また今年中に会えるかな。冬休みに入り、カーヴェは朝から夕まで塾の冬講習だ。
「世間はクリスマスだなんだと言って騒いでいるがここで気を抜かないのが受験生だぞ!」
「先生が可哀想だから休みにしようよ〜」
「残念ながら先生は皆と過ごすことでくりぼっちを回避しているんですー」
「乙でーすw」
生徒と講師の時事ネタ弄りから始まった冬講習、問題を解き終え、ふと外を見た。
曇天の駅前の大通りには赤と緑のオーナメントが飾られ、路上ライブの音も微かに届く。
浮つく世間から隔絶された灰色の箱で無機質な数字の羅列と格闘する、受験生とはそんなものである。
(アルハイゼンは今日をどう過ごすのだろう)
(あいつのことだから、ストーブの前で冬休み前にごっそりと上限まで借りていった本を読み、お祖母さんお手製のご馳走を食べて、浮かれた街に行くこともなくぬくぬくと過ごすんだろうなぁ。)
別に、1年生の彼が羨ましいわけではない。家に帰ればきっと母さんが迎えてくれる。帰ったらケーキとチキンでささやかに祝って、眠り、また明日の朝冬季講習に行く。慌ただしくも単調な冬休みだ。
自分で選んだ難関大への道なのだから、ここまで来たら追い求めるのみであり、勉強に精進することしかできないのだが。
(…会いたいな)
大通りを往く幸せそうな人々を眺めるうちに思い浮かんでしまった光景。あの賑やかな道を並んで歩くのは、理知的で頑固で皮肉屋で可愛い後輩だった。
(学校帰りだったら歩いて駅まで行こうって言えるのに。)
アルハイゼンはいつも自転車通学で、学校最寄りの改札口とは反対側方面のお祖母さんの家に住んでいる。だが今日はあいにくの冬休み。そして1年生は流石に塾になんていないだろう。
制限時間の終わりを告げるタイマーの音。解答が読み上げられ、丸をつけるボールペンの音が机に響く。
(集中しなきゃダメだ)
カーヴェは新たに配られたプリントにペンを走らせた。
・*・*・*・
「おつかれ〜」
「また明日」
塾から出ると、街路樹には光が灯り、昼にも増して街が彩られている。
そして、とても寒い。朝手袋を置いてきたのは間違いだったかもしれない。
うん、早く帰ろう。
かじかむ手に息をふきかけ気合を入れて歩き出したその時だった。
「カーヴェ」
雑踏から自分の名を呼ぶ声がした。
振り返るとそこにはアルハイゼンがいた。
「えっ、あ、アルハイゼン?!どうして君がここに」
「本屋に用があった」
「こんな日に君が外に出るなんて思ってなかった」
「今日発売の新刊があったんだ」
「そうだったのか。そうだ、せっかくだしクリスマスマーケットも見ていかないか?」
「あそこはとても混んでいる」
「受験生として人混みは避けるべきという意見には賛成だ…」
「だが君がどうしても行きたいというのなら行かなくもない。朝から晩まで勉強したんだからそれは許されるだろう」
「…!そうだよな!たかが1kmくらい歩くだけだからな」
「うん」
僕らはきらめく大通りに足を踏み入れた。
雪だるまが閉じ込められたスノードームに、精巧なガラス細工。クリスマスらしさ溢れる工芸品の数々が美しい。ソーセージやプレッツェルの香ばしい香りが漂い、グリューワインを乾杯するカップルやイルミネーションを背にスマホを構えている女子高生たちに紛れ、あつあつのホットチョコレートを両手に持ってふーふーしながら、冬休みの予定や最近の雑誌に載っていたコラムや論文のことなどを話した。
そうこうしているうちに、大通りの中央、一際豪勢なツリーの前にやってきた。
「わぁ……すごく、綺麗だ」
銀に輝くモールに、散りばめられた金の星々、緑の葉に映える赤い小さなプレゼントボックスのオーナメントが可愛らしい。
「綺麗だな。写真を撮ろうか」
「いいな!…ふふ、君が言い出すなんて珍しいけど。君もこの浮かれた空気に当てられたのかな?」
「早くしないと次の人が来てしまうぞ」
2人とツリーを写真に収め、飲み干したカップはゴミ箱へ。残り半分の駅への道を進んだ。
「ところで今日の新刊はどんなのを買ったんだ」
「それなんだが、売り切れだった」
「君が新刊を逃すとは珍しいな」
「…ああ」
ツリーからだいぶ離れ、駅ビルが見えてきた。人混みはまだあるものの、ビル風が強い。
「うう…寒いな。さっきはホットチョコレートを持っていて和らいでいたぶん、手が冷える…」
「手袋ならある」
「僕は今朝持ってこなかったことを後悔しているんだ」
「はい、これ」
アルハイゼンが片手袋を差し出してきた。
「いいのか?でも君の片手が」
「問題ない。こうすれば暖かい」
彼は僕の手を掴み、自分のコートのポケットの中に突っ込んだ。
突然のことに僕の頭は一旦フリーズする。
(どういう風の吹き回しだ?なんで、僕の手はアルハイゼンのポケットの中で、こ、こ、恋人繋ぎしてるんだ!!????!)
「……ちょっと待って学校の人とか塾の人がいるかもしれないよ」
「こんな日に誰も他の人のことなんて見てませんよ、先輩」
前を向いて歩くアルハイゼンのスピードがちょっと早くなった。
「なぁ君…」
深緑のマフラーから覗く彼の耳が紅く染まっているのが見えてしまった。
え。もしかして…?
心臓がうるさい。さっきまで聞こえてきたクリスマスソングが遠い。マスクを取りたい。あつい。でもトナカイの鼻のように真っ赤になっているだろう顔を晒したくもない。手はぬるぬるになりそうだ。僕の汗か、アルハイゼンの汗か、全然わからないけど。
早く駅に着いてしまいたい。否、信号は赤でいい。
願いも虚しく、駅前ロータリーの信号は行けという。
「アルハイゼン、君そろそろ」
「今日は歩きだから駅の中を歩いた方が暖かい」
改札の前まで手を繋いだまま来てしまった。
「流石にここまでだ。一緒に見て回れてよかったよ。会えると思ってなかったから」
「君はこういう行事を俺と過ごすのが好きだろう。だが冬休みは毎日塾だと言っていた。だから会いに来た。それだけだ。メリークリスマス、気をつけて、カーヴェ」
そう言うとアルハイゼンはそそくさと最寄り出口方面に歩いていってしまった。
鞄から定期を出そうとして気づく。僕、アルハイゼンの手袋つけっぱなしだ!!!!もう彼は見えない。歩くの早すぎだろ。
ルーティン化したホームへの道を歩き、いつ返そうか考える。晴れた日さえ何もしないに限ると言う彼のことだ、めったに外に出かけなさそうだとはいえ、不便だろう。
車席についてスマホを取り出し、アルハイゼンとのトーク画面を開いて、ふと去り際の言葉を思い出した。
僕は黒くて無骨な手袋をぎゅっと抱きしめた。
*・*・*・*
今日はクリスマス。ハロウィンが終わったとたん始まったこの行事への世間の浮かれ具合も今日まで。今までのアルハイゼンにとってクリスマスとは、祖母とささやかにご馳走を食べ、図書カードを貰うだけのなんてことない日だった。ハロウィンだってそうだ。スーパーで売り出される特殊パッケージのチョコレート菓子を祖母と共に食べるだけ。
でも、カーヴェと出会ってハロウィンは変わった。昼休みにシーツおばけがやってきた時は流石に驚いたしお菓子なんて持っていなかったから教室でくすぐられて恥でしかなかった。彼は生徒会長なのにお菓子を配り歩いて大丈夫なのだろうか。帰りにハロウィン限定のフラペチーノを飲んだのも初めてだった。
「学校で菓子をねだられるのも、これを飲むのも、初めてだ」
「でも君まんざらでもないだろ。顔に書いてある」
「…流行りの味は嫌いじゃない」
「こういうのは大事な友達と楽しんでこそ本当に良いものなんだ」
楽しそうにはにかむカーヴェはいっとう綺麗だった。
だからテレビで各都市で催されているクリスマスマーケットのニュースを見た時、庶務のレイラが友達と行ってきたという駅前のクリスマスマーケットの様子を聞いたカーヴェが「いいな〜絶対綺麗で楽しい。行ってみたいけど…」とこぼしていたことを思い出した。
「冬休みは毎日朝から夕方まで塾なんだ。気が遠くなりそうだよ!」
とマークテストの丸つけをしながらサンドイッチを頬張っていた姿も思い出した。
「お祖母さま、今日はクリスマスマーケットに行きたいので夕飯は遅くしてもらって良いだろうか」
「そう。あったかくしていくのよ。いってらっしゃい。迷子には気をつけて」
「何年前の話だ。行ってきます」
(ふふ、あの子も高校生になって友達と遊ぶ約束でもしたのかしらね)
いつもの相棒のロードバイクには乗らず、徒歩で駅への道を行く。カーヴェが言っていたコマ数から推測し、最低限の待機時間を割り出す。
少し、寒い。
お祖母さまの言うとおりにマフラーを巻いて手袋をして出てきて正解だった。
大通りの人混みとスピーカーから流れるクリスマスソングがうるさい。ヘッドホンも持ってくるべきだったかもしれない。いや、お祖母さまとこたつでみかんを食べていることがベストなんだ。
でも、あの笑顔のためなら。
アルハイゼンはカーヴェが通う塾の前に到着した。
あと5分くらいだろうか。
最低限の待ち時間を計算したはずなのに、永遠のように感じた刹那、眼前を金糸が横切った。