A 秋も深まった某日。湘北高校男子バスケ部は連休を利用して冬の選抜に向けた合宿をしていた。安西の古くからの友人が監督を務める高校と合同で三泊四日の日程だ。三日間はあっという間で今日はもう最終日前夜。明日の夕方には神奈川へ着いている。
相手は県でも一、二を争う強豪校なだけあって練習メニューもなかなかにハードだった。インターハイ後に赤木や木暮が抜けた穴はやはりまだ大きく、紅白戦でも一勝するのがやっとの有様。背中の怪我から復帰した桜木にも無理はさせられず宮城、流川、三井でほとんど点を取っているようなものだった。
代替わりをしても強豪校は層が厚く、選手一人一人のスキルも高い。部員たちは自分たちの実力不足に歯痒さや焦り、不安もあったがこの合宿で得られるものはすべて得て帰ろうと意気込んでいた。
その中で唯一残った三年生の三井の存在は心強く、アドバイスを求めて声をかける。冬が終われば引退してしまう三井に甘えて頼ってばかりではダメだと分かっているが、やはりバスケセンスは部内トップクラスで洞察力にも優れているため少しでも多く教えを乞いたかった。
三井もまた迷惑をかけたにも関わらず受け入れてくれた後輩たちに恩返しとしてできる限り持ちうるすべてを残したい。元々の面倒見のよさもあって夕飯が終わった後でも部屋を訪ねれば親身になって的確なアドバイスを送った。
合宿所では二人一部屋が割り当てられており、三井は流川と同室だった。現在の部員はマネージャーを除けば二年生四人に一年生が五人、そしてただ一人の三年生の三井を合わせ十人いる。
部屋割りを決めるにあたりいくつか懸念事項があった。マネージャーたちは当然ながら女子二人で一部屋分。基本的には同学年で固まるがまだ様子見が必要な桜木は宮城と同室になる。犬猿の仲な流川と桜木を同室にする組み合わせは最初から除外されていたが、三年の三井は誰と一緒にするかで少々悩んだ。
慣れたとはいえ上級生の三井と同室では遠慮と緊張をしてしまう部員も多い。そこで普段から居残りでワンオンワンをしているし、一番三井に懐いていると言っても過言ではない流川が同室に決まった。
そんな流川はなぜか三井のベッドを陣取っており、イヤホンをしたまま背中を丸めて穏やかな寝息を立てている。訪ねてきた他の部員と三井が話していても気にならないようで見向きもしない。
三井も流川が自分のベッドで寝ているのを気にしないし、声をかけたとて無駄なことも分かっている。どこでだって寝られるらしい大きな子どもの健やかな寝息に苦笑した。
「三井サン、いいっすか?」
「おー入れよ」
今日の反省点を聞きにきた一年生がそれぞれの部屋に戻ったと思えば今度は宮城が部屋を訪ねてくる。ひょっこりとドアから顔を出して三井の背後に横たわる巨躯を目にし、三井と同じようにくしゃりと顔を歪めた。
「すんません。もう寝るとこだった?」
「や、まだだけど」
「アザス。流川はもう寝てるんすね」
「寝る子は育つってまさにこいつのためにある言葉だな。そこ、オレのベッドなんだぜ? 図太すぎるだろ」
「寝ぼけてんじゃないの? ま、何事もなさそーでなにより」
招き入れた宮城は反対側のやけに整った、本来ならば流川が寝るベッドに座り微動だにしない三井の背後を見やる。よく懐いているとは思っていたが三井のベッドで眠るほどとは。
もちろん流川だって普段から他の二年生や同期たちとそれなりにコミュニケーションを取っている。桜木とはよく喧嘩になっているがここはこうした方がいい、と不器用ながらも指摘したりいいプレーを褒めたりしていた。
「で、桜木はどうよ」
「初日は落ち着きなかったけどすぐに慣れたみたいで良くも悪くも普段通りですね。あとは練習でわかんなかったこととか聞いてくるんで成長したな、と」
三井は洞察力と理解力の高さでどちらかと言うと理論的な説明をする。わかりやすいと評判ではあるが、桜木には宮城の感性に基づいた指導の方が合っているらしかった。合宿が始まってから毎晩二人で勉強会をしていて、宮城にとってもプレーを振り返り言語化することによって新たな気づきもあるという。
一年生の中でも突出していて、さらに正反対のタイプな流川と桜木の面倒を見るには三井と宮城で分担するのが適切だった。流川と対等に張り合えるのは三井しかおらず、宮城一人でやるにも限界がある。
主将を引き継いでまだ日の浅い宮城は正直に言って流川の相手をしてくれる三井の存在はありがたい。目の上のタンコブだと言いつつもやはり頼りにできる上級生であることには変わりなかった。
それに冬までに勝ち進んでいくための攻撃の要はこの二人だ。中に切り込んでいく流川と外からの三井。インターハイでパスを覚えた流川が三井との連携を深めていくためにもこの合宿で同室として過ごす意味は大きい。
まだまだ課題は多い新体制だがそれだけ期待もしていた。宮城はほんの少しでも三井と話したことで肩の力が抜けた気がする。時計を見ればもう消灯間近で明日の練習についての連絡事項を伝え三井たちの部屋を後にした。
やっと静かになり、三井は背後の後輩を一瞥する。部屋に戻ってからずっとイヤホンを耳に突っ込み目を瞑る流川ははたして本当に寝ているのか。ベッドも一応はギリギリ二人で寝られるスペースが空いている。宮城が去っても起きる気配はなく、電気を消して三井も流川の隣に寝ころんだ。
「……やっとふたりきり」
「ひっ……! お、まえ、起きてたのか!?」
「近所メーワク。今起きた」
「うそこけ!」
「……キャプテンがいなくなったから起きた」
三井が横になったのとほぼ同時にずっと背中を向けていた流川がイヤホンを外しながら振り返る。まさか起きているなんて思いもしないから咄嗟に大きな声を出してしまった。ほとんど流川のせいなのに咎めるのは生意気だと額を軽く弾いてやる。
むっと拗ねたように眉根を寄せた流川が三井の腰に腕を回す。弾かれた額を三井へ合わせれば今度はしょうがないなといった風に軽く口づけられた。
足を絡めて見つめあう二人は先輩と後輩から恋人同士の顔になる。秋に入ってからつきあい始めて一か月と少し。誰にも言わずにひっそりと関係を育んでいた。
すきだと告げたのは流川からで、三井は自分の気持ちが恋情かわからずに承諾した。けれどひとつ流川を知っていくたびに愛しさが募り、今ではこの年下の恋人が可愛くてしかたがない。
こうして三井と二人きりになれるまで寝たふりをするいじらしさだって心の繊細な部分を擽るのだ。じぃっと切れ長の目で見つめられれば自分のすべてを明け渡したっていいと思える。
三日間ひとつのベッドで一緒に眠る二人分の体温が心地よかった。それが今夜で終わってしまうのは名残惜しい。寂しさを悟られないように三井は砂糖をたっぷり含んだ声で流川の名を呼ぶ。
「先輩はオレのなのに」
「ったりめーだろぉ」
「みんな三井さん、三井さんって」
「まあ頼られちゃしょーがねぇよなぁ。でもよ、オレの彼氏はお前だけ。こうやってキスすんのも一緒に寝んのもお前だけなの」
「それこそ当たり前」
暗がりにぼんやりと浮かぶ白い頬をやさしく指で撫ぜれば口を尖らせて流川が目を逸らした。無口で愛想がないと思われがちな流川でも三井の前では表情が豊かになる。嬉しければ口元がやんわりと綻ぶし、こうして三井が他の後輩にばかりかまけていると分かりやすく拗ねるのだ。
だが流川とて三井に可愛いと言われるばかりではおもしろくない。それでもやっぱり流川にだけ見せてくれる甘くて蜂蜜みたいな愛情の特別さを知っているから子どもじみた真似もしてしまうのだ。きっと甘えられるのは今の内だけだからこれでいい。
そっと触れるだけの口づけを何度もして、唇を触れ合わせながら囁きあって。くすくすと金平糖のようなささやかな笑い声がひとつのベッドに転がる。
「ごほーび、ちょうだい」
「えー? さっきもいっぱいワンオンワンしたろ?」
「足りねー」
「どっちが?」
「どっちも」
「よくばり」
「今日もいっぱい点取ったから」
だから、ゴホービクダサイ。
そんなことを言わなくたって三井なら流川が素直にねだればキスのひとつでも喜んでしてくれるだろう。三井が子ども扱いをしないくらい対等でありたいと思う反面、年下の恋人という特権を使いたくもある。
今日は合宿最後の夜。散々他の部員の面倒を見たのだから最後くらい許してほしい。体ばかり大きくともまだ十五歳。夏よりもほんのちょっとだけ開いた身長差の分を埋めるように流川はぎゅうぎゅうと三井に抱きついた。
三井は胸元で揺れるさらりとした黒髪を梳いて大きな子どもを抱き締める。今夜もふたりならきっといい夢が見られそうだ。
「ごほーびは帰ってから、な」
「やくそく」
まるい額に口づけを落とし、差し出された小指を結ぶ。静かな夜にひっそりと約束を交わし、流川と三井は離れないように手を繋いだまま微睡みの中へ旅立った。