閉園時間にはまだ早い仕事終わりに新幹線に飛び乗った。目指すは大阪。念の為にと事前に渡されたチケットもしっかり財布の中に入っている。
少しくらい予習をしようと思ったけれど、疲労のせいで先にホテルで待っている恋人にメッセージを送った途端に眠気に負けてしまった。
新大阪で降りて、親切な看板に沿って目的地へ向かう。もう夜も遅いと言うのに同じ目的地へ向かう家族連れやカップルがいた。みんな浮き足立っているようだ。僕も明日、彼らに混ざっているのだろうかと思えば足取りが軽くなる。
頭に耳をつけたままだったり、ポップコーンをぶら下げたままだったり、疲れた様子ではあるけれど、楽しそうな人たちが改札に入れ違いで吸い込まれていく。指定されたホテル。部屋は最上階。二部屋ある内の片方の部屋の前で電話をすると、彼がそれに出る前に扉が開いた。
「壮五、お疲れ」
そう言って僕の腕を引いた恋人……、御堂さんは子供のように目をキラキラさせていた。
僕と会う時はいつだって夜の雰囲気を纏っている彼が、バスローブ姿だというのに色気がない。
「明日は九時にはエントランスに並ぶからな。このホテルに泊まると十五分前から入れるんだ」
愛の言葉やキスの前に出てきた言葉は弾んでいた。大阪市内には彼の家のホテルがあるのにわざわざパークの目の前のホテルに宿泊する謎がようやく解けた。
「じゃあ早く寝なきゃいけないですね」
「ああ」
窓の外にはまだ色鮮やかに輝く光が見える。それを眺める暇も与えず、早く風呂へと急かす彼に下心はこれっぽっちもなさそうだ。
立派なキングサイズのベッドもあるのに、本当に今日は眠るだけになる予感がする。強請らなければキスもして貰えないかもしれない。枕元に積み上がるガイドブックに少し嫉妬してしまった。
翌朝、アラームがなるより早く起きた御堂さんとルームサービスで朝食をとった。
いつもは少しかっちりとした服装をしているのに今日はラフな出で立ちだった。蜘蛛をモチーフにしたアメリカンコミックが大きく描かれたパーカー、カーゴパンツ、それから、彼がスニーカーを履いているのは初めて見たかもしれない。
「今日は歩くからな」
それを指摘すれば彼は少し恥ずかしそうに答えた。ウキウキしているのが丸わかりで、微笑ましい気持ちになる。
「僕も環くんに言われて、スニーカーにしてきましたよ」
僕もきっとそう見えているのかもしれない。彼は嬉しそうに笑って、キスをくれた。
アーリーエントランスというらしい、十五分前専用の入口には開園一時間前だというのに列ができていた。
「入場したらどこへ行きますか?」
「決まっているだろう」
パンフレットを広げながら最初の目的地聞くと、御堂さんは迷いなく奥の建物を指した。そこには彼のパーカーと同じキャラクターが描かれている。
「……新しいエリアの整理券を取りに行っても?」
環くんたちがよくやっているゲームのエリアができていて、そこに売っているお土産を買ってきて欲しいと頼まれていた。人気があるエリアだから、入ってすぐに整理券を取らないと入れないらしいですよ。と一織くんに教えてもらった。彼のお土産は何がいいだろうか。
「それならもう買ってある。でも、壮五が何に乗れるかわからなかったから、他のものは買ってないんだ」
チケットの他にお金を払えばエリアの整理券も、アトラクションを並ばずに乗れる券も買うことができるらしい。
「御堂さんについて行きますよ。あ、でもショーは見たいです」
御堂さんがここへ来たいと言った時、あんたは多分なじみのない場所だろうから俺に任せてくれればいいと言われた。確かにアイドルになる前はテーマパークというのは馴染みのない場所であったけれど、何度かイベントをやらせて頂いているし、メンバーと遊ぶ機会もあった。
カチンときて反論しようと思ったのに、スマートフォンを取り出してうきうきとホテルやその他の手配を始める様子に毒気を抜かれてしまった。だから、今回の旅行は彼に任せ切りだ。
僕たちのデートといえば、ディナーから彼の家のホテルへ宿泊だった。かっちりとした服装で、手間のかかった料理を悪酔いとは無縁の上品なアルコールと共にいただく。そして彼にエスコートされて、宝石のような夜景をバックに甘いひとときを過ごす。
不満があるわけではなかったけれど、ベッドで微睡んでいるときに御堂さんが僕とここに行きたいと照れ臭そうに切り出してくれたのは、なんだかとても嬉しくて、心臓が高鳴ったのを思い出した。
開園前から入場する人は新エリアか、アニメとコラボレーションのアトラクションに向かってしまって、御堂さんのお目当てのアトラクションは人がまばらだった。そのおかげで前列を僕たち二人で独占できて彼はご機嫌だった。
「……なにか被った方がいいかな。目立ってるよな」
アトラクションの出口にあるショップで彼は呟いた。正直、他の客やスタッフの視線を感じていた。なぜかといえば御堂さんはサングラスをしているが、それが様になりすぎて逆に目立つからだ。
「そうですね……、マスクとかちょうどいいんじゃないですか?」
「あんたが言うと冗談か本気かわからないな。でもキスができないから却下だ」
ショップの中心には顔を覆う赤いマスクが置いてあった。パーク内であればあれを被っていても浮かれている人だな、と思われるくらいで注目を集めることもないだろう。僕は半分本気で提案したのに思いもよらない理由で却下されてしまった。
「パーク内でするつもりですか?」
「……したくなったら出ればいいだろ」
「再入場できませんよ」
「……マスクにしようかな。浮かれて何かやらかしそうだ」
彼はそう言ってマスクを手に取ったけれど、結局キャラクターの描かれてキャップに決めていた。
「あんたはこれがいい。いつも寒そうだからな」
「うわっ、なんですか」
何かふわふわとしたものを急に被せられた。鏡を見ると、黄色のふわふわにゴーグルをかけた目がついた帽子だった。サイドが垂れていて、耳まで温かい。
「……黄色、似合わないな」
「普通のキャップにします」
しみじみと言われて僕はすぐにそれを脱いだ。彼と同じデザインにしようかと一瞬迷ってしまったくらいには、僕も浮かれていると思う。
サメ映画をモチーフにしたアトラクションでは、スタッフの方の演技に感動し、環くんや亥清くんなら怖がるだろうなと勝手に想像して微笑ましい気持ちになった。
音楽が流れるジェットコースターでは出発前は僕らの歌が選べないのはおかしいと言っていたのに、走り出した途端に顔がひきつって終始無言だったのが可愛いと思ってしまった。
ちょうど路上にあるステージでショーをやっていた。ジャズに乗せたショーはとても見応えがあった
ふと隣を見るとショーに夢中になっていたはずの彼は僕を蕩けそうな瞳でみていて、夢中になって可愛いな。と微笑んだ。顔から火が出るかと思ったからキャップを目深に被り直した。
満を持して土管を模したオブジェをくぐるとゲーム画面の中のような景色が広がっていた。
エリア内で人気のアトラクションは平日で、人が制限されているエリアだと言うのに百分以上の待ち時間が表示されていた。一瞬迷った僕たちだったけれど、こういうのもたまには良いかと最後尾に並んだ。
「ゲームはやったことあるか?」
「寮にあるので……、御堂さんは?」
列に並びながら御堂さんに聞かれて思い返した。家にいた頃はゲームとは無縁の生活をしていたし、一緒にやるよな友人もいなかった。寮にあったゲームをメンバーに誘われてやったのがはじめてだった。
「うちは一通り揃ってたな。でもあまりやらなかった」
御堂さんはそう言って少し苦い顔をした。てっきりそういうもので遊びたい放題だと思っていたから意外な返答だった。
「1番上の兄さんはゲームを禁止されてたし、二番目も俺とやるとなると手を抜くんだ。それで勝ってもつまらないからな」
一人で黙々とやるのも性に合わないからやらなかったけれど、新しいものが出るとお兄さんたちが買ってくるから数だけはたくさんあったと彼は話してくれた。以前の企画で見た彼の幼少期の写真を思い返せば、何かと買い与えたくなる気持ちもわかるような気がした。
「今度、寮で一緒にやりましょう」
僕はやるなら徹底的にやりたいタイプだ。最初はおぼつかなかった操作もすっかり慣れて、今では環くんといい勝負をするようになった。そーちゃんこえぇからやだ。とは赤い甲羅を散々ぶつけられた後の環くんの台詞だ。だってそういうルールだから仕方がないと思う。
「僕、強いですよ」
「やめろ、こんな所で可愛い顔をするな」
そんなことを思い返しながら彼を見ればなぜか顔を背けられてしまった。変な顔をしていただろうか。
「あんたが楽しいことを考えている時の顔はダメだ。触れたくてたまらなくなる」
「なっ、に言ってるんですか」
常に騒がしいBGMが流れているし、周囲のお客さんは壁中にある装飾に夢中だ。僕たちは小声で話しているから聞かれていることはないだろうけど、急に夜の雰囲気を出す御堂さんに顔が赤くなる。
昨晩は全くそんな雰囲気はなかったくせに。
「だめですから」
「そのくらいわかってる」
そう言いながら彼の指は僕の指に一瞬だけ絡まった。その動きがあまりにも御堂虎於だったから、諌めるつもりで睨み付けたのに、そういう顔も可愛いと笑われた。
アトラクションに乗って思いきりはしゃいだ後、すっかり虜になった御堂さんは赤い帽子を買っていた。御堂のM[#「M」は縦中横]だな。なんて真顔で言うからツボに入ってしまって、ひたすら笑った。
少しまわりの注目を集めてしまったから、小走りでその場を後にして、人混みにまぎれた所で顔を見合わせてまた笑った。
「こんな普通のデートみたいなこと、御堂さんとできると思っていませんでした」
赤い帽子に、キノコのキャラクターのドリンクホルダーを首からぶら下げ、可愛らしいパフェを口に運んでいる彼を見てしみじみと思っていた。
キョトンとした彼はとても好ましい。どのくらいかといえば、彼の口の端についていた甘ったるいクリームを指先で掬って舐めてしまうくらいだ。
ひたすら甘い生クリームに少し正気に戻ったけれど、混乱しきった彼の顔がおかしくてまた笑えてきた。スマートフォンを取り出して、何も言わずにその顔を写真に撮った。
「……SNSにはあげるなよ」
浮かれている自覚はあるらしい。顔を少し赤くした彼は苦々しく呟いた。
「あげないです。僕だけのものですから」
「……再入場は」
「できませんよ」
閉園時間にはまだ早い。