ソドン怪談ソドン怪談 プロローグ 0085
みてみて、と。今時そうは無い厚めの紙束を持った華奢な手が、白い紙束ごとひらひら閃いた。
「紙の報告書?」
珍しいな、と見せびらかされたものの見た目に関する無難な感想を述べる。
宇宙世紀0079年。地球に住む人間、アースノイドを中心として成る地球連邦と、地球連邦の支配下から脱却し、より高度な自治を行うことを目指すスペースノイドのコロニー国家、ジオン共和国との間で独立戦争が起きた。俗にいう一年戦争である。
戦争当時、レーダーを妨害する不可視の物質「ミノフスキー粒子」が開発され普及した。
粒子の散布された場所においてはレーダー精度が著しく低下しほとんど使い物にならなくなるのみならず、遠距離における無線通信は不可能となり、果ては機械製品の集積回路が機能障害を起こす事態となった。
そして戦火に巻き込まれた場所では、お互いの軍事行動を妨害するため、ほぼミノフスキー粒子が高濃度散布されているといって差し支えなく。電子機器の機能障害によるデータの意に添わぬ消去を避ける目的で、旧世紀のように情報を紙に残す習慣があったのだと聞く。
戦後、ミノフスキー粒子の散布は徐々に取りやめられ、後退した電子機器の利用と情報のデータ管理は徐々に再開された。
各自が一台以上デバイスを持ち、文字を打ち込んで送信する方式が一般的となったいま、紙の報告書は絶滅危惧種だ。
「資料室で探し物してたら落ちてきたんだけど」
「あの魔窟で……? 大丈夫だったのか?」
この強襲揚陸艦ソドンは一年戦争時に連邦軍によって建造され、とあるジオンの英雄が鹵獲してジオン軍の所属となり、当時から現役で稼働する艦だ。ソロモン大爆破作戦などにも投入されたと聞く。戦火の最前線を潜り抜けてきた艦なのである。
中佐などは笑顔で「ジオンも懐具合が苦しいですからね」と嘯くが、その通りであるのか、それともほかに理由があるのか。必要最低限の箇所を除いては、ソドンの内装、外装はほぼ手が加えられていない当時のままだそうだ。
資料室もそのひとつ。中佐の手伝いで一度だけ入ったことがあるから知っている。歴代の管理者が整理を面倒がったんだろうな、と一目で慮れる程度にはみっしりと紙の資料が詰め込まれた紙の九龍城塞である。
ところどころ不自然に抜けがあるため、本当にまずい軍事機密は調査して抜いたのではと思われる節があるが。その時に奮起して全部データ化するなりなんなりして整理してしまえばよかったのに。負の遺産の先送りは勘弁願いたい。
「山が崩れて埋もれたとかじゃないから平気。突然、これだけぱさって目の前に落ちてきて。機密の文字も持ち出し禁止の文字も無し、所蔵印も検閲の印も文書番号さえついてない。作成者の名前だって入ってないんだけど、ちょっと面白そうだから持ってきちゃった」
「ほんっとうにやばい書類ってことは」
「ないよー、エグザベ君は心配性だな。だってこれだよ?」
差し出された紙束の表紙には題名がタイプされている。これを読んだら僕も共犯なんだよな、と考えつつ、コモリ少尉の笑顔に押され、意味ある文章として文字の羅列を渋々視界へ入れた。
「「0079年強襲揚陸艦ソドンにおける七つの奇異なる現象についての報告」……奇異なる現象?」
「ね、面白そうだと思わない? 五年前の怪談!」
女子って怖い話が好きだよな、とその楽しそうな様子を見て思う。
「このタイトルじゃまだわからないんじゃないか。単純に原因不明のシステムトラブルの報告とか」
「エグザベ君は二枚目を見てもまだそんなことが言えるかな」
白い指がページをめくる。二枚目に目録があった。
一、第二艦橋の足音
一、洗濯室の泣き声
一、トレーニングルームの男
一、哨戒シフト表
一、増える撃墜数
一、78番ハッチ
一、第一艦橋の人影
「……怪談だ」
「でしょ?」
どこをどう読んでもシステムや計器のトラブルに纏わるまじめな話は書かれていそうにない。
高さの異なる場所を繋ぐ段になった通路のことではなく正しく怪しきことを談るの怪談である。
「なんだって戦争当時にこんなふざけたことを……」
軍艦ってもっとまじめな場所ではなかったのか。僕の卒業したフラナガンスクールのほうがもう少し真面目に世の中を構成していたような気がする。
「おや、懐かしい」
「うわっ中佐!?」
「えっ!?」
心臓が止まるかと思った。
皺も歪みもない内勤の制服に身を包んだ長身、銀縁の眼鏡。
食えない上司が音もなく接近してきて、後ろから報告書を覗き込んでいる。
ここは共有スペースの談話室で、シャリア・ブル中佐が入ってくること自体は何らおかしいことではないのだけれど。気配と足音を消していつのまにか接近する秘密作戦じみた行動はやめてほしい。
レンズの奥の霧がかかるような色の瞳が動き、コモリ少尉の持つ資料の文字列を追っていた。
「コモリ少尉、これをどこで」
「あ、資料室で」
彼女は顔に出やすいので、表情が「ゲロマズ」と本心を正直に語っている。資料の無断持ち出しを咎められたら何一つ言い訳はできない事態だ、無理もない。
「あそこに仕舞っていたのですか。いや、とりあえず置いて忘れた、のほうが近いかもしれません」
コモリ少尉からの「たすけて」の必死な視線を受け、とりあえず上司の注意を逸らすべく口を開いた。
「中佐、これがなんだかご存じでしょうか。コモリ少尉に、文書番号も検閲のサインも無く、どこに戻したらいいだろうかと相談されていたところだったのですが」
たとえ僕がニュータイプでなくても、ありがとうエグザベくんこんどズムシティにある美味しいスイーツのお店教えるからね! という彼女の念は多分読み取れたと思う。
上司は怒るでもなく喜ぶでもなく、いつもの平坦かつ淡々とした調子であっさり回答をくれた。
「これは0079年12月のソドンで怪談大会をやったときの報告書ですね」
「怪談大会?」
疑問形がコモリ少尉とユニゾンしてしまった。
「一応戦時中でも「年末年始はよっぽどのことでない限り大規模作戦をするな」というお互いの不文律と、交代制でもらえるわずかな休暇がありまして。年末は与えられる任務と艦内の人間がそこそこ減っていたのです。そこで非番の居残り組が怪談大会を開催し」
聞きたくないセリフが淀みなく流暢に耳へ流しこまれてくる。
社会人ってこんなにふざけていて良いものだっただろうか。
「ということは中佐、留守番組だったんですか?」
「新兵器の開発が佳境に入っていて、私と大佐は艦から離れられる状況ではありませんでした」
「大変だったんですねー」
怒られそうにないと判断したからか、コモリ少尉が朗らかに相槌を打つ。
その兵器開発って例のゼクノヴァを起こしたαサイコミュがらみのやつですよね? という推測から意図的に目をそらしている可能性はある。見たくないものからは己の進退に絡んでこない限り目をそらして生きる、大人の処世術だ。
「これ、読みます? 読むのでしたら、良かったらですが解説しますよ」
中佐がとんでもないことを言い出した。
暇なんですか? と思わず喉まで出かけた言葉を飲み込む。
「読んでいいんですか?」
コモリ少尉の瞳が輝く。
「別に機密事項ではありませんので。もともとは当時の突撃機動軍総司令官宛に作成されたもので、途中で作成者が「こんなふざけたことを司令官に包み隠さず報告したら私の首が物理的に飛びます」と叫んで草案の段階でお蔵入りになったものです」
だから文書番号も校閲の印も無いのか。
そしてふざけている自覚のある人がいたんだな、たぶん優秀な人なんだろうと思いながら、ふと引っかかる表現があった。
当時の総司令官。学校で習った一年戦争の歴史、世間一般で教えられるよりも軍事の面で非常に詳細なそれを脳の片隅から引っ張り出す。
あれ、それって。
「きっと興味深いと思いますよ」
上司は口元だけでにこりと微笑み、コモリ少尉がじゃあ遠慮なく! と元気よくページを繰った。