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    oh_mita_

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    そして輝くウルトラソウッ

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    2025/8/16 尾鯉の日だぜ

    #尾鯉
    koi

    罪悪感について 夕暮れ時、外から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。段々と近付いてきて塀の傍まで来ると泣き声に重ねて子守歌も小さく響いた。何処かの姉やが帰るところなのだろう。
     縁先の鯉登は泣き声の方へ顔を向けた。赤々とした夕日が鯉登の影を深め、溶け合う輪郭は紅花墨で描かれたように美しい。黎明のほの明かり、真昼の黄金、星月夜の白銀、いずれにあっても鯉登はそれぞれに麗しく、見惚れる度、尾形は片目の無いことを物寂しく感じていた。
    「謝らなければいけない子が居るの」
     鯉登の目は声を追わず残影を向いたままだ。「何処に」尾形は尋ねるが、それは居場所を問うではなく、鯉登が頭を下げねばならぬような子供が居るものかという声音だった。
     黒髪の毛先に、通った鼻筋に、上唇の山の頂に、終わり際の陽は砂子の輝きをちりばめる。あらゆる祝福の下に在るだろうに鯉登は微かに俯き、溜息と共に呟いた。「小樽の、アシㇼパのコタンに」尾形は訝し気に片眉を跳ねた。鯉登は続けて言う。
    「刺青囚人に稲妻強盗という輩がいた。銀行強盗と殺人を繰り返し網走に収監されたが、外役中に走って逃げきった人並外れの健脚だ。その連れ合いが蝮のお銀と呼ばれた悪女だった。か弱い女のふりをして旅人を幾人も殺し金品を奪った。稲妻強盗は脱走後暫く身を潜めていたが再び夫婦で盗みをはじめ、小樽に出没したと新聞記事が出た。それで中尉殿と――ああ、あの飛行船のすぐ後だ。お前と杉元たちが逃げた、あの後」
     鯉登の目は夢想から覚めて尾形を向き、ふと微笑んだ。飛びきり愛しい顔だというのに尾形は苦々しい顰め面を作って背ける。鯉登は嫌いあっていた昔を躊躇いなく懐かしむ。それがあてつけでないことは充分に理解していたが、尾形は断片を思い返すだけでも頭を打ち付けたくなる。随分煽った。落ちて死なれたら呆気なくてつまらん、もっと苦しんだらいいとさえ思っていた。この怒りと後悔、恥の混ざる居た堪れなさを罪悪感と呼ぶのだと、この頃ようやく結び付けられるようになった。尾形は頭を掻くふりで鯉登から顔を隠す。
    「お前……あれから落ちてすぐ任務へ行ったのか。中尉殿も怪我人に無理をさせたもんだ」
    「怪我?してないぞ、落ちはしたけれど高い木に引っかかったから。枝で少し擦ったり打ったりしたくらい」
    「……そりゃ、運が良かったな。でもあんな高さから落ちて恐ろしいことは恐ろしかっただろ」
    「あ、なぁに。今になって心配してるの」
     図星をさされ尾形は黙り込む。鯉登は囁くようにくすくす笑って、顔を背ける尾形へ膝でにじり寄った。
    「ちっとも怖くなんてなかった。お前たちを取り逃して鶴見中尉殿に叱られる方が怖かったくらい」
     そう悔やまないで、と宥めるように優しい声だからこそそちらを見れず、尾形はそっぽ向いたまま「そうかよ」と素っ気無く返した。鯉登は少し笑い、ひとつ呼吸をして子供の話へ戻った。
    「鶴見中尉殿が偽の刺青人皮で稲妻夫婦をおびき出し諸共殺した。奴らも刺青人皮を何枚か持っていると睨んだが、荷物から出てきたのは赤ん坊だった」
    「赤ん坊?そいつら子供を作ってたのか?」
    「ああ。まだ泣くしか出来ない小さな赤ん坊だった。……その子を、まさか我々が面倒を見る訳にもいかないだろう。鶴見中尉殿は信頼のできる人間へ預けると仰って――両親それぞれの着物と、少しの現金と一緒に、アシㇼパの祖母の家の前へ置いてきたと」
    「……成程。そりゃ確かに、そこらの孤児院へ預けるよりずっといいな」
     悪人同士の子供か、と尾形は思う。盗みに殺しを繰り返す悪党は間違いなく欠けた人間で、そんな父母から生まれた子供もきっと欠けた子供だろう。
     だが生まれた後に捨てられず父母と共にあったのなら、欠けてはいても愛されていたのではないか。要らないなら見捨てられた筈だ。自分のように。家を持たぬ悪党であるから『仕事』の間は籠で寝かせておけなかったにせよ、肌身離さず抱いていたのは愛していたからだと、尾形は微かな羨みを含んで見知らぬ赤ん坊を思った。アシㇼパの祖母は和人の捨て子でも大切に育てるだろう。あのコタンの連中も喜んで子育てに手を貸すのだろう。父母は居なくても、愛されていくのだろう。尾形は静かに前髪を撫でつけた。
    「それで、父母を殺したのは自分らだと謝りに行こうって言うのか」
    「――そうだ。あの子の母親を殺したのは私だから。間違いなく悪党だった。それでもあの赤ん坊のただひとりの母親だ」
     鯉登は畳の目の遠く向こうをじっと見つめて言葉を紡いだ。
    「いずれあの赤ん坊も自分に両親の居ないことを不思議に思う日が来る。真実を知ることが必ずしも是ではない。だが、あの子には答えを求める権利がある。両親がどんな人間だったか。何故死なねばならなかったか。殺したのは、誰か」
     鯉登の横顔は相変わらず美しかった。その眼差しには怒りも、後悔も、当然に恥も無く、認めることを拒み亡霊まで作り上げた尾形とは正反対で、異質だ。まるで全部自分が悪いと――否、『まるで』ではなく『そう』なのだろう。鯉登はずっとそうだ。尾形と同じねじ曲がり方で逆方向へっている。
    「くだらねぇ」
     鯉登がはっとして顔を上げる。顰め面を見せ尾形は舌打ちした。
    「母親だからなんだ。子を産めば罪も身から落とされるっていうのか?」
    「……そんなことは言っていない。悪党は悪党だ、それでも、」
    「そのガキの両親は強盗殺人を繰り返した罪人で第七師団が処刑した、あんたが一番真っ当に育ててくれそうだから預けた、面倒かけて悪かったってバァチャンへ謝るならまだいい。お前の母さんを殺したのは俺だ、ごめんなさい、なんてガキに謝って何になる」
     反論を言いかけ口を開いた鯉登に、尾形は言い捨てるように被せた。
    「お前、その、誰かから刺されるのを待つようなのは止めろ。あれこれも自分が悪いと引き受けて、矢鱈に誰かの敵になって、『お前さえ居なけりゃ』と責められるのを求めるな」
     自分が居なくなったら良かったのにと擦り切れるまで思いつめたから誰かにそう言ってああやっぱり自分は要らない子なのだと安心したいのだろう。だが尾形は、要らない子の、居ない子の、孤独を、よく知っている。深い辛さへ身を投げようとする鯉登へ手を伸ばさずにはいられなかった。そこへ高い木が茂っていないことは分かっていたから。
    「ガキにとってはただ一人の母親、それはそうだ。だがそのお銀とかいう悪党が殺した旅人らには、若い女につられた馬鹿も居りゃ、弱った女を放っておけないお人よしの若旦那も、同じ年頃の娘がいるからと本心から心配した爺さんだって居ただろうよ。たった一人の息子がお銀に殺されたとも分からず行方知れずを嘆いて死んだ婆さんだっている筈だ。そんな奴らからしたら、憎い仇を討ったお前へ感謝してもしきれないんじゃないのか」
     苦く見つめていた目を緩め、尾形は自分を撫でた手で、鯉登の頭を撫でた。
    「よくやった。皆、そう言うさ」
     鯉登は唇を結ぶ。欲しいのは突き落とす一言なのだろう。だから尾形は生涯言ってやらぬつもりだった。幾度か撫で、それでも変わらぬ強情っぱりを、尾形は抱きしめて撫でた。だが鯉登はまだ何も言わぬから、仕方なく抱いたままごろりと畳へ倒れた。流石に驚いたらしい鯉登の体の下から腕を抜き肘枕をして、添えたもう片方の手で背を摩ってやる。
    「腹が減ったか?」
    「は?腹?」
    「違うのか。ならおしめだな?」
    「おし……何の話だ?」
    「違うなら眠たいだけだ。眠れないからそうしてグズグズ泣いてるんだろ、さっき外を通った赤ん坊と同じだ」
     尾形は目を閉じて、鯉登の背を優しくとんとん叩く。
    「お化けも鬼も、怖いものは何にも来やしねぇよ。良い子だからさっさと寝ちまいな。ほら、ねんねん、ころり――」
     子守歌を口ずさめばやがて鯉登は「なんだ、それ」と小さく笑った。尾形は構わずとんとんしてやりながら、薄目を開ける。くすぐったそうに微笑んでいる鯉登と目が合う。「寝ろよ」素っ気無く言ったら微かな笑い声の後、「ごめん」と囁きが返ってきた。ああ似た者同士の意地っ張りだと尾形は諦念を溜息にする。
    「俺が見に行くか」
    「え?」
    「コタンへ行って、赤ん坊が元気でいるか見てくる。寂しい思いをせず暮らしてると分かれば、お前も妙なことを考えずに済むだろ。それに――俺を毒矢で殺した、なんてつまらん罪悪感を持ったままのアシㇼパへ顔を見せてやるのも、悪くないさ」
     薄く笑う尾形をしばらく見つめ、鯉登はほのかな微笑みを浮かべ首を横に振ると、ようやく尾形の浴衣へ手を添え身を寄せた。
    「なら一緒に行こう。お前はアシㇼパの誤解を解きに、私は、私の目で赤ん坊の無事を確かめ、私の口で赤ん坊について話す為に。私が余計なことを言わないように、隣へ居て」
    「……余計なことを言いそうになると思うんなら、家で良い子にしてな」
    「お前が居てくれたら言わない――多分。それにもし杉元佐一が居たら、一人より二人の方がどうにかなりそうじゃないか?」
     その名前に、尾形は毛嫌いを久しぶりに燻らせ、渋い顔をする。
    「あいつ、生きてるか?――生きてそうだな、くそ」
    「ふふ、私もそんな気がする。まぁコタンの中ならあいつもこちらを即座に殺しにかかるようなことはしないだろうけれど、二人で行った方が安全だろう」
    「は、別にあんな奴恐ろしかないが」
     露骨な嫌がりようを鯉登は可笑しがった。くすくす笑いが波のように引くと鯉登は尾形を双眸へ映す。瞳の黒は澄み、真ん中に居る己は暗闇に飲まれたようであったが、尾形は微塵も怖くなかった。
    「尾形――有難う」
    「……何の礼だ」
    「私、良い子じゃないのに、良い子だって撫でてくれるから」
    「馬鹿言え。どれだけ悪ぶったって所詮お利口さんの考える浅い悪だ、お前なんかが良い子から抜け出せるもんか」
    「うふふ、『本職の悪い子』からすればまだまだ?」
     「そうさ」答える尾形の頬へ触れ、鯉登は見えぬ目の方を優しく撫でた。
    「嘘つき。悪い子なんかじゃない。尾形は私にずっと優しい」
     「良い子」その声音が、尾形には恋しかったもののように響いた。遠い昔、泣くしかできなかった頃に、父母は代わる代わる自分を抱いて良い子だとあやし、その声は記憶になくとも魂に残り、今懐かしく聞こえたのかもしれない。確かめる術はない。だから尾形は、言って欲しいと焦がれ続けた言葉であったからこうも恋しく、それを鯉登が言ってくれたから胸へ響いたのだと考えた。自分は今愛されたい人に愛して貰っていると感じた。疑って失った愛に今目の前にある愛を重ねたくなかった。愛おしいと見つめたいのに、片目しかないことが悔しかった。
     優しく背を叩かれ、鯉登は溜息のように深く息をして目を閉じた。
    「なんだか本当に眠くなってきた。ねぇ子守歌の続きを歌って」
    「……坊や、良い子だ、ねんねしな――」
     尾形は歌いながら祈る。鯉登が泣かずに眠れるように。良い子だ、お前は良い子だよ、と。
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