ソドン鬼ごっこ(冒頭) 兵力が無い、資金が無い、資源はもとからそれほどない。
宇宙に浮かぶ巨大な気密容器、コロニーを主体とした国家であるのだから、そのあたりは今更というもの。
あまりに無い無い尽くしでありながらも「勝算あり」として地球という資源の宝庫と過剰な人口を抱える地球連邦に対して独立戦争を仕掛けたジオン公国は、一ヶ月で終わるはずであった戦争の長期化にいささか疲弊しつつあった。
そうであっても、掲げた拳をそうやすやすと下ろすわけにはいかない。
スペースノイドの自由を勝ち取る。
この声高に叫ばれている崇高な建前だけでは勿論ない。
戦争の序盤でコロニーを地球へ落とし、大量虐殺を敢行したいまとなっては、ここで負けてしまえば今度こそコロニー国家は地球に虐げられ搾取され続けるだけの本物の奴隷へと成り下がるだろうという確実に見えている展望の暗さも鑑みてのことだ。
退路はすでにない、どこにも。
想定される地獄を見たくはないのならば、眼前に広がる別の地獄を奥歯を噛み締めて見据え、屍を踏み越え勝利を得るしかないのだ。
シャア・アズナブルが連邦から強奪した強襲揚陸艦ペガサス級ホワイトベース、名前を改めソドン。
この軍艦もまた、退く場所の存在しない宇宙で。数多の軍人を乗せて、終わりの見えぬ戦争を続けている。
のであるが。
「よーし! 揃ったな!」
ソドンで最も高いところにある、第一艦橋。
この箇所はどこかの赤い大佐が鹵獲した際にビームサーベルで焼いたため内装はほぼ新造である。この艦でもっとも新しい空間。
なお焼いたのは船体だけでなく、そこに居た当時の船員ごとであったため、焼け爛れた身体で呻く連邦軍兵士たちやガンダムに恨み言を述べる嘗ての艦長の幽霊が出るという噂もある。しかしそれはあくまで余談である。
まるまるとした腹を揺らし、ドレン大尉が並ぶ兵士たちを前にして良く通る声を張り上げた。
艦長のための席はきちんとあるのにもかかわらずそこに座ることはほぼ無く、常に窓際で指揮をとる、事実上のソドン艦長だ。
「今日から5日間、本艦は補給のため、この月基地へ停泊することとなった! のだが、この戦時下だ。基地側の受け入れ態勢が整っていない、ということで、荷の積み下ろし、乗務員の下船の許可が下りるのは明日のマルキュウマルマル時となる!」
艦長の眼前に雁首揃えた兵士たちは、訓練された軍人らしく背筋を伸ばして微動だにしない。
しかし彼らの内心はそれなりに複雑であった。
補給も下船もできないというのならば、この後に下りるのはまず待機の指示となる。
とはいえ、勤務時間内である限り、ただ突っ立って待っていればよいなどという時間は軍人には基本的に存在しない。
艦の整備かモビルスーツの整備か、はたまた艦内の清掃か。明日に迫る積み荷の上げ下ろしに伴う書類の作成もあるだろうし、備品の棚卸という可能性もある。多くは派手さのない地味な仕事だ。
それを済ませてやることが完全になくなってしまえば、休むことも仕事! ということで最低限の見張りを交代でつとめ、残りは事実上の休息を許される希望はわずかながら存在する。
とかく雑事は迅速に終わらせて、貴重な休みをとりたいと多くの者の思いが一致したところで、太い声は続ける。
「よって本日ヒトマルマルマル時より、模擬防衛訓練をとり行う!」
何て?
予想の斜め上に宇宙デブリを蹴りつけて光りながらかっ飛ぶのは赤い彗星だけで良い。
これはソドンで職務に当たる兵士たちの切なる思いである。
「あー、訓練は、このソドンに連邦軍の兵士が侵入したという体で行われる。武器はこれから配布するペイント弾の入った銃を使用することする。敵を発見、捕獲あるいは撃破すれば勝利。第一艦橋を占拠、もしくは船体のコントロールを奪取された場合、敗北となる! 配置はこれより言い渡す。開始はヒトマルマルマル時だが、敵がいつ侵入してくるかは敵役になった者の判断となるため、総員気を引き締めてかかれ!」
マリガン中尉が死んだ魚のような目をして無言で各員に支給された武器を回収し、代わりにシャリア・ブル大尉が殺傷能力の無いペイント弾が込められた訓練用の銃を淡々と配布していく。
ドレンに名前を呼ばれて配置を言い渡され、兵士たちは目配せしあう。
普段の配備とあまり変わらないものだ。
この訓練の内容ならばそういうことにもなろう。緊急時に今の自分たちがどれだけ対応できるかを見るものなのだから。
「なお、敵側の兵は厳正なくじ引きで若手から選出した!」
攻め手側が若手の兵士であれば、そこまで訓練が長引くこともないだろう。
さっさと発見し制圧して終わらせよう、と兵士たちは心を一つにする。
「シャア大佐だ!」
それが直後の発表で、メガ粒子砲にエンジンをぶち抜かれて爆発した宇宙戦艦よりもなお粉々に打ち砕かれることになる、あまりにも脆い希望であったとしても。
「この艦全滅しますよ!?」
整備兵のひとりが思わず絶叫した。
並みの隊であれば処罰を下されてもおかしくないのだが、ここはジオン軍の特異点。神と規則は私に跪く赤い彗星シャア・アズナブルの艦である。
ドレン大尉は特に咎めることも無く、肺に溜めた息を勢い良く吐いて腹の底から声を出す。
「そうならないようにするのがお前たちの仕事だろうが! 開始はヒトマルマルマル、変更はなぁし! 各員配置につけい!」
多勢に無勢という言葉がある。
しかしこの場合はシャアに有象無象という方がより実情に近い。
それだけシャア大佐の吶喊は脅威なのだ。味方で身内であるからこそ、その恐ろしさは身に沁みすぎている。
ルウム戦役にて戦艦五隻を沈め、サイド7のコロニーにてほぼ単身の独断専行をかましてガンダムとこの艦を鹵獲してきた正真正銘の化け物に対して、ドレン大尉はどう立ち向かえと言うのだろうか。
風車に挑むドン・キホーテのほうがまだ状況としてはマシだ。
何故なら少なくとも風車は死角から襲い掛かっては来ない。
「はっ!」
文句は山のようにあれど、上からの指令に対して軍人に出来ることといえば。右手を上手にヘルメットに当てて気をつけ敬礼の姿勢を取る。ただそれのみであった。
***
「各ハッチの確認まだか!」
「50番台までは完了しました!」
「侵入者役の爆薬の使用はありなのか!? それで兵の配置が変わるぞ!」
「ドレン大尉に伺いましたが、侵入される側に手の内を教える敵があるか、訓練ということを周知するために侵入者がいることが事前に分かるだけでもかなりの温情だ、であるそうであります! 大尉も防衛側のトップでありますので、ご存じないのではないかと……」
「それもそうだが手合割くらいくれてもよくはないか、相手はシャア大佐だぞ……」
「いくら大佐でもこの兵力差で艦橋までの突破は無理だろう」
「それをサイド7でガンダムとこの艦を鹵獲してきたエースパイロット様に言えるかお前?」
さながら戦場である。
防衛側に任命された兵士たちが艦内を慌ただしく駆けずり回って情報を共有しあい、それを各ブロックに一名ずつ配置されている記録係が観察して様子を書き込む。
おそらくは記入された内容が今後の昇進に絡む評価となるのだろうが、評価などいちいち気にして動く余裕は防衛側にない。
軍艦という閉鎖空間、攻め込んでくるのはシャア大佐。
通常ならば袋のネズミをいかに迅速かつ被害を最小限に留めて追い詰めるかの勝負であろうが、今回は兵士側が受ける印象からいえば、酷く逃げ惑うネズミを縦横無尽に食う大猫の侵攻をどう食い止めるかの戦いだった。
しかも相手はこの艦の主で、巣の構造を熟知している。
「いいか、大佐本人も仰るがな、たった一人で戦況を劇的に変えられるものではない! 落ち着いて対応にあたり、侵入者を確保しろ!」
艦橋のドレン大尉が艦内放送にて檄を飛ばす。
ウオオ! と野太い歓声が上がった。
何も英雄との対峙にただ怯えている者だけではないのだ。
あのジオンの英雄、ソドンの暴君。ヘルメットと仮面で顔の下半分しか見えないのにもかかわらず満面の笑顔とわかる器用な表情筋。
はははと闊達な笑い声を上げながら部下へ平等に無茶苦茶を振りまいて回り、自分もそれ以上に滅茶苦茶をこなす男。
赤い彗星に一度でいいからどうか一泡吹かせてやりたいと考える兵士も、当然ながら多くいる。
「赤い彗星がなんだ!」
「この作戦で活躍してボーナスを上げてもらう交渉をするぞ!」
「俺は休暇を申請する!!」
「歌姫マリアンちゃんの心を奪われた恨み!!」
「美形滅びろ!! 仮面被ってても分かるんだからな!!」
コンピューター室に続く通路を背にして、欲望渦巻きなかには私怨も混じった感情を込めた拳を突き上げる兵士たちと、壁際に張り付いて巻き込まれまいと筆記に徹するこのブロックの記録係のそばを、タブレット端末を抱えた男が黒い外套をひらめかせてすいと横切った。
「シャリア・ブル大尉! 大尉は大佐が何処から攻めてきそうだとお考えで?」
その姿を見かけた防衛側の曹長が声を掛ける。
物静かな風貌、二十代にしては老成した落ち着き。現在シャア大佐の他に確認されている唯一のニュータイプ、シャリア・ブル。
武器を回収配布していたことからして、ドレン以外の尉官は記録係なのだろうと曹長は踏んでいた。
木星帰りの男は移動用のレバーを操作して停止しつつ振り向き、このブロックを担当する兵士たちがぎらぎらと輝く期待の目で自分を眺めているのを確認して眉尻を下げる。
「私にはとうてい大佐のお考えは……」
「そんなことはないでしょう、なんと言っても大尉はあの大佐の相棒だ!」
「お得意の勘とやらでどうかひとつ」
必死の形相に気圧されたのか、シャリア・ブルはふむ、と指を顎へ当てる。
「そうですね……正面突破、で来るのではないでしょうか。派手なことがお好きでしょう、大佐は」
「正面突破?」
「確かに下の連絡口は開けてあるが……いちばん警備が厳しいところでもありますなあ」
「あくまで勘ですよ、外れることも……」
ふと。何かを感じ取ったように、シャリア・ブルが天井を仰ぐ。
「……来る」
「ヒトマルマルマル! 開始!」
放送設備から流れたドレンの声に被さるようにして、ばつん! と艦内の明かりが切れた。
完璧な闇に兵士たちは身を固くするが、直ぐに明かりは復旧し、有線の通信機が全体へ声を届けるために一斉に鳴る。
「こちらサブブリッジ。五秒電源が落ちました! 現在サブの電源で運用中!」
「了解! 攪乱か? 警戒せよ!」
「了解、こちらメインブリッジ、異常なぁし!」
「こちらコンピューター室、異常なし!」
「居住区、異常なし!」
「モビルスーツ格納庫、異常なし!」
異常なしの報告が矢継ぎ早に上がる。
「……異常な……」
ひとつだけ。
最後のブロックの報告時、通信が不自然にぶつりと途切れた。表情を変える兵士たちをよそに、シャリア・ブル大尉は抱えた液晶タブレットを指で操作しながらのんびりと呟く。
「78番ハッチが突破されたようですね。どうやら私の勘も当てにはならない」
「78番ハッチ!? 第二艦橋のすぐそばじゃないか!?」
「第二艦橋を占拠してコントロールを奪う作戦か!」
「78番ハッチ突破!」
「空いている兵を至急第二艦橋付近へ集めろ!」
喧騒のなか、シャリア・ブル大尉のみが手元のスイッチでバーを操作して、コンピューター室から背を向けるようにその場を離れていく。
「どうやってあそこまでよじ登ったんだ、月の重力が地球の六分の一って言ってもガンダムの格納庫から第一艦橋まで八十メートルはあるんだぞ」
「大佐だからなあ……」
ぼやきながら駆ける兵士たちの姿を、記録係はその場から動かず淡々と観察して記録していた。
***
「こんにちは、お急ぎですか」
電源喪失の報を受け、壁際の通信機にて異常なしを告げる。
78番ハッチが突破されたと情報を得てから通信を切り、ならばここからは攻め入って来ないかとほんの少し気を緩めたところで、柔らかく声を掛けられる。
朝方からの入港は特に不慮の出来事もなく、滞り無く行われた。
艦の係留までは行われたものの、人間の出入りと物の搬入搬出はグラナダ側の許可が出ていないため認められていない。
故に堂々とタラップを登り、格納庫へ続くこの連絡口へとやってきて、気さくに声を掛けてくる相手は限られていた。
そも、ここは軍事基地であり軍港だ。軍人か軍で職務にあたる人間以外が艦のそばまで寄ることはとても難しい。
「べつに急いで……」
足音はしなかった。登ってきたのならば僅かなりとも音はするはずであるのに。
そのうえ掛けられた言葉が、ジオンの諜報員、平たく言うならスパイの間で良く使われる符丁であったものだから、警備の兵士は驚いて顔を上げ、つい符丁で答えようとしてしまったのだ。
ふわふわと靡く、綺麗な金色の髪を持つ細身の青年だった。
色の濃いサングラスをかけ、月の港に埋没するジオン軍の制服を纏った。
「たい……」
目の前の人物の背格好に見覚えがあることに気がついたときには遅かった。
ぱんぱん、と。予備動作はほぼ無く、相棒の兵士と後ろに居た通信役が赤いペイントに塗れる。
「16番、17番。死亡判定です」
影のように男の後ろについていたマリガン中尉が、淡々と告げて持っていたボードへペンを走らせる。
侵入者あり! と叫ぶべくスイッチを入れる前に、通信機が長い脚で蹴り飛ばされた。
あっという間に組み伏せられ、武器を奪われ後ろ手に両手親指を拘束される。こうすると人体の構造上、人間は動けない。
ついでに足首もぐるりと紐で巻かれ、その手際の鮮やかさに呆然とする。宙へ浮いた通信機を長い指が掴んでついと拾った。
「よし。君の動きに悪いところはなかったが、まあ強いて言えば運が悪かったな」
頭に被っていた土色のヘルメットを奪われ、綿菓子のような金の頭にそれが乗る。
色が沈みすぎていて似合っていない。
ここにはあの白い兜こそが戴かれるべきだ、とつい思う。
「ああ、念の為、行動不能にしておくか?」
ぱちん。頭蓋に衝撃。
付着すると皮膜となり、低重力でも拡散しにくく落としやすい塗料、限りなく落とされた衝撃。ジオンの高い技術力を無駄に活用した画期的なペイント弾といえども、頭へまともに当たればけっこう痛い。
揺れる脳に、マリガンの「15番も死亡」という抑揚と容赦が揃って家出した声が辛うじて届いた。
「さて」
ヘルメットとサングラスの影で、それすらも美しい造形の唇が弧を描く。
「始めよう」