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    8kawa_8

    @8kawa_8

    🐏飼いさんを右に置く人間です。

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    8kawa_8

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    フィガレノです。フォロワーのしんくさんのエイプリル作品のネタを拝借しました。
    あの素敵な題材をエイプリルフールオチ未完成作品で終わらせなんてしません(強い意志)

    #フィガレノ
    figareno.

    【フィガレノ】おれがねむるまで「俺、もう長生きできないんだよね」
     とはいえ、それがいつまでかは分からないんだけど。
     レイタ山の麓にある、何十年も前からレノックスが拠点としていたいくらか手狭な小屋の中。窓越しに見える星空の開放感に誘われるように口にした、装われたスープに入った少しだけ苦手な食材の話。それくらいの気楽さで、しかしあまりに重大な事柄を告げられた気がする。
     全身が石にでもなったかのように硬直し、どうにか隙間を掻い潜った空気が外に漏れると、「はあ」と気の抜けた返事のような音に成った。そのレノックスの反応をどう受け取ったのか、フィガロは肩を竦ませて。「何日とは言わないけれども、せめて何ヶ月だとか何年だとかが分かればさ。準備のしようがあるのに」、と。普段通りの笑顔を浮かべながら、軽快に言葉を続けていく。
    「ただ、長くはないってことだけは分かるんだ」
    「そうでしたか」
     念を押すような口調を前に、レノックスは単調な相槌を打った。ただしくは動揺と焦燥を言葉に乗せないように努めたならば、そんな相槌しか放てなかった。
     ぐるり。カトラリーが円を描き、スープの中身を掻き混ぜる。掬われた液体が、湯気と共にフィガロの口元へと運ばれた。
    「あつい!」
     火傷をアピールするかのようなわざとらしい仕草を見つめながら。その姿と同じように、いつもの冗談であってほしいとレノックスは微かに祈っていた。しかしそれは、自身の弱さや後ろ暗さをひた隠しにする男が、ようやく露わにした勇気を蔑ろにすることと同義だ。先の言葉に悩むレノックスの思考や腹の内を読み取るように、いつの間にかフィガロの視線はまっすぐにレノックスを射抜いている。
    「で、それだけ?」
    「……冗談ならいいなと、思いはしました」
    「ひどいな、いくら俺でもそんな冗談は言わないよ。万物の命は、いずれ老いて尽きるものだから。俺だって別に例外じゃないし……むしろ周りを見た感想としては、生きすぎたと感じるくらいだ」
     そんなことはないと、レノックスは咄嗟に否定をしようと思ったけれども。二千年もの時を生きた魔法使いの存在は、確かに稀有だ。
     レノックスの場合は自身の四百年もの人生の大半を、人探しに費やしてきたわけだが。その期間に経験した多くの出会いと別れたちを『たったこれだけ』という簡単な言葉で片づけることはできそうもない。フィガロはそれの何倍もの質量にあたる時間と思い出を、レノックスよりも小さな体に収め続けて生きている。限界を感じはじめることも、訴え出してしまうことも、きっと自然の摂理の一つで。それを違うと根拠もなしに否定をすることや、理解ができると頷くことは、青臭い若さが為せる短慮的な行動だ。同時に、フィガロの永い人生の軽視ともなるのだろう。だから彼は頷きながら、フィガロの言葉に耳を傾けることしかできなかった。
    「生きることをやめられるタイミングは何度もあったのに。どうしてか、選べずにここまで来てしまった」
    「不思議な鹿のように?」
    「そうだね、不思議な鹿のように。ちゃんと洪水に強い土地を探して、図々しく、生き延びた」
    「いいことじゃありませんか」
    「長く同じ場所に居付くようになったら、愛着だって湧いてしまう」
    「それも、いいことかと」
     北の国で生まれ育ったに関わらず、南の国の魔法使いとなったフィガロの人生を思う。南の国の魔法使いらしい己の住処を愛する変化にレノックスは微笑みを浮かべようとしたが。
    「どうして?」
     そう問うフィガロの表情を見て、そのまま唇の動きを凍てつかせた。彼は無自覚な変化を不思議に思うわけでも、目の前の相手を試したいわけでもない。口調こそ穏やかではあったが、嫌悪に似た感情を隠すことなく露わにしていたのだ。
     細められた榛色の瞳に混ざるのは穏やかな草原の色ではない。夜の空の色が『この変化の何を良いと語るのか』と語りかけていた。
     生まれた土地で学び、育み続けた誇りが、彼の中で歪となったのだ。その違和感は彼の中で不快という名前になり、屈辱という体を得た。それを肯定する愚かしい意見があれば聞くだけは聞いてやろうという、無理解を前提とした傲慢で尊大な態度が、レノックスへと向けられている。
     レノックスは短く息を吐いた。
     皮膚を焦がすような視線の鋭さも、凍てつくような空気も。恐れて目を逸らしてしまってはその先の本質を見失うだけであることを、彼は良く知っていたのだ。
    「……だからこそあなたの話を聞く友人が出来た。と、いうのはどうですか」
     北の魔法使いは、大抵見かけ騙しなことが多かった。
     本人たちがその認識を知ったならばきっと腹を立てるだろうが、レノックスが目を合わせて覗き込んだことのある彼らの瞳には、思いのほかあたたかな温度が宿っている。長く生きる分だろうか、短い期間で急激に訪れる変化にはどうも不慣れな様子で、不安や戸惑いを露わにする初々しさも存在した。彼らの鋭い観察眼の裏には他人や隣人への好奇心や好意があるのに、それを表に出すことは己の弱点に繋がるからとひた隠す。それが分かると途端に、愛嬌のようなものさえ感じてしまう。
    「ちなみに。その友人って誰のこと?」
    「俺ですね」
     そんな彼らは、少なくともレノックスにとっては畏怖の対象ではなくて。少しばかり不器用なだけの隣人であり、友人であるともいえたのだ。
    「おまえ、そうやって自惚れてこれまで過ごしていたのか」
     今のフィガロも例外ではないからこそ、レノックスと“対話”をするのだろう。本当に傲慢で自分本位なだけの生き物であれば、気分を害した時点で凍てつくのは唇どころで済むはずがなかったから。
     はは、と。フィガロが力を抜いた笑みを零す。レノックスもようやく、緊張の糸を緩ませて目を細めていった。
    「おかわり、いりますか」
    「それより一杯飲みたいかも」
    「先が長くない話をしたのに」
    「だからこそさ」
     フィガロは指先を持ち上げると魔法で酒瓶を手元に手繰り寄せようとして、そのまま動きを止めた。無言で立ち上がり、暗がりにある小棚――レノックスが酒を保管している場所だ――の扉に手を掛ける。
    「突然飲みたいだなんて、嬉しいことでもあったんですか」
    「これから起こるよ。ほら、こんな風に」
     少しだけ物色して、気に入りのものを見つけたのだろう。上機嫌気味に瓶を振って、レノックスに主張する。
    「……フィガロ様」
    「このワイン、前に飲んで気に入ってたんだ。また飲めて嬉しいよ」
    「フィガロ様」
    「なんだ、小言は聞かないよ」
    「どうして俺に告げたんでしょうか」
     レノックスを倣って、魔法を使わなかったわけではない。使えなかったのだと、その振る舞いから悟るのは容易かった。フィガロの表情はレノックスの目には映らない。少し丸めた白衣の背中がとても遠いもののようにも見えたし、近しい場所にあるようにも見える。
    「思い上がるな、ファウストだって知っている」
     振りむいた横顔には、薄い笑みが張り付いていた。
     神様にもっとも近しい位置から地上を見下ろした、世界の管理者の笑みではなくて。南の国で多くの人々から愛される、人当りの良い医者としての笑みでもない。
     だからといって心が少し疲れてしまった人間の、自棄にも似た自嘲とも異なっていた。
    「それと、おまえに教えた理由はファウストの時と全然違う。……意地悪をしてやろうと思ったんだ」
     まるで親しい友人を相手に、何かを企んでいるような。少しだけ幼くも見える表情であったのだ。
    「……いじわる、ですか?」
     可愛げのある語感は、レノックスの想像の外にあったものなのだろう。酒瓶を抱えてテーブルまで戻って来たフィガロは「そう、意地悪」と不思議そうに復唱したレノックスの言葉を肯定する。
    「おまえは俺が死ぬと知っても泣かないし、心の準備をしてくれそうだし、蔑んだりもしない。それに、口も堅そうだからね」
    「それのどこに、意地悪の要素が?」
    「いいかい、レノ。これはお願いなんだけど……。俺の寿命の話は、ここだけの秘密にしてほしい。ファウストにも、おまえが知っていると教えないでほしい」
     途端にレノックスが顔を顰めた。フィガロの意図する“意地悪”を理解したのだろう。
    「おまえはこれから俺の一挙一動に、必要以上に心身を擦り減らすんだ。誰かに打ち明けることもできずに。ファウストと共有することもできずに。ただ、一人で。俺が死ぬまで、ずっと」
     涼しい顔のままフィガロは座り、ワイングラスを手に取った。今度はボトルが勝手に宙へ浮き、コルクが外れ、傾いたそれからからっぽのグラスに向かって深紅の液体が流れ落ちる。
     儚くとも、意図したタイミングで中身が消えるグラスワインのような命であれば良かったのに。彼はそんな生温い存在には成らないらしい。
     差し出されたグラスを手に取って、レノックスは軽く振る。葡萄の香りが甘やかに鼻腔を擽った。
     芳醇と甘美とが複雑に絡み合うそれは、欲望にもよく似ている。フィガロはこれを好きだと言ったが、フィガロらしい香りだとレノックスは感心した。
    「それは、呪いと言うんですよ」
    「そうかもね。そして俺が死んだあとは、俺が遺したものをおまえが必死な顔をして守っていくんだ」
    「頼まれてもいないのに」
    「でも、おまえはしてくれる。今俺が、それを望んでいると知ったから」
     どうだろうと、フィガロが問う。答えはきっと分かり切っているだろうに。とんだ茶番だ。
     フィガロは敏く、人の感情や思考を手玉にとって誘導することを得意としていたが。逆に言えば、確信のできない要素には消極的だ。分の悪い賭けをしないと言えば聞こえは良くとも、単なる小心者のようにも映る。
    「……あとは、何をしたいんですか」
     しかしレノックスには、それを指摘するような意地の悪さがなかった。フィガロがレノックスの友人ではなく支配者という立場であったならば、話は別だったかもしれないが。その鼻をへし折ってやろうと画策するような、反骨精神も同上だ。
    「あなたのことです、きっと他にもあるんでしょう」
    「話が早いね。俺の終活の話、聞いてくれる?」
     シュウカツ、と。レノックスが小首を傾げていく。聞き慣れない言葉の五割程度は中央の国や西の国で流行っている若者言葉で、次の三割ほどは長生きの魔法使いたちが用いた昔の言葉だ。そして残りの二割は異世界から来た賢者の母国語やスラングが大半である。
    「俺の永い人生を出来るだけ悔いなく終わらせるために、心残りを減らすんだ」
     先代の賢者様から教わった、ともフィガロは言葉に付け加えた。どうやらレノックスにとって耳馴染みの薄かったこの単語は、その二割に該当したらしい。
    「それだけ生きていても、まだやりたいことがあるんですね」
    「おまえさあ……図々しくてもいいだろ、ジジイの我儘だとでも思ってよ」
    「三十二歳ではなかったのですか?」
    「おまえさあ!」
     語気を強めたフィガロだったが、どちらかといえば腹を立てた部分は揚げ足取りではないのだろう。「すみません」とレノックスは軽く頭を下げ、「しかし、図々しいとは思っていません」とも続けた。
    「悠久とも言える時を過ごしても、まだ何かをしたいという意欲があること。そう前向きに思わせるだけの人生を歩み続けていることを、俺は素晴らしいことだと思います。そしてあなたがそう感じられるだけの価値がある世界に今生きていることを、誇らしくも感じます」
    「なるほど。それを性格悪く言うと、“まだやりたいことがあるのか”だなんて文句になるのか」
    「根に持つな……」
     呆れたようにレノックスが呟いた後、フィガロは顔を顰めていく。僅かな沈黙が広がる間、次第とふるふると小刻みに身体を揺らすようになり、終いには耐えきれなくなったのだろう、堰を切ったように笑い声を零していった。
    「そうか、これが友人か」
     その最中、独り言のように紡がれた言葉を耳にして。レノックスも同じように、しかし静かに笑っていく。
    「レノが友人で良かった」
    「えっ、俺の自惚れじゃなかったんですか」
    「うるさいよ、もう」
     それで、と。フィガロが言葉を続けていく。
    「その終活に、おまえも付き合ってくれない?」
     ぱちり。レノックスは、赤い瞳を大きく瞬かせた。榛色のフィガロの瞳は、穏やかに弧を描いていたが。答えを知っているからこその余裕ではなく、レノックスがどちらを選択しても尊重をするという覚悟や決意が滲んでいる。
    「どうして、俺が?」
    「レノは俺の友人で、いつだって俺の知らない俺を教えてくれるから」
     それについてきてくれたら、寂しくないと思ったんだ、と。そう語る男を前に、導ける答えが二つもあるものなのだろうか。余命幾ばくかの命を憐れんで見る目を、蔑みだと捉えるような男から受けた信頼の形だ。少なくともレノックスの目の前には、一つの道しか見えていない。
    「……秋まで待てそうですか? 羊の世話役の後任を探す必要があります。その後なら、必ず」
    「必ずだなんて言わなくていい、約束はできないから。だって、俺が秋まで待てないかもしれないだろう?」
     目の前のグラスを空にして、レノックスは素直に頷く。
     一気に飲み干したのは、与えられた欲望と。それから『その時は、その時です』だなんていう言葉であった。


     *****
      

     フィガロの望みは単純で、しかし果ての無いものだった。
     二千年以上の時を生きた自分という存在が、どのようにして生まれたのかを知りたい。どのようにして育ち、変化を遂げていったのかも知りたい。つまるところは自分探しの旅ともいえる。
     終着点は、フィガロが納得するところまで。同行者はレノックスと、最後まで飼い主の意向を無視してフィガロの足にしがみ付き続けた、一匹の羊だけだった。
     そんな彼らがまず最初に向かったのは、フィガロの生まれ故郷がかつて存在していたという北の国の雪景色である。
    『ここにあったんだよ、俺の故郷』
     そう語った先は山の麓だ。谷のようにも見える窪みは、かつての湖の名残だと言う。
    『魔法で掘り起こせば、あの時の村の姿がそのまま出てくるかも』などと口にするものだから。『掘り起こすんですか』と思わずレノックスは訊ねてしまった。
     フィガロが愛し、護りたいと初めて願った人々が眠る地だ。墓荒らしと何ら変わりのない行動の提案に『心がないのか』、と珍しくも真っ当な返しを受けたこと。それからその雪景色を見下ろす表情が今よりもずっと幼くて。二人で庇護する兄弟たちと同じくらいの年頃にも一瞬錯覚してしまったことが、レノックスにとっては印象的であった。
     次に、彼のマナエリアに良く似ているという海岸にも赴いた。
     傍の山脈が、雲の流れを遮るためだろうか。北の国では珍しく吹雪が少ない土地だと言う。氷山の姿こそ見受けられたが、岬には雪が積もっておらず広く芝生が茂っている。岬の先で聞く潮騒も、眺める風景も、決して穏やかであるとは言えなかったが。幻影を映したアミュレットではなく、直にその目でフィガロのマナエリアを見たのはレノックスも初めての経験であった。
    『曇り空でなければ、景色が美しかったかもしれませんね』という感想には『俺は曇り空の方が好きなんだけどね』という言葉が返ってくる。
    『思い出の美化かもしれないけど、昔の景色の方が好きだったな。なんだかこの崖、削れて形がかなり変わったというか。短くなって、格好悪くなった気がする』
    『……あ、本当だ。幻影と比べると分かりやすいですね』
     空の色も、白波も、氷山も。常に枯れかかった芝生たちも。灰色で満たされた、彩度の低い、物寂しい景色。これがフィガロのマナエリアの場所であり、景色だと思うと、どこか納得してしまった。彼が与える魔力は、船に着いた塩をこそげ落とす時のような。侘しくて、しょっぱいものだったから。
    『せっかくの記念だ。この景色も、幻影に閉じ込めてしまおう』
     誰とどんな話をして、どうしてこの海の傍に居付いたのか。それらをフィガロは覚えていないという。新しく透明な箱庭に詰められた、今の時代のマナエリアには、代わりにレノックスとの会話の思い出が残るのだろう。それは悪くないかもしれないと、レノックスは密かに感じた。
    『あとは氷の街と森にも行きたいし、今は双子先生の所有物ではないけれどもステンドグラスの塔も見たいな。ええと、それから……』
     次から次へと、縁やゆかりのある土地の名前が彼の口から溢れ出ていく。彼の故郷のように、とっくの昔に滅びてしまった文明や文化の名残は多かったが。彼のマナエリアのように、形や名前を変えながらも今なお残され続けているものもあったし。本質はさておき、見た目が全く変わらないものもあった。その最たる例が、彼の腐れ縁――双子やオズの存在だ。
     終活、という目的は伏せながら。フィガロとレノックスは当然彼らにも会いに行った。珍しく自主的に会いに来た愛弟子の姿をスノウとホワイトは歓迎して、南の国の土産として持参した柑橘の果汁が混ざった蜂蜜を、各々湯や酒で割りながら歓談に興じていたわけだが。フィガロと同じく強い魔力の持ち主で、外すことのない予言を下せる彼らのことだ。当然。フィガロの寿命も察しているはずだった。
     だというのにレノックスは、二人との別れ際までそのことに思い至れなかった。可能性を感じさせないほどに、双子は自然にフィガロを愛して。普段通りに、接し続けて。別れる前に羊を撫でさせてほしいと頼んできた彼らから、フィガロには聞こえないだろう声量で耳打ちをされて、ようやく彼らが未来を察していることに気付いたのだ。
    『フィガロちゃんをよろしくね』
     二人の瞳の表面に、哀しみの色はなかった。物置の奥に仕舞われた在りし日のおもちゃ箱のように、その奥に綺麗に隠されたままだった。
     ただそれを暴こうとすれば、二千年もの期間をかけて膨らみ続け、レノックスには想像もできないほどの質量となった情やしがらみが溢れだして、それこそ雪崩のように押し寄せて、彼らの心の輪郭を壊し尽くしたことは想像に難くない。レノックスは安堵の感情を得ながら、迷わず『はい』と力強く頷いた。フィガロは、ちゃんと愛されている男だと。改めて実感できたことが何故だか嬉しかったのだ。
     そしてオズと会ったのは、彼の居城に赴いた時の話である。
     突然の来訪者に彼は一瞬、戸惑いにも似た表情を浮かべて――しかし無下にすることもなく、客人として招いてくれたのだ。『ついでに一晩くらい泊めてよ』と図々しくも言い放ったフィガロに、オズは渋い顔を浮かべながらも首を横には振らなくて。この二人の関係に巻き込まれたレノックスが一方的に、勝手に恐縮し続けていた。というのも、レノックス個人はオズと酒飲み仲間のような関係性を築いていたものの、それと、相手の生活圏に足を踏み入れることは全くの別物であったからだ。とはいえレノックスが案じるほどに、オズ個人は気にしていない様子ではあったが。
     双子の時と違い、オズは美味い酒を好んでいたから。手土産になったのは南の国の蒸留酒だ。レノックスが好むもので、オズも同じものを気に入っていたという。口下手な二人を携えているわけだから、この場でフィガロがもっとも饒舌になるのは当然のことだ。その分、喉を潤そうと目の前の飲み物に何度も口を付けるわけになる。そしてグラスの中身がアルコールである以上、彼の酔いが早く回るのも必然といえることだった。
    『……俺たちも、遅くならないうちにお開きにしましょうか』
     気持ちよさそうに眠りはじめたフィガロを、魔法で客室に送り届けて。レノックスはオズと二人きりで、僅かに残った酒や料理を綺麗に片付けはじめていた。フィガロほどの量ではないとはいえ、それでもそれなりのアルコールを摂取したように感じる。アーサーとの思い出話も含めた様々なエピソードを知れた楽しい時間だった、とレノックスが満足感を覚えていた最中だった。
    『レノックス』
    『はい、オズ様』
    『……おまえは、フィガロの――』
     静かに、オズが語り始める。レノックスはその続きを聞く前に『オズ様』と言葉を制した。
    『フィガロ様に関する忠告でしたら、結構です。俺はあの方から“誰にも話さず、誰とも共有するな”との命を受けていますから。聞くわけにはいきません』
    『……何故、フィガロはそのようなことを?』
    『苦しんでほしいのかもしれませんね、俺に』
     理解が出来ないと、オズが顔を顰めていく。すぐにレノックスは言葉が悪かったと自省した。
    『オズ様は、アーサー様のことを常に考えておられますよね』
    『……』
    『きっとそこには幸せな思い出や、夢見る輝かしい未来以外の暗い要素も、多く混ざっていると思うんです。大きな悩みや、どうしようもない不安。それから、過去の過ちへの悔いであったりとか』
    『……そんなものはない』
    『そうでしたか、失礼しました。でもフィガロ様が俺に求めているのは、多分そういうことだと思うんです』
     レノックスが傾けた瓶からは、ほんの一滴の酒しか零れ落ちなかった。ほとんど空っぽのグラスに沈んだ澄んだ色の液体を、レノックスは暫く凝視してから飲み干していく。『少し行儀の悪い真似をしました』とはにかむ彼に、オズは視線だけを向けながらも言葉を発さずにいた。何かを語り掛けようとして、どう言葉にするべきか。熟考を重ねているのだろうと、レノックスも静かに待つ。
    『フィガロはあまり、死を恐れていないように感じる』
     待ちわびた末に、オズの発した言葉はそれだった。それだけだった。
     だから、とも。しかし、とも。その先の言葉は続かない。己の所感を、口にしただけ。それでもレノックスはその言葉に込められた意味を汲み取っていた。オズはきっと、不思議で仕方がないのだろう。
    『俺だって、死は怖くないですよ。俺が死んだ先の世界に、それほど関心がありませんので』
     レノックスの瞳が、この部屋にはいない男の姿を思って逸れていく。オズも同じように、扉の先へと視線を向けた。
    『でも、フィガロ様は違う。死後の世界に関心がある。だからこそ、あの方は。俺を止まり木に選んでくれたんだと思います』


     *****
      

    「行きたいと願っていたところは、粗方行き尽くしたんじゃありませんか?」
    「そうだね、とても幸運なことに間に合ったみたいだ」
     目的を書き綴っては墨で消してを繰り返し続けた結果、フィガロの終活リストの多くは黒いインクで埋まっていった。
     北の国――オズの城が丁度良い場所にあるからと、そこの客室を拠点として使わせてもらうことにした――を中心に各地を巡っていたわけだが。
    『ファウストとも対話をしたい』
    『シャイロックの酒場でも一杯やりたい』
    『ルチルの学校の様子を見たい』
    『ミチルが診療所で上手くやれているかを確認しに行きたい』
    『レノックスの故郷を知りたい』、と。
     そう様々な願いをフィガロが訴えたこともあって、東西南北あらゆる国に赴いた。
    「見てくれが悪い」と紙に息を吹きかけると、塗りつぶされていた黒の塊が消えて真っ新な姿に戻っていく。遺された文字が、思いのほか少なくて。レノックスは侘しいような気持ちにもなった。
    「あとは何が書かれているんですか」
     レノックスは羊の毛にブラシをかけながら、フィガロに向かって問いかけた。
     限られた時間に追われるように、しばらくは忙しない日々を過ごしていたものだから。流星群の見える夜だからと酒を飲み、空を見上げて眠りについて。のんびりとした、南の国での日々のような穏やかな朝を迎えた今日のことが、どうにも久方ぶりのようにも感じてしまう。
     じっと、フィガロは紙に記された文字を眺め続けていた。「うーん」、と。困ったように、しかし穏やかに。こればかりは無理だから、と。何かを諦めたような声色でもある。
    「笑わない?」
    「何を、今更」
    「行きたいところじゃないんだ、最期まで残った願い事は」
     出会ってみたかった、と。言葉に憧憬の色を乗せながら、フィガロは詩を詠むように口を開く。
    「俺を、愛して。俺が、愛する。そんな唯一というものに、出会いたかったんだよ」
     何百年、何千年と吹雪続ける北の国に、春が息吹いてきたような。そんな奇跡を希う、温かで柔らかく、祈るような響き。
    「……それは――」
     その声を聞き入れた時、レノックスの手は止まり、視線は自然と、フィガロのもとへと向けられていた。
    「それは、俺では妥協ができなかったんですか」
     そして次にフィガロの手が止まり、視線がレノックスへと向けられる。お互いに数秒、見つめ合って。先に静寂を崩したのはフィガロの方だった。あはは、と。わざとらしいくらいに大きな声を伴って、肩を揺らして笑っている。
    「おまえが? 何を言ってるんだ、駄目に決まっているだろ」
    「どうして」
    「おまえは執念深いから。ねぇ、賢者様のことを覚えている?」
     脈絡なく投げかけられた気のする問いかけに、レノックスは話を挿げ替えられたような気持ちになりながらも頷いた。“今”の賢者は穏やかな気性の老人だ。国に例えるならば西の国で生まれ育ち、南の国に落ち着いたような。ユーモアもあり、機転が利いて、レノックスはその気性や頭の回転の速さを気に入っている。
     しかしフィガロは首を横に振った。
    「その人じゃなくて、俺たちが賢者の魔法使いに選ばれた時の賢者様のこと」
     レノックスは再び、当然だと頷いた。
    「優しくて、思慮深い、俺たち魔法使いを心から信じてくれる素晴らしい方でした」
    「うん、それで。それから?」
    「それから……」
     言葉が、すぐに出てこない。その人を表す言葉が見つからなかったのだ。それだけ偉大な存在という比喩ではなくて、文字通りに。彼であったのか、彼女であったのかさえが、曖昧な状態で記憶の淵に残っている。
     レノックスが赤い瞳を丸める様を、フィガロはどこか残念そうに見つめていた。しかし彼は忘却の兆しを見せるレノックスを前に、叱責はせず、「仕方のないことだ」と口にする。
    「魔法使いは、心で魔法を使う。心が壊れそうなくらいの愛を抱えて生きることはできないから、忘れることは当然の防御反応なんだよ」
     レノックスの手元を離れた羊が、フィガロの足元に駆け寄った。フィガロはそれを膝元に拾い上げ、整えられたばかりの柔らかい毛並みを撫でていく。
    「俺はね、おまえに忘れられたくないんだ」
     死ぬことは怖くない。そうともフィガロは続けていった。かつてのオズが、不思議に思っていたことで。レノックスが薄々勘付いていた理由の答え合わせだ。
    「レノが覚えてくれている限り、俺が生きた証がこの世界に残り続けてくれるだろう。俺の故郷も、マナエリアも、師匠や兄弟弟子、唯一の弟子や、第二の故郷のことだって。おまえにはね、俺と一緒に見聞きしたことのすべてを、覚えていてほしいんだ」
    「……、つまり――」
     諦めて、いるのですか?
     レノックスの低い声が、部屋に響いて溶けていく。フィガロは首を横に振って「信じているんだよ」と口にした。
    「いいえ、諦めていますよね。俺が、あなたを忘れると」
     賢者を引き合いに出したフィガロのように。それはとんだ思い違いだと、レノックスが口にしたのは牧羊犬の存在だ。
     過去に一度、結婚を考えたことのある相手。その毛並みや気性、出会いや別れは当然ながら、クーリールと過ごした何気ない日常の数々の場面が、今もレノックスの脳裏には鮮明に蘇り続けるのだ。
    「あなたが忘却を理由に使うのは、信じるだなんて口にしながら、俺を信じ切れていないからですよ」
     信じてくださいと、レノックスが言葉で縋る。フィガロは困惑を表情に乗せながら「なんで」と、青白い唇で呟いた。
    「なんで、今更になってそんなことを言うんだ。きみは、俺のことを……友人だって言ったじゃないか」
     そうレノックスを責める言葉の響きの、なんと弱々しいことか。
     情けないとも印象付きそうな声色だが、レノックスの胸に湧きあがったのはマイナスの感情ではない。妥協だなんて表現こそ使ったが、これは彼の本心からの言葉であったからだ。
    「なんでって……。あなたが、俺に向き合ってくれそうになかったからですよ」
     今だってそうだ。
     レノックスがフィガロに喰らい付こうとしなければ、はぐらかされて終わった話題だろう。レノックスはなおも追い打ちを掛けるように「好きですよ」と、口にする。北の国で生まれた大魔法使いであるフィガロも、南の国で生まれ変わった良い医者の魔法使いであるフィガロも。等しく、レノックスの愛した男の姿であった。
    「あなたがそれでも諦めるというのなら、俺にはもうどうしようもないので構いません。俺が幸せになる手立てが見つからなくなるので、少し困りますが……」
    「……ひどい脅しだ、良い性格をしているね」
    「あなたほどではないですが、おかげさまで」
     フィガロの腕が伸び、レノックスの袖を掴んでいく。俺だって、と。聞こえた声は、か細かったし。手首に触れてきた指先は、とても冷たい。
    「俺だって、おまえが好きだよ……。だから、覚えていてほしいんだ。俺が死んだ後も、ずっと、呪いのように。世界に俺が残らなくても、俺の存在がおまえの心身を蝕み続けてくれたなら、それだけで俺は幸せになれる」
    「覚えていますよ、きっと。忘れないと、約束をしたって構いません」
     その約束を破ってしまう時はきっと、レノックスは北の国にいることだろう。
     険しい土地で精霊たちに見放され、あらゆる魔法と祝福を剥奪された人間の行き着く姿は、想像に難くないはずだ。そこで眠るように、瞳を閉じるのも悪くはない。
     そう紡ぐレノックスに、フィガロは何も語らない。
    『飛来する星は旅人だ。旅人が世界を変える。止まっていた時間が動き出す』
     あなたの世界は変わったのだろうかと、レノックスは訊ねない。
     床に落とされた紙にはもう、何の文字も残されてはいなかった。



    (おれがねむるまで)
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    DONE2022.1.23.Sun
    ピクスク開催北師弟Webオンリー
    HAPPY北師弟DAY

    開催おめでとうございます🎉

    スペース:氷 い5

    新作展示:八つ当たり【北師弟+アーサー】

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    はぴして 北師弟+アーサー 新作展示『八つ当たり』「めずらしいのう」
    「めずらしいのう」
    「アーサーちゃんおこじゃの」
    「一体何があったのじゃ」
    「きっとフィガロがなにかしたんじゃよ」
    「わからないよ、オズちゃんかもよ」

     背後で好き勝手言っている声が聞こえる。外野は気楽でいいが当事者たちはそうもいかない。窓の外はどんどん曇ってくるし、アーサーの癇癪も治まる様子はない。本当に珍しいことだ。

    「アーサー」
    「いや!」
    「……まだ何も言っていない」
    「いやぁ!」
    「アーサー……」
    「うううう」

     本当の本当に珍しいのだ。アーサーは歳の割に聞き分けの良い子どもだった。そりゃあ、子どもらしくわんぱくなところもあるが、俺たちの話はよく聞き、あまりわがままを言わない子どもだった。
     そのよくできたアーサーが、地団太を踏んで、力いっぱい体いっぱいに癇癪を起している。オズはもうお手上げ状態で、完全に困ってしまっているようだ。
    1988