原作雑土で連載してみる06 下手に距離を詰めてしまったものだ。
こんなにもわかりやすい失態を晒すのは、一体どれくらいぶりだろうか。
元はと言えば、忍務で訪れた場所に土井がいたのが始まりだ。
その忍務は、黄昏甚兵衛から命じられたものであった。
タソガレドキの将に、若い妻を迎えた壮年の男がいた。彼は真面目な忠義者で、甚兵衛も気に入っている男だ。彼自身に、特別な問題はない。
「あれの奥方に問題があっての」
甚兵衛は雑渡に向かって、そう言った。
彼が娶ったばかりの新妻は美しい娘として有名だった。その反面、自由で奔放な気質であり、実家も苦労していた、という程度の噂は雑渡も知っていた。
当然、家同士の結びつきの婚姻であり、当人たちの意思はない。それでも男は妻との距離を縮めようと、努力はしていたらしい。ただ、相性が致命的に悪かった。
結果、今、彼は奔放な妻に手を焼いていた。生真面目な男でもあり、妻の奔放さは己が至らないからではと気に病んでさえいた。
気の毒な話ではあるが、それだけならば、雑渡たちの出番ではない。
「ここ最近の妻の浮気相手が、どこぞの忍者ではないかと、その者が申しておる」
「それは捨ておけませんな」
相手が忍者となれば、話は別だ。調べよ、という簡潔な言葉に、
「はっ」
と頭を下げたのが、何日か前の事だ。
奥方が逢引に使っている場所はすぐに割り出せた。そして実際、相手は忍者であるらしかった。正体までは掴めていないが、身のこなしからして間違いないと、押都が言うのだから確かだろう。
特徴は、と尋ねる雑渡に、押都がいくつか特徴を挙げた後、最後に付け加えた。
「尊奈門が、その男の後ろ姿は土井半助にそっくりだと申しておりました」
「あいつは相変わらず『土井先生』に夢中か」
苦笑いしてから、
「対象が土井半助である可能性は?」
と尋ねる。念の為だ。
「いえ、別人です。顔はまるで似ておりません。我々が男を見張っていた時刻、土井殿が忍術学園にいたのは、尊奈門が確認しております」
ならば良い。忍術学園が絡んで来たら、面倒だ。
そんな話をしていた、その夜。
雑渡は奥方と忍者の逢引の場所を訪れていた。供をしているのは、少し離れて歩く押都だけだ。
ゆっくりと歩く人々の中に、不意に見覚えのある背中が目に入った。
雑渡は一瞬、それを奥方の相手かと思った。土井だとは思わなかった。
しかし、半分隠されているとはいえ、その顔は確かに土井半助だ。
困ったな。
雑渡は思ったし、側に控えていた押都も同じだったろう。
土井がここに来た目的は、分からない。観察するような目を周りに向けてはいるが、そこに忍務特有の緊張感のような空気はない。熱心に相手を探している風でもないが、時折すれ違う相手を値踏みするような目で見てはいる。
目的は分からないが、土井がここにいるのは、おそらく偶然だ。しかし、困った偶然だった。
「どうされます」
「私が行ってくる。あとは頼んだ」
押都にそれだけ言い残して、雑渡は、土井に近付いた。
雑渡を見上げた土井は驚いて、それでも雑渡に付いてきた。
ひとまずは向かい合って座り、雑渡の用件のほとんどは、ここで終わった。要は雑渡たちの持つ用件に、土井が関わらなければ良いだけだからだ。
もちろん、土井に詳細の説明などできない。土井をここまで連れて来た理由を、何かでっち上げる必要はある。
この時点で、雑渡はこの先を決めていなかった。
ただ、土井半助という男を見極めねばという気持ちは、前々からあった。
原因はひとつ。尊奈門が、この男に執着している。
尊奈門は強情だ。こうと決めたら、テコでも動かない。困ったものだったが、その一本気が雑渡を救い、彼の忍者としての実力を育んできたのも事実である。
ならば、土井の方を調べておくべきだろう。
一通りの調べでは、土井には特に怪しい所はない。忍術学園に赴任する前の過去が、一切出てこない事を除いては。
そこを深掘りするつもりはなかった。雑渡が知りたいのは、過去の彼ではない。今現在の彼が、何を思っているかだ。
今の所、土井が尊奈門に害意を持っている様子は見えない。だが、人間の腹の底など、分からない。
土井が教師であるという安心感と、忍者であるという不信感と、どちらを重く見るべきか。
彼を調べるのに、自分は向いていないと、雑渡は分かっていた。
土井半助は組頭である雑渡昆奈門に、決して心は開かない。本来ならば他の誰かに任せるが、今回は雑渡自身が動きたかった。
それが尊奈門への贔屓だという事を、雑渡は自覚していたからだ。
思わぬ機会であるが、上っ面の会話や、当たり障りのない対応をされては意味がない。といって、敵対するのもよろしくない。
どう彼の心に近付けば良いか。
彼を観察して、雑渡は思った。
身体を繋げるのが手っ取り早いのでは?、と。
年上の部下たちが渋い顔をするのが脳裏に浮かんだが、無視した。忍術学園でそんな誘いをした所で、土井が受けるはずもない。けれど、今ならば。
好機であるように思えた。
無論、彼が断ってしまえば、それまでだ。逆効果でさえある。
賭けるように伸ばした手を、土井は受け入れた。
まさかこんな事になると分かっていたら、無難に話でもして終わらせたものを。
だいぶん経ってから、雑渡はそう後悔する事になる。
奥方の一件が片付いたのは、土井との逢瀬が片手の数を超えた頃だった。
雑渡たちが、件の男を忍者と断定し、捕らえた。
夢中になっていた男が消えた奥方は意気消沈しているようだが、その先は雑渡たちが気にするものではない。
「いつも甘い亭主にあそこまで叱られれば、さすがに懲りるであろうよ」
「そう願いたいものですな」
雑渡の返答が素っ気ないのは、この一件を元に、土井との縁が出来てしまったからだ。自分から始めた関係の落とし所に、雑渡は少々悩んでいた。
土井は雑渡に惚れている。そこは間違いない。だが、土井は雑渡に何も求めない。
誘えば乗るが、土井から誘う事はない。雑渡への対応は以前と同じように素っ気なく、体を暴かなければ心の内を見るのは困難だ。
雑渡が誘うのをやめれば、土井は黙って何もなかった事にするだろう。
この関係をどうするか、雑渡の決断一つだ。
どうしたものか。
もう用は済んだのだから手放してしまえという、至極もっともな声が、ずっと頭の中にある。
その言葉に反論はないが、どうしてか、素直に従う気になれない。
「近頃、機嫌が悪いようじゃな」
「どなたのお話です?」
「おまえだ」
「誰がそのような事を殿のお耳に入れたのですか」
心当たりがないでもない。甚兵衛は部下の情報をよく集める。それは単なる好奇心であったり、猜疑心であったり、また変わった事がないかの確認であったりした。
甚兵衛の口調と表情からして、恐らくは好奇心だろうと当たりをつける。
「悩み事か?」
「いえ。取るに足らない事です」
「おまえまでタチの悪いのに引っかかってはおるまいな」
少しどきりとしたが、引っかかっているのは向こうだから、雑渡は笑って否定した。
「まさか。その様な暇はありませんので」
「そうか」
甚兵衛の反応は、つまらんと言いたげで、やはり雑渡を揶揄いたかっただけのようだ。
「件の男の目的がわかったら、知らせよ」
「はっ」
雑渡が頭を下げて、話は終わった。