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    野球留学生たなかくんと、元プロ選手のタケチ監督と、新兵衛は俺が育てたと思っている地元リトルリーグ監督俺の幻覚です!!!!!https://x.com/phnoch/status/1835224802514399563

    #武新
    wuXin
    #現パロ
    parodyingTheReality
    #野球パロ
    parodyOfABaseballGame

    夏を待っていましたこのサイレンの音を聞くと、夏が来たという感じがする。蝉の声でも花火の音でもない。野球人にとっての夏は、甲子園に始まり甲子園に終わる。テレビに群がる子供らのうち何人かは、数年以内にあの土を踏むのかもしれない。このサイレンの音を、全身の肌で聞くのかもしれない。
    「田中先輩どけおっと? 先発じゃなかと?」
    「こんた相手チームやっど。先輩は高知じゃ」
    練習を早々に切り上げたのは、もちろん甲子園中継に合わせてだ。集会所を借り切り、希望者はそこで見られるようにした。二日目、第二試合。この春に我がチームを巣立ったばかりの超大型選手、田中新兵衛が出場するはずだからだ。
    超大型、というのは比喩的な意味だけでなく、とにかく体が大きかった。小学生の頃から見てきたが、著しい成長期があったわけではなく最初からずっと同学年の子に比べひとまわりデカい体、強い力を持っていた。あまりに差がありすぎるので、物心ついた頃から遊びのドッヂボールでは利き手を封じられていたらしい。大きい子、特に急激に背が伸びた子は体のバランスを見失いやすいものだが、新兵衛は体幹が恐ろしく強く、ボディコントロールもしっかりしていた。
    野球のために生まれついた体、とは思わない。身軽さを絶対条件として求められるような種目でなければ、どんなスポーツでも上に行けただろう。だからこそ野球に、この俺のところに来てくれたことが奇跡だった。運命だった。野球の神様が連れてきてくれた子だと、この子を超一流の選手に育てるという野球界の未来を左右しかねない重要な任務がこの俺に託されたのだと、半ば本気でそう思っていた。
    攻守とも教えれば教えるだけ伸びた。投球は成人選手並みに重く、打球はバカみたいに飛んだ。決して層が厚くはなかったこの地区では見る間に浮きこぼれ、中一から実質エースを張り、上の子らがいなくなればそのまま四番に座らせたが負荷に潰れる気配もなく攻守二刀流で全てを薙ぎ倒していった。とうとう卒業までライバルになれる子もおらず、チームの総合力が追いつかないばかりに──新兵衛の球を受け切れる捕手を育てるのにも四苦八苦している有様だった──全国の舞台を踏ませてやることも叶わなかったが、その環境でも腐らず驕らず努力を続けることのできる鋼の精神をも持ち合わせていた。
    リトルで戦績を残すことには重きを置いていなかったのだろう。新兵衛の目線はいつも遠くを見ていた。プロか、メジャーか、本人が口にすることはなかったが、遥か彼方を目指しているのは明らかだった。長じてトップアスリートになる子というのは、幼い頃からこういう感じなのかもしれないと思った。
    本音を言えば、ずっと手元で育てたかった。俺の浪漫を詰め込んだ、俺の新兵衛を育て上げて世界と勝負したかった。それほどまでにのめり込んでいた。俺がおかしいんじゃあない、野球人であれば誰だってのめり込ませるだけの、ぶっ壊れた初期値と未知数の伸びしろを新兵衛は持っていたのだ。しかしここはリトルリーグだ。いずれ卒業する場所だ。分かっていたから、県外への野球留学が決まったと聞いたときも、ちゃんと祝った。入学先は甲子園常連の名門校ではなく、新設三年目の耳慣れない校名だったが、それも全国大会に出してやれなかった俺の責任だと受け入れた。新設なら設備も充実しているだろうし、上級生の圧力やしがらみも少なくのびのび成長できるだろう、あの子にとっては望むところなのかもしれん、と──。
    「あ! あれじゃなか⁉」
    「背番号7ど?」
    「投手じゃらせんじゃったんか」
    「まだ一年生じゃっで、三年が先に投ぐっとじゃなかか」
    「高校生でん、みんな田中先輩より小せな」
    子供らがにわかに騒がしくなる。このチームじゃOBがテレビに映るなんてことは初めてだから、プレイボール前から押し合いへし合いの大興奮だ。
    高校野球では守備位置に準じて背番号が割り当てられる。番号は20までで、一桁は正選手、二桁は控え選手だ。投手であれば、基本的にはエースが背番号1、交代用の選手が10・11を背負う。背番号7はレフト──つまり、メインで使いたい投手は他にいるが、攻撃回では新兵衛の強打が欲しいから、控え投手としてベンチに温存するのではなく外野手としてスターティングメンバーに入れているということだ。状況によっては交代させてマウンドに上げることも考えているのだろう。ベンチ入り人数が限られ、さらに投球数制限もある高校野球では、投手の交代要員確保のために投げられる子を外野手として入れておくというのはたまに見かけるパターンだ。二刀流で育て上げたことが奏功したのだと思うと誇らしく、どうだうちの新兵衛は、と会ったこともないあちらの監督に対して胸を張りたいような気持ちになった。

              ◆

    監督は覚えていないだろうが、新兵衛はずっとずっと前に──小学生の頃に一度だけ、プロ選手時代の武市監督に会ったことがある。シーズン開幕前の春季キャンプで、武市選手の球団が鹿児島に来ていたのだ。同じ県内とはいえ、自転車で二時間くらいかかっただろうか。土日は練習があるから平日に、学校をサボって一人で見学に行った。
    本当はピッチング練習が見たかったのだけれど、非公開だった。でも、スタジアムの出入り口で待っていたら運良く会うことができた。ナップサックに入れて持ってきた色紙にサインももらった。急に飛び出してきた迷惑な子供にも武市選手は優しくて、野球をやっているのかとか、どこの学校なのとか聞かれて、緊張で裏返りそうな声で答えて──年齢を言うと驚かれるのは小さい頃から慣れっこだったけど、小学生⁉一人で来たの?学校は?と突っ込まれるのは想定外で、すっかり固まってしまったのを今でも覚えている。返ってきた色紙には、サインに添えて右肩上がりの文字で『もう学校さぼるなよ!』と小さく書かれてあった。
    あれが初めてのご指導だった。だからあの日以来、本日に至るまで新兵衛は一度も学校を休んでいない。武市監督の下でプレーするようになるよりずっと前から、武市監督の言うことには例外なく全て従っているということだ。正確には今年、夏休みに入る前の地区予選で二回だけ公欠したが、あれはノーカウントだろう。何しろ、武市監督本人の引率で休んだわけだから。
    あのキャンプの直後に大怪我をして引退してしまった武市選手が新設の高校で監督をやるというニュースが飛び込んできたのは、中学生になってからだった。その頃の新兵衛はあまり調子が良くなかった──体の方には何事もなかったが、一年生で早々にエースの座を手に入れてしまったことで、自分より投げられる上級生が一人もいない、何なら打てる奴もいないというチームのレベルの低さに気づき、自分がいくら頑張ったところでこのチームでは上に行けないのではないかと思い始めてやる気を削がれていた──のだが、そのニュースで息を吹き返した。チームが全国に行けなくたってどうでもいい。自分一人で強くなればいい。強くなりさえすれば武市選手の、武市監督のところへ行ける。他県だって関係ない、日本ならどこだって行き方は同じだ。推薦枠と特別奨学金が取れる選手になればいいだけだ。
    それからの新兵衛は、野球留学のことだけを考えて練習に打ち込んだ。相手に恵まれた部分もあったが公式戦でノーヒットノーランやら三打席連続本塁打やらの派手な記録も残したし、U15日本代表の動画選考も通った。信念上、学校を休むわけにはいかなかったので二次選考は辞退した(何せ会場が東京で、日帰りというわけにはいかなかったのだ)が、動画選考だって全ポジション合わせて40人しか通過しない狭き門だ。国内の同世代選手の中でトップ40に入っているという認定を受けたに等しい。甲子園出場回数0回の新設私立校のスポーツ推薦枠には十分すぎる経歴を引っ提げ、満を持して新兵衛はこの春、土佐勤王高等学校のスポーツ科学科に入学したのだった。

             ◆

    よく我慢してくれているなと思う。
    田中新兵衛はピッチャーとして獲得した選手だ。他ポジションの経験はなく、ピッチャー一筋でやってきたという。低学年のうちは体が大きく体力のある子にとりあえず投げさせるから、それがそのまま投手になったお決まりのパターンだろう。
    直球では安定して130オーバーを出せた。制球も良く、何より、球が異様に重い。変化球はスライダーのみだが、ちゃんと曲がってはいる。ただ、曲げようという意識が強いのか体を横に振る癖がついていて、スライダーの後にストレートを投げさせると引っ張られて姿勢が崩れ、球威が落ちるようだった。中学レベルでは十分ゴリ押せただろうが、フォームが安定するまでスライダーは封印しようかと初日に話した。そのかわり、変な姿勢では投げられないカーブか、直球と同じ腕振りになるチェンジアップを教えるからと。
    話が変わってきたのは早くもその翌朝だった。土佐勤王高校は部活動に力を入れるコンセプトで創立され、各種施設は充実しているものの、まだ県外の生徒を多く集められるほどの強豪校ではないため寮がない。野球部では留学生は新兵衛だけなので、武市の家に下宿という形を取って通学させることになった。その下宿で迎えた初めての朝、おはようございますと少し恥ずかしそうに頭を下げてきた新兵衛に武市はぎょっとした──昨夜おやすみなさいと頭を下げてきた姿よりも、大袈裟でなく、ひとまわり大きくなっているように感じられたのだ。
    巻き尺を持ち出し、2メートルのところで切って壁に貼り付けた。その前に立たせて測ると185センチあった。推薦の調査書には180と書いてなかったかと聞くと、書いたのは去年の秋なのでなどともごもご言う。半年で5センチ伸びるならまだバリバリの成長期ではないか。185のところに日付を書いた付箋を貼り付けながら、思い切りよく2メートルで巻き尺を切った数分前の自分に変な笑いが込み上げてきた。どうかするとこれ、足りなくなるかもしれんぞ。
    バリバリの成長期となると、スライダー以前に変化球自体を投げさせたくない。故障が怖いのもそうだが、そもそもあまりハードワークをさせたくない。練習によって日々蓄積する疲労の回復よりも、体の成長にエネルギーを回したい。技術と筋肉は後からいくらでも身につくが、身長は時期を逃せばもう伸びないからだ。特にこの子の武器である直球は、腕が長ければ長いほどスピードが乗りやすい。今だって15歳にしては相当長い腕だが、プロに行ったら十人並だ。将来の展望を考えれば、今は食べて寝て体を大きくすることを最優先にするべきだ。というか、どういう判断でスライダーなんか教えたんだ、地元チームは。試合にしたって、記録作りのための完投なんか狙わせないで、とっとと交代させるべきだろう。中学時代の新兵衛は、記録上ほとんど全ての試合で球数制限の八十球まで投げ切っていた。
    初日の約束は、履行を無期限に延期させてもらった。
    カーブもチェンジアップも教えてやらなかった。それどころかポジションを外野手へコンバートさせた。幸いバッティングの方も優秀だったから、体ができてくるまでは負荷を減らし攻撃面だけでチームに貢献してもらうつもりだった。とはいえ強肩とコントロールはさすがのもので、早々に補殺の記録が増えていった。傍目に見ればこのまま外野手に転向するのも悪くはなさそうだったが、本人は全くそのつもりはないようだった。投球練習に入るピッチャー組をギラついた目で追っていたのも、変化球の投げ方動画を検索していたのも知っている。方針について軽く説明はしたが、自分より小柄な同級生が投手として練習を進めているのにもかかわらず自分だけが身体づくり優先と言われてマウンドから下ろされたことについて、心から納得するのは難しいのだろう。
    それでも新兵衛は文句ひとつ言わなかった。野球留学生につきものの脱走沙汰を起こすこともなかった。嫁入り道具か何かみたいに実家から持参した一升炊きの炊飯器(お前がいなくなったら一升炊きは場所を取るだけだからと持たされたらしい)を毎日カラにして、血の色が変わるんじゃないかと思うほどの牛乳とプロテインを常飲し、夜は九時に寝た。子供のころに読み聞かされた昔話の、『一杯食べれば一杯分、二杯食べれば二杯分、桃太郎はすくすくと大きくなりました』のフレーズが食事のたびに頭に浮かんだ。夏の大会が始まる前に測ったら、1.5センチ伸びていた。新しい付箋を貼った。

            ◆

    『────三番 レフト 田中くん』
    独特のイントネーションでアナウンスが入る。わっと子供らの歓声が上がる。ブラスバンドが山本リンダの狙いうちを奏で始める。チャンステーマだ。うちで七年間被っていた赤ヘルと違う、黒いつや消しのヘルメットを被った新兵衛はぐっと大人びて見えた。
    一回裏、ノーアウト、走者は一・二塁。新兵衛のパワーなら先制点も十分あり得る。全国に見せてやれ、あのバカみたいに伸びるホームランを──と身を乗り出したときだった。
    「え、バント?」
    「バントじゃ! ないごて?」
     悲鳴じみたざわめきが会議室にあふれた。ピッチャーが振りかぶって投げた第一球を、俺が作り上げたあの気持ちのいいフルスイングではなく、こつんとした小器用なミートで三塁線に転がしたのだ。
     新兵衛に限らず、俺はどの子にもバントの指導をしたことはない。そんな女々なもんは覚えなくていい、でっかく打って全力で走って点を取るのが野球の醍醐味だと教えてきた。子供らも皆そう思っているから悲鳴が上がったのだ。
     新兵衛のバントはスクエアスタンスで、通常のヒッティングと同じ立ち位置・同じ姿勢からギリギリでバントに切り替えるものだった。球をよく見て引き付ける必要があり、練習せずに土壇場でできるようなプレーではない。入部からの三ヶ月でみっちり仕込まれたのだ。どういうことだ、あいつは十年、いや二十年に一人のスラッガーだぞ? 打球の凄まじさだけでなく、勝負強さだって持っている。三打席連続本塁打の記録を見ていないのか? 何をやっている? だいたい新兵衛自身が納得しないはずだ、いつだってホームラン狙いで、変なヒットや相手のエラーで半端に出塁するくらいなら豪快に三振したほうがまだ機嫌がいいくらいの、負けず嫌いのあの子が────。
     新兵衛の急襲バントにチャージの遅れたサードは三塁を守れず、二塁を見てから一塁に送球。タッチの差で新兵衛のスライディングが早く、セーフティバントが成立した。真っ白いユニフォームの腿をどろどろに汚した新兵衛は、むっくりと立ち上がり、土を払うこともせず二塁・三塁に目を走らせた。走者が二人ともアウトを取られず塁にいるのを目視すると、ベンチの方に顔を向けた。
     この俺様にバントなんぞさせおってと睨みつけるのではなく、まるでフリスビーを上手にキャッチして走ってくるときの仔犬のような、懐っこく誇らしそうな────俺が一度も見たことのない、あどけない顔をしていた。



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    PROGRESS野球留学生たなかくんと、元プロ選手のタケチ監督と、新兵衛は俺が育てたと思っている地元リトルリーグ監督俺の幻覚です!!!!!https://x.com/phnoch/status/1835224802514399563
    夏を待っていましたこのサイレンの音を聞くと、夏が来たという感じがする。蝉の声でも花火の音でもない。野球人にとっての夏は、甲子園に始まり甲子園に終わる。テレビに群がる子供らのうち何人かは、数年以内にあの土を踏むのかもしれない。このサイレンの音を、全身の肌で聞くのかもしれない。
    「田中先輩どけおっと? 先発じゃなかと?」
    「こんた相手チームやっど。先輩は高知じゃ」
    練習を早々に切り上げたのは、もちろん甲子園中継に合わせてだ。集会所を借り切り、希望者はそこで見られるようにした。二日目、第二試合。この春に我がチームを巣立ったばかりの超大型選手、田中新兵衛が出場するはずだからだ。
    超大型、というのは比喩的な意味だけでなく、とにかく体が大きかった。小学生の頃から見てきたが、著しい成長期があったわけではなく最初からずっと同学年の子に比べひとまわりデカい体、強い力を持っていた。あまりに差がありすぎるので、物心ついた頃から遊びのドッヂボールでは利き手を封じられていたらしい。大きい子、特に急激に背が伸びた子は体のバランスを見失いやすいものだが、新兵衛は体幹が恐ろしく強く、ボディコントロールもしっかりしていた。
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    phnoch

    DONE小1しょたなかくん掌編集「たなかくんと!」より
    居候のイゾーが風邪をひき、たなかくんが拗ねる話です。

    ▼しょたなかくんシリーズの他の話はこちら▼
    https://galleria.emotionflow.com/113773/656724.html
    たなかくんとむやむやバカは風邪をひかないというのは、どうやら迷信だったらしい。さんざん雪遊びをした次の日、先生も新兵衛もぴんぴんしているのに、なぜか以蔵が熱を出した。
    「こたつで寝るのがやっぱり良くないんじゃないか」
    体温計を見ながら先生が言う。以蔵がカスカスの声でいや雪合戦のせいじゃろと口答えをする。こたつはベッドよりあったかいのに、どうして風邪をひくのだろう。よくわからないが、こたつが以蔵に占拠されなくなるなら良いことだ。
    「こたつなんぞで寝ちょっでだ。はよ自分の家に帰れ」
    「新兵衛、そういう言い方はやめなさい。病人だぞ」
    新兵衛はきゅっと身をすくめた。先生と同じことを言ったつもりだったのに、叱られてしまった。悪いのは以蔵のはずなのに。先生と以蔵はそのまま、ホケンショウはあるのかとか何とかついていけない話を始めてしまって、新兵衛は唇をへの字にしたままランドセルを掴んで外へ飛び出した。玄関がバタンと閉まった瞬間、黄色い帽子を忘れたことに気がついたけれど、取りに戻る気にはなれなかった。
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