原作雑土その04 山田との話で、雑渡の意図について結論に近いものを得た土井は、相変わらずそれについて考えていた。
答えが出れば悩みも終わるかと思ったのだが、終わる気配がない。
先日の結論らしきものによれば、雑渡が土井に手を出すのは、単なる気まぐれという事らしい。
つまりは、そのうち雑渡が飽きて終わるのだろう。
土井は別段飽きてはいないが、この関係の主導権は雑渡にあるのだから、そこは問題ではない。
ぎしりと胸が痛んだ。本当に雑渡と会えなくなれば、もっと痛むのだろうか。それとも、安心するのだろうか。
考えない方が良いのは、わかっている。そう努めてもいる。だが思考に隙ができると、そこに雑渡の影が入って来る。どうしようもなかった。
「最近、何やら思い悩んでおるようだのぉ」
気持ちが晴れないままのある日、学園長からの呼び出しに赴くと、向かい合って座った途端に言われた。土井は、頭を下げるしかない。
「未熟者で申し訳ありません」
「よいよい。悩みも成長のうちじゃ」
この悩みの先に成長があるとは思えなかったが、お叱りでない事に安堵する。
何かを疎かしている訳ではないが、悩みが悩みだし、相手が相手だ。
「それより、ひとつ仕事を頼みたい」
「はっ」
「タソガレドキの、雑渡昆奈門の忍務に付き合ってやってくれんか」
「はっ。……はい?」
学園長からの忍務を断ると言う選択肢はない。であるから、反射的に返答をしてから、内容への疑問が出てきた。
「タソガレドキに、協力なさるのですか?」
「今回はな。雑渡が土井先生をご指名じゃ」
「私を、ですか……」
不信感を露わにする土井と対照的に、学園長は呑気な顔をしたままだ。
「どうやら最近、雑渡を狙う者がおるらしい」
「あの方なら、常に狙う者はいるのでは」
「確かにの」
学園長は笑ってから、続けた。
「囮を使って誘き寄せたいから、土井先生を貸して欲しいとの事じゃよ」
「私が何の囮になるのですかね?」
「相手は忍者のようでな。雑渡昆奈門と親しい人間として、土井先生を認識しているようじゃ」
「……何故ですか」
答えるのに、少し時間がかかった。反応が遅れた自分に、舌打ちしたくなる。
雑渡との逢引は、双方かなり気遣って行っている。相手がいる事がバレたとしても、相手が互いだとは知られないように。
「ほれ、先日、山田先生と一緒に出張に行ってもらったであろう?」
「はい。たまたまタソガレドキの張り込み場所に我々が入ってしまい、成り行きで多少話はしましたが……まさか、その時ですか?」
山田と共に赴いたのは、諜報任務の出張だった。といっても、タソガレドキと出会った時、山田と土井は既に忍務を終えていた。
人気のない場所で帰り道の打ち合わせ中、最初に近付いてきた雑渡に気付いたのは、山田だった。
二人の前に堂々を姿を現した雑渡は、
「先生方がこちらに何用か、伺ってもよろしいか?」
のんびりとした声で、だが目を光らせて、問いを発した。
しばらく腹の探り合いをしたが、最終的に、緊張は緩和された。
彼らのしていたのが調査であるなら、山田も土井も邪魔する気はなかった。
彼らの妨げにならないよう、ルートや行き先について、少し話した。
声をかけて来たのは雑渡だが、押都と他数人もその場にいた。
山田と押都がこの先の行動範囲について話している間、雑渡は土井に話しかけてきた。内容は単なる雑談だ。保健委員は元気かとか、同行はしていないのか、とか。後者は恐らく、彼らがトラブルを呼び込みやすい事への警戒だろう。
距離は近かったかもしれない。雑渡が少しふざけて寄って来て、土井は嫌な顔をして、雑渡は笑った。それだけだ。
あれが、親しい友人にでも見えたのだろうか?
「詳しい話は、雑渡と繋ぎをつけておくれ」
学園長からの説明は、それくらいだった。
随分とざっくりしているが、別に珍しい事ではない。学園長が判断したのなら、特に異議もない。
普段なら「授業が遅れるなぁ」位しか思わないというのに、妙に引っ掛かりを覚える原因は、わかっている。
雑渡だ。
学園長に頭を下げて、下がろうとした時。学園長から、言葉を掛けられた。
「雑渡に、よろしく言っておいておくれ」
何気ない言葉だ。なのに、背筋がひやりとした。
自分は相当、雑渡との関係が後ろめたいらしい。
「はい」
そう答えた声が平静に聞こえていたかどうか、土井は自信がなかった。
もやもやとした気持ちを抱えながら、数日間。雑渡からの連絡は来ない。
一応は待ちながらも、土井はいつも通りの生活を続けた。
今日は休みで、きり丸はバイトに出掛けており、土井はその手伝いという、よくある日だ。
土井はきり丸が引き受けた、アルバイト用の洗濯物を取りに行く所だった。
本来ならば、きり丸も一緒に来るはずだった。だから土井は、洗濯前のアルバイト先まで、きり丸を迎えに行ったのだが。
「すいません、コッチがまだかかりそうなんで、先に洗濯物だけ受け取っておいて下さい!」
忙しそうに飛び回るきり丸から頼まれて、土井は仕方なく一人で歩いていた。
洗濯物はきり丸と二人で運ぶはずだったので、おそらく二人で持てるギリギリだろう。土井一人で持って帰るのは、骨が折れそうだ。
どうするかな、と考えながら歩いていた土井は、うーんと考えながら角を曲がった。
一人の男がやや間を置いて、同じ角を曲がる。曲がった所で、足が止まる。
道の先に、土井はいなかった。
しまった、と男が思った時。
「なあ、ちょっと手伝ってくれないか? 君、暇だろ?」
背後からいきなり肩を掴まれた尊奈門は、声も出せずに振り返り、土井を見た。
「助かるよ。私一人では持ちきれなくて」
そう言いながら、土井はぐいぐいと尊奈門を引っ張る。有無を言わせない力だ。
「お、おい!」
尊奈門が抵抗する間もない。土井の力は強く、動揺の残る尊奈門では振り解けなかった。
土井は助かったーと言いながら、洗濯物の引き取り先まで向かった。
そして、引っ張ってきた尊奈門に、どんどん洗濯物を渡した。
「ちょ、ちょっと待て! 多くないか!?」
「いつもの量だけど。重くて無理なら、私がもう少し持つぞ」
「無理な訳ないだろう!」
扱いやすくて結構な事だ。尊奈門は文句を言いながらも、きっちり洗濯物を持って、土井の住む長屋まで着いてきた。どうやら土井に用があるようだ。
きり丸はもう長屋に戻っており、土井を迎えに出て来た。洗濯物を抱えた土井の後ろに、尊奈門がいて驚いた顔をする。
「あっ、尊奈門さんも手伝ってくれたんですか!?」
「手伝わされたんだ!」
「いや〜、ありがとうございます。助かります!」
きり丸は調子良く礼を言って、洗濯物を受け取る。そして、慣れた様子で、洗う順に仕分けしていった。
「おい」
尊奈門に目で促され、きり丸の視界に入らない所に移動する。尊奈門は黙って、折り畳まれた文を差し出した。表書きはない。
土井も黙って受け取り、中身を確認する。
「ふむ……」
土井は一読して、再び紙を折って、尊奈門に返す。
「返答は」
「承知した、と」
文を再び胸元に戻して、尊奈門は「わかった」と玄関先へ向かおうとする。
「洗濯は手伝ってくれないのか?」
「手伝う訳ないだろう! 私は忙しいんだ!!」
尊奈門は出て行こうとして、ふと振り返った。
「おい。他にはあるか」
「え、洗濯物?」
「違う」
「アルバイト?」
「違う! 伝言だ!」
誰に、と確認するまでもない。少し考えて、土井は首を振った。
「特にないかな」
「わかった」
今度こそ尊奈門は出て行った。
「……やれやれ」
土井の漏らした声は、呆れた響きがあった。
先ほど渡された文には、名前も印もなかった。が、雑渡からのものであるのは分かった。逢引の約束で幾度か見たのと同じ文字だ。
文には場所と日時と一行だけ。
荒っぽい事になるので、ご準備を。
という、物騒な文字があった。
一体、何をさせられる事やら。
考えただけで、気が重い。
「先生〜、洗濯始めますよ!……あれ、尊奈門さんは?」
きり丸がきょろきょろと見回す。
「もう帰ったぞ」
「え〜。引き止めてくださいよ」
「あのな。尊奈門がおまえのアルバイトを手伝ってくれる訳ないだろう」
「先に手伝わせたの、先生じゃないですか」
きり丸と会話しながら、土井は雑渡について考えていた。
山田に相談して以来、土井は雑渡の言動を深く考えるのをやめようと、自分に言い聞かせていた。
しかし、今回は考えるしかない。あの男は本当に、こちらの意思を引っ掻き回すような事ばかりする。
「きり丸。明日は用ができたから、一人で忍術学園に戻ってくれるか」
「はーい。尊奈門さんですか?」
「いや別件だ」
否定すれば、きり丸はそれ以上聞いてこない。
きり丸が一人で忍術学園に帰る事はよくあったから、そこは心配ない。
心配なのは雑渡のいる場所で、土井自身に何が降りかかるかだ。