チュリ星 最終話 中編彼女を呼び出す時、自分でも驚くくらい指先が震えていた。それでも、レイシオの言葉を聞き、鉄騎の少女の激励に背を押されたのなら、もう怯えるわけにもいかない。
何より、一人の少女の好きという覚悟から背き続けるのは、どこかで強く後悔する。
ただの、アベンチュリンとして。その言葉は、基石の名を冠するものではなく──カカワーシャとして。
汗の滲む右手で、端末を持つ。震える左の人差し指で、画面に触れる。なんてメッセージを送ろうか、謝罪の言葉から始まるのは堅苦しいかもしれない。もっとラフに、気軽な感じで。
(ああもう、本当に君は参るよ。星)
メッセージ1つ、場所を送るだけのものだというのに言葉に悩むなんて。
そして何より、大切だと思うものと正面から向き合うことが何よりも恐怖を伴う。
それでも、この左手を背後に隠すことはしてはならないのだ。震えているのが相手に伝わろうが、それを全て見せなくては彼女に向き合うことにはならない。
たった60文字前後の言葉。それをようやく打ち終わったアベンチュリンは、躊躇いを飲み込んで左手の親指で、送信ボタンを押した。
夢の中にいるのは嫌だと、星が言った。
「だって、もしかしたらアンタが逃げるかもしれないから」
その言葉はどこか棘がある。彼女にこのようなことを言わせたのは、アベンチュリンの自業自得だった。逃げ続けたのだから、文句の一つ言われても受け入れるのが筋だろう。
「現実で話したいのなら、そうしよう。僕が君の元へ赴こうか」
人二人分の距離を挟んで、アベンチュリンの提案に星は首を横に振った。
「私から行く。部屋番号教えて」
「……分かったよ。君が先に目覚めて、僕の部屋に来るといい。メッセージが入ったら、僕の夢から目覚める。これでどうかな」
その提案に星は同意を示す。大股で近づいてきた彼女は、間髪入れずにアベンチュリンの腕を掴んだ。その力は強い。
「もう、逃げないよ。信じられないかもしれないけど……信じてほしい、星」
笑いが漏れそうになる程、稚拙な説得だった。いつもの饒舌で、相手を見透かすような語彙はどこへ消えてしまったのか。
こういう時に、飾った言葉はいらないと思っていても、もう少し言える言葉はあっただろうに。
「後一回だけ、アンタの言葉を信じる」
「……ありがとう」
アベンチュリンの腕を掴む星の手が、名残惜しそうに離れていく。その手を掴むことは簡単だが、今はその時ではない。
「待っててね、すぐに行くから。絶対待っててよ、逃げないでね!」
「分かっているよ、逃げないさ」
「逃げたらその尻をバットでぶっ叩くまで追いかけ回すから」
「それは勘弁して欲しいかな……」
星の言葉に苦笑いを浮かべ、アベンチュリンは両手を軽く上げる。絶対だからと、釘を刺して走り去る彼女の背中を見送った。芦毛の髪の毛が左右に揺れ、それはすぐに遠くなっていく。
星が見えなくなってから、アベンチュリンは両手を下ろして深く息を吐いた。心臓が早鐘の様に鳴り響いて、呼吸が乱れている。緊張もあるだろうが、それ以上に星への恋心がそうさせていた。
さて、この後はどう話をしようか。なぜ逃げたのか、星を受け入れないのか、その説明をどう──。
「おっと、早いなぁ。あの子は」
端末が震え、星からのメッセージが表示されている。簡潔に、ついたとだけ書かれたそれに既読をつけて、アベンチュリンは目覚めるべく所定の場所に向かう。
🫧◉🫧
「……まぁ、僕に非があるのは認めるよ。でも、逃げないと約束したし、信じると言ったのは君じゃなかったかな。ねぇ、マイフレンド?」
夢から目覚めたアベンチュリンの視界に広がっているのは、白い布であった。上部には芦毛が揺れている。聞こえてくる息遣いに合わせて、目の前の白い布は膨らんでは縮んでいる。
「こうすれば、目を覚ましても逃げられないと思って」
「やっていることが大胆すぎないかい?」
ドリームプールに身を浸しているアベンチュリンの膝に乗り、両腕を背もたれにつけている星は唇をへの字に曲げている。見上げる形で彼女の顔を見るアベンチュリンは、困ったように小首を傾げた。
「その体勢は辛いだろう?とりあえず、その腕を退けて……」
「うん」
「いや、僕の膝の上に座れって言ってるわけじゃないんだけど」
そう言っても、星はもう膝から退く気配はない。大事な話し合いをしようという時に、なんとも言い難い状態だ。
「それで、私がアンタのことを好きって話なんだけど」
しかし、星は気にせず本題にその手を突っ込んでいった。こうなれば、もうアベンチュリンの膝の上から退けなどと言っている場合ではなかった。これが開拓者としての経験値か、それとも彼女が持ち合わせる天然の力か定かではない。だが、真面目な顔をしている星を前に話の腰を折ることは躊躇われる。
「どうして受け入れてくれないのか、教えてほしい。アンタも、私のことが好きなんでしょ。それは前に言ってたし」
「……そうだね」
そして、遠回しの言葉ではなく直球の言葉を持ってして、星はアベンチュリンの逃げ道を完全に塞いだ。
「その答えを口にする前に、いくつか質問させてくれないかな、星」
「ダメ。答えが先」
「はは、参ったな。今の僕に、交渉する権利もないからね。……星、僕は君のことが好きだ。レイシオから伝言を聞いた時、僕に向けた言葉だと分かっていても、レイシオに嫉妬した。僕より先に、君の口から好きだと聞いた彼を心底羨んだよ」
「それは私の連絡をずっと無視してたアベンチュリンが悪いと思うけど」
「うん、その通り。これに関しては僕の自業自得だ」
ムスッと口をへの字に曲げる星は、フンと鼻を鳴らした。
「星、僕の幸運は誰も守らない。守るのは、ただ僕の命一つだ。存護の神へこの身を捧げていようが、それは覆らない。それが何を意味するか、君に分かるかい?」
アベンチュリンの問いに、星は視線を左右に揺らしている。真面目に考えているようで、彼女は左手を口元に当てた。無意識の癖だろう仕草に、アベンチュリンはほくそ笑む。いや、笑っている場合では無いのは確かだが、久々に星に会えた喜びが滲み出てしまう。
好きなんだと、何度でも思い知らされる。
「置いていかれると思っているの?自分だけしか生き残らないから」
「まぁ、そうだね。僕は勝ち続ける。僕、だけ、が勝ち続けるんだ」
だけ、と言葉を強調する。ここを履き違えられてはたまらないからだ。
「僕が君を受け入れて、晴れて恋人同士になったとしよう。そして、2人で窮地に陥る。そうしたらどうだ。僕の幸運は君の不運になり、君だけが死ぬかもしれない。僕がどう、君を守ろうと命を投げ出してもね」
務めていつも通りに、さも気にしていないとアベンチュリンは軽い声色で話す。気がつけば、いつもの癖で左手をドリームプールの液体に浸し隠していた。右手は喋る度に無意識に動いていて、それに合わせて星の視線もまた移動している。
結局、こうなるのだ。いつものアベンチュリンを演じ、本心や恐怖をひた隠す。ブルーの刻で星を拒絶した時と変わらぬ己に、アベンチュリンは内心で笑い吐き捨てた。
「それが嫌だから、アンタは一人でいるつもりなんだね」
「そうだね」
「私の気持ちがどうでも、それでいいってことなんだ」
「ごめんね、星」
上部だけの謝罪が口をつく。本当に言いたいことはこれなのかと問われれば、アベンチュリンは首を横に振る。だが、それを星に向ける勇気もない。
自身の幸運を持って、結果勝ち続けること。それは、至る過程を顧みないということだ。ピノコニーでの任務は、レイシオやトパーズを巻き込んで動く算段など幾らでも立てられた。そうせず、レイシオを遠巻きに裏切るよう仕立て、トパーズを現実で待機させ続けたのには、彼らを巻き込まないという理由の為だ。
アベンチュリンが一人で動けば問題はない。幸運は自身を生かすために作用し続ける。基石を砕いても尚、この身が億質に落ちても尚──。
「君を、殺したくはないんだよ」
今、自分は上手に微笑んでいることだろう。右手を星の肩に置いて、アベンチュリンは小さく首を横に振る。
「星、これは君の為だ。どうか受け入れてほしい。何、開拓の道を往く一等星たる君のことだから、もっといい相手が……」
「ばっかみたい」
──一刀両断だった。真顔で吐き捨てた彼女は、ただ真っ直ぐにアベンチュリンを見つめていた。道を照らす星々の瞳は力強く、視線を逸らしてしまいたくなる。それを許さないのは、星の瞳が僅かに潤んでいたからだ。
「私の為じゃないでしょ、そんなの。全部、アンタの為じゃん」
それでも星の言葉は強く、正面切ってアベンチュリンへ叩きつけてくる。正論だと苦笑いを浮かべる事も出来ず、ただ彼女の瞳を見つめていた。
「私は、アベンチュリンと話がしたいの。ただのアンタがいい。今のアンタは……馬鹿みたいにカッコつけて、そのくせ逃げるだけの男だよ」
「君の求めるアベンチュリンじゃなかったかな」
「全然違うね」
そう言って、星は立ち上がる。その時に、アベンチュリンの右手を強く引いた。立ち上がれという事だろうか。意図に従う様に立ち上がれば、外に行こうと彼女は言った。
「その前に服脱いで」
「えっ」
「カンパニーとしてのアベンチュリンじゃなくて、ただのアベンチュリンが良いって言ったはずだよ。とりあえず形から入ろう。その派手な服以外にも何か持ってきてるんでしょ?」
「いや、持ってきてはいるけれど……」
唐突の提案にアベンチュリンは戸惑い、正気かと星の顔を見る──あまりにも真面目な表情でいる彼女に、本気なんだと悟るのは早かった。
「着替えるのは良いけれど……君の前で?」
「何か問題がある?」
「問題しかないと思うけどなぁ……」
ズボンはそのままだとしても、上半身の着替えを星に見られるのは気恥ずかしい気持ちが勝る。奴隷時代には持ち合わせなかったものだ。いや、相手が星だからだろうか──。
「分かった、星。逃げないと約束する。だから一旦部屋から出てくれないかな」
両手を上げて、アベンチュリンは全面降参の意思を示した。逃げないと言っても、それに値する信頼があるかは分からない。星が部屋の外で待っていたとしても、このまま足元のドリームプールで夢に逃げるという手も存在するのだ。
これで頷いてくれなければ、大人しく彼女の前で着替えるしかない。
「じゃあ五分。五分だけ待っててあげるから」
星は左手を大きく広げて、アベンチュリンへと示してみせた。その表情は、笑っている。
「分かった、急ぐとしよう」
その条件を飲み込んで、アベンチュリンは星を部屋の外へ出てもらった。扉を閉める最後まで、五分だからと彼女の主張に何度も頷きながら。今から五分で着替えることを承諾したが、さて。
「派手じゃないおとなしめの服、か。買ってたかな……」
星へウインドブレーカーなどを贈った店のショッパーを見て、アベンチュリンはぼやく。この時ばかりは、私服など要らないと自宅に置いてきたことが裏目に出ていた。
◉
シルクで織られたワイシャツ、黒のスラックス。いつもの腕時計ではなく、ダークグレーのそれだ。サングラスはつけておらず、羽を模したピアスも今は外している。
出来る限り、アベンチュリンの思う派手を抜いた服装だ。それを一目見た星はグーサインを出してくれた。どうやら合格らしい。
「カンパニーが買ったピノコニーの株の幾らかを星穹列車に譲渡してくれたみたいで、なんかこのリバリーホテルは私のものになったみたい」
「ああ、ピノコニーの全株の5%を所持していることによって生じる利益のことかな」
私のものというより、星穹列車の所持になったということだろうが──星に管理を任せた、という認識でアベンチュリンは納得した。そこら辺の話は、ジェイドとの管轄だ。詳しい内容は彼女から聞かなければ分からないが、そこは置いておく。
「つまり、ここでのスラーダは飲み放題ってこと!」
そう言って、星は手を腰に当ててふんぞり返っている。現実のリバリーホテル、ロビーの中央でその様な行動は人の注目を集めた。だが、彼女は気にせずにドヤ顔をアベンチュリンへと向けている。その姿を見て、とりあえず拍手を送っておいた。
「とりあえず、スラーダでも飲もうよ。ほらこっち」
星の言葉に、奢るよと返せないアベンチュリンは曖昧に頷く。今、手元に端末はない。お金は持っちゃダメだと、星に言われたからだ。
ただのアベンチュリンがいい──だから、まずは派手な服を着替えさせ、お金を使うなということらしい。プライベート端末は懐に潜ませているものの、カンパニー端末は星に預けたままだ。つまり、業務連絡も何も断たれている。これを星が狙ったかどうかはさておいて、鎧の様に着込んでいた立場は全て持ち合わせていない。
(……5%を所持しているだけで、リバリーホテルの所持権を星穹列車が得ることは不可能なのでは?)
冷静に考え、結論に至ったアベンチュリンが星を止めようと一歩を踏み出す。それは、申し訳なさそうなフロアスタッフが、星に対して首を横に振るのと同時であった。一足遅かったかと思い、アベンチュリンはトボトボと返ってくる彼女を受け入れる。
「お帰り、星。その、残念だったね。僕ももっと早く気がついてフォローを入れるべきだったよ」
「く、5%如きでは屈しないってことか……!」
本気で悔しそうな星の表情は、眩しく見える。なんとなく、アベンチュリンは自身の頬に触れた。いつも通り程よい弾力のそこは、変わらずそこにある。
この表情筋は、いつから演技のために使う様になったのだろうか。少なくとも、プライベート空間において誰かを欺くための笑みを浮かべたことはない、はずだが。
何故、自信が持てないのだろうか。そもそも、ただのアベンチュリンとは一体何を指して、そう定義すればいいというのだ。
「でもねマイボーイ、この開拓者はただでは転ばないんだよ。ほら見てこれ」
マイフレンドではなく、マイボーイという呼ばれ方に気を取られ、アベンチュリンは咄嗟に言葉が出なかった。目の前に差し出された2枚のチケット、その奥で星がにんまりと笑っている。
「ドリンクチケット貰ったの」
「あ、ああ……そうかい、それは良かった。怪我の功名……とはまた違うだろうけど。それは株主優待のチケットだね」
差し出された1枚を手に取り、アベンチュリンは裏面を一読する。思っていた通りのそれだ。この紙切れ1枚で、アルコールを含む好きなドリンク一杯と交換出来る。夢境の中では使用不可と、注意書きがあった。
本来ならば、星穹列車宛に後日郵送されるべきものだ。しかし、本日を持ってピノコニーが誇る飛行客船である暉長石号は星のものになっている。その敬意を示してのことかもしれなかった。
──お金を使えるのなら、こんなチケットで飲むドリンク一杯ではなく、いくらでも飲ませてあげられるのに。
(ああ、いや、違う。こんなことを思っては、彼女に怒られてしまうな)
〝ただ〟のアベンチュリンならば、こんなことは思わないはずだ。いや、それが正解かも分からないけれど──。
ドリンクが一杯。それと、サービスの豆菓子が二袋。星が未成年でないことは知っていたが、彼女が選んだのはソフトドリンクだった。アベンチュリンもアルコール類を飲む気にはならず、なんとなく星と同じものを選んだ。バーカウンターではなく、ホール隅のソファに腰掛けている。
「これ初めて飲んだけど、案外美味しいじゃん」
表層はオレンジ、下層は紫色のドリンクは一見してカシスオレンジのようだ。飾りとしてつけられた鳥の羽を外し、アベンチュリンも一口飲み込んだ。舌を滑るマンゴー、その後にベリーの味が追いかけてくる。
「うん、飲みやすいね。ただ……僕にはちょっと甘いかもしれないけど」
「苦手だった?」
「ああ、いや。ごめんね、星。そういうわけじゃないんだ」
「謝らなくていいよ。アンタの事、もっと知りたいからそういう事はバンバン言って」
「……そんなに僕自身のことを、君に話していなかったかな」
「少なくとも、食べ物に対する好き嫌いは聞いてないけど」
星の言葉に、アベンチュリンはそうかと思い至る。彼女と会い、話したことは取引のことばかり──もしくは、彼女の話を聞いていたか。自ら、好みの話等はしてこなかった。
知られたくなかったのか。それとも、アベンチュリン自身が己に無頓着だというのか。
「アンタはギャンブル、好きでしょ」
「まぁ、そうだね。勝利の瞬間、その後の長い空虚感……何度だって味わってもいい」
「生きてるって思えるから?」
その指摘に、アベンチュリンはグラスを傾ける手を止めた。液体は縁ギリギリで止まり、元に戻っていく。星の方を見やれば、彼女の手元のグラスはもうほとんど空だった。氷だけが、じっくり溶けている。
「スリルのドキドキが、自分が生きている証拠……そういう人は、たまに見るんだ。それが悪いと言うつもりはないんだけどね。ただ、まぁ……」
「良いよ、率直に言っても」
「……寂しいなって思う」
その指摘に、アベンチュリンは言い返すことをしなかった。ギャンブルに勝ち、手にしたチップを見て何の役に立つのか嘲笑う。祝福された運を振り翳し、約束された勝利を望みながら、勝ち続けるのはつまらないという矛盾した悩み。
「そうか、君に僕はそう見えていたんだね」
星の言った寂しいという言葉には、一体どんな感情が込められていたのだろう。残念ながら、今のアベンチュリンにそれを汲み取る事はできなかった。ただの、アベンチュリンには。
これが、取引ならば。カンパニーとしてのアベンチュリンならば。語る少女の顔色、声色、瞳の動き、それらからある程度のことは予測し立ち回るのだろう。
「でもね、星。僕にとって示す価値というのは、それしかないんだよ。ギャンブルであれ、取引であれ、僕は勝つ。負ける事はない……許されない」
不意に、脳裏を過ったのはカカワーシャの過去だった。姉の死を、同胞の無念を、同じ奴隷の怨嗟を、その素足で踏みつけ立っている。幸運を願われ、幸運で弄ばれたあの時間を自身の価値に置き換えるのならば、アベンチュリンは例え武器がダイス1つでも勝ち続けなくてはならない。
「勝ち続けるんだ、必ず。この運で、どんな取引を持ち出されてもね。ほら、実際僕は勝っただろう。君はよく知らないだろうけれど、僕という一枚のチップを経て、カンパニーはピノコニーを再び手中に収めることが出来た。勿論、いっときは危なかったけれど僕も無事に帰ってこれた。どんな危険な取引であっても、僕はコインの裏を出さない。常に表を出して、無限の資産を……」
「それでも、運に頼ればいつかは負けるんじゃないの?絶対はないし、全ては確率。だから、人はそれを運と呼ぶんでしょ。必ず勝つギャンブルはもう、ただのイカサマに過ぎないと思うけれど」
「それは……痛い指摘だな。でも、これだけは信じてほしい。万全の支度はするけれど、僕は決してイカサマはしない。配られた手札、持ち込んだ物だけで勝負するとも」
ピノコニーの夢境に集まった登場人物。
持ち込んだ基石たちは、隠すことなくサンデーの前に曝け出していた。ただ彼の想像力が、アベンチュリンの策に及ばなかっただけのことである。
命に等しい基石一つ、任務失敗の恐ろしさに比べれば砕くことなど容易だろう。それも一重に、必ず勝つ確信があったからだ。
「運命は、最初っから不公平だ。強運はその人を強者たらしめるし、強者だからこそ運命を掴むことが出来る。僕の言っている強者って言うのはね、ただ腕っぷしが強い人ってことじゃないよ、星」
「なら、それは何?」
「──神様に愛されているから、運命を掴めるんだ」
アベンチュリンの言葉を聞いて、星は自らの胸に手を置いた。そこには、壊滅の星神ナヌークが宇宙に落とした星核が収まっている。例えその身が器として造られたものだとしても、偶然だったとしても、神の創造物を受け入れ生きている時点で彼女は神に愛されているのだ。
どれだけ信奉しても一瞥ももらえなかった冥火太公を思い出せば、その差は歴然だと分かるだろう。星は壊滅に加え、存護、調和と星神の一瞥を受けている。
アベンチュリンもまた、愉悦の神の一瞥を受けていることは誰も知らない。仮面の愚者として勧誘を受けたことは、誰にも言っていないが──ともかく、アベンチュリンが思う運命とは、選択次第で変わるものではなかった。
選択で変わるのならば、どれほど良かっただろうか。その選択すら、力なき者には手を伸ばせない特権だが。
「…………」
星は空のグラスを両手で持ち、考え込んでいる。アベンチュリンもまた、これ以上何を言っていいか分からずに口を閉ざした。
(運命は強大で、人間如きが覆せる者じゃない。僕の幸運は、僕だけしか護らない。そこに選ぶ余地はないし、拒絶する権利もない)
だから、己の隣に星が立つ未来は有り得ない。己の不幸で星の輝きを消してしまうのならば、離れなくては。
気持ちを押し殺すのは得意だろう、アベンチュリン。いつもやっていることだ。笑顔で、軽快な言葉と動作で、表面上だけ仲良しに──。
「でもそれって、アンタの考えだよね。私は違うんだけど、聞いてくれる?」
「それは、勿論。話し合いは大切だ。互いのことをよく知るチャンスだからね」
アベンチュリンは頷く。星は、グラスの中の氷を口に放り込み、勢いよく噛み潰した。芦毛の髪の毛が揺れ、少し長い前髪の下で瞳が強い視線を放つ。
「私は、運命は選べると思う」
そして、彼女の放った言葉はアベンチュリンの真逆を行くものであった。
「それを、今からアンタに見せる」
「見せる?どうやって」
「ヤリーロ-Ⅵや仙舟にアンタを連れて行くことは出来ないけど、このピノコニーでも私はたくさんの人の選択を、運命を見てきたから」
星は勢いよく立ち上がり、そして手をアベンチュリンへと差し出した。それを掴む前に、彼女が力強くアベンチュリンの手を握る。
「今から夢境に行こう。でも、私の手は絶対に離さないでね」
「良い、けど」
それに何の意味があるのか──聞こうとして、アベンチュリンは口を閉ざした。腕を引く彼女の力が思いの外、強かったからだ。手からグラスが滑り落ち、軽い音を立てて割れる。
それを気にせず、星はそのまま暗いホールの隅から明るい中央へと走り出した。