ししさめおるすばん 最近村雨の家に行った際に似つかわしくない調理器具が並んでいる光景を見て、獅子神はいつか村雨からこの家で手料理を準備することを要求されるであろうことを何となく予想していた。
そうでなければ、この男のキッチンにこのような洒落たものが揃うはずがない。
「獅子神、今週の木曜日は私の家で留守番をしてくれ。私は夕方には戻る。食事は肉料理が良いが、もしあなたのすすめるものがあるのならばそれがいい」
「は?」
案の定、村雨の家を訪ねた日から数日後に獅子神のその予想は当たり、かの医者はそう告げた。依頼ではなく、まさしく宣言である。
獅子神の反応は当然のものだろう。何せ想像していたのは、料理を作れと言われるであろうことだけだ。留守番だというのは意味が掴めない。小さい子どもでもあるまいし留守番ってなんだよ、そもそも普段オレの家に飯食いに来るのに何でわざわざ村雨の家で、と疑問が一気に浮かぶ。しかしこぼれたのは、その僅か一つの実に間の抜けた音だった。
「何だ、そのマヌケ面は」
「いや、オメーがいきなり何なんだ。留守番ってどういう意味だよ」
村雨のことだ、きっと思考があちこちへ飛んだ結果変な方向に着地したに違いない。どんな返答が来ても驚かねえぞ、という決意を胸に問う。
「留守番とは家を守るという意味だろう」
「まあそうだろうな、一般的には。だからオレがお前の家で留守番っつーのは……」
「あなたになら、私の家を任せても良いと思った」
獅子神が目を瞬かせる。
だとしても何でお前の家を急に任されるんだ。つーか何、お前そんなにオレのこと信じてんのかよ。
やはりいくつかのことが浮かんでは、声にならずに消えていく。村雨の突拍子もない言動は今に始まったことではなく、もうどこから触れるべきか選択するのが難しい。
「……自分の家で、ゆっくりオレの飯を食いたいだけじゃねえの?」
ひとまずイエスともノーとも言わず、正確な意図を探るべく問いを重ねた。
「いや、少し違う。あなたが私の家で私の帰りを待っていたら良い、そう思ったと言えば伝わるか?」
しかし村雨は考え込んだ後、説明というよりもどこか説得するような区切り方で説明した。気付けば、いつの間にか宣言から希望に変わっている。
「あー……伝わるし別に嫌だとは言わねえけどさ」
獅子神が少し戸惑った後に頷いた。
ここで受け入れれば留守番をするだけではなく恋人からどこか更に踏み込んだ関係に進むのかもしれないと思いながら、けれどそれを決して言葉にはせずに。何故ならば、そんな淡い期待を抱いた獅子神とは裏腹に村雨にはそこまでの思いは無いかもしれないのだから。
「決定だな。期待している、獅子神」
「はいはい、分かったよ」
そうして約束の日に獅子神は村雨の期待に応えてしっかりと手料理を振る舞い、舌鼓を打つその姿を眺めていた。
その時の村雨に、ところであれは実は私なりのプロポーズだったのだが、と神妙な顔で切り出されて硬直したことはきっと一生忘れられない。一日だけとはいえ留守番を任されてあんな真面目な言葉を向けられたことに期待しなかったと言うと嘘になるが、だとしてもいくら何でもあれがプロポーズだった、という暴露はないだろう。
そう笑う獅子神を見て、あの時は悪かったと謝罪しただろう、と村雨は困ったような、しかし幸せだという感情を隠しもせずにこの先繰り返し言うことになる。