雑土小話 土井半助は、雑渡昆奈門と恋仲の男である。想い合っているのは確かだ。雑渡から見ても、土井は雑渡への想いを寄せていて、それを疑った事はない。
だから、土井が愛情を口に出さない事も、特段気にしていなかった。雑渡は雑渡で、愛の言葉を激しく欲する男ではない。
何より土井の大きな瞳から、雑渡に絡みつく身体から、その恋情は滲み出ていた。
だが共に過ごす時間が積み重なっていくうちに、土井が想いを伝える言葉をあえて避けている事に気付く。例えば閨で熱に浮かされている時に、何かを言いかけて、不自然に口をつぐむ。
そんな事が続くと、理由が気になりだした。照れている訳ではなさそうだ。出し惜しんでいる風でもない。では、何なのか。
「土井殿は、想いを言葉にするのはお嫌いですか?」
ある日、雑渡はそう尋ねた。
月夜の逢引だった。二人のいる小屋にも、月の光が差し込んでいる。すぐ横に座っている土井の表情も、よく見えた。
尋ねはしたが、問い詰める気はない。ただ、ふと話が途切れた時に、何となく口にしただけだ。
特に動揺も見せず、土井は静かに口を開く。
「嫌いではありません。雑渡さんは、言葉が欲しいのですか?」
「どうしても、という訳ではありませんが……あれば嬉しい」
言いながら、雑渡は土井を見る。普段の彼は明るくて、表情豊かな男だ。だが今の彼は、微かな微笑を浮かべて、静かな声音で話す。
二人きりでいる時、土井は時々こういう風になる。口元は笑みを浮かべているのに、何を思っているのか、図りかねた。
「そうですね、それでは……今際の際に言いますよ」
穏やかな顔のまま、土井は呆れた事を言い出した。
「土井殿の? それとも、私の?」
「もちろん、私のです」
何を考えているのか。
忍者など、死体が残る死に方ができれば御の字。身内でさえも、死に際に会える可能性は少ない。ましてや、雑渡と土井の関係だ。互いの死を知るのに、どれだけ時間がかかるかさえ、定かではない。
「それはまた、途方もない奇跡を求められたものですね」
「奇跡でなくても、方法はあるでしょう」
土井の表情はいつも通りで、声音も特に変わった所はなかった。なのに、言葉の奥に何か、うっすらと、冷たいものを感じる。
「方法、とは?」
「私の死を、いちばん近くで見届けられる方法です」
わかるでしょう、と言うように、土井の目が雑渡を見据える。その目は穏やかで、悪意も作為も感じない。
雑渡にも、土井の言う意味はわかる。雑渡が土井の死を一番近くで見る方法。簡単な話であり、奇跡が積み重なるよりも、ずっと有り得る未来。
雑渡が土井を、その手に掛けた時。雑渡によって息の根を止められるその瞬間に言葉を贈ると、土井はそう言っているのだ。
「……それは、未来の私を惑わすための布石かな?」
もしもの可能性を、思い浮かべた事がない訳ではない。あるかもしれないその未来では、雑渡の居場所と彼の居場所は敵対しているはずだ。「その時」に、雑渡の思考を鈍らせるために、おかしな事を言い出したのか。そんな風に思ってしまう程、土井の言葉には感情がなかった。
「違いますよ」
土井は相変わらず、うっすらと笑っている。細められた目と弧を描く唇から、視線が外せない。腕に、何かが触れる感触があった。土井の手が、いつの間にか渡の上腕に置かれている。
だが雑渡はそれに構わず、土井の唇が続く言葉を紡ぐのを待つ。
「私の死に際の言葉を聞けるのなら、あなたは生きているという事になるでしょう」
「……それで?」
「私はね、できる限り、あなたと共に生きていきたい」
嬉しい言葉のはずだが、雑渡の心は少しも浮き立たない。雑渡の腕に触れている手に、少しずつ力が入っていく。雑渡が痛みを感じない、ぎりぎりまで。
「でもそれが叶わないなら、せめて、あなたの心で生きていきたいのですよ」
だからね、と続ける。
「あなたの心のいちばん大きな傷として、残りたいんです」
彼は何を言っているのか。一瞬、言葉の意味を取り損ねた。
恋しい相手への想いを示す言葉を、彼は、凶器として使おうとしている。雑渡の心に言葉を刺して、傷として残ろうとしている。
それは確かに、彼の切実な想いではあるのだろう。
だが、あまりにも歪で、身勝手だ。
反論して、やり込めてやりたい。苛立つ気持ちとは裏腹に、雑渡の手は勝手に土井に向かっていく。
「それはもう、言葉にしているのと同じでは?」
雑渡が土井の頰を撫でると、彼はくすぐったそうに笑った。
「では、雑渡さんはこれで満足ですか?」
「……いいや」
土井の手が雑渡の腕から離れ、自身の頬にある雑渡の手に向かって移動する。動くことを忘れた雑渡の手に、指を絡ませる。土井はそのまま無抵抗の手を引き寄せ、唇で触れる。
「良かった」
嬉しそうに、土井が微笑む。
美しい笑みだな、と思った。
腹が立つほどに。
彼と敵対する未来を望んだ事はない。そして今、その思いは更に切実になった。
厄介な人に捕まってしまったな。
それでも手放そうと思えないところが、本当に厄介だ。
雑渡の心を知ってか知らずか、土井は微笑んだまま唇を寄せてきた。雑渡はそれを避ける事なく、静かに唇を重ねた。