残雪❄ふと目を覚ますと、ぼやけた視界に窓の外を見上げる背中が入る。
あたりは既に明るく、大分寝過ごしてしまったようだ。
日曜日だし、決まった予定も無かったけど少しもったいないような気もする。
「…起きてたの」
掠れた声で話しかければ、驚かせてしまったようでびくりと背中が跳ねた。
そろそろと振り返った顔は、緊張と羞恥と気まずさを混ぜ合わせた何とも言えない表情。
「お、おはよう、ございます…」
それでもきちんと挨拶をするあたり、体育会系の性なんだろう。
「おはよ…」
しわくちゃのシーツに額をこすりつけてあくびをする。
「腹減ったよね」
体を起こしながら尋ねると、ぎこちなく頷いた。
「ごはん作るから、お前シャワー浴びてきなよ」
「あ、オレ……」
「――それとも、一緒にはいる?」
「えっ」
まん丸に目を開いた顔が、お湯につけた温度計みたいに真っ赤に染まっていった。
いちいち反応が初心でかわいい。まあ、そうでしょうけど。
まじめな顔を保てずニヤニヤしていると、唇をとがらせて拗ねている。可愛い。
からかうだけの意図ではないので、少しまじめな顔に戻す。
「からだ辛いなら、手伝おうか」
「大丈夫です! 一人で入れます!」
ベッドから立ち上がった様子に素早く目を走らせ、おかしなところはなさそうだと少しほっとする。
「ゆっくりでいいから。ごはん作るの、慣れてないんで」
わざとおどけてみせると、カラ松はようやく、はにかんだ笑みを浮かべてくれた。
エッグベネディクト、インスタントのスープ、ベビーリーフやモッツァレラチーズやプチトマトを混ぜたサラダ。
頭からタオルをかぶったままのカラ松は、ぽかんと口を開けてテーブルの上をまじまじ見つめている。
「これ、先生が作ったんですか? 本当に?」
手の込んだものは作っていないが、驚きすぎじゃないだろうか。
まあ、昼もコンビニ弁当ばかりだったし、自炊するようには見えなかったんだろう。
「お前には物足りないかもしれないけど」
「いえ、ありがとうございます」
お礼を言いながらも、少し寂しそうに目を伏せている。
多少喜んでくれるんじゃないか、なんて思っていたのに予想外の反応だ。
「何かあった?」
「……別に、何も」
「じゃあ、何でちょっと泣きそうなの」
「泣きそうって……」
笑うのに失敗したように口元をゆがめて、それからうつむいてしまった。
「先生は、今まで彼女とかいたんだなって思ったら、何か……」
「……ショック?」
黙ったままなのは肯定だろう。椅子にもまだ座っていない、所在なげな様子のカラ松にゆっくり近づいた。
「……カラ松、こっち見て」
のろのろと顔を上げたカラ松に、腕を広げて見せる。
「触ってもいい?」
「……うん」
子猫を抱き上げるような気持ちで、まだまだ成長途中の背中を軽く抱きしめた。
身長はもう同じくらいだけれど、子どもから大人になりかけの脆さも残した愛しい体だ。
「先生、ごめん」
「何で?」
「オレは付き合うの、先生が初めてだから、何だかちょっと悲しくなったんだ」
「――うん」
おれたちはしばらく、黙ったまま抱き合っていた。
きっと、言葉にしない、できない想いがたくさんあるだろう。悲しくなったの一言だけで、あとは何も言わない不器用さがいじらしい。
「カラ松、おれはこんなに余裕ないの、初めてなんだよね」
「え?」
少し体を離して、しっかりと視線を合わせた。
「未成年に手を出すとか、ありえない。教師が生徒に手を出したってニュース見るたびに、何でそんなことになるんだって正直思ってたし他人事だった」
カラ松は黙ったままおれを見つめている。
「大人ならちゃんとダメだって言わなきゃいけないのにね。どうしても欲しくなった」
ぱっと頬が赤くなる。そういう素直なところも全部可愛いなんて、おれもたいがい色ボケしてる。
「オレばっかり好きなんだって思ってました」
「おれは早く卒業しろって思ってた。だから四月一日誘った」
まぁ正式に高校生じゃなくなる三月三十一日まで、ギリギリ何もしなかったんだからそこは褒めてほしい。誰にって言われると困るけど。
これからのことを想像して、色々悩んだし迷った。
けど、溶けきれなかった残雪が道端にしがみつくように、どうしてもこの気持ちは消えなかった。
「中途半端な覚悟で抱いたわけじゃない。お前と一緒に生きていきたい」
「せんせぇ」
結構泣き虫なカラ松は、涙を浮かべるとぎゅっと強く抱き着いてきた。
「――だから捨てないでね」
「捨てるわけないっ」
抗議する目元ににじんだ涙を指でぬぐう。
いつかお前がおれから去ったとしても、今日のことはずっと覚えていたいと思った。