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    kariya_h8

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    kariya_h8

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    すみれが吐いているだけの話(恋愛感情は無いです)

    合食禁 ヴァイオレットのスキルを真正面から喰らったシャドウが、悲鳴を上げて霧散する。
    (あ、)
     瞬間、お腹の中に、突然何かが入り込んだような。食べてはいけなかったものが夕飯に入っていたと知ったときのような。事故のあと、かすみの部屋を覗き込んだときのような。
     やったな、と仲間から労いの言葉が飛んだ。
     ざあ、と顔面から血の気が下がる。嫌な汗が仮面の下からふつふつと浮かび、首筋を伝って行った。ぐらりと頭が重くなって、平衡感覚を維持できない。
     内蔵が両手で雑巾でも絞るように圧迫されるよう。
     意図せず腹部に力が入り、力に逆らえなかった胃はそのまま内容物を押し出そうとしてくる。
    (だめ)
     反射的に手を口に当てる。足に力が入らない。
    (だめ、だめ)
     喉にぐ、と力を込めて何とか押し戻そうとするも、圧迫は弱まらない。苦しさに涙すら浮かんでくる。視界が歪む。
    (だめ、なんで、だめったら)
     喉から胃酸が上がってきて、口の中が酸っぱい――そう感じたときにはもう遅かった。
    「……ぇっ」
     ――ぼたっ、ぼたたっ。
    「ヴァイオレット!?」
     周囲から高い悲鳴が上がる。一度出してしまったら堰を切ったかのように止まらず、そのまま胃腸を絞るように胃の内蔵物が外へ飛び出して行く。堪えきれなかった物が指の間から零れ、服を、白い床を汚していく。
     お腹が苦しい。喉が痛い。呼吸が出来ない。痛い。情けない。恥ずかしい。
     様々な感情が綯い交ぜになって涙が零れ、自分の吐瀉物の上に落ちて行った。
    「おい、大丈夫か!?」
    「一旦セーフルームに戻りましょう!」
    「ジョーカー、行ける?」
    「ああ」
     力の抜けきった身体がふわりと宙に浮く。汚れるのも厭わずにジョーカーはヴァイオレットを抱きかかえ、地面を蹴る。一番迷惑を掛けたくなかったのに。気を抜けばすぐに閉じてしまいそうな目を何とか開くと周囲からは心配そうな顔を向けられていた。
    「すみ……ま、せ……」
    「いいから。黙ってろ」
     辛うじて謝罪を載せようとするもすぐにクロウに遮られた。ああ、足を引っ張らないって言ったばかりなのに。
     何とか力を入れようにも自分ではどうすることもできず、ジョーカーの腕の中、ヴァイオレットはすぐに意識を手放した。




    「ほんとーに大丈夫か?」
     しゃがみ込んでベンチに座ったすみれを下から覗き込みながら双葉が眉間に皺を寄せる。
    「お家まで送るよ?」
     春が買って来た常温の水を手渡しながら声をかける。
    「すみません、ご迷惑おかけして。でも先ほど父に連絡したので、直に来ると思います」
     辛うじて笑みを顔に載せるも、もうそれ以上喋るのも表情を作るのも、正直億劫だった。
     意識を失ったヴァイオレットを抱えながらなんとかセーフルームに駆けこんだ怪盗団だったが、彼女の様子からこれ以上探索を続けるのは無謀だと、体調が落ち着くのを待ってすぐに現実世界へ戻って来た。怪我でもバステでもない体調不良を、スキルでどうにかすることは不可能だ。嘔吐で失ってしまった体力は現実世界へ戻っても回復せず、すみれは青白い顔のままベンチに座り込んでいた。まだ腹の中はぐるぐると渦巻いている。
    「そしたらお父さんが来るまで一緒にいるよ、心配だもん」
     杏が隣に座り、背中をさすってくれる。有り難くもある――が、
    「すみません……ちょっと一人のほうが気が楽で……大丈夫です、丸喜先生の現実ですから、変な人に襲われたりとかしないですよ」
     正直なところ、他の仲間に気を遣う余裕は一欠けらも残っていなかった。確かに誰かが一緒に居てくれたほうが安心はあるが、それ以上に親しい人に見られているということが、今は精神を削った。特に、今は、無理だ。
     頭の中にシャドウの断末魔が木霊する。
     腹の中は空にしたはずなのに、何かを置かれたような、重みが増す。
    「まあ確かにこれだけの人数に見られちゃあ、気も休まらないか……」
     だが心配そうな瞳の数は消えない。当然だ、仲間を見捨てるような彼らではない。精神的には一人にしてほしいのに、体調が一人にしてくれない。差すような視線に耐えきれず、すみれは目を瞑った。
    「じゃあ僕が残るから、皆はさっさと帰ったら?」
     そう提案したのは一番意外な人物だった。
     発言した明智が全員を見回すと、皆一様に目を丸くしていた。
    「おまえが……?」
    「そうだけど」
    「看病とか出来るの?」
    「それ、必要? 父親が来るまで様子を見ているだけだろ」
     そう言って肩を竦める。
    「皆、視線が重すぎるんだよ。彼女も言っていただろう、一人の方が気が楽って。そんな心配そうに見られていちゃ気も休まらない」
    「……その点、お前は問題ないと?」
     蓮が目を細め、何かを探るように明智を見つめる。
    「ああ。本当に問題が起きれば手を貸すが、それ以上のことはしない。だって、仲間ではないからね」
     利害が一致しているだけの協力関係。所詮明智と怪盗団の関わりなどその程度だ、それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ、今はすみれが望むことが出来る。暑苦しいほどの親切さも、申し訳なさで息が詰まるほどの優しさも、無い。
     暫しの間、蓮は明智をねめるように見つめるも、すぐに小さく息を吐いた。
    「……何かあったら連絡しろ。すぐ駆けつける」
    「え、まじで解散すんの? 大丈夫か? だって明智だぜ?」
    「君がいたって同じようなものだろう。だったら少しでも気が楽な人間を残すべきじゃないの」
     納得できないようにぐだぐだと言い続けるも、「ここにいても邪魔なだけだ」という蓮の一言で、怪盗団は不承不承解散を飲み込んだ。そうしていくつかの飲み物とティッシュやハンカチを残し、後ろを何度も振り返りながら蓮を筆頭に他のメンバーはその場を後にする。
     足音が遠く消えた瞬間、すみれは大きく息を吐く。心配そうな瞳が刺さることも、腫れ物に触れるような扱いをされることもないのは、彼らには申し訳ないが、非常に楽だった。明智は――自分にそういった目を向けないから。それが今までは寂しいと感じるときもあったが、今は有り難い。
    「明智さん……ありがとうござい、……ぅ……」
     それでもお礼はしないとと口を開いた瞬間、また内蔵を締め付けられるような痛みと苦しみが襲う。
     だめだだめだ、もう吐くな。もう迷惑をかけるな。
     反射的にまた手を口に当てる。もう吐けるものは何もないはずなのに、腹部が、苦しい。
     生理的に涙が目に浮かぶ。
    「……芳澤さん、立てる?」
     質問されるや否や腕を掴まれ明智の肩に掛けられる。
    「トイレ行っちゃったほうがいいでしょ、行くよ」
    「は、い……」
     明智に肩を貸してもらいながらゆっくりとトイレに向かう。確かに吐ける場所にたどり着いていたほうが精神的に楽だ。もう自分の吐瀉物を皆に片付けてもらうなど情けないことはしたくない。
     ゆっくりとした歩みだが、なんとか近くのトイレにたどり着く。明智は女性用でも男性用でも無く多目的トイレの引き戸を開くと、その中に二人で入り込んだ。鍵は掛けなかった。
    「吐きそう?」
    「……」
     問いかけに小さく頷くと、よろよろとトイレまで連れていかれ、便座に手を付いた。
     ああ、やっと吐ける。
     安堵から再度お腹が苦しくなる。喉に力を入れて、胃の内容物を早く全部出し切ってしまいたい。
     そうしたら、

     そうしたら?


    「ぅ、えっ」

     黒い翼を持った黄色いシャドウが悲鳴を上げて霧散する。
     腹に、何かが貯まる。
     ――お腹が、いっぱいになる。

    「ぇっ……ぅ、あ、ぁっ……」
     目からぼろぼろと涙が零れた。
     吐きたい。胃の中身を全部吐き出してしまいたい。空にしたい。吸収したくない。嫌だ。出したい。吐きたい。吐かせて。お願い。『あれ』を食べたくなんか、ない。
     お腹にどれほど力を入れても、喉に力を入れても、胃の中からは何も出ない。唾液と、胃酸が口から落ちていく。
    「これ、飲んで」
     視界の隅にペットボトルに入った水が映る。怪盗団のメンバーとは違う、平坦な瞳がすみれを見下ろしていた。すみれは蓋を空けてもらったペットボトルを受け取ると、それを一気に半分ほどまで煽る。胃に水が溜まっていく。これならきっと吐ける。そうしてまたトイレに向かう。
     口を空け、腹に力を込める。
     何も出ない。
     水さえも。
    「ぅっ、ぇっ……はっ……」
     苦しい。なんで、どうして、吐きたいのに、全部出し切ってしまいたいのに、嫌なのに。
     心は焦るばかりなのに、体が言うことを聞いてくれず、ただただ呆然と涙を零した。
     ぱたぱたと涙が手の平に、床に落ちる。
    「……吐けない?」
     そう尋ねられ、すみれは涙でぼやける瞳で明智を追った。彼はペットボトルを片手にしたまま見下ろしているだけだ。
    「あ……ち、さ……たす……け……」
     自分でもどうしたらいいのか分からない。一人になりたいと思っていたのに、もう迷惑は掛けたくないと思っていたのに結局一人では吐くことすらできない。情けなくて、でもどうしようもなくて、すみれはただ目の前の男に助けを乞うた。
    「わかった。苦しいかもしれないけど、我慢して」
     言うなり明智は手袋をするりと外す。そういえば彼が手袋を外すところを見たのは、この冬はじめてかも知れない。何をするつもりなんだろうとぼんやり見つめていると、備え付けの手洗い場で手を洗い始めた。ジャーと水の流れる音が耳朶に響く。石鹸も使って綺麗に洗ったのち、拭きもしないですみれの横にしゃがみこむ。そうして水に濡れた冷たい手で、顎に触れた。
    「口、開けて」
    「ぅ、」
     片手で顔を固定され口を無理やり開かせると、もう片方の手の指を喉奥に突っ込まれた。そして、舌の奥を押し下げられる。
     ごぼり、と胃の中から音が聞こえた気がした。
    「ぅ、ぇえっ……」
     びしゃびしゃと胃の中から水が出てくる。
     胃が締め付けられる。喉が痛い。苦しい。
     なのに、やっと吐けた、と苦しみではなく安堵から涙が最後一筋流れた。
     最後の一滴まで吐き切ると、やっと呼吸が出来たように力が抜ける。床にしゃがみ込む前に明智は彼女を抱き起こすと、トイレに座らせ、また飲みかけのペットボトルを手渡す。今度こそすみれはそれを吐くためではなく、飲み込むために受け取った。
    「あけちさ、すみま、」
     落ち着いて来ると自分の行動を振り返り、なんてことをしてしまったんだろうと申し訳なさと恥ずかしさが胸に襲来する。とんだ醜態を晒したものだ。謝罪を口にするが、「君は」と明智の言葉に遮られた。

    「シャドウを食っていない」

     彼の言葉に、息を飲んだ。

     なぜ。どうして。
     だって、私は何も言っていない。
     苦しさでも何でもない涙がまた、頬を流れる。

    「正しくいえば、吸収したのはペルソナで、芳澤すみれではない」

     丸喜先生に操られていた時の記憶はあまり覚えていない。どうやらジョーカーとクロウに無謀にも戦いを挑んでいたことは、後に彼らから聞いた。ただ、うっすらと覚えているのは視覚ではなく、感覚。何かをなぎ倒す感覚、肉を蹴る感覚、何かに技を放つ感覚、身体に何か痛みが走っていた感覚。
     そして、

     シャドウを食い、腹が膨れた感覚。

     その感覚は恐らく夢でもなんでもない。すみれはあのとき、あの戦いで負傷した身体を癒すために、隣にいた黄色いシャドウを、食ったのだ。そのときの充足感は忘れられない。
     その感覚が、ペルソナを通じてすみれに襲い掛かった。
     お腹の中に、突然何かが入り込んだような。食べてはいけなかったものが夕飯に入っていたと知ったときのような。事故のあと、かすみの部屋を覗き込んだときのような。
     忘れていた、忘れていたかった感覚が、同じシャドウを倒した瞬間、鮮やかに蘇ってしまったのだ。
     ああ、私はこのシャドウを食ったことがある、と。
     その事実に思い至った瞬間の絶望は、吐き気となってすみれに覆いかぶさった。


    「でも、でも私、あの黄色いシャドウを」
    「何度も言わせるな。シャドウを吸収したのはサンドリヨンで、君じゃない。ペルソナは君の心の在り様ではあるけれど、君そのものでは無い」
     だから、君は何も食べてはいないのだと。
     感情の乗らない突き放しているとも思える言動が、すみれの心にじわりと染みわたった。

     ほんとうに?
     私は怪物を食べていない?
     人間に似た怪物を食べていない?
     私は、人を食べたわけではない?

     そのことを否定され、悪夢から目が覚めたように心が弛緩した。

    「でも、私、明智さんたちに助けてもらったあと、おかしかったんです。一週間も丸喜先生のパレスに捕らわれていたはずなのに、お腹、空いてなくて。だからもしかして私、寝てる間にもシャドウを食べてたんじゃないか、って……」
    「異世界は現実とは在り方が異なるからね、状態異常でなければ空腹になることもないよ」
    「そう……なんですか……?」
     そうだよ、と言いながら彼は多目的トイレの扉を開ける。遠くから、一台の見慣れた車がやって来るのが目に見えた。
    「大体シャドウを食う食わないで言ったらジョーカーの方がおかしいだろ。あいつどれだけ吸魔吸血してるんだよ。あっちのほうが吐き気する」
    「確かに……?」
     彼のペルソナがシャドウに食らいつき、その血肉を自分の物にしていることを思い出し、すみれは妙に納得が行ってしまった。確かに、あのスキルでいくらシャドウに喰らいついても、その身体がジョーカーそのものになるわけではない。
    「仮にシャドウを食ったとして、霞を食っているようなものだろ、あんなの」
     明智の手を借りてトイレの外に出ると、外はもう夕陽が沈みかけてオレンジに染まっていた。吐いてしまったので内臓は疲れているけれど、もうすっかりお腹は減っている。
    「シャドウは『具現化した人間の感情』だ。感情なんかで腹が膨れるか?」
     それで膨れたら苦労はしていない、と彼は言外に含みを持たせた。
    「そっか……そうですよね……そうですよね!」
    「納得してくれたようで何よりだよ」
    「ぁ……」
     明智は疲れたように一つ息を吐くと、外していた手袋を嵌め直す。その手を、指を見て、あの白くて長い指を喉に突っ込まれた事実を思い出してしまい、顔に思わず熱が集まるのを感じた。
     さっきは全く意識していなかったが、指を口に含ませるなんて、男の人の一部を口に含んだなんて、それが明智のものだったなんて。あの指が舌を抑えた感覚を覚えている。唇に触れた感覚を覚えている。なんだか、なんか、とても、とても恥ずかしい。
    「ぅあ……あの、明智さん……」
    「何?」
     真っ赤になっている顔は夕陽が誤魔化してくれないかなぁなんて儚い希望を胸に抱きながら、すみれは明智を呼び止める。

    「ありがとうございました…………」

     深々と下げた頭と蚊の鳴くようなお礼の言葉に、聞き取り辛かったのか明智は小さく首を傾げた。
     もうシャドウにお腹を悩ませることはないだろうけど、しばらくの間手袋を外した明智には注意しなければならないんだろうなあ、とすみれはすっかり熱くなった頬を抑えた。
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