国民的人気アイドルビマニキと個性派俳優ヨダぴが二十年後に舞台で一日限りの奇跡の共演をするビマヨダ 高い位置より降り注ぐスポットライトの白い光が、人影ふたつを照らす。
一人は腰中ほどまである藤色の髪に着流し。もう一人は尻っぱしょりをした白い小袖に紺の股引、そして顔には金色で塗られた鬼の面。背丈は同じくらい。双方ともに筋骨隆々とした体格の男。
さっきまで周囲できらめく模造刀を振り回していた端役たちは、光の届かない舞台袖ギリギリの位置へ下がって膝をついている。
一息。
それのみで、6畳間の端と端ほどにはあった筈の間が、瞬きの間に詰められる。
鬼面の高い位置で結われた髪を、薙ぐ棍棒の残像が掠める。頭を狙って打ち抜かれた一撃を膝を沈めて回避した鬼は、低い位置からすくい上げるように伸び上がり、得物にしている金棒をブン回す。
ひょい、と。体重を感じさせない動きで、背丈が2メートル近くありそうな巨躯が凶器を躱して宙を舞う。藤色の長い髪が揺れる。
金棒を振り上げきってがら空きとなった懐に、後方宙返りの要領で浮き上がった太い足が顎を狙って回転するが、狙われた鬼は後方に飛び退ってかわした。
息つく暇すら与えられぬ攻防。観客は固唾を呑み、拳を握り締めて勝負の行く先を見守る。いつの間にか背景音楽どころか効果音さえ止んでおり、広い劇場に響くのは足裏が舞台に叩きつけられる音と武器の振られる風切り音のみ。役者の吐息はおろか、床に汗のしたたり落ちる音すら聞き取れそうだった。
そう。これは真剣勝負ではなく、演武でもない。舞台演出上の殺陣である。そのはずだ。
なのになぜこれほどまでに緊迫感に溢れているのか。隣の席に座る母をちらりと眺めると、瞬きすら止め身を乗り出し気味にして、大男ふたりの攻防に見入っている。
くるくるくる。赤い棍棒をまるでバトントワリングでもしているかのように、軽やかに回している、ふうにしか見えないのに。それを金棒で受ける鬼面の腕の筋肉は限界まで膨れ上がっている。ついでに言うなら効果音がないのにもかかわらず武器が打ち合わされるたび重い打撃音が絶え間なく響いている。もしかしてあの棍棒と金棒、よくある発泡スチロールとかで出来たハリボテじゃなくて木製なんだろうか。だとしたらどれだけ重いのか。そしてそれを軽々と扱っているように見えるあの鬼面はほんとうに人間か。
「旦那ァ!」
花道から走り出てきた赤い髪の男が花道の中ほどで叫ぶ。花道ってあんな舞台上だけガン見しながら全力疾走するものだっけ? もっと勿体ぶってファンサービスとかしながら練り歩くところじゃなかったか。
藤色の髪の男がとん、と床に着地する。
「遅いぞ我が友よ、どれだけ待ったと思っておるのだ!」
場の空気が一気に弛緩する。
先程まで、獲物の喉元を狙う蛇のような冷徹な目をしていた筈の男だ。それが油断なく棍棒を構えている、と見せつつもにこりと微笑んで、現れた赤い髪の従者に意識を向けた。
そこで私を含めた観客は悟る。この果てしなく続くかと思われた死合はこれで終わりなのだと。
現実に戻ってきた観客たちが、アシュくーん! と従者に声を掛けている。
「ちっ、邪魔が入ったか」
鬼の面の男が演技なのか本気なのか分からぬ真剣度合いでよくある科白を吐き、面を上げた。
途端に、主に年齢層の高いマダムたちが黄色い悲鳴を上げた。
主役の俳優は個性派で演技派の俳優で、これが芸能生活三十周年の記念公演だ。
お城の強欲な若様が城下に繰り出して好き放題やるうちに陰謀に巻き込まれてなんとなく人助けをしてしまう、という筋書きの長寿時代劇の主役を長年務めていたことから老若男女問わず知名度は高いが、やはり主なファン層は不惑を通り越して知命となる。だから私も母が喜ぶだろうと思ってこの舞台のチケットを取ったわけであるし。
だから、隣の母が「アニキ……!!」と呟いて滂沱の涙を流し出したとしても、トンチキだなと笑ってはならないのだ。
年代は違うし興味も無いが、あの顔は私だって知っている。
二十年前、全ファンどころかアンチにも惜しまれながら「ヒマラヤ登山に挑戦したい」というわけのわからない理由で人気絶頂で電撃解散し、その後一切芸能活動から手を引いた伝説のアイドルグループがあったのだという。幾度もカバーされる曲たち、ことあるごとにテレビで放映されるかつての雄姿。おそらくこの国に生まれて彼等のことを知らない人間はほとんどいないのではなかろうか。
メンバーは5人、全員が血の繋がる兄弟。
その次男にあたる男。明朗闊達な兄貴キャラ。銀幕から去って二十年経つ伝説のアイドルのひとり。名前は、なんだっただろうか。
「邪魔ではなぁい!」
柔らかく響くがよく通る声。
藤色の男は笑っている。不敵に素敵に、そしてこの上なく楽しそうに。
「相変わらずお前はうるせぇな、ドゥリーヨダナ」
「ふふん、これからわし様とアシュヴァッターマンが、お前をぎったんぎったんにしてやるのだ、覚悟しろビーマ!」
そうだ、ビーマ。ビーマセーナだ。
呼吸困難になりそうな観客の情緒を光の速度で置き去りにして。確か同じ年のふたりが、お互いのみをその目に映して。
舞台の上に、立っている。