B 内緒、というと幾分子供じみたように感じるが、秘密と言うほど大した事ではない、そんな事をいくつも積み重ねてきた。
いつからだったかと振り返ると始まりもやっぱり屋上だったと思い出した。
ギイと錆びついた音がして扉が開く。昼休みになるとオレたちはいつも屋上で過ごしていた。それまでは他の人が来る事なんて無かったから、ついに先生に見つかり怒られるのではないかと少し身構えた。しかし、振り返った先にいたのは見覚えのあるデカい男だった。
「何やってんだよ」
「昼休みなんで、休みに」
「屋上は立ち入り禁止だぞ」
「でもセンパイいる」
「オレらはいいの」
「不良だから?」
「おい!今は違うだろ!」
「そうなんすか」
特に興味がないとでも言いたそうにするりと横を通り、オレ達がいる場所とは違う方向へ進んで行く。
無愛想で生意気なのは健在だった。部活外で交流があるわけでもないので仕方ないとは言え、少しばかり癪に障るが気にしても仕方がないので放っておく事にした。
予鈴が鳴り昼休みが終わる頃、のそのそと出てきた後輩に念の為声をかける。
「お前が屋上来たこと、内緒にしとけよ」
「ウス」
素直な返事に面を食らったが、大して気にしてないだけかもしれない。
その後も度々昼休みに会うことはあったが、他に誰か来ることもなく内緒は守られているようだった。
そのうちオレがひとりの時は一緒に飯を食うようになった。大体流川はすぐに食い終わって先に寝ちまうんだけど。
耳に突っ込まれたイヤホンからはいつも洋楽が流れていた。
「洋楽、好きなのか?」
「親が洋楽好きみてー。これ、父さんのカセットテープ」
「ふーん」
「聴きてーの?」
「聴かせてくれんなら」
もそもそと片方のイヤホンが差し出され、それを自分の耳に突っ込んだ。
聴いたことあるようなないような、英語の歌詞が流れてくる。
「歌詞の意味、わかってんの?」
「わかってねー」
「だよな」
「センパイは聴いたりするんすか」
「あーオレはまぁ、一応。クラスのやつが教えてくれたりするの聴いたり。でも親がクラシック好きだからよく聴くよ」
「不良なのに?」
「お前まだそれ言うのな」
フッと笑ったような気がして隣を見ると、いつもの無愛想な顔が少しだけ緩んだように見えた。コイツも笑うんだなと、当たり前のことを不思議に感じた。
「これも内緒な。不良なのにクラシック好きとかカッコわりーから」
「元不良でしょ?どっちにしても似合わないけど」
さっきの表情を見ただけで生意気なところもちょっとだけ可愛く思えてきた。
屋上での会話も少しずつ増え、部活でも話すようになった頃、居残り練習が始まった。
練習後のワンオンワンは正直キツかったけど、楽しくもあった。挑まれることで自分が求められているような気もしたし、足りなかったものが満たされていくような気もしていた。何しろ、あの流川が自分に懐いているように思えてちょっとした優越感もあった。
二人で残って勝負をして一緒に帰る、それが部活がある日のルーティーンになっていた。
「なあ、コンビニ寄ろうぜ。オレが勝ったから奢ってやるよ」
若干不機嫌そうな後輩に声をかける。お互い負けず嫌いで諦めが悪い。体力が続く限り自分が勝つまでやめられないのだが、今日は時間切れで久しぶりにオレの勝ちで終わった。
「負けてねー。同点だった」
「わーった、同点な。で、いらねーのかよ?」
「いる」
差し出された手に袋に入ったアイスを渡す。
「ありがとうございます」
ちゃんとお礼を言われたことが意外だった。いつも生意気なくせに。
「桜木とかには内緒にしとけよ。オレにもとか言われたらめんどくせーから」
「言わねー」
流川はあっという間に平らげて、満足そうに頷いた。
アイスから始まった買い食いは肉まんが並ぶ季節になっても続いた。
進学や卒業出来るかどうかを真剣に考えなきゃいけない頃になっていた。部活も進学に影響するので必死だったし、屋上で過ごす昼休みは唯一の息抜きになっていた。
今日は晴れていたはずなのに少し雲が出てきた。風はそこまで強くないが、日が翳ると肌寒い。さっき弁当を食ったばかりで体温が上がっているのでまだマシだけど。
「それ、全部ひとりで食うのか?」
「っス」
隣にはでっかい紙袋を抱える後輩の姿。その中から次から次へと出てくるドーナツ。まるで青いタヌキのなんちゃらポケットのようだ。
流川は先ほど弁当を食べたことを忘れてしまったかのようにどんどんドーナツを口に運ぶ。
「すげぇ数だな。何個あんの?」
「わかんねぇ。昨日、かーちゃんがクリスマスパックみたいなの買ってきた」
そう言われればもうすぐそんな時期か。通りで屋上も寒いわけだ。
「お前が食ってるとうまそうに見えるな。一口くれよ」
そう言うと明らかに嫌そうな顔をした。見た事のない顔で可笑しい。思わず笑ってしまいそうになる。
「何も一個くれって言ってないだろ?一口でいいから」
あーんと言いながら口を開けると渋々とドーナツを差し出してくれた。
その表情が、デカいくせに子供みたいで可愛くてイタズラ心が騒いだ。
わざとガブっと大きく食らいつくと、およそドーナツとは思えない硬さのものに歯があたる。
「俺の指まで食うな」
さっきよりも不貞腐れた顔で言う。
「悪かったよ、帰りに肉まん奢ってやるから」
ドーナツなんてもらわなくてもいつでも奢ってやるけどさ。機嫌直せよ、と頭をわしゃっと撫で付ける。
すると徐にオレの食いかけのドーナツを手渡してきた。
「じゃあ、センパイも」
意図を図りかねてると、あーんと小さな口を開けてみせた。
なんだよ、指噛まれたのが嫌だったのか?それの仕返し?案外ガキっぽいとこあんだな。
「ったく。しょーがねーなー」
大人しく仕返しされてやろうと噛まれる覚悟で差し出す。
すすっと近付いてきた流川の顔をじっと見る。どんな時でもしれっと整ったツラしやがって。食べる姿もキレイとかあるんだなと見惚れそうになった。
やがてオレの噛み跡に口が付きそうになった時、これって間接キスかもなとふんわり思い浮かんだ。
ガブっとくるだろうと思っていたその口は、意外にもパクっと小さく手前で止まり、ちゅっとその唇が触れたオレの指先に触れた。
それはほんの一瞬の出来事だった。
火が灯ったかと思う程の熱。
このままでは持っているドーナツのチョコレートが溶け出してしまう。
そう思って自分の手を見ても、相変わらずチョコレートはカチッと固まったままだった。
もぐもぐと咀嚼し続ける流川の口元にはクリームが付いていた。
そんなことはお構いなしに「んあ」っとまた口を開ける。餌を待つ雛鳥みたいに。
「まだオレが食わせんのかよ」
「センパイが食べさせてくれる方が美味しい気がする」
「そーかよ」
オレはさっさと残りのドーナツをその小さい口に押し込んで手を離す。
流川はそのまま手を使わず、器用に全てを口の中にしまい込んだ。
「そろそろ昼休み終わっちまうぞ。あとは自分で食えよ」
「ス」
食う時だけはよく動くその口を視界に入れつつ、あーあ、と空を仰ぐ。
そーかよ、ってなんだよ。オレ、これからますます忙しくなんだよ。推薦狙ってるし、体力つけてさ、試合で印象つけねーと。でももしもの時のために勉強しなきゃなんねーし。だからさ、気付きたくなかったんだよ、なんで今更…。
今まで無愛想で生意気だけどちょっと懐いてくれて可愛い後輩だっただけなのに。サッと触れた唇から未知の「かわいい」が流れ込んできた。
流川はそんな冬の空みたいにどんより重たくモヤモヤしたオレの気持ちなんて全く気付いてない様子でただひたすらもぐもぐわっかを吸い込んでいく。
どうしたもんかな。どうにもなんねーけど。気付いちまったもんはしょーがねぇ。
オレは自分の心を晴らす魔法の言葉を吐いた。
「早くバスケやりてーな」
「っスね」
何当たり前のこと言ってんだと言わんばかりの間髪入れない返事に、再びこれはもうしょーがねぇと諦めにも似たような気持ちになる。
好きなもんは、好き、だもんな。
最後の最後に内緒なんて可愛いもんじゃない秘密を抱えてしまった。
12月。真冬の屋上。風はあってもちっとも寒さは感じなかった。