オークショニア⑥(END)「……なんにも聞いてやせんぜ、俺は」
いかにも不服そうにぼやいてしまってから、魚塚は自分で自分に驚いた。
あれほど恐れていた幹部に向かって、こんな生意気な口を利くなんて。今までならあり得なかったことだ。これまでにない修羅場を経験したために、まだ神経が昂って尋常ではないのか――あるいは、度胸でもついたのか。
「いや〜堪忍っ! ほんま堪忍やで、魚塚クン!」
テキーラは、あからさまに不機嫌な態度で助手席に収まっている下っ端の態度を咎めはしなかった。それどころか、ハンドルを握ったまま上擦った声でしきりに謝ってくる。本心がどうかはわからないが、やはり度量が違う。
「けどなぁ、言い訳するわけちゃうけど、文句やったらジンに言うてくれや。オレかて口止めされとったんやから」
せやろ? と同意を求めながら、テキーラが帽子の下からバックミラーを見やる。
助手席にいる魚塚は運転で手が塞がっているわけではないから、振り向けば後部座席を視界に捉えられるのだが――なんとなく、直接見ることを躊躇い、自身もそっとミラーを覗いた。
およそ三人掛けのシートの真ん中にただ一人陣取り、相変わらずの色男っぷりで、黒澤――改め、ジンが寛いでいる。
長い脚を優雅に組み、他人の車で匂いの強い煙草の煙を遠慮なく漂わせている。結っていた髪は解かれていて、首や肩、体の線に沿って銀糸が流れている。
美しい銀髪も、仕立てのいいスーツも、乾いた返り血がこびりついて酷い有様なのに、どうしてこれほど、そこにいるだけでサマになるのだろう。
やはりミラー越しに見てよかったと魚塚は思った。振り返っていたら、ぼうっと見惚れた間抜けな顔を晒すところだった。
鏡の中で、男はテキーラの問いかけをフン、と鼻で笑った。
「さあて、どうだったかな」
「あのなー、ほんまにお前は〜」
すっとぼけた返事に対して、テキーラは呆れながらも怒気を含ませていない。よほど気心の知れた仲なのだろうか。
そう、二人は仲間なのだ。下っ端の魚塚は上層部の事情に明るくないが、同じように酒の名前のコードネームを持つからには、同格なのだろうとうかがえる。
だがジンと顔を合わせた時も……いや、その前にテキーラに紹介された時すら、それを明かされなかった。同じ組織の構成員であることすら教えられなかった。つまり――
(最初っからグルだったってことじゃねぇか!)
そう思うと、すっとぼけているジンよりも、さも分別のあるような素振りを見せているテキーラの方に改めて理不尽を覚えた。口止めされていたとしても、だ。
魚塚はやはり釈然とせず、ただでさえ発達した顎を突き出すように口をへの字に曲げて、窓の外へ顔を背けた。
車は組織の拠点へと向かって海沿いの幹線道路を走っている。黒いワゴン車にテキーラとジンと魚塚と、トランクに美術品を載せて。
オークションに出品されるはずだった品々を積んでいるのはこの車だけではなく、テキーラの部下たちが少しずつ、バラバラのルートで運び出していた。
冷静になれば、おかしいことだらけだったのだ。
不測の事態が起きたとはいえ、責任者から会場のスタッフまで丸ごと入れ替わったことも。
どんなに特別扱いとはいえ、客である“黒澤”がボディチェックをかいくぐって銃を持ち込んでいたことも。
彼が襲撃者に怯むどころか、即座に、的確に反応していたことも。
今回のオークション襲撃は、最初から予定に組み込まれていたのだ。魚塚に知らされることなく。
「前々から、あのシノギがあっちこっちから目ぇつけられてたんは魚塚クンも知っとるやろ? 中でも強引な“ご同業”が乗り込んでくるってわかってなぁ。ちょうど潮時やと思っとったし、どうせなら受けて立とうやないか、派手にかましたれ! ってことになったんや」
テキーラはこともなげに説明しているが、要は大金の動くシノギをあっさりと切り上げるついでに、敵対組織への見せしめとしたわけだ。加えてオークションの実態が外に漏れないよう客もろとも葬るあたり、まったく容赦がない。乱暴なほどに徹底的。これはテキーラのやり方なのか、それとも組織のやり方なのか。
魚塚は改めて畏怖を思い出し、膝に両手を置いて頭を下げた。
「……面目ありやせん。イヌの始末も俺の仕事だったってのに……結局、お役に立てませんで」
「いやいや、そんなことないって! 魚塚クンはようやってくれたよ。気にせんでええんや、大丈夫ダイジョーブ!」
テキーラは片手をハンドルから離し、大きな掌を魚塚の背中にバシバシとぶつけてきた。痛みと勢いにむせる。が、ひどく安堵する。
今度の件は、魚塚の失態として扱われていないようだ。考えてみればそれはそうだろう、襲撃者は魚塚が見逃したのではなく、策略で招き入れられたようなものだ。
安堵する一方、それらの計画が伝えられていなかった辺り、やはり下っ端の魚塚への信頼はその程度だったのだと、妙に冷静に受け止める。
ショックではなかった。そういうものだ。
「ほんまはウチの奴らで処理するつもりやったけど、ジンが一枚噛む代わりに、部下連中出してくれることになってな――せや、ジン、悪いことしたなぁ。何人か“もってかれた”やろ」
テキーラが思い出したように、いかにも気遣わしげな声をかける。
銃撃戦において、ジンの立ち回りにばかり目を奪われていたが、彼の部下たちの働きもあってこそ、ジンも魚塚もあの場を切り抜けられたのは言うまでもない。敵の銃弾に倒れた者もいるだろう。生き残った者たちは、今頃後始末に勤しんでいるはずだ。
しかし、そんなふうに命懸けで働いた部下たちの上に立つ者は、平然とした様子で咥え煙草の口端を微かに吊り上げる。
「あの場でくたばるようならそれまでだ。使える奴とそうじゃねぇ奴、整理するのにちょうどいい機会だった。むしろ礼を言うぜ、テキーラ」
おお怖、とテキーラはちょっと肩を竦めた。
一方、魚塚は身を固く竦ませていた。部下の教育が厳しいようなことは聞いていたが、これは厳しいどころの話ではない。
「で、お前から見てどうやったん、魚塚クンは?」
そんな時に自分の名前が出たものだから、肝が冷えた。
「まっ、聞くまでもないか。こうして連れ出したってことは、お眼鏡に適ったんやろ?」
どこかニヤついたテキーラの物言いに対して、ふ、と音がした。先程のように鼻で笑うのではなく、唇からこぼれた吐息の柔らかさだと、なんとなくわかる。彼の表情が気になって――しかし魚塚は振り向くどころか、ミラーを覗くこともできない。
「嗚呼……高い買い物になったぜ」
意志とは関係なく肩が跳ねてしまう。冷たい汗がじわりと滲んだ。
魚塚の様子など気づいていないらしいテキーラが、買い物ぉ? と不思議そうにジンへ聞き返す。
「落札したんだよ、こいつを。確か1億……そうだよな? オークショニア」
とてもではないが、返事ができない。
幸いにも、魚塚の代わりにテキーラが大きく反応してくれた。
「っか〜! なんやキザったらしい真似したってことだけは、ようわかったわ。そういうとこあるよな〜自分」
ジンを茶化した後、テキーラは次いで「実はなぁ」と魚塚に語りかけた。どこか悪戯を打ち明けるようだった。
「魚塚クンのこと、ジンはずぅーっと気になってたんやで」
「は……?」
見れば、テキーラはニカリと人の悪そうな笑みを浮かべている。
「前にも言うたかもしれへんけど、こいつ、こんな調子やから相棒も部下も長続きせぇへん。せやけど、なまじデキるもんやから、どんどん仕事任されて忙しなる一方や。相棒は無理でも、秘書っちゅーんか、副官っちゅーんか、女房役っちゅーんかな。サポートできるような奴がそろそろ必要やって、前々から話しとった。そんな時に見つけたんが――」
「お、俺だって言うんですかい!? いやいや、俺なんか下っ端の下っ端で……」
思わず声をひっくり返しそうになりながら口を挟むと、テキーラは車内に轟くような声でガハハハッと笑う。
「ほらな! そういう謙虚なとこといい、けど適度に気安くて堅苦しすぎへんとこといい、ええわ〜。上の者を立てるんが上手い。仕事かて、変に目立とうとせんとコツコツ頑張ってくれる。腕っぷしもええ。サポート役としてうってつけや。オレが欲しいくらいやわ〜」
「……この調子で、てめぇのことをしつこく聞かされてりゃあ、多少は興味も湧くってもんだ」
テキーラの声は豪快に弾んでいるのに、低く淡々としたジンの声も、負けず劣らずよく通る。
「多少は、やて? スカしよって、素直やないのう。客のフリしてまで様子見に来といて、なぁ?」
テキーラがニヤニヤしながら、大きな体を魚塚の方へ傾け、肘で小突いてくる。魚塚は何とも答えられないまま、とりあえず「危ないんでちゃんと運転してくだせぇ」とやんわり促した。
一方で、なるほどそういう経緯か……と内心、一応の納得をしていると、独特の香りが濃くなって鼻をくすぐった。
「最初は調子のいい野郎かと思ったが……ビビっても組織の内情を話さねぇのが、まず評価できた。口の軽い奴は論外だからな」
ジンの言葉に、倉庫で会った時のことを思い出す。人身売買は取り扱っているかと尋ねられた時――あの対応は正解だったらしい。己で己を褒めてやりたい。
「器用なだけの奴ならいくらでもいる。だが、土壇場じゃ役に立たねぇのかと思ったら、そうでもなさそうだ。てめぇの身の程をよく弁えてるところも、可愛げがある――そのうえで、一丁前に自己主張もしやがる……悪くねぇ」
評価するようなことを立て続けに言われて、魚塚は地に足がつかない心地がしてきた。顔が緩みそうになるのは耐えたが、つい気が緩み、バックミラーに視線を上げる。
鋭い切れ長の双眸が、想定していたよりも近くに迫っていて、ビクッとしてしまう。
「忘れるなよ」
こちらへ身を乗り出したまま、ジンは体の芯を震わすような響きで囁いた。
「使ってみて、見込み違いとなったら、切り捨てるまでだ。それが嫌ならせいぜい落札額分、働いてみせろ」
魚塚はゴクリと生唾を飲み込んで、黙ったまま頷いた。
言葉では上手く答えられなかった。彼に対しての口の利き方すら、わからなくなっている。もちろん、最大限の敬意を込めるつもりではあるが、話し方ひとつも注意すべきような気がした。
そもそも、彼をなんと呼べばいいのか。客と思っていた時は、他の相手と同じように“旦那”と呼んでいたが――今となっては、どういう呼び方が相応しいか、まだ、掴めずにいた。
「その落札額、肝心の支払いはどないするん?」
テキーラの横槍に、ジンは身を引いて座席に背中を預け直しながら、くだらないことだとばかりに、そんなもん、と言った。
「給料払ってりゃ、いつかそれくらいにはなるだろうよ」
「なんやそれ、詐欺やないか!」
「これまでより待遇も上がるんだ、文句ねぇだろ」
「魚塚クン、これ訴えたら勝てるで!」
「馬鹿か、どこへ訴えようってんだ」
遠慮のない応酬を、どこか小気味よく感じる。こんな気のおけないようなやり取りができるのに、テキーラはジンの相棒にはなり得ないのだろうか。そう思うと不思議だった。
そんな男の、秘書……副官……女房役……どんな呼び名になるかはわからないが、そういう地位に、自分は収まろうとしている――実感がなかった。
実感はないが……
じわじわと込み上げてくるこの感覚は、誇らしさなのだろう。
銃弾飛び交う中、尋常でない立ち回りと、全てを支配するような気迫で君臨していた姿を、脳裏に思い浮かべる。
恐ろしい。恐ろしいけれど、間違いなく、彼は最上の男だ。
そんなひとに、見出されたというのなら。
(やるしかねぇだろ)
魚塚は、ゾクゾクするような高揚感に身震いした。
これは武者震いか。
ダメならそれまで、なんて裏社会なら当然のこと。いつものこと。そんなものは、もう怖くない。
いつかきっと、このひとに認められたい。
そのためならなんでもしよう。
魚塚は、これまでにない野望に胸が騒いだ。
「これから大変やろうけど、頑張るんやで〜魚塚クン。“死神”の相手がイヤんなったら、いつでもオレんとこ逃げ込んできぃや」
「……“死神”?」
我ながら陶酔に浸っているところへテキーラに話しかけられて、その気遣わしさより、そこに含まれたひとつの単語にハタと引っかかった。
「そうそう。仲間内で、なんならこの業界で、最近そんなふうに呼ばれるようになったんや。容赦ない、おっかない、馬鹿みたいに強い。通った後は草も生えへん。出会ったら最後の、死神やってな」
「くっだらねぇ」
「なんでや、かっこええやん。ハクがつくと何かと便利やで〜、この世界」
ジンが一蹴している。だから、自分もあまり反応せずに流さなければ。
そう思っていたのに――
「ん? どないしたんや魚塚クン、顔真っ赤やで?」
「……なんでもありやせん……」
俯きながら消え入りそうに答えたけれど、誤魔化せそうになかった。
何か、顔を隠せるものがあればいいのに。
血まみれで目の前に立ったジンを見て、神のようだと、心の底から感じたことを思い出した。
そんな大袈裟な自分の思考回路が、今更恥ずかしくなって、顔が熱くなってしまったのだった。
こちらを覗き込もうとするテキーラと、「大丈夫か」「前見て運転してくだせぇ」といったささやかな攻防を繰り広げていると、
「おい」
低音に割り込まれて、魚塚は反射的に振り向いてしまった。
再び、いや恐らく先程より至近距離にある端正な、しかし返り血の残る酷薄な顔。
鏡越しでなく直接見るジンの顔に、心臓が口から飛び出すかと思った。
「あれこれ片付いたら、付き合え」
「は……ど、ど、どこへ……?」
なんとかそれだけ絞り出すことのできた魚塚の、その肩を、ジンは筋張った大きな手で掴んだ。
そして、軽くさするように指を擦り付ける。
「スーツをあつらえてやる。そんなペラペラのはち切れそうな安物じゃなく、ちゃんとカラダに合うやつをな」
死神と呼ばれ始めたというそのひとは、競り落とした男をからかうように、その切れ長の目元を歪めた。
「女房役に連れ歩くってんなら、身なりくらいまともに整えなきゃ格好つかねぇだろうが」
魚塚は、改めて今の自分の安っぽいスーツ姿が恥ずかしくなって――耳まで熱くなってきたのだった。
「あーっ、やっぱりスーツきつかった!? すまんすまん! 魚塚クンのガタイがようわかって、一部のお客に評判よかったもんやから」
「えっ」
「おいテキーラ……てめぇ、後で顔貸せ」
「えっ!?」
「なんや、旦那ヅラが早すぎるやろジン」
「ええっ……!?」