君の笑顔を守りたい「アイツに応援されると、何がなんでも勝たなきゃって気分になんだよな」
帰り道の三井サンは素直だ。素直というよりも、部活の疲れからか脳直具合が激しいだけだが。
その証拠に今だってほら。俺のアヤコちゃんへの愛をウンウンと聞いていたと思ったら、フッと笑ってこんなことを言い出した。
悲しいかな、三井サンのこの突拍子のなさに慣れてしまった体は、言いたいことをすぐさま理解してしまえる。
「堀田さんスか」
「おう。アイツには迷惑かけ通しでよ、ほんとに。それなのに今もずっとついてきてくれて……」
ずび、と鼻水を啜る音。マジか泣いている。さっきまでカマキリの交尾の話を嬉々として語っていたのに。情緒どうなってんだこの人。
だがその思いには宮城にも覚えがあった。
相手はもちろん、安田靖春ことヤスだ。
中学で出会ってから今まで、何かと不安定な俺のことを支えてくれた。つっけんどんな態度を取ってしまったこともあるし、ヤスがいなければ耐えられなかったことだってたくさんあった。俺の勝手で泣かせたことは一度や二度ではない。特にバイク事故を起こした時の、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた姿は一生忘れられないだろう。
「アイツはいい男だぜ……俺、アイツの願いなら何でも叶えてやりてえよ」
スン、と鼻を擦って、遠くを眺めている。浸っているなさては。
三井をシラけた目で見つつ、宮城も一つ考えてみた。ヤスの願い。普段欲を見せないヤスの、貴重な願い。そんなもん叶えたくなるに決まってるだろう。
三井に同意することは少々癪だが、宮城は頷いた。途端、ぱっと輝く。
「お前もか!!いやぁ、徳男いいやつだもんな、俺もお前がそこまで言ってくれて嬉しいぜ……!!」
「いやヤスの話だよ」
「んだ安田か。ぬか喜びさせんなよ。でもお前らってスゲー仲い、いでッ!?」
勝手に勘違いされ勝手に盛り上がられた挙げ句がっかりされた。その上、目を押さえて唸っている。コロコロコロコロと、忙しない。話題も行動も。これは堀田さんは苦労してるだろうな。
「なに。どーしたんスか、虫でも入りました?」
「や、多分まつげ……ん」
「ん?」
足を止めて、顔を合わせられる。何かを待つような沈黙が降りて、もう一度『ん』。
「……え、何怖い」
「だから取れって言ってんだよ!なんかビミョーな位置で引っかかってる感じすっから」
言ってねえ。んなこと一言もいわれてねえ。それが人にもの頼むときの態度か。親の顔が、ってところで堀田さんが浮かんできた。あの人の甘やかしの成果だなこりゃ。
「じゃもうちょっとかがんでくださいよ。見えねーって」
「チッ、しかたねーなぁ」
「態度悪ッ!!」
上体を曲げて位置を合わせてくる。が、いかんせん部活帰りの日の沈みかけた通りではうまく見えない。ほっぺたを掴んで、もっと見やすい位置に調節。うお、と声が漏れてたが無視だ無視。
果たして睫毛は、ぷっくりと膨れた涙袋の上で眼球に鋭利な切っ先を向けていた。ムカつくほど長いそれをつまんで、ポイと投げ捨てる。
「ハイどーぞ。できましたよ」
「おー、あんがとな」
「アンタお礼言えたんだ……」
「んだと!?舐めてんな宮城!!」
噛みついてきた三井に、上等とばかりに睨みを返す。そうして売られた喧嘩を買おうと、した時。
「テメェッ!三っちゃんに何してやがんだ!!」
「!?」
地響きのような怒号。反射でメンチを切って振り向くと、そこには。
「え、徳男?」
「や、ヤス……?」
怒りに猛る堀田と、その後ろでアワアワとしている親友の姿。ちょっと堀田さん、と引き留めようとしている。
あれ。もしかして聞こえていただろうか。かなり恥ずかしいことを言ってしまった。言ってしまったというか、頷いただけだけど。
かあ、と頬が熱くなる。三井サンは少しも恥ずかしがる気配なんて無いが。
何故か盛り上がっている堀田のことは三井に任せるとして、宮城はヤスのことが気になっていた。話を聞かれるのはまだいい。三井サンが堀田に対する暑苦しい友愛を語っただけだ。でも、それに頷いたところを見られたかもしれない。気恥ずかしさを誤魔化そうと首を擦りながら、ええっと、と勇気を出した。
「……見てた?」
「ぜ、ぜんっっぜん!?」
見てたな、こりゃ。顔が真っ赤で、ウロウロと視線が泳いでいる。
はあとため息を吐いて、観念した。見られてしまったからには仕方がない。潔く認めるほうがまだかっこいい。左手首を一瞬さすってから、宮城は安田を見つめた。真摯に、思いを込めて。
「でも、本気だから。俺、本気で思ってる」
「あ!うん……本気で想ってる……」
本気で、ヤスの願いなら叶えてやりたいと。
ヤスは小さな声で繰り返したあと、深呼吸をした。パシ、と手を取られる。目がキラキラと輝いている。え、なに。なんだ。
「俺、応援してるから!」
「え、なにを」
「リョータと、三井さんのこと!!」
「……へ」
えええええ!?なんで三井サン!?俺と三井サンの、何を応援しているって!?
混乱する宮城を置き去りに、ヤスは興奮した様子で言葉を続ける。
「さっきキスしてたことも、もちろん誰にも言わないし!俺、リョータと三井さんがこんなに仲良くなってくれて、ほんとに嬉しいよ……!!ずっと気にしてたもんね、おめでとう、リョータ!」
ききききき、キスぅ!?してないしてない、してないよヤス!誰が三井サンなんかとキスするわけ!あ、さっきのアレ!?アレはただ三井サンが睫毛取れってうるせえから、つか大して仲良くもないし、気にしてたって何!?!?
なんて叫び声は。
涙を目に浮かべながらニコニコと花を飛ばすヤスを前に喉の奥に飲み込まれていった。言えない。言えるわけがない。ブンブンと俺の手を振り回して、こんなに喜んでいるのに、俺には無理だ。
助けを求めるつもりで三井に目を向ければ、まだ脳天気にバシバシと堀田の肩を叩いている。動揺と怒りで震える、堀田の肩を。
「み、三ッちゃん、さっき宮城と……」
「ん?おう!俺は全部マジだぜ!」
ば、バカヤロー!!!!
勘違い加速させるようなこと言ってんじゃねー!!ニカッ、じゃねーんだよ、ほら堀田さんすっかり思い込んじゃってるよ!百面相だよ!!親友の恋路応援すればいいのか相手が俺であることに反対すればいいのか解んなくなっちゃってるよ!!頼むから堀田さん、反対しまくってくれ!!
「…………応援、するぜ」
「?おう!あんがとな!」
あああああ〜〜!!応援しちゃった!!親友の幸せのが重かった!前歯折られたり病院送りにされたりいろいろあった条件最悪の男を許しちゃった!三井サンもわかってないのに返事すなよ、どうすりゃいんだこれ!
「そ、そうか宮城か……いやでも、三ッちゃんがマジだって言うなら、俺はどこまででも応援するよ!三ッちゃんが好きなやつと幸せそうにしてるのが何よりも嬉しいからよ!!」
「え?あ、おう……??」
アレ〜〜??もう完全に親友の幸せに天秤傾いちゃってる。俺への不満がポーンと宙に投げ出されている。
ボダボダと涙をこぼして、男泣き。
んんんぅ、と唇を噛んで震えている宮城とは裏腹に、ヤスは未だニコニコと幸せオーラ全開だ。
うおおい、と声まで上げ始めた堀田を引っ張って、ヤスが満面の笑みを俺たちに向けてくる。
「三井さん、リョータのこと頼みます。お邪魔してごめんなさい、俺たちもう行きますから。リョータ、また明日!」
「宮城ぃ!三ッちゃんのこと泣かせたらただじゃおかねーからな!!」
堀田の怒鳴り声が、だんだん遠くなって、やがて沈黙。
ぎぎぎ、と隣を見れば、流石に状況を理解したのか青い顔。
「……」
「……」
気まずい。どうしたらいいんだこれ。
一緒に帰ってただけなのにいつの間にか付き合ってることになっちゃった。
「……アイツら、なんか勘違いしてたな」
「……っすね」
三井サンが、顎の傷跡を撫でながら呆然と言う。同じく呆然と返して、再び重い沈黙。
「……スゲー喜んでたな」
「そすね……」
あんなに喜んでいるヤスはなかなか見れない。よっぽどのこと──例えば、山王に勝つとか──が起こったときしか見れない表情だった。人の話もちゃんと聞かずにはしゃぎ倒すなんて。
「俺たちが付き合ってないって知ったら、徳男どう思うかな……」
「……すーー……」
ワイワイと飛び跳ねていたヤスが、ピタリと動きを止めて、はっとして。手を胸に持っていき唇を噛んで、困り眉。『ごめんリョータ、俺すごい勘違いしちゃって……三井さんにも迷惑かけたよね。ほんとにごめん……』と。しょげた顔で言ってくるのが脳内で再生されてしまって、宮城は歯の合間から苦し紛れに押し出した。
「……俺、アイツに応援されたら、何が何でも勝たなきゃって気分になんだよな……」
「俺も……」
勝ち負けの話ではないが、気持ちを落ち込ませたくない。
ヤスにはたくさん迷惑をかけたし、感謝もしてる。ヤスの願いなら何でも叶えてやりたい。
でも。でもだ。相手は三井サン。いろいろ、ほんとにいろいろあった相手だ。まだあんまり仲良くなれてないし、三井サンだって俺のこと好きじゃない、と思う。前歯折っちゃったし、スゲー殴っちゃったし、目が合わないことが多いし、しかめっ面ばっかしだし。こうして一緒に帰ってくれるところを見ると、歩み寄ろうとしてくれているんだろうけど。
「……徳男にはスゲー迷惑かけちまったし、アイツの願いは叶えてやりたいけどな。でも宮城俺のこと嫌いだろうしなぁ。アヤコにはべちゃくちゃうるせえのに俺とは全然喋んねえし、つかあんな事しちまってこうやって一緒に帰ってくれてるだけでもスゲーことで。でも徳男が悲しむのは見たくねえ……」
すげえ、全部声に出すなこの人。ウンウンと唸りながら、本人を前によくあけすけに言えるものだ。いや、これは心の声が漏れていることに気づいていないのか?そんな気がしてきた。
「……」
「……」
ひたすら青空を見つめていた三井サンのヘーゼルが、ゆっくりと降りてくる。俺はずっと三井サンのこと見つめてたから、自然と目が合った。吸い込まれそうな瞳に、俺が映り込んでいる。
そのまま、三井サンのうすい唇が小さく開く。何を言われるかはわかっていた。俺が出した結論と、同じセリフ。
「「付き合う……か……」」