お酒はほどほどに「おいウィット、聞いてるのか?」
「ん?あぁ、聞いてる聞いてる」
「じゃあ返事を聞かせろ」
「あぁ、聞いてる聞いてる」
「だから、好きだと言ってるだろ!」
ミラージュは目を閉じた。
全ての雑念を振り払うべく。
いや無理だ!聞いてられるか!
ミラージュは磨いていたグラスをテーブルに力強く置いた。
「あーもー!うるせぇ酔っ払い!俺も好きだよクリプちゃん!これでいいか?どうせお前は明日覚えてないけどな!」
クリプトの顔に指を指し宣言した後、ミラージュは再びグラス磨きを始める。
このやりとりを一体2人は何度してきたのだろう。
少なくとも片手では足りないな、ミラージュはため息をついた。
黙りこくったままのクリプトをちらりと見遣れば白い肌は赤く染まりそれはそれは嬉しそうに笑っていた。
惚れた弱みだ、ミラージュはこの顔を見ると直ぐにでも許してしまいそうになる。
だめだエリオット!ここでこいつを許したらどうせ俺だけが明日がっかりして悲しむことになるんだからな!
こいつは何も覚えちゃいないんだ!
「おら水だ!飲んでとっとと酔い覚まして帰れよ!」
むすりとした顔はそのままに水の入ったグラスを渡す。
それを大事に両手で受け取ったクリプトは水面を見つめポツリと
「好き…か、嬉しいな。俺も好きだ、エリオット」
そう呟いて水を一気にあおる。
一連の流れを見ていたミラージュは何だか泣きたくなってしまった。
クリプトから何度愛を囁かれていたとしても、慣れることなんてなかった。
何度も何度も胸を打たれていた。
何度も何度も目の前の相手に恋焦がれていた。
「馬鹿だな…俺も、お前も」
ちゃんと素面の時に正面切って伝えれば良かった。
けれど怖かった。
もし自分の勘違いだったら?もし今の関係が壊れてしまったら?
そう思うとミラージュは今夜ここでおきたことも忘れていくクリプトを見つめることしかできなかった。
-----
「おいウィット、聞いてるのか?」
「あぁ、聞いてる聞いてる」
なんだかデジャブだ。
ミラージュはまるで他人事のように思い、クリプトの隣を通り抜けていく。
正確には通り抜けようとした。
「なんだよ?」
クリプトに腕を掴まれていたのだ。
「何故俺を避ける?」
「避けてなんかねーよ。勘違いの被害妄想もそのへんにしとけよ」
「…俺が、お前に何かしたか?」
クリプトは真剣な表情をしていた。
どこか苦しそうでもある。
そんな顔をしたいのは俺の方だと言いたかった。
「なにも」
「なにも?」
「あぁ、何でもねーよ。ただ、俺の調子が悪いだけだ。じゃぁな」
無理やり腕を振りほどいたミラージュは小走りでその場を去る。
視界が滲むのはきっと砂埃のせいだ。
-----
カランコロンというベルが鳴り、お客が来たことを知らせる。
ミラージュは条件反射でいつもの笑顔で出迎えた。
「いらっしゃいま、せ…」
そこに居たのは今日変な別れをしてしまったクリプトだった。
「よ、よぉ!いらっしゃい!まだ開店前だぞ?どんだけ酒飲みたかったんだよ」
できるだけ何時ものように、そう言い聞かせてミラージュは笑う。
けれどその作り笑いは一瞬で消えた。
「お前に会いたかった」
ミラージュは頭を抑えため息をつく。
「お前、酔ってるな?」
「酔ってない。これは本心だ」
「はいはい、分かってるよ。んで?何呑むんだ?」
「酒はいらない」
「はぁ?じゃあなんだ、水か?」
煮え切らない態度にミラージュは段々と腹が立ってきて口調が強くなっていく。
「悪い帰ってくれ。今日の俺じゃお前にひどいこと言っちまう。例えお前が全てを忘れると分かっていてもそれは嫌なんだ」
「どうして?言えばいいだろう相手は俺だ」
「…お前だからだろ」
ミラージュはとうとう我慢していた想いを吐き出した。
「お前だから、嫌なことなんて言いたくない。好きだから、嫌われたくない。好きなんだよ、お前のことが。どうしてだろうな、どうせお前は今俺が話してる言葉だって忘れる」
「だから、素面できた。もう逃げないと決めたんだ。だから聞いてくれウィット」
「もう、いい…聞きたくない」
「頼むウィット信じてくれ」
「俺はもう、虚しい気持ちになりたくない」
「ウィット、悪いっ」
そう言ってクリプトは強引にミラージュとの距離を詰めて口付けた。
唇に触れた柔らかな感触に、驚いたミラージュは慌ててクリプトを突き飛ばそうとする。
しかしクリプトはミラージュを力強く抱きしめて動きを阻止する。
バタバタと暴れていたミラージュは諦め、そして歓喜する自分の心に涙した。
それに気がついたクリプトが今度は驚きミラージュを見つめる。
「悪い、泣くほど嫌だとは…」
「嫌じゃねーよ!好きなんだよ!何度も言ってるだろ!お前のことが、クリプトのことが好きなんだよ!ばか!」
ミラージュは溢れる涙を止めようと何度も手で拭うが涙は止まらない。
「ウィット、俺を見ろ」
「っ、なんだよ。まだ何か」
「お前が好きだ、愛してる。今まで悪かった。けど信じてくれ、今目の前にいる俺を」
「うそ、だ」
「嘘じゃない。 これも悪いが店の監視カメラをハッキングして昨日の俺たちの会話を見た」
「お前…無駄にそんなところで力を発揮すんなよ」
「ははっその通りだよ。だが、それくらい必死だった。お前に嫌われたんじゃないかと思って。全く我ながら情けない」
悔しそうに噛むクリプトの唇を、ミラージュは優しく撫でる。
クリプトの肩がぴくりと跳ねた。
「本当に情けなくて格好悪くてばかだよ…お前も、俺も」
くしゃりと笑ったミラージュがクリプトに口付ける。
クリプトは驚きつつも笑み、頬に流れていたミラージュの涙を指先で拭い、輪郭を辿るように撫でた。
漸く離れた頃には2人の息は上がっていて辺りは熱く甘い空気に包まれていた。
「なぁ、本当に酔ってないんだよな?」
「あぁ、酔っていない。なんなら証明してやるよ」
「どうやって?」
「朝までお前を愛して共にいる」
「っ…ばか」
「ふっ自分でもそう思う。浮かれてるんだろうな」
「あのクリプトが?」
「何とでも言え。今回は完全に俺が悪かった」
「お前が簡単に謝るなんて居心地が悪いんだよいつも通りにしてくれ」
「難しい問題だな。俺は傷つけた恋人を甘やかしたいんだが?」
自信満々に口角を上げて笑う恋人が格好よくて悔しくなったミラージュは熱くなる顔を自覚しながらもそっぽを向いた。
「お前に酔いそうだ」
「殺し文句だな。だが生憎、酒は一時こりごりだ」
クリプトの言葉に2人して見つめ合い吹き出して笑った。
本日のパラダイスラウンジは貸切に決まった。
お客は1名、恋人。