未定「お兄さん!良ければ一杯如何だろう‼︎」
帰宅途中の繁華街。客を呼び込む声が聞こえる。
今は22時を過ぎた頃。この生活になってから2年目なのでまだこの時間帯が肌寒い事は知っている。
足早に帰路を進んでいると、より大きな声で呼び込みの声が響く。
「素敵なピアスのお兄さん!君なんだが!」
確かに自分はピアス?と呼べるものをしている。「花札」に似ていると他人からはよく云われるデザインだ。
余りにはっきりと聞こえたので、何気無しに声の方を振り返ると驚くほど間近に男が居た。覗き込む様に。
自分より頭一つ高くから向けられる剛強な眼力のアーモンド型の眼。茶よりももっと明るい色に見えるが、繁華街の不規則な灯りではよく解らない。髪も派手で、山吹色で獅子の立髪を思わせる。派手としか言いようがない。そして、ダークスーツに赤いのだが光のせいか黒にも見えるネクタイ。呼び込みの台詞。
多分、……ホストだ。
「あの、俺、男ですから…」
そう、それに、そんなところに使えるお金なんて持ってなんていない。見た目からしてそうだと思うのだが、なんで自分に声を掛けてきたのか全く解らない。
眼力に圧されて、迂闊にも止めてしまった歩調を再会させようとしたが、男は一向に構わないという様に、ポムチッと肩に手を置き
「男性のお客様も大歓迎だ!意外に多いぞ。どうだろう!初回なので!」
ぐいぃぃぃ〜と剛強眼が寄ってくる。
(あ、茶色じゃない…これは…)
スパンッッ‼︎
っと、高らかな音が響いた。
山吹男の頭が蹌踉めきこちらへ傾いてきた。が、接触する寸前にグインと男の身体が引かれて、
「阿呆ぅか‼︎お前は‼︎騒ぎ起こすんじゃねぇ‼︎ただでさえ昨今面倒だってのに!」
と、怒鳴り声も響いた。
大きい…ちょっと、ギョっと見上げてしまう様な大男が更に後ろに立っていた。どうやら山吹男の後頭部に平手でも入れたらしい。同じ様なスーツ。多分同じ店?の…ホストだ。きっと。
この男もひょいっと屈んで顔を覗き込んでくると、
「悪かったな〜お兄ちゃん。面倒掛けて。まぁ、気が向いたら遊びに来てくれよっ。」
そう言って、持っていた白いキャンバス地のトートのポケットににカードを差し込みながら、バチン‼︎と音がしそうなウインクをしてきた。
「ぬ‼︎では俺も‼︎」
と、体制を立て直した山吹の首をガッチリとロックして、大男は去って行った。
テメェは余計な事すんじゃねなんで上手くやれねぇ…などと離れて行ってもまだ聞こえる。
寸劇に巻き込まれてしまって思考も足も止まってしまっていたが、ヒヤリとした夜風にハッと我にかえり本来の目的、帰宅への道を進み始めた。
(変な目に遭ったな…)
ぽむぽむとタオルで髪の水分を拭き取る。
あの後、派手な人達の寸劇から解放されて周りを見渡すと、意外にギャラリーが多くて居た堪れなかった。お陰でこの時期に変な汗をかきながら足早に、現住居、ワンルームの賃貸アパートに戻ってきのだ。
シャワーを済ませた後、夕飯はバイト先の賄いで済んでいたので荷物の中を改めた。
テキストに、財布とスマートフォン。実習の衣類。学生証のケース…学生証には顔写真と共に【竈門炭治郎】と名前の記載がある。その写真の自分には、花札を想わせる様なデザインの大きめの耳飾りがついている。
(これが目立って声を掛けられたんだろうか…)
シャワーの為に外した、今は何も付けていない耳に触れる。
亡くなった父がお守りとして持たせてくれた物だったので、付けれる時はなるべく付けていたのだが。
そう、遠方に居る家族を思った。その時、
ハッ、と思い出しバッグのポケットを探る。派手な大男が何か入れていた………入れて…
これ、何だと思う………名刺?
…名刺…だと思う。
出てきた9×5センチサイズの四角いカード状の物を見て、多分、名刺で合っている筈だと。ほら、裏に店名、住所、名前?もある。
名刺なのだとしても、炭治郎の知っている名刺とは大分違っていた。挑発的に腕を上げ脇が見えるポーズのカラー写真にオーロラの様な虹色にキラキラとした加工がしてある。被写体もキラキラを凌駕する程の実に良い笑顔だ。
裏には名前なのか『天元』と書かれていた。本名?。筆で書いてような文字に見えるが、自分で書いた字なのか解らない。その派手さにポカンとしてしまった。昔、友人が持ってたデュエルが出来るカードとか云うのと間違えそうな、そんな名刺だった。
(なんとなく……)
写真系のものは処分し難いなぁ。と、眉を狭めて一瞬屑籠に入れるのを躊躇ってしまった。
広告ならいざ知らず、名刺となると…。年賀状整理の時に母が零していた姿を思い出す。そう、なんとなく…捨てられない。
取り敢えずはと、手近な棚の端にデュエルな名刺を置いて、明日の荷物を整えると、布団を用意して、スマートフォンのアラームを確認して灯りを消した。
実家の頃からの習慣で朝は早く起きてしまうので、念のためのアラームをセットしているが、アラームに仕事をしてもらった事が無い。早朝の時間を学習に使い、夜はさっさと寝てしまうのだ。
いつもの習慣。ルーティン。変わらずいつもの事だった。
布団に潜り、薄暗い中、ふっ、ともう一人の男が頭に浮かんできた。山吹の派手な獅子の様な髪、目の端は縁取った様に上がっていたが、厳つい印象は無かった。大きく見開かれた明るい色の眼と、きゅぅぅと上がった口角。
大男も綺麗な顔立ちではあったが、山吹男も…
「綺麗な人だったなぁ…」ポロリと口から漏れた。
声も良い声だったな…心地良い…眉毛すごかった…こうふたつにわかれて…うえにぎゅんって……ちょっと変なひと……おきゃく…たくさんいそう………なんでおれ……………
綺麗な…きれいなきんいろのめ
布団に包まれて温みが増した身体は心地よく沈んで行く。それに合わせて炭治郎の思考も途切れ途切れて、後はすぅぅぅっと眠りに落ちて行った。
翌朝の炭治郎はアラームの音で目が覚めた。
アラームで。
(昨日、そんなに疲れていたか?)
まぁ、こんな事もあるだろう。あまり気には留めずスマートフォンに『ありがとう』と言って、身支度に掛かった。
微かに、ほんの少し、身体に熱の籠った様な違和感がある。
(風邪…)
喉も痛まないし、鼻に異常も無い。ただ何かぼんやりと熱いのだ。
(風邪の引き掛けかな…少し動いたら…)
そう、少し身体を動かして体温を上げれば少々の不調は吹き飛ぶ。手早く朝食を済ませて部屋を整えると玄関へと向かった。家を出る時間はいつも通り。
誰も居ない部屋だが「行ってきます」と声を掛けドアを閉じた。
いつも通り、今日も一日が始まる。そういつも通りに…。今日の予定を頭の中で浚って歩き出す。
昨夜、何気なく棚に置いたデュエルな名刺。それが消えている事に多分一生気付かないだろう。
彼の中では『今日もいつも通り』なのだから。