本気の園芸 ウインナーソーセージは最初に少量の水を入れて蒸し焼きに。あとから火を強めて焦げ目をつける。
誰に食べさせるでもない独身中年男性の朝食だ、フライパンひとつで完結させてしまえとソーセージを寄せて空いたところへバターを落とし、四枚切りの食パンを置いて火加減を調節。
珈琲は茶殻を処分するのが面倒なためインスタント。
後輩にいる珈琲にやたら拘る男はこれを見て「信じられない」という顔をしたが、利便性が勝るのだから仕方がない。
パンが焼けるまではいささか手持ち無沙汰だ。何かニュースでもやっているだろうか、とリビングのテレビをリモコンで付けた。
流れ出すのんきな笛の音。昨日は酒を飲みながら国民放送で大相撲を見ていたから、チャンネルはそのまま。
画面に「本気の園芸」とポップな文字が踊る。ああこれは土曜早朝の番組だったのか。
時折再放送で見かける、10分ほどの短い教育番組である。人の背丈ほどもあるコウモリランをプロに教えを請うて手入れするだとか、サボテンの花を咲かせてみるだとか、樹木であるにもかかわらず一年で枯れるため一年草と揶揄されるプロでも手入れが難しい品種のバラを実際に一年育ててみたりだとか。
実用に役立つというには著しく範囲が狭い園芸に、ナビゲーターが果敢にも挑戦するといった趣向だ。ナビゲーターは物静かで穏やかな中年男性で、知った顔だった。
元気だろうかと近況を確認するような気持ちでチャンネルは変えないことにする。
「おはようございます、本気の園芸、ナビゲーターのシャリア・ブルです」
軽くワックスで流した灰色がかった緑の髪、端正な顔立ち、蓄えた口ひげ。もともと民放でお天気お兄さんをしていたが、フリーになったあと国民放送に入ったという変わった経歴をもつ男。この長寿番組の進行役に抜擢されたのは数年前だったか。
シャリアは画面の中で、目は笑わないまま唇だけで微笑むという器用なことをしながら、土曜早朝から園芸番組なんぞを見ているコアな層に向けて挨拶をした。
服装は園芸番組ということを意識しているのか、暗い色のロングシャツにジャケット、ベージュのスラックスというラフなものだ。本人いわく考えるのが面倒なのでスタイリストさんに丸投げであるらしいが。
スプーンでカップをくるくるとかき混ぜてひとくち啜る。少し濃かったかもしれない。
「……ということで、今日はゲストをお招きしています」
あれ? とは思ったのだ。
穏やかにゆるやかに人当たりがよさそうに話すけれども、目は笑わない。五年前からずっとその姿勢を崩さない彼の瞳に、光が散ったように見えたから。
野外の撮影であれば光の加減かと思っただろうが、シャリア・ブルが立っているのはスタジオである。光量と光源の調整はガッチリとされている筈だった。
「やあ皆、はじめましてかな」
闊達な声。聞き覚えしか無い。
当時よりはいくらか落ち着きと深みが乗っているかもしれないが。
ブフォッ、と珈琲を吹いた。
真っ赤な嘘がそこに立っている。
上から下までぜんぶ赤い。
赤いべべを着ているのは可愛い金魚だけとは限らないのだと思い知らされるくらいに赤い。
襟の立った上着は何故か袖が肩のところまでまくり上げられてノースリーブになっている。インナーはかろうじて白い。腰の細さを幅広の黒いベルトで締めることで強調し、すらりと長い脚を包むパンツもまた赤い。
下手な人間が纏えば郵便ポストの擬人化だとか収穫し損ねた獅子唐だとか暴言を吐かれそうな服装。
しかし。きらきら輝くウェーブのかかった金髪、サングラスをかけていてなお隠しきれない顔面の良さ。程よく鍛えられた、古代ローマの彫刻に命が吹き込まれて動いているかのような体型。圧倒的な素材の良さが、服のトンチキさをねじ伏せて、無味乾燥なスタジオの雰囲気をパリコレのランウェイにしてしまっている。
土曜早朝4時からの園芸番組に出していい人間ではないだろう、これは。
気管に入った珈琲を排出すべく身体が反応し、ひたすらに噎せる。噎せている場合ではないのに!
「クワトロさんです」
「クワトロだ。宜しく頼むよ」
嘘をつけ! と叫びたいが喉は咳しか発しない。クワトロってなんだ。番組が朝4時開始だからとかそんな理由で開始5分前になって適当に付けただろう絶対に!
「今日は盆栽特集ということで、私とクワトロさんで盆栽を仕立ててみようと思います」
口調こそ穏やかで緩やかなままだが、分かってしまう。シャリア・ブルがいまだかつて無いほど浮かれて喜んでいるということが。表情のみで。
それはそうだろう。彼は探していたのだ、このトンチキな番組の公開で過去形になるまでずっと、五年間も!
ジーンズの尻ポケットからスマートフォンを取り出す。電話帳からあまりかけない番号を選び出して、コール音が一回、二回、三回。
「はい、シャリア・ブルです。お久しぶりですね、ドレンさん」
テレビ画面にて、この木瓜の盆栽は黒潮という品種で真紅の一重咲きで、と淀み無く解説していくそれと同じ声が届く。
「なにやってんだお前ェ!!」
咳き込みながら絶叫すると、はは、と楽しげな笑い声が返る。
「ご覧になりましたか? 私の番組」
「他人の心臓を労れ!」
本気で驚きすぎて心臓発作を起こして死ぬかと思ったのだ。
あとこの番組を見ている視聴者に、驚きすぎてぶっ倒れた人間が一定数存在すると思う。なんだか救急車のサイレンの音が遠くから聞こえるような気もするし。
柔らかな声音は明るく、しかし毅然と告げる。
「だから、申し上げたでしょう、きっと生きていますと」
五年前のあの時、誰もが彼を諦めた。
弱冠20歳。国内どころか世界にもその名を轟かせた偶像が、人気絶頂で突然の失踪。芸能事務所が総力を上げて探しても尻尾すら掴めず、ドレンやシャリアなどのある程度親しくしていた間柄の者たちも誰も行方を知らず。ただ真っ赤な車だけが後から発見され、きっと死んだのだろうと皆思っていた。
たったひとり、電話先の男だけを除いては!
「今度一緒に飲みましょう。大佐もドレンさんに会いたいそうですし」
大佐、とは、シャリアとドレン、そして赤い男がはじめて共演した連続ドラマにて、男が演じたキャラクターの愛称だ。スペースSF、というジャンルのドラマで、三人は揃って主人公と敵対する軍組織に所属する設定。ドレンとシャリアが大尉、そして男は大佐。
レギュラーメンバーで大佐は男だけであったため、いつしか役職で呼ばれるようになり、ドラマの撮影が完了してからも定着した渾名だった。
「これから大変じゃないのか?」
「いままでも大変といえば大変でしたしねえ」
シャリアを案じてみるが、狸親父はのらくらと躱す。彼を狸親父と言ったのをもう一人の共演者であるマリガンが聞いたら、見た目はドレンさんのほうが狸に似てますよね、などと言うのだろう。
これ以上突いても何も出ないなと悟り、朝早くから済まなかった、大佐に宜しくと伝えて電話を切る。
「それでは皆様、また来週お会いしましょう」
ちょうど番組は終わり、生放送のニュースがはじまる所だった。アナウンサーの女性がぽかんと口を開けている。無理もない。
それにしてもこの反応だと放送当日まで局関係者に情報は漏れていなかったようだ。腐っても国民放送、コンプライアンスがしっかりしている。
焦げ臭さにふと手元を見るとトーストが見るも無残に真っ黒になっていて、慌てて火を止めた。
もうどうにでもなれという気持ちで指で持ち上げ、そのままフライパンの上で齧る。固い上に苦い。
「シャア・アズナブル……!?」
「生きてた、んですか……!?」
放送事故だな。
可哀想なほどに恐慌状態に陥るスタジオを画面越しに眺めながら、次にシャアと飲むときは浴びるように酒を飲もう。そして全額奢ってもらおう。と心に決めて、飛び散った珈琲を拭くための布巾を水で濡らして絞った。