ナレアイ「なんやリコリス、さっきから緊張でもしとんか?」
「僕?」
神辰がざっくばらんに掛けた声に、ソファの隣に座るリコリスは少し驚いた顔をしてモノクルを磨く手を止めた。
「さぁ、特に自覚はないけれど、君はどうしてそう思ったのかな? どういうところが君にはそう見えたんだろう、神辰J威弦Ⅲ世? 参考までに聞かせてもらえると嬉しいのだけれど」
「相変わらず一つ言うたら十も二十も返すヤツやな……」
呆れて肩を竦めながら、神辰はこの楽屋に入ってからのことを思い出す。彼よりよほど騒がしい連中が多いので、あまり目立ってはいなかったけれど。
「例えばさっきからモノクル弄ってるフリしてずーっと周り見てるやろ。ほんで目は落ち着かん割に、ここ座ってからいっこも立ち歩かへんし。この席ええよな、扉も鏡もよぉ見えて。あとはまぁ……お兄やんの勘?」
「……へぇ、凄いね。まるで刑事みたいだ」
「そお? 怪盗で食っていけんようなったら転職しよかな」
なんの気ない感嘆に一瞬ひやっとした内心を隠してそう戯けてみせる。どこまで何を知っているのかと疑いたくなる彼は、神辰の考えなど素知らぬ風で「そうだな……」とはじめの問いに答えた。
「緊張、とは少し違うけれど……。確かに落ち着いた気持ちではなかったかもしれないね。どうにも慣れなくて」
「ほぅ?」
「えーなになに何の話 リコリス緊張してるのー」
それはどういう、と突っ込んで聞こうとしたところに、向かいから元気な声が飛んできた。二人がそちらに目をやると声の主――イエローセラフがキラキラした目でソファの向こうから身を乗り出してくる。
「なんか意外ー、リコリスでも緊張とかすんだね?」
「緊張しているわけじゃないよ、イエローセラフ」
「そうなの? でも大丈夫! そういうときは自分より緊張してる人を見ればいいとか言うし!」
「君は本当に人の話を聞かないね」
「なんや、自分も緊張しとん?」
「いや、俺じゃなくてストレイキャットが」
「し、してないですけどぉ」
「ぅおっ゙、」
と急に指名されたストレイキャットが慌てて椅子から立ち上がり、隣でうたた寝をしていたドラスティック・フィーバーがビクッと肩を跳ねさせる。その拍子にドラスティック・フィーバーの脚がテーブルを蹴ってコーヒーの入ったコップが倒れ、側に立っていたスノーマンも「わぁっ」と声を上げて飛び退いた。
「ちょっと、気をつけてよ! 衣装が汚れたらどうしてくれるのさ!」
「あぁすいません、ちょっと寝惚けて……ふぁ……」
「ごめんスノーマン……! ブルームーンも、大丈夫だった?」
「俺は問題ないが……。そっちこそ急にどうした、ストレイキャット?」
「い、いや別に……」
「ストレイキャットが緊張してるんだって! ブルームーンは何か緊張を解くいい方法、知らない?」
「イエローセラフ……!」
「緊張か……俺はしたことがないからな……」
「でしょうねぇ」
「だが、そうだな。自分に自信がつけば緊張なんて自然と感じなくなるんじゃないか?」
「彼ほどの自信があれば人生もさぞ楽だろうね」
「自信……。それってどうしたら持てるのかな」
「まぁわかりやすい方法だと……美しくなることだな!」
「うわ出た、ナルシスト変態仮面」
「誰がナルシスト変態仮面だ誰が! さっきから外野がうるせぇぞ! ……コホン。とりあえず手っ取り早く、メイクしてやろうか?」
「え、メイクできるの……?」
「もちろん。お前も仮面で隠れてはいるが見たところ可愛い顔してるし、たぶん化粧映えすると……」
「いやぁ、止めといたほうがいいんじゃないっすかぁ?」
「なんでドラスティック・フィーバーが止めるのさ」
「いやだって、メイクって……ねぇ?」
「えーいいじゃんメイク! ドラフィってもしかして女の子に、すっぴんのほうが可愛いよ〜とか言っちゃう人?」
「そりゃ、すっぴんも可愛いほうがお得でしょ」
「うっわ最悪」「最低」「女の敵」
「三人のそれはどの立場からの台詞なんすか?」
…………。
「……うん、まぁちょーっと普段よりかは賑やかやね?」
自分たちをそっちのけで騒ぐ五人を眺めながらそう言った神辰に、リコリスはクスッと笑って「だろう?」と応えた。
「僕ら怪盗は、基本的に一人の稼業だ。それがこんな風に大人数で一堂に会しているこの場が、どうにも奇妙に思えてね」
「確かに珍しい状況ではあるな。……なら自分、それでちょっと慣れんなぁいうてソワソワしとっただけ?」
「ご明答。期待に沿えず申し訳ない」
「別になんもご期待はしとらんけども」
アホらし、とポケットを探った手を「禁煙だよ」と嗜められながら神辰は考える。どこかピリついた雰囲気を感じて鎌をかけてみたが、自分の勘も鈍っただろうか。こんな衆人環視の状況では、さすがに誰も好んで予定外は起こさないだろうか。火を点ける先を失ったジッポを右手の中でくるくる回す。
「まぁこういうのも、たまにはええやろ。一人だけでやっとったら息も詰まるし、気分転換もまた仕事ってな」
「実に君らしい意見だね、怪盗神辰」
「そんなん言うて、アンタもそこそこ楽しんでるんとちがう?」
「まさか。あぁでもそうだね、気分転換というの、は……」
と、流暢に紡がれていたリコリスの台詞がふと止まる。不審に思った神辰が隣を振り向くと、リコリスは血の気の引いた顔で正面を見つめていた。
「リコリス?」
尋常ではないその様子に視線を追うが、その先にあるのは楽屋に備えつけられた鏡だけ。なんなんだ、と向き直ってみれば、我に返ったらしいリコリスが胡乱に「……あぁ、」と呟いた。
「少し、ぼぅっとしていた。悪いね」
「……大丈夫なんやな?」
「問題ないよ。今はもうハッキリしている。……あぁ、そうだ」
神辰J威弦Ⅲ世、と明瞭な声で呼んだ彼は、自分の左頬に右手で輪郭を確かめるように触れて、ゆっくりと上げた顔にさっきまでとは違う、底の知れない、暗い――いつも通りの笑みを浮かべて神辰を見た。
「やっぱり僕には、茶番はツマラナイみたいだよ」