サンポの負担になどなりはしない。どうせ金額の支払いはジェパードが持つだろう。
それに──。
「貴方の時間を頂いてしまった。そのお返しに、僕も貴方へ時間を捧げなくては成り立ちませんのでね」
「ほ、本当にいいのか?」
「構いませんよ。詳しい日時などのすり合わせはまた今度……とりあえず、約束」
そう言って、サンポはジェパードに身体を預けることをやめた。右手の小指を、彼の前に差し出す。
「サンポ?」
「指切りげんまん、しておきましょう。僕は約束を破らない善人ですが……ね?」
分かったとジェパードは頷き、左手の小指を絡めてくる。彼の指の方が、サンポの小指よりも太い。爪は、サンポの方が長く綺麗な形をしていた。
「ゆーびきーりげーんまーん……」
嘘をついたら──針千本ではなく、尻叩き。
そんなことを言えば、ジェパードが笑う。子供じみた儀式、最後に指を切って約束を灯した。
「はい、これでよしっと。今度……ああいや、どう予定を擦り合わせましょうかね」
「来週に、下層部に訪れる予定がある。そこで会えないだろうか」
「分かりました。では詳しい話はその時に」
「その時まで悪さをするなよ、サンポ。絶対だからな」
「悪いことなんてしませんよぉ?僕は善良で優しい商人なんですから……ふぁ……」
欠伸をひとつ、サンポは目尻の涙を拭う。髭の生えたジェパードの顎を撫でて、彼の腕を掴んで後ろに強く引いた。
咄嗟のことに対応出来ないジェパードは、そのままサンポと共にベッドの上に身を投げ出す。
「それじゃあおやすみなさい……」
「寝るのか!?」
「寝かしつけてくれるんでしょ〜……?」
晴れない眠気に身を任せ、サンポはジェパードの腕を抱いて目を閉じる。聞こえてきたのは、仕方ないと言わんばかりの彼の溜息だ。
怯えていた夜は過ぎ去った。ジェパードには、サンポを寝かしつける責務を果たしている。
しかし、彼にとってこれは渡りに船だろう。何故ならば、サンポに惚れているのだから。
「ジェパードさん、知ってますぅ?」
「ん?」
布の摺れる音がして、サンポの身体が温もりで包まれる。ジェパードが毛布をかけてくれたのだろう。
「こういうのを、惚れた弱みって言うんですよ、ふふ」
サンポがそう言うと、その通りだよとだけ返ってくる。
そうして夜と同じように、ジェパードの手が優しく、サンポの胸元を叩き始めた。