火遊びにならない「ミッチー、大丈夫?酔っちゃった?」
「ん……だいじょぶ」
「あはは、人の肩に頭預けて言う台詞じゃないね」
行きつけの居酒屋、帰り際の一幕だ。もう何千回と繰り返している。三井に呼び出されて店に来るのも、呼んでくせして先に潰れてこうやって甘えられるのも。
まあ、三井さんってもともと人懐っこいほうだし。高校時代は流川とかに頭乗せてるのくらいよく見たし。この人にとっては当たり前の距離感なんだろう──とは、ならなかった。
(三井さん、俺のこと好きすぎでしょ)
水戸は、自身が鋭い方であると自負している。こと恋愛に関しては特に顕著で、相手が気づいていない想いにも先に気づくほどだ。三井のことは別に好きでもないが、ボコられた相手に好意を抱ける精神性はかなり気になっている。
こうやって大した繋がりもなかった後輩を何度も呼びつけるのはなかなかおかしい。この間なんて宮城から『三井サンいつ誘っても、水戸と飲むから無理、って返しやがるんだけど』と苦情を入れられてしまった。バスケ部の後輩よりも優先してんじゃねぇよ。
また、時々話した覚えのないことまで知られている時がある。ストーカーでもされているのかも知れない。
それに三井がいくら距離感がバグっていようと、酔いにかこつけて誰彼構わず手を絡めてくるなんて、流石にないだろう。ほら、今も。
「俺の手いじって、おもしろい?」
「おー、めっちゃおもしれー。つか、俺の手と全然ちげーな」
「そりゃ。アンタのは俺なんかのよりよっぽど大事な商売道具だからね」
ほら。ほらほらほら!
三井さんの手は綺麗だね、と。ちょっと触って褒めただけで、赤い顔をさらに赤くして、ピクリと手を反応させて。面白い。
ほころぶような笑顔は、どう考えても気がある。そのことを考えると流石に生々しすぎたのか背筋にゾクリとした悪寒が走るが、好奇心というものは止められない。
でも俺、水戸の手も好きだから、俺なんかって言うなよ、なんて。健気な台詞まで発しちゃっている三井に、ニヤつきを抑えるので精一杯だ。
「そういや、こないだの試合見たよ。スリー決めまくってたね」
「えっ?……えっ!?マジで!?来てたのかよ、うわ、全然気づかなかった。もっと声張って応援しろい!」
「はは、結構頑張ったつもりだけどな」
ぱあっと顔を輝かせて。はにかみながらもちょっと不服そうなのは、きっと水戸に会えなかったからだろう。
人が多かったとはいえ、かなり熱中して声を上げていたのに気づかないなんて、俺への愛が足りないんじゃない?
好きにさせていた手にギュッと力を込めると、肩が大げさにビクリと跳ねて、ペラペラと喋っていた口が急につぐまれる。動揺した瞳がチラチラと手と水戸を交互に見やり、息を詰めている。ドキドキしているんだろうな。かわ、違う、面白い。
する、と解けば、寂しそうな顔。すぐに取り繕っていたが、バレバレだ。
「ミッチー、もう帰ったほうがいいんじゃない?」
「あー……うぅん……」
「送ってこうか?」
「マジでっ!?」
渋っていたのが一転。バタ、と立ち上がって、喜色満面だ。お尻に尻尾が見える。
席を立てば、いじらしく袖を柔く握ったままとたとたとついてくる。成人男性のひよこみたいな仕草に、吹き出さないようにするのが大変だった。
会計を済ませて外に出れば、びゅうと夜風が吹いた。さむ、と思わずこぼせば、熱い指先が絡まる。見上げると、ふやけた笑み。
「あったかいだろ!」
はは、この人ほんとに。男と恋人繋ぎしてそんなに嬉しそうにするの。変だって気づいてない?そんでバレてないって思ってるわけ。面白すぎるでしょ。
三井を恋愛的に見たことはないが、こうやって突飛な行動を観察したり、からかって反応を見るのは楽しい。楽しいから、そのままにしておいた。ミッチー、面白さで相当得してるよ。良かったね。
そうやって酔いに任せて適当な話をしつつ時々からかっていれば、あっという間に別れの道だ。三井はいつもより酔っているようだが、腐ってもスポーツマン。足取りはしっかりしているし、そもそも泥酔したところを見たことがない。三井は案外自制して飲むタイプのようだった。
「じゃあ、ここで」
「え!みと、送ってくれるんじゃなかったのかよ……」
「ん?送ったじゃん、ここまで」
「だから……いえ、まで」
キュ、と繋ぐ手に引き止めるように力が込められる。でかい図体で、器用に上目遣い。酔いか羞恥かに染まった頬で、ヘーゼルの瞳が零れそうだ。
いつもの調子が嘘のような、弱々しい声で縋られて、抑えきれない好奇心がむくむくと湧き上がる。
だって、こんな顔は知らない。今まで数年に渡ってからかい続けてきたけれど、ここに来て初めての表情だ。
あれ、俺この人のこと、まだ知らないところがあるんだ。なんだかそれは……面白くない。
だから衝動が、酒で軽くなった口から、音になって飛び出してしまった。
「三井さん、俺のことすき?」
「…………へっ?」
ポカン、と口を開けて、数秒の後、全身の体温が数度上がる。繋いだ手からも、顔を見てもわかる上昇に、愉快さが取り戻された。はくはくと口を開閉させて、必死に状況を理解しようと頭をぐるぐると悩ませている。
面白い。きっと付き合ったら、もっと面白いことになるだろう。
「……うん」
こくり、と。観念したように小さく言って。それから。にやり、と口角をあげられる。
「好きだぜ?」
強気な笑みだ。今までのしおらしさが吹き飛んだ。試すような視線が投げかけられ、背筋を衝撃が伝う。
脳裏では、大楠たちがやんややんやと声を上げている。『洋平、やめとけよ、火遊びはろくなことにならねーぞー』いやいやお前ら。三井さんだぜ?ちょっとからかうだけ。火遊びにもならねーよ。
水戸は口端を釣り上げて、三井を見つめた。
「じゃあ、付き合う?」
「おう!」
遊ばれているとも知らないで。本当に嬉しそうに、三井は笑った。
「みっちー、だいじょぶ?酔っちゃった?」
「ん、大丈夫」
「あっはは、人の肩にあたま預けていうセリフじゃないね!」
「お前も人の頭撫でながら言うセリフじゃねえなあ」
行きつけの居酒屋、帰り際の一幕だ。もう何千回と繰り返している。水戸を呼び出して飲むのも、意外に酒に弱いこいつが笑い上戸と化すのも。
まあ、水戸って割と笑うやつだし、意外と距離も近いし、花道のために広島まで旅賃貯めて行くようなやつだし。呼べば毎回、仕事を休んででも来るのはこいつにとっては当たり前のことなんだろう──とは、ならなかった。
(水戸……俺のこと好きすきだろ)
三井は自身がちょっと、ほんとにちょっとだけ鈍いほうだと理解している。
だけれども、流石に先輩に誘われたからといって仕事を休むのはおかしい。一度や二度ではない。花道がしょげた顔をして事情を説明しに来て『このままだとヨーヘー、仕事クビになっちまうぞ……』と悩みを吐露するくらい深刻な事態になっていた。おかげで水戸周辺の人間に水戸のスケジュールを聞いてから誘う、という二度手間を課されている。正直めんどくさい。水戸に聞いてもいつでも大丈夫しか答えないから。
それに、ほら。雑談をしていると、水戸が仕掛けてきた。
「三井さんの手はきれいだね」
「おー、あんがとな。でも俺、お前の手も好きだからな?」
「ははは、ありがと」
ほら。ほらほらほら!
手をいじっていたら、絡めてきて、随分と熱量のある瞳で訴えられる。褒めかえしてやればとびきり嬉しそうな笑顔。面白い。
水戸が、俺の言葉で一喜一憂するさまが面白い。だってあの水戸だ。俺のことをボコボコに殴った、氷のような目の水戸。一体どういうわけで俺のことが好きになっちまったんだろう。気になる。だから思わず何度も呼びつけてしまっている。
「そういや、こないだの試合見たよ?三井さん、スリー決めまくってたね!」
「えっ?……えっ!?マジで!?来てたのかよ、うわ、全然気づかなかった。もっと声張って応援しろい!」
「はは……結構頑張ったつもりなんだけどな」
いや、え!?水戸来てたのかよ、嬉しい、けど、だって。だってこないだの試合アメリカだったぞ!?来てるとか思いもしねーわそりゃ!つか水戸、アメリカまで来たのかよ、俺のために?やべえこいつおもしれー!!うわははは!
一方の水戸は気づかれなかったのが不服だったのか笑みを薄くしている。そうだよ水戸、お前連絡しろよ。どうせ花道のついでとかだったんだろうが、一報入れてくれりゃー時間作ってアメリカ観光くらいできたのに。おかげで宮城のいまだ冷めやらぬアヤコ信仰の話をずっと聞かされる羽目になったんだぞ、俺は。
と、唐突にぎゅ、と力を入れて手が繋がれる。こいつは酔うとスキンシップが過剰になるからいけない。昔殴られた反動からか、こうやって触れられるとどうにも緊張してしまうのだ。
固くしていると、楽しそうにくふくふ笑って遊んだあと、するりと開放される。何がしたいのかよくわからん。わからないが、面白い。冷静な水戸が俺のせいでよくわからない行動に出るのを見るのは面白い。
「……みっちー、もう帰ったほうがいいんじゃない」
「ああ、うん」
「……送ってこうか?」
「……まじで?」
意味深な間に身の危険を感じながら、好奇心が抑えられずに乗ってみると、安心したように息をつかれた。
会計を済ませて外に出ると、水戸がふるりと身震いした。さむい。こぼされる。
ふと思いついて、自分から手を絡ませてみる。ぎゅ、と握ると、目をまあるくした水戸が見上げてくる。こういう時、2歳年下の顔つきになるもんだから、からかうのをやめられない。
「あったかいだろ?」
「あはは、うん」
目元を細くして、幸せそうに笑われる。
水戸のことを恋愛で見たことはないが、こういう顔を見せられると想われるのも悪くはないと思えてしまう。俺がちょっと構っただけでこんなんになるなんて、楽しすぎる。
そのまま機嫌を良くした水戸は、今までの試合や三井の私生活についての話をペラペラと喋り始める。あのときのスリーかっこよかったね、三井さん体力ついたよね後半でも元気そうで安心した、そういえばちゃんとご飯食べてる?スポーツマンなんだからしっかり栄養とりなね、と。こんな調子だ。時々繋いだ手が変な触られ方をする。いくら何でも好きすぎだろ、俺のこと。
適当に相槌を打ちつつ、危ない手に気を向けていれば、水戸の足が止まる。三井と水戸の家との分かれ道だ。
「……じゃあ……ここで」
すごい渋々だ。びっくりするくらい寂しそうな顔で言われて、そんなんなら言わなきゃいいのに、と思ってしまう。というか。
「え!?水戸、送ってくれるんじゃなかったのかよ!」
「へ?送ったじゃん、ここまで」
「だから、家まで」
言ってから、あれ?と自分でも思う。あれ?なんかこれ、変なこと言っちまったかも。何が何でも連れ込みたいみたいじゃないか?
おそるおそる水戸を見れば、パチリと瞬いて思考している。
口端が上がったりしかめっ面になったり百面相して、そうしてついに口が開かれる。
「……三井さん、俺のこと好き?」
「……ぇ」
正直そういう目で見たことがない。
好きって言ってほしいんだろうな、期待を乗せて見つめてきてる。
あー、やべ、どうしよ。水戸のことは感謝もしてるし面白いと思ってるけど、襲われるとかあったら流石にやべーよな。今までも散々バレバレな接触してきたし、そっちもグイグイ行きそう。
見てる分には楽しいけど、実際触られるとなるとこま……らない。かも知れない。面白いって思っちまった。いや、ふつーに水戸がどんな顔して俺のこと抱くのか気になるじゃん??男の、タッパも筋肉もあるかったい体に興奮する水戸、面白すぎね??
「……うん」
は、と水戸が息を呑む音。
あー、頭の中の鉄男が呆れている。『ガキが火遊びなんてできるわけねーだろ』舐めんなよ鉄男。そんくらいできるわ。つか、俺と水戸だぜ?ちょっと付き合って見るだけ。だから徳男もそんな心配すんな。『三っちゃん!火遊びなんて危ないよ!』どうせすぐ飽きるだろ。火遊びにもなんねーよ。
脳裏の心配性の友人共に別れを告げ、にやり、と笑って、挑発してやる。
「好きだぜ?」
水戸はまた瞳を大きくさせ、は、と息を吐いた。必死に隠しているが、ちょっと頬が震えている。嬉しさを噛み殺しているようだ。
「じゃあ、付き合う?」
「おう」
遊ばれているとも知らないで。殺せなかった笑みを顔中に溢れさせて、水戸は笑った。
この後、二人の予想通りに『遊び』は火遊びにもならなかった。代わりに、二人の予想とは大きく外れすったもんだの末に数年後、結婚に至ることを、まだ誰も知らない。