二度、恋をする。46
「それでナマエは大丈夫だったの?」澁谷の自宅マンションでコーヒーを飲みながら先日のストーカー事件が話題にあがる。『安室さんと毛利さんのおかげでなんとか…。まだ少し夜は怖いけどね。』そう言うとナマエは苦笑いを浮かべた。「だよね…。」『…夏子?』澁谷の様子に違和感を感じ、ナマエは澁谷の顔を覗き込む。「………実はさ、」
「………なるほど。勤務先の学校から何者かに跡を付けられているような気がすると言うわけですね。」安室の問い掛けに澁谷は小さく頷いた。「…それで、調査のお願いって出来ますか?」「えぇ、もちろん。任せて下さい!」安室はそう言うとポケットから名刺ケースを取り出す。そしてそこから名刺を一枚出すと、澁谷へと差し出した。「基本、調査の報告はメールで行います。」澁谷は名刺に書かれているアドレスを見る。「わかりました。あとでこのアドレスへメール送っておきますね。」手帳へと名刺を挟み、安室を見た。安室は「お願いします」と返事を返すと、ナマエの方へと優しい視線を向ける。澁谷はそんな安室の様子を見て大きな声を上げた。「あ!ごめん、ナマエ!私ちょっと用事思い出したから帰るね!」澁谷はそう言うとナマエの返事も聞かぬ間にコーヒー代をテーブルへ置くと勢い良く席を立つ。『ちょ…夏子?!』澁谷の背中に向かって言葉を投げるも届かず、慌ただしく店を飛び出して行った。『慌ただしくてすみません。』ナマエは小さく頭を下げる。「いえいえ。…ところでナマエさん…あれからしばらく経ちますが、どうですか?」『少しずつ普段の生活に戻っては来てますが、やっぱり夜になると少し、怖いです。』カプチーノが入ったカップの縁を撫でながらそう答えたナマエは何かに気付いたようにパッと顔を上げた。『あ、安室さん!』「はい、なんですか?」『あれほど色々して貰っておきながら私…安室さんへの支払いが…!あのお幾らですか?』ナマエはそう言って鞄の中から財布を出そうとする。だが安室はにっこりと微笑み、それを制す。「ナマエさん…あれは僕が好きでやった事です。なので報酬は入りません。」『そ、そんなわけには!』ナマエ自身が気付いていないところで色々としてくれたに違いない安室に対してこればかりは引き下がれない。ナマエは強い眼差しで安室を見つめる。「……うーん…そこまでおっしゃられるのなら、そうですね。」安室は顎に手をやり、少し考える。そしていい事を思い付き、口角をあげた。「では、僕と一緒に東都水族館へ行きましょう。」『………え?東都、水族館…ですか?』「はい。少し前、話題になった二輪式の観覧車覚えてますか?」『えぇ…でもあれって事故で片側が外れませんでしたっけ?』「そうです。でも修復が済んで近々再オープンするみたいですよ。」安室はスマホ画面に出された東都水族館の公式サイトをナマエの方へと見せる。そこには再オープンの日付が大きく書かれていた。『安室さんがそれでいいなら私はかまいませんよ。』「では決まりと言う事で!」安室はそう言うと嬉しそうに残りのコーヒーを飲み干した。
安室と東都水族館へ行く約束を交してから数日後、ナマエの元に澁谷が入院したと言う知らせが入った。ナマエは杯戸中央病院へと向かい、澁谷と面会する。思いの外、元気そうな澁谷にナマエは胸を撫で下ろした。長いしては澁谷の身体に負担がかかると思い、ナマエは1時間程で病室から出る。『(…そう言えば今日、マカデミー賞の発表だっけ?)』蘭や園子がその話題で盛り上がっていた事を思い出す。『(工藤先生がノミネートされてるんだった!)』ナマエは腕時計を見る。『(まだ間に合う…かな?)』時刻を確認するとギリギリ間に合いそうな時間だったため、ナマエは足早に病院を後にした。
自宅に戻り、玄関の鍵を開ける。しん…と静まり返った自室へと一歩踏み出す。今までならなんとも思わなかったこの静けさが先日のストーカー事件から少し恐怖を感じるようになっていた。ナマエは慌てて中へ入り鍵をかけると、無音を消すようにテレビを付ける。チャンネルをマカデミー賞にまわすと黒人の女性が画面いっぱいに映し出されていた。荷物をソファーへ置き、手を洗いに洗面所へ向かう。用事を済ませ、戻って来ると最優秀脚本賞が発表されているところだった。「《栄えあるこの賞に輝いたのは…なんと映画の脚本を手掛けたのはこれが初めてというベストセラー作家…ナイトバロンシリーズでお馴染みのMr.ユウサク・クドウ!!作品タイトルは緋色の捜査官です!》」テレビ画面の上にも速報が出る。『工藤先生…凄い。』本を読む事が好きなナマエは優作の作品全てに目を通しており、その優作が脚本を手掛けた緋色の捜査官も劇場まで足を運び観るほど工藤優作のファンだった。司会者の質問に答える優作が画面に映し出され、挨拶を述べる。「《そして、忘れてならないのがこの緋色の捜査官のモデルとなった彼…》」「《モデルがいるんですか?》」「《ええ…困った事に今、妻がその彼に夢中でして…“イケメンで礼儀正しく、クールでダンディーで…もォFBIに置いとくにはもったいないくらーい”ーーーっと妻は申しておりました…。》」優作のお茶目なスピーチにナマエはくすりと笑みを零した。『工藤先生っておちゃめ…?』ナマエはそう呟くと夕食の準備をするため、キッチンへと向かった。
「アダ名ちゃん先生おっはよー!」「ミョウジ先生おはようございます。」『鈴木さん、毛利さんおはようございます。』ホームルーム前、廊下で蘭達に声を掛けられ足を止める。「アダ名ちゃん先生昨日のマカデミー観た?」『えぇ、工藤くんのお父さんが最優秀脚本賞取りましたね。』「新一のお父さん凄いですよね!うちの父とは大違い。」酒を呑み、涎を垂らしながら寝ていた父親の姿を思い出し、蘭はため息をついた。『…そう言えば工藤くんから何か連絡来ましたか?』「たまに連絡を取りますが、でかい事件を追いかけてるとしか…。」『そうですか…心配ですね。自宅にも帰っていないんでしょうか?』副担任とは言え、自身の教え子が学校に来ていない事に眉を下げるナマエに園子は明るい声をあげた。「土曜日に新一くんの家の掃除に行くんだけど、アダ名ちゃん先生も行こうよ?今、新一くんの家に住んでる大学生の沖矢さんが何か知ってるかもしんないしさー!」『…うーん……………そうですね。少しでも情報を貰えたら先生としてもありがたいです。』ナマエの言葉に園子が「やった!」と喜び、腕に抱き着くと同時にホームルームのチャイムが鳴り響いた。『ささ!ホームルームが始まりますよ!』ナマエはそう言うとホームルームをするためにやって来た担任へ会釈し、職員室へと向かう。「ねぇ、園子…沖矢さんに話聞いても無駄だと思うけど…。」前に新一から“沖矢には工藤新一の事をあまり話さないで欲しい”と言われた事を思い出し、蘭は園子に耳打ちした。「あー…沖矢さんが新一くんの情報を知ってようがいまいが関係ないから!」そう言って園子はにまりと笑った。
土曜日の昼下がり。名ナマエは蘭、園子とともに工藤邸にいた。呼び鈴を鳴らし、工藤邸で暮らす沖矢が出て来るのを待つ。しばらくすると扉の向こうからパタパタと軽い足音が聞こえ、玄関の扉が開いた。「あれ、コナンくん?」「あ、蘭姉ちゃんに園子姉ちゃん…と、ナマエお姉さん?」玄関を開けた先にナマエの姿を見つけ、コナンは首を傾げた。『こんにちは、江戸川くん。』「こんにちはー!…ところで、どうしてナマエお姉さんがここに?」コナンは蘭達を見上げ、問い掛ける。「アダ名ちゃん先生が新一くんから連絡来ないから心配って言うもんだから沖矢さんが何か知らないかなー?って思って連れて来たの!」何故か楽しそうにそう答える園子にコナンは苦笑いを浮かべる。「僕が…どうしましたか?」なかなか戻って来ないコナンの様子を見にやって来た沖矢が園子に声を掛ける。だがナマエの存在に気付いた沖矢はそちらへと顔を向けた。「…おや、そちらの女性は?」『あ、初めまして…ミョウジナマエと申します。帝丹高校で教師をしています。この子達のクラスの副担任で、今日は工藤くんの最近の様子を確認しにお邪魔しました。』そう言って頭を下げるナマエに沖矢も自己紹介をする。「沖矢昴です。東都大学の大学院に通っています。よろしくお願いします。」沖矢はスッと左手を出す。ナマエは慌てて左手を出し、握手に答えた。「あのさ…立ち話もなんだから、中に入ったら?」「それもそうだね。」コナンの提案に賛同し、工藤邸へと足を踏み入れた。
『じゃあ直接工藤くんと連絡を取っているわけではないんですね。』「残念ながら…。お役に立てなくて申し訳ない。」沖矢の返答に肩を落とすナマエに沖矢も眉を下げる。『いえ…貴重なお時間をありがとうございました。』ナマエはそう言って深々と頭を下げた。そして蘭達が掃除をしている部屋へ行こうとした時、目の端にとある物がうつり、足を止める。「どうしましたか?」『あ、いえ…その本…。』応接室のテーブルの上に置かれたナイトバロンの本を指差す。「あぁ、ここの家主が書かれたと言うので読ませて頂いているのですよ。そう言えば、先日最優秀脚本賞を受賞されていましたね。」『そうなんですよ!…あ、ごめんなさい…私、工藤先生の大ファンでして…。そのナイトバロンシリーズも全巻読んでます。』「…ほぉー…まさか今日はナイトバロンの話が出来るとは思ってもみなかったので、嬉しいですよ。ナマエさんのおすすめは?」『私のおすすめは…』
「ちょっと園子!遊んでないで手伝ってよ!」廊下のゴミを掃除機で吸っていたはずの園子が手を止めている事に気付いた蘭は園子へと声を掛ける。「ちょっと蘭!掃除どころじゃないわよ?!こっち来て!」ただならぬ園子の様子に蘭とコナンは園子へと近付いた。そして少し開いた応接室のドアから中を見るように促される。中では楽しそうに談笑するナマエと沖矢の姿があった。「ねぇ、あの2人見てどう思う?」「どうって…?」「初対面のわりにはもう打ち解けて話が盛り上がってるように見えない?!」「え?ま、まぁ…そう見えなくもないけど…。」園子の勢いに押され、蘭はそう答えた。「私…アダ名ちゃん先生には安室さんがお似合いだと思っていたけど、沖矢さんも捨てがたいと思うの!」園子の発言にコナンはばれないように乾いた笑みを零した。理由はわからないが安室透もとい、降谷零はナマエに執着している事を知っているコナンは頼むからそんな事を安室の前で言うなよ…と心の中で呟いた。
沖矢との話を切り上げ、蘭達と壁一面に本が納められた書斎の掃除をしていたナマエは服の裾を引っ張られ視線を上から下へと向けた。「ねぇねぇ、ナマエお姉さん!お姉さんは学校で国語を教えてるんだよね?」『えぇ、そうよ。』「あのさ僕、宿題でよく分からないところがあって…お姉さんに教えて貰いたいんだけど、駄目かな?」コナンの手には国語ドリルが握られており、ナマエはそれを受け取る。
パラパラとめくり、内容を確認すると『いいですよ』と返事を返した。「じゃああっちでやろー!」そう言うと、コナンはナマエの手を引き、応接室へと向かう。応接室に入ると沖矢がソファーへ腰掛け、読み掛けていたナイトバロンの続きを読んでいた。沖矢はコナンとナマエがやって来た事に気付き、本から顔をあげる。「ナマエお姉さんに宿題見て貰うんだぁ!」コナンは応接室のテーブルへドリルを広げる。『お邪魔ではないですか?』「いいえ、大丈夫ですよ。」沖矢はそう返答すると、再び本へと視線を向けた。
『はい、正解!』最後の問題を解き終え、コナンはグッ…と伸びをした。「ナマエお姉さんありがとう!」『私は何も…江戸川くんは飲み込みが早いですね。』「あはは。(そりゃ、中身は高校生だからな。)」感心した眼差しを向けるナマエにコナンは苦笑いを浮かべる。「ねぇ、ナマエお姉さん。前から聞きたかったんだけどさ…安室さんと初めて会った時、安室さんが同級生に似てるって言ってたよね?」『え?えぇ…言ったような気がするけど。』「安室さんに似てるその同級生の名前とか…覚えてる?」変な事を聞くコナンにナマエは首を傾げるも、その質問に答える。『…えぇ、降谷零くんって男の子よ。』ナマエの口から【降谷零】の名前が出た瞬間、コナンと沖矢の肩が僅かに反応した。「その人とはどう言う関係なの?」『どう言うって…高校3年間同じクラスで、仲は良かったわね。』ナマエの答えにパズルのピースがひとつ、またひとつと集まる。「今は連絡取ったりしてないの?」『高校を卒業してからそれっきりよ?…ねぇ、どうしてそんな事聞くの?』ナマエの問い掛けにコナンは慌てて言い訳を考えるが、良い言い訳が思いつかない。「…ナマエさん…それは彼があなたに好意を抱いているからですよ。」『え?』沖矢は掛けている眼鏡を押し上げると、口角をあげる。そしてコナンの方を見ると口を開いた。「彼はあなたの事が好きだから色々知りたいんですよ。違うかな、ボウヤ?」コナンは沖矢に対して何か言いたげな様子だったが、それを飲み込むと顔をあげ、ナマエを見た。「僕、ナマエお姉さんの事がだーい好き!だからお姉さんの事、色々教えて!」そう言って、ぎゅっとナマエの身体に抱き着く。『あらら。色々教えてって言われてもねー。』困ったように頬へ手を当て考え込むナマエにコナンはさらに口を開く。「ナマエお姉さんはその人の事、好きだった?」コナンの問いかけに一瞬、目を見開く。だがすぐに目線を下へと向ける。『……“だった”じゃなくて、“今でも”が正しいかな?何故か彼の事が忘れられなくて…。…私、安室さんに彼の姿を重ね合わせているのかもしれない。』そう言ったナマエの横顔は悲しげで、コナンはそれ以上何も言う事が出来なかった。
○名前変換サイトで連載していた作品です○