オークショニア①「150万! そちらの12番の紳士から150万が出ました! さァさァ、他にいらっしゃいませんか――おっと、8番のご婦人から160万、160万です!」
低いながらも朗々とよく響く男の声が、軽やかな調子をつけて弾んだ。
照明を落とした会場の中、ライトに照らし出された舞台上の主役は、ショウケースに収められた絵画。
自らを脇役と弁えている若いオークショニアは、狂言回しさながらに奮っていた弁舌をいったん引っ込めると、薄暗がりに沈んだ客席を見回し、彼らの息遣いに気を配り、タイミングを測る。
恐らく、ここらで打ち止め。しかし念のための確認と、場の空気の緩和を兼ねて、男は大きな口でにかりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「――どうやら、麗しの美女に太刀打ちできる勇者はいらっしゃらないようですねェ」
細波のように穏やかな笑い声が広がる。
挑発したわけではないが、それでも我こそはと乗ってくる者がいないと見るや、白けないうちに男は黒く光沢あるスーツに包まれた厚い胸を張り、ハンマーを振り上げた。
「では、こちらの逸品は勝利の女神のもとへ! 落札です!」
カンッ、と小気味いい音が響き渡った。
商品の入れ替えや諸々の準備で生まれた、オークションの小休止。その時間に、司会者は素早く舞台袖へとはける。
ふう、と息をつき、ネクタイの結び目に指を突っ込んで僅かに緩める。
(ちいとサイズが小せぇんだよなァ)
太い首回りといい、がっしりとした胸板や腰といい、身を包むスーツはさして上等なものではない。
別にオーダーメイドを寄越せとまでは言わないし、私服であればリサイクルショップの古着で一向に構わないが、欲を言えば体格にくらい合わせた衣装が欲しかったものだと、男は内心でぼやく。
とはいえ、急ごしらえにしては我ながら、それらしく化けられたものではなかろうか。
先程落札された絵画も含めて、このオークションに出品される品は、本来なら流通しているはずがない物、まっとうな手段で持ち込まれたとは言えない物、資金洗浄の役目を負った物など、ろくでもないものばかりだった。
男の目線ではかなりの金額が動くこの催しは、彼が末端として所属しているさる組織の中でもそれなりのシノギのようで――そんな仕事に抜擢されたということは、出世のチャンスに違いないわけで(何やらヘマをして消されたらしい前任者の、急遽代理で呼ばれたとはいえ)
なので、用意されたスーツがちょっと窮屈なくらい、文句は言えない。
(いけね、それどころじゃなかった)
人並みの緊張感からひととき解放されて、つい思考がふらふらと彷徨いかけた男は、整髪剤で黒髪を行儀良く後ろへ流した頭を軽く横に振ると、自身の耳元へと手を伸ばした。そこに収まっているインカムを軽く押さえ、話しかける。
「――オイ。9番の野郎、どこの“イヌ”だ?」
大っぴらにできない会話であるため声を落としているせいもあるが、ぐっと低められた男の声は、つい今し方までステージ上でジョークを飛ばしていた調子とは別物だった。
インカムに返ってきた同僚の返事に、男は馬鹿、と悪態をつく。
「見てりゃわかんだろーが。適当に冷やかすだけで、一度も無茶した値をつけやがらねぇ。もちろん落札もナシ。何より、周りの客をやたら嗅ぎ回ってやがる――ったく、警備の奴は何してやがる、ガキの留守番じゃねぇんだぞ」
文句をこぼしながら、男は舞台袖のカーテンに身を隠しつつ、そっと客席をうかがう。
目星をつけた9番の男は、周囲を妙にうかがいながら席を立とうとしていた。顔を歪めて舌打ちする。
「チッ……引き上げるつもりだ。サツだか、よその組だか知らねーが、逃すな。“別室”へお通ししろ、丁重にな。そうだ、例のVIPルームだ。俺も終わったらすぐ向かう。それまで精々もてなしとけ」
ほとんど命令に近い連絡を早口に終えると、男はもう一度、ふうっと息をつく。煙草が吸いたい。
このシノギ、なかなか忙しいものだ。
オークションの作法や商品知識をそれなりに頭に入れておかなければいけなかったが、記憶力には自信があったので、そちらはさほど問題なかった。
口も調子も上手い自負もあるため、場を盛り上げるのだってそう苦手ではないし、冗談をまじえて客たちをおだててけしかけるごとに値が吊り上げっていく様は、なかなか面白くもある。ただ“集金”を取り立てたり、腕っぷしを奮うだけでは、味わえないやりがいだ。
ただ、表沙汰にできない品々が右から左へ流れていくこのオークションが、他から目をつけられないはずもなく。国家権力や対抗組織の潜入が日々、ちらほらとある。
それを見逃すわけにはいかない。もし見逃せば、組織の中で下っ端も下っ端である男の命など、吹いて飛ばされるだろう。
高額商品の扱いより、手を焼かされているのはそちらだった。
幸い、共に仕事にあたる同僚たちから一目置かれている男は、いったん怪しいと目星をつけてしまえば、後の対処はそう小難しくなく、指示も含めてスムーズに進む。
頭と口を使うのも悪くない――とはいえ、やはり拳や銃を使って解決してしまえるなら、男にとってはそれが手っ取り早くてよかった。
もしもこの仕事がとびきりうまく済んで、今より少しでも待遇が上がったとして。そういった泥くさいやり方ができなくなったら寂しいなぁ、なんて思ったりもする。
まあ己はそこまで出世できるタイプでもないだろうし、杞憂だろう、と男は肩を竦めた。
「魚塚さん、そろそろ」
スタッフに声をかけられて、男――魚塚は、アァ、と軽く片手を挙げて返事をする。
再びオークショニアの役に戻る前に、男は咳払いする。
裏社会の末端であるろくでもない本来の顔ではなく、よそ行きの顔をするためには、声もまたよそ行きにする必要がある。
低いけれど、軽やかに。愛想よく、調子良く――
仕上げに、先程緩めたネクタイを締め直し、ほつれがないよう髪を撫であげて、準備完了。
魚塚は再び、ステージへとあがった。
「紳士淑女の皆様、お待たせ致しました! 続いての商品が到着です。今回も、目の肥えた皆様方のお眼鏡に叶うといいのですが――」