風邪ひいた受けと看病する攻めの話! 恋人が屈強すぎて隙が無いとつねづね思っていましたので今回受け取ったメールを俺はまず三度見してからそれでも真偽がわからず甥っ子に画面を見せた。「これ詐欺かな?」と言って見せると甥っ子は我ながら整った顔をいかにもウワ、めんどくせえのきた、みたいな顔に歪めて(世の女子が見たら泣く)それでも優しい奴なので嫌々見てくれた。
ソファに隣り合って座り、スマートフォンのメッセージアプリの画面上だと気づくやいなや甥は顔をばっと勢い良く上げて俺の顔をまじまじと見る。
「これ、ほんとに僕が見ていいもの?」
眉間に皺が寄っている。こちらがなんなく頷くと、抵抗感を示しながらも再度画面に目を落としていた。
俺とウルフウッドだけが喋りあっているその画面では、短い一文が交互に投下されているだけなのだが。甥からすればたしかに恋人とやりとりしている部屋というものは、しかもそれが親類のものというのはどうにも目にしていいものではないと思うのかもしれない。
でもそう思うということは、この甥と恋人であるウルフウッドの弟くんとのメッセージのやりとりは、どれほど当人以外が見たらうんざりするような桃色なのだろうかと興味がわいてきたが。まあ俺がそれを見ることは天地がひっくり返っても訪れない機会であろうから考えないことにする。
さて画面上の簡素なやりとりに話は戻るが問題の、詐欺まがいのメッセージというのは一番最新のものである。ウルフウッドから送られてきた一文だ。
甥はその文を読み上げると、にわかにそわそわし出した。
「ちょっと叔父さん、なにが詐欺なの。早く行ってあげないと」
「え? まさかこれ、本気だと思う? あいつだぜ」
「あのねえ」
俺が怪訝とすると甥は盛大にため息をついて立ち上がる。
「好きな人の言葉を信じないでどうするのさ」
放られた上着を顔面で受け止める。疑念は消えないが、それを羽織りながら立ち上がると甥も同じく行動を開始していたのできょとんとしてしまった。甥はそれに気がつくと「僕も行く」とまた嫌そうに顔をしかめていた。俺の車の鍵を奴は拾い上げ、指先でくるくると回しながら玄関に向かうので、仕方が無いから追いかけることにした。
『しんどい。助けて』
あのウルフウッドが? そんな文を?
送ってきたとはとてもじゃないが信じられない。前世であれだけの暴れっぷりを披露していた元テロ牧師のあいつは、今世でも健在であるその鋼の心身をフル活用して寝ている時間なんて観測が出来ないくらいにあっちに駆けてはこっちに走り回っている、そんないつでもなにかしら働いているような、休めよと椅子に縛り付けたら椅子を引きずってでも動きたがるような男が、こんな、いややっぱり詐欺かなにかではなかろうか。
「罠とか」
運転を終えてウルフウッドの住処である安アパートの錆びた階段を甥と上がり、水色の塗装があちこち剥がれている扉を前にしても俺はまだそんなことを言っていた。
合鍵を取り出して鍵穴にさそうとしたところで、横から割り込んできた手が呼び鈴を鳴らす。音符マークが描かれたスイッチはカチリともいわずに押されるが、中から反応はない。
俺は隣の甥に言った。「それ壊れてるから」
甥は憮然としていた。
というわけでいつも通り予告なく鍵をさし回して、たてつけの悪い扉を開ける。ゆっくりしか開かないのは致し方ない、仕様である。
「ウルフウッド~、入る、ぞ……」
平日の午前中なので家に居る確率は極めて低い、あいつのスケジュールを把握しているわけではないがとにかく定位置におさまっていることができない男だ、家にいることはまずありえない。でもこの時は奴か、もしくは弟くんがこの部屋にいるであろう予感がしていた。さっき送ったメッセージは既読になっていないけれど、数日前から弟くんが夏休みを利用してこっちに遊びに来ていることは甥から聞かされて知っている。まあだからついてきたんだよな、この甥っ子は。
だからそう、この数日は兄弟水入らずで二人暮らしをしているわけである。あのくそ忙しいウルフウッドでも流石に弟を無下にはしないだろうと思ってはいたのだが。
中の様相を見て口を開けて固まっていると、遅れて俺の脇から顔を出して中を見た甥が絹を裂いたような悲鳴を上げた。
「ニコラス!」
俺をブルドーザーのごとくはねてから靴を蹴っ飛ばし脱いで、廊下に倒れている彼に駆け寄った。
廊下と洋間がひとつという極狭い部屋において、大学生がうつ伏せで倒れている。そしてその奥で、ベッドによりかかって長い足を放り出している我が恋人がいた。
俺もやっと我に返って靴を脱いで上がる。気絶でもしてるのかと思ったが、両名どちらも意識はある。目を閉じなにやらうなり声を上げているウルフウッドの近くにしゃがみこむと、相手はうっすらと億劫げに身じろいだ。
「トンガリ、か……」
「なになになに。なんか変な物でも食った? 助けに来ましたけど」
一応声をかけてから、部屋の空気が淀んでいることが気になってベッドの向こうの窓をからりと開ける。ふわりと入りこんできた外気を感じながらウルフウッドのもとへ戻ると、彼の姿はなにも変わっていなかった。すごい、本気で具合が悪そうではないか。思わず感想が口からこぼれる。
「あれ、詐欺じゃなかったんだ」
「なんや……」
「いいや。で、どうしたの。お前のそんな姿初めて、でもないけど久しぶりに見たなあ」
「わか、らん」
「わからんのかい」
ウルフウッドは憔悴した様子で、なんとか俺の顔を見上げていた。
「さむい……」
ただその一言を漏らし目を閉じる。
俺は目をぱちくりさせた後、なんの気なしにウルフウッドの額に手の平をひたりとつけて、その熱さに納得した。なるほど、熱がある。
「病気だ!」
甥がこの世の終わりのような声を上げた。元気な奴である。
とすれば話は早い。
俺はため息をついて、「部屋、あさるよ」と反応を示さない家主に声を落とし膝をのばした。
保険証にお薬手帳、かかりつけは無いようなので診察券は無く。力なく倒れている兄弟を厚着させて──体温計も持っていないとはどういうことだ──車に乗せてレッツ病院へゴーしたところ。無事、二人とも風邪と診断された。
「よかった、よくないけど、よかった……」
熱にうかされてだらりとしているしかない弟くんを抱きながら甥がさめざめと泣いている。大げさ極まりないが本気で心配していたのだろう。でも百八十近い男をいともたやすく姫抱っこしている膂力はちょっと怖い。
ウルフウッドのなんにも無い家に戻っても逆に大変なので、一路我が自宅に二人を連れ込みくそほど余っている客間をそれぞれあてがった。使用人のおばちゃんたちがいつでも誰か連れ込んでいいわよ、と輝く笑みでもって日ごとベッドメイキングしてくれていたのがまさかここに来て功を奏すとは、おばちゃんたちもびっくりであろう。
あーとかうーとかしか言えないゾンビのようになっている二人をベッドに送り寝間着を渡したところで、甥は早速趣味でもある料理をはじめた。滋養のある病人食とはなんだろう、お粥しか思いつかないのでそこは任せて、俺は飲み物や額に乗せる用の布巾とか水とかを用意していたのだが甥は厳しい顔で「ニコラスの部屋には入らないで、僕が持って行くから」と言ってきた。頷き目線で返す、こっちにも入ってくるなよ、と。
甥が用意してくれた卵粥とフルーツとヨーグルトやらを持ってウルフウッドの部屋を訪れると、なんとか寝間着に着替えた彼はおとなしくふかふかのベッドに潜り込んでいた。サイドテーブルに盆を置いてその寝顔を眺めてみる。顔色はまだ赤い。
死ぬなー! と耳元に叫んだらきっとうんざりした顔で突っ込んでくれることだろう。くすっと笑った音でなのか、ウルフウッドがふと目を開ける。
枕元に立っていた俺を見上げて、体を起こそうとしたので肩に手を添え制した。
「病気だって言えよ、なにごとかと思っただろ」
文句を言ってやろうと思ったのに優しい声になってしまった。
ウルフウッドは熱っぽい吐息をこぼしながらわずかに口元をほころばせる。
「かかったこと、なかったんやから、わかるかい」
水桶から布を拾い絞る。額に布を置いてやると冷たさに一瞬目をつむった彼の表情がなんだかおかしかった。
「あ、お粥作ってくれたのあるけど、どう? 今食べる?」
「もうちょい、寝たら……」
うと、とウルフウッドの目元がゆるんで。彼はほとんど閉じた目で俺を見ようとしているようだった。
俺は床に膝をついて、ベッドに肘を置く。顔を近づけると、気配でわかったのかウルフウッドはめったに無いことだがあどけなく笑っていた。
「近く、あかん。うつるで」
「うつったら、早く治るかもよ。頭痛い? 気持ち悪い? 寒くない?」
聞いてから、病人に質問攻めはよくなかったかと反省していると、ウルフウッドはくすくす小さく笑い出す。顎まですっぽり布団におおわれているから、なんだか本気でいつものこいつらしくない、心配がやっと俺の心を充満してきたようで落ち着かなくなってくる。
「さっきまではさ、あっちの俺──甥っ子が、うるさいぐらいに心配だ、大変だーって騒ぐからなんか俺は冷静でいられたんだけど。こう静かだと、ちょっと、怖くなってくる」
馬鹿か俺は。病人の前で落ち込むなんて。口に出したことを後悔して首を横に振って努めて明るい声を出そうとしたら、はた、と気がついた。ウルフウッドが、じっとこちらを見ている。
「ワイが、風邪ひいたって言ったら。おどれのことやから……」
ウルフウッドの声はひどくかすれていた。
そんな声、まだ全然、聞いたこと無い。いつか聞けるかな、なんて妄想していた花畑のような俺の脳内では、こういう機会で聞けるわけじゃなかったのに。
こんなんじゃ、煙草も吸えないじゃん。らしくない、らしくないぞウルフウッド。
けほ、と乾いた咳とともにウルフウッドは声をこぼして続ける。
「風邪ぇひいて目元が潤んで、ちょう赤らんで弱っているお前が見れると聞いて~。て喜んで飛んでくると思っとったわ」
どんな想像をしているか知らないが、ウルフウッドは口元を布団に埋めて肩を揺らしている。くすくす。赤い顔、汗ばんではりつく額の前髪。とろんとした目元。
俺はつられて失笑した。
「たしかに。そうかも。こういうシチュ、憧れのひとつだったし」
「やろ? 変態」
「それは言い過ぎ」
鼻を軽くつまんでやると、ウルフウッドは弱々しく顔を横に振っていた。すぐ離して、頬に唇をつけてやる。
「うつる、て」
「恋人からうつされるのも、夢だなって」
「馬鹿や」
「大馬鹿だよ。俺は。さ、寝た寝た。粥は起きたらまたあっためてあげるから。でもちょっと飲むだけはしたほうがいいな。横になったままでいいよ、飲ませてあげる」
立ち上がろうと手の平をベッド上につけて力をこめようとしたら、ウルフウッドの手が布団からすっと出てきて指先が俺の手の甲に触れた。熱い。
ウルフウッドの視線が絡みついて、どうしたのか、と顔を再度近づける。
すると、内緒話の延長戦、風邪をひいた恋人は頬を赤らめたまま布団に口元を隠して告げる。
「……くちうつし、で?」
なにを言っているのかすぐにはわからなくて固まっていると、ウルフウッドは布団にゆっくりと潜り込んでいった。表情を隠したくて、ちょっとだけ見える黒髪に俺は顔が熱くなるのを止められないままささやき返す。
口に手を添えて、埋まっている恋人に届くように。
「アイスも、あるんだけど。どっちがいい?」
「……アホ」
どうせなら甘い味がいいかと思って。冷たいそれをお互いの口の中で溶かしあったら、さぞ気持ちいいだろう。ちょっと妄想しながら、恥ずかしくなって身をひっこめるとウルフウッドがもぞりと布団から戻ってきた。
お互い赤い顔で、馬鹿みたいにだんまりをきめこみ見て見ぬ振りをする。
ずれて落ちた濡れ布巾を拾って桶に戻していたら、小さい声が言っていた。
「……風邪、治ったら。な」
「…………」
ああ俺、ちゃんと看病できるかなあ。自制心あるかなあ。長い重い息をついてこめかみを揉んでいたら、ウルフウッドは少し困ったように静かに慌てていた。
◆
「ああニコラス、ほんとにほんとに大丈夫、死なないでね、死なないでね……」
「縁起でもないこと言いなや。あと、うるさい……寝かせて」
「僕にうつしていいから。なんでもするから」
「わかった、わかったから一緒にベッド入らんで。狭い。うざい。熱い……さわんな……」
「ああ熱があるんだね! かわいそうかわいそう。大丈夫だよ、僕があっためてあげる。たくさん汗をかいて。そしたら着替えさせてあげる、体を拭いてあげるからね」
「あかん、きもい……」
「気持ち悪いんだね! 吐く?! いいよ、桶もあるし、僕の手の中にでも」
「……」
「ニコラス?! 大丈夫!? わああ! だめー! 死なないでー!」
「寝れへん。ほんまに」